日本大衆文化の統制と開放――韓国で考える(4−完) 2004年7月26日

回で6月の韓国講演旅行の連載を終える。最終回は日本大衆文化の統制問題である。
  6月8日のソウル大での講演の夜、韓寅變教授の計らいで、いま韓国で一番人気の“NANTA ”というミュージカル公演に招待された。サムルノリという韓国伝統のリズムが各種の太鼓だけでなく、調理器具などを通じて再現される。ほとばしる熱気(飛び散る野菜!)と迫力あるリズムを堪能した。10日の延世大での講演の翌日、同大法科大学長・朴相基教授が、私が滞在する宿舎のフロントに、土産としてCD(タイトルは「郷」)を託して下さった。早速聴いてみたが、韓国伝統楽器を使った14曲の演奏が入っている。日本の宮廷雅楽の響きに似ているところもあり、興味深かった。というわけで、短期間ではあったが、パワフルな韓国の「いま」を体感させてもらった。
  キンポ−羽田直行便で帰国する機内で、ソウル大学留学中の中村知子さんから頂いた抜き刷りを読んだ。「韓国における日本大衆文化統制についての法的考察」(『立命館国際地域研究』22号〔2004年3月〕)。日本で、韓国テレビドラマ「冬のソナタ」が中年の女性たちを中心に大変な人気であることと、韓国のCD店などで日本の音楽作品がヒットしているのを目の当たりにして、「日本大衆文化の統制」の歴史と現状にひときわ興味を持って読んだ。
  周知のように、韓国では、日本の大衆文化(「社会の多数をしめる一般勤労階級・民衆」の文化を意味する)が長期にわたって禁止されてきた。1998年10月に金大中政権が誕生して、段階的開放措置が実施された。2004年1月からは、日本語の音楽CDや日本製ゲームソフトの販売、日本映画(アニメを除く)上映が全面解禁された。CD店には、日本商品が普通に売られている。大きな変化である。でも、なぜ韓国では、ごく最近まで日本の大衆文化に自由に接することができなかったのか。読者は、そもそもこの事実を知っていただろうか。以下、中村さんの論文を参考にして、問題の所在を整理してみよう。
    韓国において、日本文化を締め出す法的根拠となった最初のものは、1948年7月17日に公布された大韓民国憲法101条とされる。そこでは、「1945年8月15日以前の悪質な反民族行為」という言葉があり、これに基づく「反民族行為処罰法」(1948年9月22日) も制定された。この法律の適用対象は、日本の統治に追従・同調した警察官僚や文学者が中心だった。日本への追従が「反民族行為」とされた以上、日本大衆文化の一掃は当然のことと受けとられた。
  韓国民の「反日感情」を理由に「民族の主体性涵養」や「民族文化の創造的開発」に反する日本文化の導入を阻止してきたのは、1960年代の朴正煕政権時代に制定された一連の法律群だとされる。放送法、公演法、映画振興法、「音盤、ビデオおよびゲーム物に関する法律」、外国刊行物輸入配布に関する法律などである。注目すべきは、これらの法律のどこにも、特定の外国文化(もちろん日本文化も)に対する規制の条項は存在しないことである。
  韓国憲法21条は言論・出版の自由を保障するが、「言論・出版は…公衆道徳や社会倫理を侵害してはならない」(21条4項) との制限が設けられ、また同37条2項は、「国民のすべての自由及び権利は、国の安全保障、政治秩序または公共の福利のために必要な場合に限り、法律により制限することができる」とされていた。かなり一般的な法律の留保である。さらに、「伝統的な文化国家の精神」(憲法9条)から外れる言論・出版は許されない。たとえば、裸体文化や近親婚などを宣伝・奨励する言論・出版は制約された。ただ、民族感情に裏打ちされた「伝統的な文化国家の精神」という理由による規制は、あまりに漠然としており、日本であったなら、表現の自由に対する過度な規制として違憲とされるだろう。
  1965年11月の歌謡審議規程と放送歌謡審議細則によれば、日本の歌謡曲などに多い「都節(ミヤコブシ)音階」は日本固有の音階で、「反民族的」であり、「低俗、退廃的」であるが故に、この音階の曲は韓国の歌であっても禁止され、「リズム、ムード、唱法などは事前に一律に規定しがたいため、その都度聴取しながら判定する」とされた。1966年には、「倭色歌謡」として19曲が放送禁止の処分を受け、80年代の全斗煥政権のもとで、「表現の自由を統制しすぎた」として「倭色歌謡」が解禁されるまで、放送禁止曲は250曲に達していたという。
  日本大衆文化の開放が具体化するのは、金大中政権下である。1998年10月、日本大衆文化の段階的開放策が発表された(第一次開放)。なお、今日までの日本文化開放政策については、外務省のサイトにアナウンスがある
  第一次開放では映画(四大国際映画祭の受賞作品)やビデオ(劇場公開されたもの)、出版(日本語の漫画、漫画雑誌)が対象となった。第二次開放(99年9月)では劇場用アニメを除く映画が大幅開放された。2000席以下の室内公演場での歌謡公演も開放された(ただし、実況放送やビデオなどの販売は不可)。第三次開放(2000年6月)では、18歳未満不可のものを除いてすべての映画作品(劇場用アニメを除く)、歌謡公演は全面開放、レコードは日本語による歌以外(演奏のみ、翻訳)は開放された。放送では、報道番組やドキュメンタリーが開放された。2004年1月からの第四次開放では、映画はすべて開放、ビデオは国内公開がすべて開放、日本語を含むすべてのレコード(CD、テープ等)、ゲームソフトがすべて開放された。劇場用アニメは、2006年に全面開放の予定である。
  このように日本文化はごく最近まで、一律・一般的に禁止されてきた。表現の自由という、その規制には厳格な審査基準を必要とする場面で、きわめて曖昧で抽象的な理由で、いとも簡単に一律規制が定着していたわけである。韓国の憲法学者のなかで、表現の自由の観点から、この日本文化統制を問題にした人は皆無に近い。表現の自由の違憲審査基準の議論をやっても、その例として日本文化統制をことさらに挙げる人はいないという。
  なお、映画に対する事前抑制に関連して、憲法裁判所が違憲判決を出したケースがある。1996年10月4日、韓国の憲法裁判所は、映画振興法12条が定める「公演倫理委員会」による映画の上映前審議が「憲法21条1項が禁止する事前検閲制度」にあたるとして違憲と判断した。これは画期的な判決だった。これにより、日本映画を含むすべての映画が事前に行政権の事前チェックを受けることがないかに見えた。だが、民間機構(映像物等級委員会)の自律審査が存在しており、映画等級制は検閲にあたらないとされた(*補注参照*)。同委員会の規程2条の、有害可否を審議する基準の三番目に、「…民族の文化的主体性などを毀損し、国益を害する恐れがある事項」があり、これが日本映画を統制する根拠とされてきた。こうして、きわめて荒っぽい行政措置により、日本大衆文化が締め出されてきたわけである。これは、韓国の立憲主義の現在をみる上で興味深い。中村知子氏はいう。「万が一、表現の自由の制限を理由に日本大衆文化の規制について訴訟が行われるとしたら、勝訴の可能性が高い。にもかかわらず、日本大衆文化については、それが行われていないところに、この問題の複雑さがあらわれている。その背後にある理由としては、日本大衆文化が『戦後補償を清算していない日本という国の文化』であること、そして『大衆文化という記号をもつマイナスイメージが相対化されていない』など、法的規制外の歴史的・文化的・社会的な自主規制の水圧の存在が指摘できる」と。
  「自主規制の水圧」は、時に、国家権力による抑圧よりも強力となる。36年間におよぶ植民地統治のもとで、日本文化への同化が強制された過去の歴史は、いまも、日本語や日本文化一般への反感として韓国社会の深部に根強く存在していることは確かだろう。首相の靖国参拝や閣僚の無神経な発言などが反発をかってきた。とはいえ、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という形がいつまでも続くとは思われない。若者たちにとって、「いいものはいい」のであって、その作品が「メイド・イン・ジャパン」かどうかは二の次という感覚も広まってきたようである。今年1月の実質的な全面開放により、文化のレヴェルでは、日韓の間の垣根は大きく取り払われたといえよう。韓国映画の水準も非常に高くなり、日本の観客の心をとらえるようになってきたことも、よい兆候である。いかなる歴史的背景や理由をもっていても、こと文化に関しては、行政的規制や自主規制による締め出しではなく、視聴者・読者・観客の判断に委ねるという方向に徹することが大切だということを、韓国の人々も理解してほしいと願う。
  なお、余談だが、私がテレビドラマに「はまる」ことはまずない。書斎からダイニングに飲み物をとりに行く途中、居間でテレビをみている妻の側を通って、そのまま見入ってしまい、その後毎週みることになったのが「白い巨塔」である(教授選のあたりから)。これは私にしてはきわめて稀なケースである。だが、「冬のソナタ」は妻がビデオでみているのを横目に、数分立ち止まるのがせいぜいだった。あの独特のテンポについていけない。恋人が遠くから見つめるのも気づかずに、「ヨンさま」が降りしきる雪を見上げ、ファーとした笑顔で雪に手をさしのべるシーン。こういう隙だらけの男が年配の女性に好まれる時代になったのだろうか、と思いつつ書斎に戻った。私がテレビをみる妻の側を通るときに、そのまま「はまる」ような韓国ドラマが放映される日を楽しみに待っている。

*補注* なお、2001年8月30日、憲法裁判所によって映画振興法21条4項違憲(映画物等級分類保留制度違憲)判決が出された。この制度は、事実上無制限に等級を保留して映画を上映しないというものであったが、判決後、同制度は廃止された。現在は「制限上映可」等級が新設されており、「制限上映可」等級を付された映画は、制限上映館でのみ上映されている。