『朝日新聞』2004年8月14日付オピニオン面「私の視点」(ウィークエンド)掲載

      
武器輸出見直し論――本音に屈せず禁輸継続を


 「だって、ほしいんだもん」。玩具売り場に座り込み、おもちゃをねだる子どもの言葉ではない。以前、ある会合で私よりはるかに年配の人が口にした言葉である。大勢で相談していた時だから、その一言で周囲はかたまった。
 いま、この国の様々なところで、こんな「本音の突出」ともいえる光景が目につく。経団連の武器輸出3原則の見直し「提言」も、装備予算減少や技術開発の必要性を理由に挙げてはいるが、本音は「国内ではもうからないから」だろう。政治家がこれに軽やかに応ずる。救いは、河野衆院議長の「もっと武器を輸出できるようにしようとの提言が出てくるのは、安易に看過できない」との発言ぐらいである。
 この国の半世紀は、憲法9条に基づく厳格な平和主義の規制を緩和し続けてきた歴史である。半世紀前、「自衛のための必要最小限度の実力は合憲」という政府解釈で「軍隊ではない」自衛隊が発足した。それこそ重大な「規制緩和」だったが、野党の批判やアジア諸国への配慮などの力学が働き、海外派兵禁止、専守防衛、防衛費国民総生産(GNP)1%枠、徴兵制違憲解釈、集団的自衛権行使の違憲解釈など数多くの「周辺規制」が生まれ、軍事に関する「本音の突出」をなんとか抑制してきた。
 60年代、佐藤内閣のもとで確立した非核3原則と武器輸出3原則もそうした規制である。べトナム戦争の後方支援基地として対米協力しつつも、これらの規制がこの国を「平和国家」として押し出してきた。だが、83年、中曾根内閣のときに、米国向けについて武器輸出3原則等の重大な「規制緩和」が行われ、今回原則そのものに正面から手をつける段階に立ち至ろうとしている。
 3原則でとくに重要なのは「国際紛争の当事国」向け規制だ。「国際紛争を助長することを回避する」(01年10月5日官房長官談話)との趣旨を徹底すれば、イラク戦争にみられるように、「先制攻撃戦略」を鮮明にした米国こそが実は国際紛争の最大の当事国ではないか。ミサイル防衛(MD)開発を円滑に進めるために3原則を見直し、米国に武器技術を移転していいものだろうか。
 そもそもMDは冷戦後の軍需産業に巨大な需要を生み出す「打ち出の小づち」なのである。日米の武器商人たちの「本音の突出」に付き合って、原則に手をつけてはならない。 世界平和にとって真に必要なのは、包括的武器輸出禁止条約である。地域紛争が泥沼化していく背景に、紛争地域への武器流入があるからだ。とはいえ、国連常任理事国の5大国だけで世界の武器輸出額の大半を占める皮肉な状況のもと、現実は厳しい。警察官と武器商人が同一人物では紛争はなくなるまい。それでも、武器輸出規制を求める世界世論を広めることは重要だ。武器輸出3原則見直しはそうした方向に逆行する。
 中曾根内閣以来、平和国家の「周辺規制」が一つずつ外されてきたが、ここでまた一つ外し、憲法9条本体の規制撤廃にまで進むのか――。あられもない本音に屈せぬ議論がいま、求められる。

参照:直言(2002年06月10日)武器輸出3原則等も消える?