「専守」からの転換――「新・防衛大綱」を読み解く
『北海道新聞』2004年12月19日
田中明彦東大教授との紙上「対論」


 新・防衛大綱は「安全保障と防衛力に関する懇談会」の報告が出た段階で、ほぼ決まっていた。議会で構想を練るなど、多様な民意を政策に反映させる構図がとられず、民主的正当性を得ていない首相の懇談会で自衛隊側の将来構想を正当化させた格好だ。
  一九七六年当時、三木武夫内閣が基盤的防衛力整備計画を打ち出したとき、防衛庁や政治の内部で対立があった。いわゆる所要防衛力構想という、脅威に応じた力を持つという軍事的合理性を優先した主張があったからだ。しかし、当時は、憲法九条、アジア諸国との関係、戦争はいやだという世論などとのバランスをはかって、政治が軍事的合理性をある程度抑制した。
  ところが、小泉政権になって劇的に変わった。政治の圧倒的な後退によって、軍事的合理性が突出した。その極致が今回の大綱だ。七六年から二十八年かかって、軍事的合理性の主張が何の抵抗もなしに実現しようとしている。
  もともと戦後保守政治は、米国の圧倒的な軍事力に依存しつつ、日本の武力を海外展開することには慎重だった。五四年から、自衛隊は「必要最小限度の実力だから憲法違反ではない」という政府解釈が始まった。憲法九条がある限り、この「必要最小限度」の縛りを動かすのは困難だった。自衛隊はあくまでも「自衛」隊であり、ここに軸足を置いて、海外派兵禁止、非核三原則、武器輸出三原則等、防衛費GNP1%枠
といった付属的な原則が五月雨式に生まれ、今日まできた。これらの原則は、八〇年代の中曽根康弘内閣以降、一つひとつ外されていった。今回、ついに武器輸出三原則等の「緩和」という形の空洞化が進んだわけだ。
  九二年のカンボジアへの国連平和維持活動(PKO)参加以降、「海外派遣」はできるが「海外派兵」はできないという建前を維持してきた。イラクは従来の基準からすれば明らかに「海外派兵」だ。今回、自衛隊法という基本法を改正せずに、大綱で、先取り的に自衛隊の任務と性格を本質的に変えようとしている。 国際任務を主任務だとして、後方支援から本体的な実力行使の部分、つまり、海外での武力行使まで解禁しようとしている。「武器使用はできるが武力行使はできない」とした縛りも、変更を大綱に上手に入れ込んだ。
  装備面では、陸上自衛隊の高機動車や軽装甲機動車のような機動運用型装備、海上自衛隊の大型輸送艦、航空自衛隊の大型輸送機、これらをセットで考えたとき、冷戦時代の戦車や対潜水艦作戦用の護衛艦、戦闘機といった正面装備よりも安いが、「専守防衛」型というよりも海外遠征型の装備体系になっている。予算が若干削られても、「質的軍拡」は間違いなく進んだといえる。
  中央即応集団もキーワードになる。第一線の普通科部隊(レンジャー資格をもつ精鋭)を軸に、特科や施設など諸職種連合の、ワンパッケージの遠征軍ができる。ヘリコプター部隊や、おおすみ型輸送艦とセットで運用すれば、「専守防衛」では、ありえなかった緊急展開部隊となる。これは、米国の海兵隊や空てい師団のような殴りこみ部隊の「後方支援」という役割にとどまらない性格をもってこよう。上海事変で海軍陸戦隊を送ったように、中央即応集団も海外の日本人に危機が起きたという想定で緊急投入することもありうる。これは、アジアや世界に対し、日本という平和国家の根幹のイメージを完全に変える。憲法が禁止する「武力による威嚇」ができる国になる。
  基盤的防衛力構想は、「平和国家の防衛力」としてぎりぎりの定義だった。それを変更した今回の大綱はそれだけ大きい意味を持っていることを、もっと知らなければならない。戦争は、昔も霞ケ関のわずかなところで始まった。それは今も変わらないと思う。