これが「同盟」なのか?(その1)  2006年5月1日

アス『悪魔の辞典』によれば、「同盟」(alliance)とは、「国際政治において、お互いに自分の手を相手のポケットに深く差し入れているため、単独では第三者のものを盗むことができないようになっている二人の盗人の結びつき」とある。だが、いまの日米関係はそうした「同盟」ですらないだろう。「一方の手がもう一方のポケットに深く差し入れられ、土地(基地)や財布(予算)までしっかり握られているため、一方は何でもできるが、もう一方は単独では何もできないようになっている二人の盗人の不自然な結びつき」とでも言えようか。9年前、「新ガイドライン」について書いた直言では、同じ例えを使って、「大盗人が小盗人を背後からだきかかえるようにして、そのポケットに深く手を差し入れたまま、第三者のものを盗みに歩きだした関係」と書いた

  ここで「同盟」とは軍事同盟のことである。「日米同盟」という物言いが、おおらかに、あっけらかんと使われるようになって久しい。この言葉は、かつては括弧抜きでは使えなかった。ちょうど25年前の81年5月、鈴木善幸首相がレーガン米大統領との日米共同声明において、初めて「同盟関係」という文言を使った。だが、首相は帰国後、「同盟には軍事を含まず」と語り、立場を失った外相が辞任したことがある。
  
近年では、「日米同盟」という言葉がメディアに氾濫しているが、日本国憲法のもとで同盟が当然に認められるものではないことへの自覚があまりにも足りない。
  日本国憲法は、その国際協調主義(前文・98条)と、憲法9条の無軍備平和主義とがセットになって、実は軍事同盟を原理的に否定している、と私は考えている。

  このことを最もはっきりと打ち出したのは、1959年3月の砂川事件東京地裁判決である。旧安保条約に基づく刑事特別法(施設区域を侵す罪)違反に問われた被告人を無罪としつつ、理由のなかで、憲法9条・前文の予定するわが国の安全保障方式は、国連による軍事的安全措置を最低線としており、安保条約による米軍の駐留は違憲であるとの判断を示した。ところが、最高裁は同年12月、安保条約は高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り、裁判所の司法審査は及ばす、憲法は自衛権も、他国に安全保障を求めることも禁じていないから、駐留米軍は9条2項にいう戦力に該当しないという判断を示した。最高裁は、「統治行為論」(衆院解散や安保条約といった高度の政治性のある行為は、違憲審査になじまず、政治部門の判断に委ねられるという考え方)を採用したように見せかけて、実は安保条約に対するラフな憲法判断を行ってしまったのである。「疑似統治行為論」とされる所以である。
  
この判決以来、安保条約の合・違憲性について議論されることはほとんどなくなった。だが、私は、47年たったいまでも、憲法の基本原理に忠実な解釈(もちろん、国連の集団安全保障に対する過大かつ楽観的な評価はあるものの)をとった砂川一審判決を読みなおす価値があると考えている。

  さて、1960年に改定された現行日米安保条約は、日米共同作戦が発動される場合を、日本と在日米軍基地への武力攻撃の場合に絞っている(5条)。基地の提供条件も、わが国および極東における平和と安全である(6条)。明らかに、いまの安保条約の運用全般は、安保条約の定める範囲を逸脱するものとなっている。それは、1972年の沖縄返還、1978年「日米防衛協力の指針」(ガイドライン)、1996年「日米新安保宣言」(アジア・太平洋地域の平和と安定)、1997年「新ガイドライン」へと、国会の承認を必要とする条約の改定ではなく、実務的な取決め、運用と「ガイドライン」方式で乗り切ってきた。それゆえ、「極東」の範囲に米軍の作戦行動がとどまるものではないことを誰もが知っていても、相当なエネルギーを必要とする条約改定ということはおくびにも出されていない。安保宣言やガイドラインというゆるやかな方式で、安保条約の目的も機能も大きく変容している。それに対応する国内法も、「新ガイドライン」に対しては1999年に周辺事態法が制定された。その後、2001年「9.11」への法的対応は「テロ対策特別措置法」、米国によるイラク侵略に対しては「イラク特措法」で対応した。すべて「特別措置法」という法形式である。

  ここへきて、この分野での進展が見られた。『読売新聞』4月27日付一面トップに、防衛庁関係者からの情報に基づき、「観測気球」的な記事が載った。縦5段見出しで「日米防衛指針見直しへ」「2プラス2で確認」「自衛隊派遣恒久法整備に視野」という脇見出し。連休明けにも、「新・新ガイドライン」(新・新日米防衛協力の指針」)が出てくる勢いである。誰も想定していなかった、名護市辺野古に2本のV字型滑走路を建設する計画も盛り込まれるだろう。アジア・太平洋という地域的な枠や、行動場面をできるだけ日本に軸足を置くという抑制は見られないだろう。日本の自衛隊に、米軍とともに、地球規模での活動にコミットすることを、一体誰が求めているのか。そのようなことについて、国会でしっかり議論がなされたか。『読売』記事は、この自衛隊の海外派遣のための「恒久法」の制定がポイントだと指摘する。自衛隊法は「恒久法」だが、イラク特措法は「特措法」というネーミングの通り、賞味期限が限定されている。自衛隊法3条の本務は「わが国の防衛」であり、その他の任務は「余技」(自衛隊法100条の2以下)であるか、それは、本務(「国の防衛」)に支障がない限りで正当性されるにすぎない。近い将来、海外派遣を「恒久法」で常態化するとした場合、それは「専守防衛」を建前とする「自衛隊」というコンセプトからの離陸を意味しよう。
  
本日、5月1日、ワシントンで日米安全保障協議委員会(2プラス2)が開かれ、最終報告が発表される予定である。在日米軍と自衛隊の司令部機能や基地の共同使用から、在日米軍基地「米軍再編」(トランスフォーメーション)構想に従った全面的なものとなるだろう。

  先週の4月25日、ローレス国防副長官が、在日米軍再編計画を実施する上で、日本側に260億ドル(約3兆円)の負担を求める意向を明らかにした。米側の負担は40億ドルである。「日米同盟における日本政府の巨大な投資だ」とも語ったという。何が投資なのか。国民生活は「痛み」で傷だらけである(特に医療分野など)。

  なお、米軍再編問題は重大なので、来週以降も断続的に取り上げる予定である。

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