共謀罪審議にみる国会の末期  2006年6月26日

の中にはさまざまなスポーツがある。それぞれに大切な世界大会がある。だが、特定のスポーツの世界大会にメディア全体がはしゃぎ、浮かれ、感情むき出しになっていいのか。必要な情報を得ようとテレビをつけても、ニュースを伝える「公共放送」のアナウンサーまでが、妙に明るいスポーツキャスターのノリで顔がゆるんでいる。毎度のこととはいえ、私の不快指数はうなぎのぼりである。幸い(と言うと怒られるが)、この国の代表チームは決勝トーナメントに出られなくなったので、メディアにも少しは落ち着きが戻ってきたようである。

  さて、世間が特定スポーツの世界大会に浮かれている間に、重要な事件が次々に起きている。そして、十分な熟議を必要とする事柄が、たいした議論もないままに決まっていく。これは一種の「お祭り」状態である。小泉政権の5年間は、「恒常的お祭り状態」だったのではないか。これだけたくさんのことを「変えた」政権は、この国ではこれまでなかったように思う。比較しうるのは中曾根政権だが、そこでは、国会と内閣との関係、与党と内閣との関係などにおいては、まだ従来の方式と手法が維持されていた。小泉政権5年の間に何が一番変わったかと言えば、政治そのものかもしれない。とりわけ国会のありようは大きく変わったように思う。いずれ詳しく書きたいテーマではあるが、今回は、小泉内閣最後の国会、その会期末6月前半の「政治風景」について、感じたことを書き残しておこうと思う。

  選挙から任期満了または解散までの議会期(立法期)内にあって、議会が活動しうる一定の期間を「会期」という。今国会では6月18日だった。それに至る「会期末」というものは、通常ならば、重要法案の成立をめぐり与野党の駆け引きが行われ、会期延長の可否など、法案成立か廃案か、はたまた継続審議かをめぐって攻防戦が行われる山場のはずである。ところが、小泉首相は早い時期に重要法案の成立を断念したため、「会期延長なし」という態度で固まっていたようだ。教育基本法改正案や憲法改正国民投票法案、防衛庁「省」昇格法案といった重要法案が、軒並み継続審議になっていった。会期延長さえすれば、採決まで持ち込むことが十分可能と思われた法案でも、小泉首相の「心ここにあらず」によって成立が断念されていった。特に驚いたのは、共謀罪を導入する組織的犯罪処罰法改正案をめぐる動きである。

  ここでちょっと横道に入って、共謀罪について簡単に説明しておこう。そもそも刑法では、犯罪については「既遂」が原則であって、「未遂」は法律に特に定めのある場合だけ処罰される。つまり、犯罪を実行し、結果を発生させた段階で処罰がなされるのを原則としつつ、「前条の罪の未遂は、罰する」という形で法律に明記されて初めて、その犯罪は未遂の段階で罰せられるわけある。例えば、殺人や強盗は未遂も処罰されるが、傷害や暴行、器物損壊などには未遂罪がない。どの段階で犯罪として処罰の対象にするかは、犯罪の種類によって異なる。
  未遂よりも手前の「予備」を処罰する場合はさらに限定される。未遂の場合は犯罪の「実行の着手」があるわけだが、「予備」の場合はそれすらなくて、犯罪を行うための道具などを揃えることなど、「犯罪の準備を整えた段階」で罪に問われる。例えば、殺人や放火のような重大犯罪の場合は、結果が発生しなくても、人を殺そうと包丁を数本用意するとか、放火するためバケツに灯油を隠しておくなどの行為がそれにあたる。予備罪はごく例外的にのみ規定されている。
   「既遂」→「未遂」→「予備」ときて、さらにその手前で、犯罪の準備行為にすら至らない「陰謀」を罰するのは、内乱など8種類の特殊な犯罪だけである。刑法の基本は、犯罪行為を処罰することに置かれ、「陰謀」を行っただけで処罰するということはきわめて例外的とされているのである。
   いま、導入されようとしている「共謀罪」は、実行の着手も、準備もなしで、極端な場合には、「目配せ」をしただけで成立するというものである。これは、刑法の体系をひっくり返すような大転換を意味する。共謀罪の導入の背景とされるのが、犯罪の組織化と国際化である。国境を越えた組織犯罪を防止するためということで、2000年、国連で国際(越境的)組織犯罪防止条約が採択された。これに加入するには、共謀罪を国内法で定めることが必要だというのが、政府の説明である。

  自民党・与党案では、「懲役・禁錮4年以上」の犯罪に適用されるから、615種類の犯罪が「共謀罪」で処罰されることになる。犯罪の準備行為もないのに、ずっとずっと手前で処罰対象とされる。これはすごい転換である。
  政府は組織的な犯罪集団に限るとしているが、このように絞っても、法律が出来れば、実際の運用は限りなく拡大していくおそれがある。
  『東京新聞』6月4日付が紹介しているが、5月に京都で開かれた日本刑法学会で、元大阪高検検事長の東條伸一郎氏が共謀罪に反対する意見を述べたという。検事総長、東京高検検事長に次ぐ検察の大物が、共謀罪ができたら、「裁判所によるチェック機能が落ちている現状を考えると、捜査機関による共謀罪乱用の危険性がある」と指摘し、「犯罪の検挙率を上げることが先決ではないか」と述べたという。そして、「従来の(共謀共同正犯の)捜査はそれなりの結果があって、そこから共謀へとさかのぼる形で行われてきたが、共謀罪では、結果がないところに捜査を行うことになる。捜査の端緒のつかみ方を含め捜査手法に困難が伴うし、内心に踏み込むため供述偏重になるなどの弊害が出かねない。戦前の特別高等警察のような特別の捜査機関も必要になってしまう」と指摘したという。
  ここで言われている「共謀共同正犯」の理論は、2人以上で犯罪を謀議して誰かが実行すれば、直接手を下していない共謀者も同様に処罰されるというものだが、この理論を積極的に主張してきた西原春夫氏(元早大総長、刑法学者)も共謀罪に強く反対しているのが注目される(例えば『朝日新聞』6月13日付)。西原氏は、共謀罪における共謀概念は広がりすぎており、いくら要件を絞っても、適用対象がテロリストや暴力団だけにとどまらないおそれがあるとして、「法律が限りなく道徳に近づいてしまう」と危惧を表明する。

  最近、政府の説明に大きな盲点があることがわかってきた。共謀罪報道について一番熱心な『東京新聞』6月15日付特報面では、米国の弁護士資格をもつ弁護士などを登場させて、政府の主張を検証している。これによると、政府が共謀罪創設の根拠としてあげる国連の国際組織犯罪防止条約51パラグラフの外務省訳には問題があるという。外務省訳によれば、共謀罪または犯罪の結社(参加罪)の概念の両方とも導入する必要はないけれど、どちらか一方は導入しなければならないとなり、ここから、政府は、共謀罪の導入が条約批准の前提になると主張してきた。ところが、原文はニュアンスが微妙に異なり(特にwithoutにかかる文の訳し方で)、共謀または犯罪結社に関する法的概念を有しない国においても、これらの概念の導入を強制することなく、組織的犯罪集団に対する実効的な措置を可能にするという意味になるという。共謀罪の導入は、条約批准の前提にはならないというのである。なお、外務省は、この記事の指摘に反論している

  共謀罪の審議が山場を迎えていた6月2日(金)の夕方。NHKラジオ第一放送「新聞を読んで」の収録が迫っていた。授業が17時50分に終わり、すぐにNHKに向かった。収録開始時間の午後7時まで、ギリギリの情報収集を行った。各方面に電話をして、共謀罪審議の模様を入手した。国会関係者と携帯電話で話しながら歩くという、私の美学に反することまでやった。放送で語る内容を歩きながら固めていったのである。

  実は放送収録の日の朝、『東京新聞』の一面トップをみてうなった。「『共謀罪』一転成立へ」「与党、民主案を全面受け入れ」の大見出しである。6月1日午後の段階になって、衆議院法務委員会理事会で、与党が民主党の修正要求を全面的に受け入れることを表明したのだ。与党は2日の法務委員会で、民主党案を与党と民主党の賛成多数で可決する予定だった。 与党は、共謀罪の導入が国際組織犯罪防止条約の批准の前提になると主張してきており、処罰対象を国際的な犯罪に限定してはならないという立場を強調し、この一線は譲れないとしてきた。ところが、一転して民主党案にのるということは、これらの点はどうでもいいということになる。民主党案「丸のみ」についての驚きが広がった。サミットに向かう小泉首相への「手土産」だと書いた新聞もあった。むしろ危惧されたのは、民主党案を「丸のみ」して成立させたあとに、自分の好む形に修正をかけていくという戦術である。民主党の国対や法務委員会理事クラスは一時、与党の秘策「丸のみ」を受けて採決する方向に傾いたようだ。ところが2日早朝になって、福島瑞穂社民党党首が小沢一郎党首に電話をして、共謀罪採決に乗らないことを強く要請。小沢氏は自らの判断で、「丸のみ」拒否を決めた。結局、共謀罪の採決はなくなった。「秘策『丸のみ』不発/『共謀罪』継続審議へ/小沢氏が一喝、民主急変」という見出しで、この間の動きを『朝日新聞』6月3日付は伝えている。

  それにしても、この国会の状況はどうだろう。「丸のみ」を仕掛けて蹴られ、結局、継続審議にしてしまった。この会期末の風景は、国会の末期症状である。従来ならば、国会の会期延長については、各党国会対策委員長クラスが、衆参両院議長に申し入れを行い、議院運営委員会で協議して判断してきた。それを行政府の長である小泉首相が、「専権的」に決めていく。重要法案の処理について、小泉首相の「気分」しだいで、ことごとく継続審議になっていった。共謀罪導入や教育基本法改正などに反対する人々にとっては、次の国会までのびたというホッとした空気が流れた。
  しかし、国会のありようという点から見ると、これは何とも異様である。誰も小泉首相を批判できない。誰も彼を止められない。小泉首相の心はすでに、プレスリーの故郷の訪問と、エアフォースワン(大統領専用機)搭乗に向かっている。会期延長して、国会答弁に拘束されるのはまっぴら。さすが、趣味に生きる男である。彼がちゃっかり決めたのは、米国が最も喜ぶ米軍再編関連であり、手土産は十分という判断だろう。加えて、アメリカ産牛肉輸入問題を決着させ、イラク撤退を決定という煙幕のもと、航空自衛隊輸送部隊の活動強化を決めているのである。「撤退」ではなく、輸送業務を軸に米軍協力は、法的根拠も曖昧のまま延長されることになる。最初は特措法で臨時性をアピールして、時間がくると延長を繰り返し、既成事実を重ねながら、最終的にそれを全面的に正当化する、自衛隊海外派遣の「恒久法」を整備しようというのである。会期末の風景から見える、国会末期の風景である。

 なお、自民党の末期症状については、堀内光雄元自民党総務会長の本、『自民党は殺された!』(ワック)がすぐれている。この本については、いずれ紹介しよう。