中国新聞2006年5月3日 社説

<GWに考える>改憲論議 機は熟したと言えるか

 憲法が施行されて六十年目、きのうは節目の記念日だった。昨年十一月に自民党の「新憲法草案」が立党五十年記念大会で公表され、憲法改正をめぐる動きが加速してきた。民主党も同十月に「憲法提言」をまとめ、今春から対話集会を開いている。公明党も今秋には環境権などを加える「加憲」案を出す予定だ。

 改正の手続きを決める「国民投票法案」づくりには民主党も賛同。与党との調整が、今国会での共同提出に向けて進められている。護憲を掲げる社民、共産両党は、こうした動きに一段と危機感を強める。

 では国民の関心はどうだろうか。日本世論調査会が昨年六月に行った調査では、改憲に賛成が六割を超えた。ただ大半は「時代に合わなくなってきたから、変えてもいいのでは」といった気分的な改憲論ではないだろうか。それが証拠に「戦争放棄」の九条については、42%が「改正する必要はない」と答え、「改正が必要」の35%を上回っている。

 もともと九六条に改正の規定があるのだから、賛成、反対を問うこと自体あまり意味がないという指摘もある。むしろ、まず個別の項目を論議し理解を深めたうえで、国のかたちを定める憲法がどうあるべきか、じっくり考えたい。

 言うまでもなく、憲法は主権者である国民が、国家権力の暴走に歯止めをかける根本規範である。だから為政者への禁止規定が多い。この点で自民党の新憲法草案には研究者らから「憲法の本質が分かっていない」という批判が目立つ。公益を重視して「国民の責務」を盛り込もうとしており、百八十度反対の方向だからだ。「改正」の限度を超えているという見方もある。

 改正の焦点は、やはり九条である。自民の草案では「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という現行の「九条二項」に代えて「内閣総理大臣を最高指揮官とする自衛軍」の保持を打ち出している。「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動…中略…を行うことができる」ようにするのが目的だ。

 これまで現実にある自衛隊と九条との矛盾を抱え、肥大化する軍事力としての実態に、さまざまな解釈がなされてきた。小泉政権がイラクに自衛隊を派遣する際にも「非戦闘地域」に限定しなければならなかった。条文化で、そうした複雑さをすっきりさせようという訳である。

 ただ与党内でも、公明党は九条は一、二項とも堅持し、自衛隊の存在などを慎重に検討するとしており、かなりの温度差がある。

 国民投票法案をめぐっては、さらに各党の対応が分かれる。先月東京であった五党討論会で、社民党の福島瑞穂党首は「九条を刺し殺そうと夜中に包丁を研いでいるようなもの」と表現した。共産党も反対している。これに対し民主党は、十八歳まで投票年齢引き下げを求め「公平なルールを作るため全会一致による議決が望ましい」という考えだ。

 原案ともいえる自民の「改正手続きに関する法律案(仮称)」骨子案では新聞社、通信社、放送機関などに「表現の自由を乱用して国民投票の公正を害することのないよう」自主的な取り組みを求める、メディア規制も盛り込まれていた。与党はその後「配慮」という表現にまで譲歩したが、大きな問題だ。

 改正手続きへ向け、機は熟したと果たして言えるだろうか。拙速は避けるべきだ。まず現行憲法を十分に検証してからでないと、すべては始まらない。九条の一、二項は、戦争は人類の破滅につながるという、ヒロシマ・ナガサキの体験に基づいており、平和憲法の核となる部分である。論議を深めていくうえで、決して忘れてはならない。