愛媛新聞2006年5月3日 社説

憲法記念日 国民の論議が不足している

 憲法が施行されて五十九年が経過した。もうすぐ還暦である。熟成の域にあるというのに、改正をめぐる論議はかまびすしくなる一方だ。

  昨年は衆参両院の憲法調査会が最終報告書を提出。自民党は十月、立党五十年を機に初めて条文形式で新憲法草案をまとめた。民主党も同月、提言の形で新憲法案をまとめている。公明党は今秋、何らかの形で加憲案を出す予定だ。

  さらに与党は、憲法改正の手続きを定める国民投票法案を今国会で成立させようと、民主党と意見調整を続けている。

  憲法は「国のかたち」を決める大切な規範であり、国民生活にも直結する。それなのに、国民の論議が不足したまま、改正への歩みが加速していることに危惧(きぐ)を覚えざるを得ない。

  自民党の改憲案の眼目は九条改正にあるとされる。「戦力不保持」を定めた二項を削除して「自衛軍」の保持を明記し、海外での武力行使を可能にする内容だ。集団的自衛権については明文化しなかったものの、「自衛権に含まれる」と解釈して行使を容認した。

  現行憲法が「専守防衛」に徹し、集団的自衛権の行使はできないと解釈されているのに対して、まさに「国のかたち」を大きく変える内容である。国民のコンセンサスは得られているかどうか、心もとない限りだ。

  昨年六月に行われた世論調査では、憲法改正が必要だとする「改正派」が64%に上った一方で、九条の改正については「必要ない」とする回答が「必要がある」よりやや多かった。集団的自衛権については行使に否定的な見解が59%を占め、「行使できるようにすべきだ」の33%を上回った。

  こうした国民の声と、自民党の改憲案との間にかなりの隔たりがあることは明らかだろう。そもそも平和憲法の中核部分ともいえる九条を、なぜ変えなければならないのか。その点の説明はなお不十分である。

  民主党の「憲法提言」は「制約された自衛権」という表現ながら自衛権を明確にし、集団的自衛権についても限定的に認めるなど、やはり現行憲法から大きく踏み出す内容だ。ただ、あいまいな点も多く、こちらも説明責任が求められる。

  自民党の改憲案は個人の自由を抑制し、国民の責務を強調している点も大きな特徴だ。この点は、教育の憲法といえる教育基本法について与党がまとめた改正案にも共通する。

  しかし、学者らから「憲法は国家が権力を乱用しないよう枠をはめるもの。国民に義務を課す法ではない」との手厳しい批判があることを忘れてはなるまい。憲法や教育基本法の在り方自体について、根本から再検討を加える必要があろう。

  九条改正に反対する憲法学者は、憲法を変えるには▽高度の説明責任▽情報提供と自由な討論▽じっくりとした時間、十分な期間―の三つの「作法」が必要だと力説する。現時点ではこれらが決定的に欠けているといわなければならない。