岩手日報2006年5月3日 論説

「存在の重さ」に思いを

 憲法問題を主題に4月下旬、東京の共同通信本社で開かれた加盟社論説研究会は、メーンとして主要政党代表による討論が行われた。

 昨年、結党50周年を機に悲願の新憲法草案をまとめた自民党の船田元・党憲法調査会長は「憲法古着論」を展開。各党から異論や反論が相次いだ。

 現憲法は施行から約60年。一度も改正されていない。この間、国内外の情勢は激変している。その内容が、すべからく現代に即しているかとなれば、個別には「古着」の要素があるのは否定できない。

 各種世論調査で改憲自体の是非を問えば、過半数が「是」と答える状況がそれを裏付ける。

 こうした世論を背景に、憲法論議は従来の護憲、改憲論にとどまらず加憲、論憲、創憲などなど、さまざまな観点で論じられている。しかし、その先に肝心の国家像を見据えた議論は今に至るも希薄ではないか。討論でも、各党の基本的な理念はよく分からなかった。

 きょう3日は憲法記念日。憲法とは一体どういう存在か。あらためて、根本的なところから考える必要がありそうだ。

議論に熱気はあるか

 日米安全保障協議会(2プラス2)が先ごろ合意した在日米軍再編の最終報告のキーワードは、日米の軍事的「一体化」。自衛隊と米軍の連携強化は、憲法が禁じる集団的自衛権の行使と隣り合わせの関係だ。

 専守防衛をめぐる議論を背景に抑えられてきた自衛隊の海外派遣は1990年代以降、ペルシャ湾への掃海艇派遣を皮切りにPKO(国連平和維持活動)として、あるいはテロ対策特別措置法によって、さらには「人道支援」のためイラク派遣に踏み切るなど活動の幅を広げる。

 イラク戦争の大義の問題、同国内に「非戦闘地域」を認める日本政府の事実認識にも疑念が色濃いまま。安全保障にかかわる近年の「現実」は、憲法との関係がうやむやのうちに進行する危うさが際立つ。

 共同加盟社の論説研究会で講演した早稲田大法学部の水島朝穂教授は、拙速な改憲を戒める立場から「過去の首相(の憲法解釈)はへ理屈。小泉首相は無理屈」と憲法軽視を指摘した。

 各党討論で、自民党の船田氏は「先出しジャンケンは損をする」などと野党側をけん制。半ば冗談にしろ、政党が国家観を展開するのに、先出しも後出しもない。明治憲法制定時、あるいは戦後憲法の制定前後の熱気と比べ、現在の議論に「軽さ」を垣間見る思いがした。

「団塊世代」と同年代

 自民党が「先出し」した新憲法草案は、焦点の第九条で「自衛軍」という戦力保持を明記。集団的自衛権の発動や、海外での武力行使を解釈で容認する立場を取るのが最大の特徴だ。

 戦争に巻き込まれる恐れを回避するために、「安全保障基本法」「国際貢献基本法」の制定が必要−とするが、その考え方は先送りされた。

 憲法論議は本来、平時は表立って論じられることの少ない各政党の理念、国家像を際立たせることになるはずだ。肝心の安全保障政策の全体像を描き切れていない点で、国民に極めて不親切な草案といえよう。

 現行憲法は46年公布され、47年5月3日に施行された。「団塊の世代」が退職年齢に達する2007年を目前に、言ってみれば同年代の憲法が改正論議の渦中にあるのは何やら因縁めいている。

 国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という基本理念の下で、わが国の民主化と経済大国への脱皮を力強く支えてきた。時代状況の変化に対応し切れない面はあるとして、問題とされる「現実」は憲法を軽んじる方向にあるのではないか。

 護憲、改憲、立場によらず、憲法論議を国民的議論とするために、その存在の重さに今一度思いをはせたい。

遠藤泉(2006.5.3)