河北新報ニュース2006年5月2日

憲法記念日/一人一人が理念を持とう 

  きょうは憲法記念日。国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三原則を謳(うた)う日本国憲法が施行以来、59年を迎えた。今、憲法改正の手続きを定める国民投票法案が、今国会に提出されるかどうかが注目されている。改憲論議が高まる中、戦後の自由と平和を支えてきた憲法はどうあるべきなのか。

  改憲論議の高まりに、憲法古着論というものがある。慣れ親しみ、慈しんで着てきたが、さすがに約60年たって、時代は変わり、綻(ほころ)びも目立ってきた。生地のしっかりした部分は残し、新着はしないが、綻びは繕わなければならない、という考えだ。

  冷戦の終結以来、民族紛争の多発化、テロの横行など国際情勢が一段と緊迫する一方、国内では、国と地方の在り方が論議され、プライバシーの尊重や環境の重視は人々の心に根を下ろしている。新しい時代にふさわしく、憲法に環境権、知る権利、プライバシーの権利など「新しい人権」や、地方分権を書き加えようとする動きは、自然の流れなのだろう。

  問題になるのは、やはり9条だ。9条は1項で「戦争放棄」を、2項で「戦力不保持」を定めている。

  自民党が昨年10月まとめた新憲法草案によると、1項は維持、2項は全面改正し、「自衛軍」の保持を明記。「自衛軍」は国際社会の平和と安全確保のため、国際協調活動を行えると規定、海外での武力行使を可能にした。同盟関係を結んでいる他国が攻撃を受けた場合、日本が攻撃されたと同様にみなして実力で阻止できる集団的自衛権については明記していないが、「自衛権に含まれる」と解釈し、行使を容認している。

  これまで9条については、法の趣旨と日米安全保障条約や自衛隊の実態などの乖離(かいり)をめぐり、長年にわたり議論が交わされてきた。「解釈改憲、なし崩し改憲」(護憲派)と言われる歴史の中、自衛隊は国民の間で広く認知され、個別自衛権の存在は、もはや争点にはならないとみるべきだろう。

  だが、集団的自衛権は別である。「国際法上保有するが、憲法上行使はできない」との政府解釈を堅持して、海外での武力行使は一度も行われていない。イラクのサマワへの自衛隊の派遣も、「非戦闘地域」での復興支援とされている。

  集団的自衛権の行使の容認は、「国のかたち」を変える大転換なのだ。拉致問題で非を認めない北朝鮮のような国がある限り、日米関係が大事なのは言うまでもない。日米両政府は、日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、在日米軍再編について合意し、日米の軍事的「一体化」は加速することになった。

  それは、集団自衛権行使を迫られる局面が現れやすくなるということである。
  9条があってこそ、戦後長く戦争が回避されてきたことに紛れはない。仮に改憲へ進むにしてもその精神は継承されていかねばならない。国民一人一人が戦争放棄を担保しつつ、それぞれの理念を深めていきたい。