徳島新聞2006年5月3日 社説

憲法記念日 国民の視点で議論したい

 きょう三日は憲法記念日である。戦後の混乱の中にあった六十年前の一九四六年十一月三日、わが国の最高法規として公布された日本国憲法が、翌年五月三日に施行された。

 焦土から立ち上がり、平和を守りながら今日の繁栄を実現して、自由な民主主義社会を築くことができたのは、日本国憲法があったからといえる。このことを胸に刻んでおかなければならない。

 だが、憲法改正についての論議はまったくタブー視されなくなった。憲法施行から五十九年、内外の情勢は大きく変化した。改憲が現実味を増す中で、私たちは憲法に目を向け、国会や政党の議論に耳を傾けながら、一人一人がしっかりとした憲法観を確立する必要があろう。

 憲法は国の基本の法律であり、安易に改正すべき性格のものではない。現行憲法を正しく評価するとともに、どこに問題があり、どのように改正すればよいのか、変えない方がよいのか、国民の視点から慎重に検討したい。

 改正問題での最大の論点は戦争の放棄をうたった九条であろう。議論の際に、この論点を外すべきではない。

 自民党は昨秋、「新憲法草案」をまとめた。政党が改憲案を具体的な条文として発表したのは初めてのことだ。

 この中で、戦争放棄をうたった九条の一項はそのまま残しているが、戦力の保持や国の交戦権を認めないことを示した二項は削除した。そして、新たに「自衛軍」が位置づけられている。

 民主党も昨秋に発表した「憲法提言」の中で「自衛権」を明確にした。先月には全国に先駆けて徳島市で憲法対話集会を開いたが、各地で憲法提言への好感触がつかめれば条文化する方針だ。

 九条改正を目指す動きに、危機感を募らせる人たちは少なくない。徳島県内では先月、弁護士三十人による「徳島弁護士9条の会」が結成された。きょうも護憲団体による講演会や街頭キャンペーンが予定されている。

 九条改正をめぐる護憲派の人たちの懸念も理解できる。戦争の反省の上に立つ現行憲法の平和主義の理念は、近隣諸国をはじめ世界に向けた「不戦の誓い」でもあり、堅持すべきだ。

 イラクへの自衛隊の派遣は「非戦闘地域」への人道復興支援とされているものの、専守防衛の自衛隊の海外派遣はエスカレートするばかりである。それでも、海外での武力行使を禁止した九条が、際限のない米国からの協力要請に対する歯止めとなっているのは間違いない。

 気になるのは、これまで熱心に改憲を叫んできた人たちが最近、思いのほか静かなことである。自衛隊のイラク派遣でも分かるように、憲法解釈を拡大しさえすれば、改憲をしなくても何でもできると考えるようになったからかもしれない。そんな見方も広がっている。

 九条改正の必要性を主張する人たちの中には、そうした憲法の形骸(けいがい)化、空洞化に歯止めをかけようとの思いもあるようだ。それが本当に日本のためになるのかどうか。ここは国民一人一人が時間をかけて慎重に考えなければならない。

 憲法は国民のためにある。憲法は国民に義務を求めるのではなく、国家権力が国民に対して勝手な権力駆使をしないように制約するための規範であると考えるのが基本である。これからの憲法論議でも、その原則を忘れるべきではない。