わが歴史グッズの話(27)幻の第12回オリンピック東京大会  2008年9月22日

京五輪が終わって1カ月近くがたった。直言「ベルリンと北京の間」では、開会式を中心に、この五輪に対する私の意見を書いた。その開会式については、韓国の『朝鮮日報』が、「『中国だけの』オリンピック」と批判した
   中国でも、「民主派知識人」、例えば北京の評論家・劉暁波氏が、「開会式は独裁美学の体現であり、近年最も華やかな政治ショーである」と批判している。また、元北京大助教授・焦国標氏は、各国選手団が、国名の漢字の画数によって順番に入場したことを「最も容認しがたい」と批判し、「いつものアルファベット順であれば、わかりやすく、200以上の国および地域の順番も明白になるのに、わざわざ漢字に置き換えたため、世界を困惑させた」という。もし、東京オリンピックが日本語の順〔あいうえお順またはイロハ順〕に入場したら、混乱を招いただろうとも述べている(以上、『大紀元日本』2008年9月8日より〔なお、下記の「付記」参照〕)。この点は同感である。
   8月24日の閉会式の過剰演出も、開会式にまさるとも劣らないものだった。ビデオの早送りで数分見たが、とりわけ「記憶の塔」に396人の赤い服の男たちが群がり、聖火をあらわす演技には驚いた。まるでレンジャー部隊の訓練のような動きである。金メダル獲得数世界一を強引に達成したが、その一方で中国が失ったものは大きい(同9月4日)。加えて、「直言」でも指摘したように、五輪閉会後、それまで抑え、隠してきた矛盾が一気に吹き出している

  さて、北京五輪の話はこれくらいにして、今回は東京五輪のことを書こう。1964年の東京五輪でも、幻となるであろう「2016年東京五輪」でもなく、本当に幻となってしまった1940年の東京五輪の話である。
   「オリンピック第12回東京大会」は、「紀元2600年」(「神武天皇即位」から2600年)を記念して国家的祝典として計画されたが、1937年の日中戦争により中止された。最近、『オリンピック精神』(第十二回オリンピック東京大会組織委員会発行、1938年12月)という小冊子を入手した。非売品で、編者は永井松三氏。発行元の住所は、「東京市赤坂区葵町2番地 満鉄ビル 第十二回オリンピック東京大会組織委員会内」とある。ちょうど70年前のもので、61ページある。

  目次をみると10項目からなり、「オリンピック精神」「近代国家とオリンピック」「古代オリンピック大会」に関する概説から始まる。「各国はこぞって国防の原動力として国民の保健問題を重要視し、銃後の運動施設に対して重大なる関心が持たれるに至った時、オリンピック大会の益々隆盛になった事は又故ある哉である」(3頁)とあり、五輪の国家的・軍事的性格が強調されているのは「時局」柄か。オリンピック精神の「より速く、より高く、より強く」は「日本精神」と合致しており、「崇高なる日本精神を世界に示す」ことの意義が強調されている(4頁)。
   続いて、日本のオリンピック招致運動とその成功が紹介される(13~25頁)。国際五輪委員会に東京招致を正式に要請したのは、ロス・アンジェルス五輪の行われた1932年。1940年は、イタリアのローマも立候補していた。しかし、ムッソリーニ首相は日本の五輪委員会の説得に応じて、「日本帝国が建国2600年に当りオリンピック大会を東京で開きたいと熱望しているので、伊太利は此の大会のローマ開催を断念する」と、譲ってくれたものだ。この小冊子には、東京招致をめぐって、招致運動や交渉・説得にあたった日本側の人々の努力が細かく書かれていて、それをみると、少なくとも今の石原都政の東京招致運動に比べて、はるかに「理念」(当時の価値観ではあるが)を語り、交渉の仕方も周到だった。

  小冊子には日本国民に対する心構えが3点説かれている(23 ~24頁)。 (1) 「確固不抜の日本国家観念と、光輝ある武士道精神とを益々明徹せしめ、以てわが日本の世界の列強間に於ける正しい地位を認識すること」、 (2) 「徒らに熱狂して、かるはづみに陥り先年東京で開かれた極東大会当時の如き、心ある人々の指弾をうけるような不体裁をくりかへしてはならない」「来朝の外人に対して、婦女子をはじめ国民一般が只無暗に有頂天になってしまひ、亦反対に一概に強いて冷視したりする如きは、何れも日本国民たるの品位を自ら傷つけるもの」「毅然たる自負と美しき雅量とを以て、外来者を迎へ(る)」、 (3) 「武士道の精華は、国民全部が一人残らず、克く己を捨てて皇国のために犠牲となることを以て本来の面目とし、且つ各人が満足とする精神であることを充分に意識すること」。オリンピックを前にすると、権威主義体制の権力者たちは、ナショナリズムを煽り、国民にモラルを要求する傾きにある。
   「東京オリンピックの返上」の項では、「すべては国策の線に沿ふて対処しなければならない非常時日本が一大決意をもつて返上するに至った」、「波瀾重畳な死産の東京大会」とされ、「国家大事」に向けて国民一丸となることが説かれている。「国家大事」は日中全面戦争である。

  競技種目や具体的な計画も詳しく書かれていて、実にリアルである(43~51頁)。国際五輪委員会が決めた正式種目は陸上、馬術、体操など14種目、選択種目からサッカー、水球、ホッケーなど6種目、番外競技として武道(剣道、柔道等)と野球が採用され、計22種目が計画されていた。9月21日午後3時から開会式、10月6日(日)午後2時から閉会式である。選手たちが翌日の競技に支障をきたすような、深夜に及ぶ無理な開会式にはしていない。

  場所はいずれもオリンピック主競技場である。駒沢ゴルフ場にこれが建設予定だった。体操やバスケットボールが行われるオリンピック体育館の完成予想図もある。神田駿河台に建設予定だった。そのほか、戸田漕艇コース、国技館、横浜ヨットコース、明治神宮外苑競技場、芝浦スケート場、村山射場などが競技会場として予定されていた。オリンピック村は駒沢主競技場の西北森林地帯5740坪に、1300人収容の建物が建設されることになっていた。
   組織委員会が計上した予算の総額は2014万2427円だったが、東京市が道路建設予算に1080万円を計上していたため、「東京オリンピックの総予算は三千万円を突破する大事業であった」(51頁)。一般会計予算が35億円の時代である。

  なお、冬季大会は札幌。1940年2月3日(土)開会式、2月14日(水)閉会式で、計12日間の日程。正式種目としてスキー、スケートなど5種目、副種目のうち、一つは軍隊スキー競争(25キロ)とされた(もう一つは未定)。手稲、三角山、大倉シャンテ、中島公園などの会場が明記されていた(52~57頁)。

  最終項は「科学日本と東京オリンピック大会」(57~61頁)。競技場の科学施設、音響、写真、通信、照明などの技術、審判の技術など、科学技術をフル動員することの重要性が説かれている。五輪準備過程で、日本の科学者たちが大いに活躍したという。「日本スポーツ界を科学の力により推進せしめたことは、たとえ東京大会が中止になっても、そこに残された功績は測り知れないものがある」と結ばれている。

  1944年の第13回大会(ロンドン)も第二次世界大戦により中止された。そして1948年、第14回大会がロンドンで開催された。ヒトラーのもとでのベルリン五輪の次は、幻の東京五輪。幻になった原因は、中国に対する日本の侵略戦争だった。戦後最初のロンドン五輪には、日本とドイツは戦争責任を問われて招待されなかった。2008年北京の次は2012年のロンドン。そして、2016年には、東京が立候補している。何とも意味深長な順番ではある。
   東京に決まれば、2016年7月29日(金)から8月14日(日)までの17日間が予定されている。石原慎太郎東京都知事によると、「オリンピックは、国家のエネルギーになる」として、経済波及効果は2兆8000億円見込まれている。東京都がIOCに提出した申請書によると、競技場などのインフラ工事費に1兆580億円が必要という。他の立候補都市に比べて、ダントツの金額である。競技会場を増やすため、築地市場を豊洲に移転する。そこの土壌汚染の問題もある。
   今回紹介した「幻の東京五輪」の小冊子は、いろいろな意味で示唆的である。


【付記】 本文中に引用した『大紀元日本』は、宗教団体「法輪功」系のサイトである。法輪功について、中国政府は「中国のオウム真理教」(在日中国大使館サイト「トピックス『邪教・法輪功の危害』」)というレッテルを貼って、激しく弾圧している。アムネスティ・インターナショナルなどの国際人権団体は、これを強く批判している。これらの事情を踏まえた上で引用している。
  なお、1940年東京五輪については、橋本一夫『幻の東京オリンピック』(NHK出版、1994年)があるので参照されたい。

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