「関東防空大演習を嗤ふ」と「国民の立憲的訓練」  2009年4月13日

4月4日。昼食をとりながら、正午のNHK ニュースをみていた。15分からローカルニュースになってまもなく、突然画面が切り替わった。NHK東京のスタジオに切り替わり、アナウンサーが次の言葉を繰り返した。「政府によると、午後0時16分、北朝鮮から飛翔体が発射された模様です」。政治部記者とのやりとりが始まってまもなく、アナウンサーは突然、「誤探知」だったと訂正した。「誤探知?」。言葉に違和感が残った。他局をみると、フジテレビと日本テレビの2 局は手回しよく、「特別番組」編成になっていた。「誤報」とわかり、日テレはすぐに平常編成に戻り、NHKよりも長く特別編成を引っ張ったのはフジだけだった。

なぜこんなことになったのか。千葉県にある防衛省研究本部飯岡支所の警戒管制レーダー「FPS-5」(ガメラレーダーと呼ぶそうだ)が「何か」をキャッチした。担当官はすぐさま東京・府中の航空総隊司令部に通報した。そこは私の自宅から数百メートルしか離れていない。その地下にある防空指揮所の当直将校は、情報をそのまま防衛省地下3階の中央指揮所に伝達した。指揮所の担当官はすぐに「発射」と口にした。その音声をモニターしていた連絡官が「発射」とアナウンスし、報道機関や自治体への速報につながったという(『朝日』4月5日付「時時刻刻」)。「〔列車の〕発車」と発声したら「〔ミサイルの〕発射」に変わっていたという伝言ゲームの類ではないか。高い税金を使ってハイテク情報システムを立ち上げても、最終的には人間が判断し、伝達する。その意味では、初歩的なヒューマンエラーだったようだ。

「発射」情報直後に、「誤読」で有名な総理大臣が、首相官邸の危機管理センターに向かった。「官邸連絡室」は「官邸対策室」に格上げされ、そこで「最高指揮官」として、意気揚々と声明を発表しようと思ったのだろう。早足で向かうその表情は、憮然というよりも、むしろ笑みを意識的に隠そうとしているかのようだった。低支持率と「麻生降ろし」のため、雛祭り(小沢秘書逮捕)までは疲れ切った表情をしていたことを思うと、その後1 カ月の表情の変化は著しい。ここでも「安全を守る麻生」をアピールしたかったのだろうが、「誤探知」「誤発表」に変わり、わずか8分で首相執務室に戻った。その時の表情を捉えた映像は見ていない。「対策室」への格上げも撤回された(『朝日新聞』4月4日付夕刊)。

各紙の見出し。「『発射』誤報2回 防衛省、情報伝達ミス」「お寒い危機管理 『条件反射』で発射速報」(『朝日新聞』4月5日付)。「確認怠り次々伝言」「誤発表に右往左往」「秋田・小中学校で一時避難」(『読売新聞』同)。初歩的ミスの連鎖に、自衛隊幹部は「北朝鮮は日本の対応を見て笑っているはず」とコメントした(同)。

秋田県や岩手県では、県庁や市町村の担当部署も、誤報に振り回された。特に秋田県では誤報がもう一つあった。0時16分の誤報より1 時間半前に、秋田県が市町村に「ミサイル発射」を速報したのだ。これは、陸上幕僚監部から各部隊の端末に「発射」メールが送信され、それを受信した陸自隊員が県に電話をかけたことによる。すぐに取り消されたが、陸幕では「メールを送信した覚えはない」という。これは怖い。コンピューターが勝手にメールを送信したのだろうか。それはあり得ないと思うが、北米航空宇宙防空司令部(NORAD) の巨大コンピューターが全面核戦争に向けて暴走する「ウォーゲーム」(1983 年、米映画)を思い出した。26年前の作品だが、その意外な結末は今に通ずるものがある。

4月4日の出来事は、歴史を振り返るといろいろな読み解きができる。この点、例えば、韓国の新聞『朝鮮日報』東京特派員のソンウ・ジョン氏の「彼らは戦争を待っていたのか」というコラムは興味深い。「蘆溝橋の運命の一発」に関わった一木大隊長(後にガダルカナルで全滅する一木支隊長)と独断越境を命じた牟田口連隊長(後のインパール作戦の第15軍司令官)の関係を前半で紹介する。用便のため離れた兵士を「行方不明者発生」として誤報告され、そこから「中国軍の攻撃」につながる。日中全面戦争のきっかけは、錯覚と独断だった、と。後半では、「ミサイル」という錯覚から、その情報を「ミサイル発射」として発表した防衛省中央指揮所職員の「越権行為」が指摘され、「日本の今回の動きは恐ろしいほど終始一貫して軽く見えた。自国の歴史を振り返って、大国の重みを身に付けてもらいたい」と結ぶ(朝鮮日報電子版コラム2009年4月7日)。錯覚と独断と越権。誤報問題は、そのすべての過程を徹底的に解明する必要があろう。

さて、4日に発射しなかったことは、北朝鮮が意図的にフェイントをかけたのか、技術的問題があったのかはわからない。実際は5日の11時半頃に発射した。北朝鮮は「人工衛星」の打ち上げに成功したと発表したが、NORAD は「人工衛星の軌道に乗った物体はない」、一段目を除く残りの部分は太平洋上に落下したと発表した。

長距離弾道ミサイルと人工衛星打ち上げロケットとは、先端に何を乗せるかだけの違いで、飛行制御など技術的にはほとんど同じといわれている。弾道ミサイル計画に関連するすべての活動の停止を求めた国連安保理決議についても、これを形式的に解するか、実質的に解するかで見解は分かれる。安保理決議で禁止されたのは弾道ミサイル計画だという点に着目して、人工衛星打ち上げは安保理決議に直ちに違反しないという形式的解釈をとるのが中国などである。一方、人工衛星と弾道ミサイルの区別が技術的につけられないことに鑑み、人工衛星の打ち上げが目的でも安保理決議違反となるという実質的解釈がある。これは米国や日本など多くの国がとる立場である。北朝鮮という独裁国家は、米国との交渉上も、また国内的引き締め政策上も、「ミサイル」というカードをもてあそんでいることは確かだろう。ただ、今回、麻生首相の「人工衛星でも迎撃する」というような発言は、北朝鮮にとっては恰好の宣伝材料を与える結果となった。

他方、オバマ米大統領は、プラハでの演説(4月5日)で、北朝鮮を非難しながらも、「米国は、核兵器を使用した唯一の核兵器保有国として行動する道義的責任がある」という、歴代大統領の誰も口にしなかった言葉を前置きに使い、核兵器の全面禁止に向けた交渉を呼びかけた。これは北朝鮮への対応としては、日本の単線型対応とは異なる、複眼的な対応ということができる。

麻生首相は、定額給付金、高速料金一律1000円、贈与税減税などで支持率アップをはかろうとしている。すでに「麻生降ろし」は完全に封殺したといえる。雛祭り(小沢秘書逮捕)以降、顔つきも一変した。海賊対処に海警行動(自衛隊法82条)を使い、「人工衛星でも迎撃する」といきがって、「弾道ミサイル破壊措置」(82条2)の規定を用い、自衛隊の「政局的運用」を行っている。PAC-3 の部隊を海路と陸路で長距離機動する「実績」も重ねた。それにしても、桜が満開の防衛省中庭に置かれた2基のPAC-3 は、何とも不思議な光景だった。あのPAC-3 は何を守っていたのだろうか。「迎撃」という言葉を無批判に使うが、「撃墜」した破片が東京の町中に降ってくることを考えれば、何を守るというのか。

思えば、1933年8月11日付の『信濃毎日新聞』2面に、主筆・桐生悠々の「関東防空大演習を嗤(わら)う」という論説が掲載された。それを執筆した机が、長野市の信濃毎日新聞本社内の展示室にある。2007年7月、 同社で講演したときに初めて見た。悠々曰く。

「帝都の上空に於て、敵機を迎え撃つが如き、作戦計画は、最初からこれを予定するならば滑稽であり、やむを得ずして、これを行うならば、勝敗の運命を決すべき最終の戦争を想定するものであらねばならない。壮観は壮観なりと雖も、要するにそれは一のパッペット・ショー〔操り人形劇〕に過ぎない」 (桐生悠々『畜生道の地球』中公文庫所収)。

防空訓練に法的根拠を与え、国民に参加を義務づけるため、防空法は、わずか8日間で制定された。防空訓練は、隣組(防空群)を軸に、住民統制の恰好の手段となった。今回の騒ぎも、住民はいつの間にか、自治体の緊急放送や連絡に気をくばるようになった。やがて「防空演習」も実施されるのだろうか。

市民の観点から見れば、これは決して笑えない。機能不全を起こした政治を建て直すためにも、市民が広い憲法的視点をもつことが大切だろう。「関東防空大演習を嗤う」を書いて編集局を追われた桐生悠々は、「国民の立憲的訓練」ということを強調している。

「我憲政は、議会は、政党は、選挙は何が故にかくも下落したか。曰く。全体としての国民がなっていないからである。全体としての国民が立憲的思想に目ざめないからである」と。そして、「誰のためにまた何のために投票しているのか」がわかっていれば、「今日の議会や政党はかくも下落しなかっただろう」とも述べている。そこで、悠々は、「立憲的訓練」の必要を説き、選挙権をもつ成人ではだめで、子どもたちが重要であるという。憲法教育の必要性だが、それはただ教え込むのでは足らず、「行うことによって」学ばなければならないという。学校に自治制をしき、児童に日常的な選挙の訓練をさせるべきだと説く (桐生悠々「国民の立憲的訓練」1938年5月、前掲書所収)。

太平洋戦争に向けて突き進む時期ではあったが、総選挙を前にして悠々は国民に「立憲的訓練」を説いたのである。国会の状況は、尾崎行雄(咢堂)が、国会議事堂は存在せず、「国会表決堂」が存在するのみと非難するような状況だった。総選挙も、「もう一人のアベ元首相」が会長を務める「翼賛政治体制協議会」(翼協)によって仕切られ、堕落した選挙になっていた。日本の政治の末期症状の末期に、防空訓練を「嗤ふ」と書いて主筆の地位を追われた桐生悠々が、「立憲的訓練」を主張したことは記憶されていい。防空訓練から立憲的訓練へ。市民が憲法に基づく政治のあり方にもっと関心をもち、自らを憲法的に磨いていけば、よりまともな政治が生み出され、外交についてもまともな対応が可能となるに違いない。頑迷で、異様に面子にこだわる隣国をいかにして暴走させず、ソフトランディングさせるか。タフでしなやかな交渉力が試されている。

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