見過ごせない軍事介入――リビア攻撃とドイツ(1) 2011年3月28日

日本大震災(東北関東大震災)から2 週間が経過した。とりわけ津波の爪痕の途方もない大きさと深さが日々明らかになっている。死者は1万人を超え、行方不明者と合わせると信じられない数になろうとしている。その恐ろしい数字の影に、それぞれの家族の生活があり、個人の人生があった。それを考えると言葉が出てこない。かろうじて生き残っても、そこに救援の手が十分に届かないため、日々失われていく命がある。なぜ救えないのか。個々の文字通り命がけの活動の尊さにもかかわらず、「公助」が十分に機能していない。それにはさまざまな原因がある。人災(「政治災害」)も指摘されている。だが、その「公」が十分に機能しないなかで、おそらくこの国の歴史で初めてと思われるような量と質をもって、「社会」による救援の動きが生まれていることが特筆される。その多様で多彩な自発的救援の動き(「連帯」)は、ネット時代という新たな要素も加わって、この国のありようを変えていくことになるかもしれない。世界各国からの救援の動きも、政府レベルを超えた広がりを持ってきている。そこに「グローバルな共助」の芽生えを感じる。

だが、内外のこうした動きにもかかわらず、地震と津波の救援・復興を困難にしているのは、原発災害という新たな危機が同時進行しているからである。福島第一原発の放射能漏れは深刻で、原発事故としては、スリー・マイル島事故以上で、チェルノブイリ事故一歩手前の「レベル6」とされている。刻々と事態は動いており、本稿執筆の時点(3月26日)では、20〜30キロ圏の住民に対して「自主避難」が促された。実質的には「避難勧告」に近い状況なのに、あえて「自主」を入れるところに政府の迷走がある。この間、東電、保安院、政府の対応に「ちぐはぐ」が目立ち、国民の不安と不信は極限に達しようとしている。「計画停電」の社会的、経済的影響も想像以上に大きい。

「原発震災」を伴う東日本大震災については、来週以降も引き続き論ずることとし、今回は、3月20日付各紙が、震災記事であふれる一面下に無理やり押し込んだ「大事件」について書くことにしたい。それは、仏英米など多国籍軍によるリビア「空爆」(軍事介入)である。大震災のなかで、ほとんどの人が北アフリカでの「戦争」など関心ないと言われそうだが、やはり長期的に見れば重要な問題を含むので、あえてこのタイミングで書き残しておきたい。

 3月17日、国連安全保障理事会は、決議1973号を採択した。国連憲章第7章(軍事的強制措置)のもとで行動するとして、民間人および民間人居住地域を保護するため、加盟国に対して「あらゆる必要な措置をとること」(to take all necessary measures)を授権している(authorizes)。そして、リビア上空に飛行禁止区域(No Fly Zone)を設定すること、武器全面禁輸の執行、資産凍結、渡航禁止の拡大などを定めている。この決議の採択にあたっては、ロシア、中国、ブラジル、インド、そしてドイツの5カ国が棄権した。
 常任理事国の中国とロシアが反対すれば拒否権行使となって決議は成立しない。ロシアは、決議はリビアの反体制派側に偏り、内政不干渉原則(国連憲章2条7項)に反する介入にあたると主張した。ロシアにとって「棄権は拒否権の回避」ということになる。ここで注目されるのは、後述するように、ドイツが棄権にまわったことだろう。写真は、安保理で棄権に挙手するドイツ国連大使である。この写真は日本ではほとんど報道されていないが、ドイツの週刊誌に掲載された大変珍しい場面である(Der Spiegel vom 21.3.2011,S.32)。

3月19日午後(日本時間20日深夜)、仏英米など多国籍軍はリビアへの「空爆」を開始した。「オデッセイの夜明け」というこの作戦、偶然とは思えないタイミングである。なぜなら3 月20日は、イラク戦争8 周年だからである。地中海の米艦から巡航ミサイル100発以上がリビアの軍事施設に向けて発射され、米英仏軍機が防空施設などを爆撃した。50人近くが死亡したとされている。

国連憲章2条4項は加盟国に武力行使を禁止している。例外は、国連による軍事的強制措置(憲章42条、43条)と自衛権の行使(憲章51条)の2つの場合だけである。リビアはどの国も攻撃していないから、自衛権行使の要件はクリアしない。また、安保理決議1973号も、飛行禁止区域の設定や民間人保護はうたっていても、リビアの軍事施設への攻撃を無制限に授権したものではない。「あらゆる必要な措置」を広く解釈して、それを「空爆」につなげるのは、1991年1月17日の湾岸戦争以来、米国の常套手段である。今度はこれをフランスが主導して行った。アラブ連盟の同意を取り付け、カタールとアラブ首長国連邦を軍事行動に引き入れることにも成功した。かろうじて「キリスト教対イスラム教」という構図を回避した恰好である。だが、エジプトは軍事行動への参加を拒否し、他のアラブ諸国の動きも鈍い。「ジャスミン革命」以降、自国の人民によってそれぞれの政権が揺さぶられており、下手にフランスのやり方に賛成すれば、「明日は我が身になる」と感じているからだろう。

28のNATO加盟国のなかでも対立が生まれている。英仏が積極的なのに対して、他の国々はかなり引いている。前述のように、ドイツは安保理の決議採択にあたって棄権した。
 ドイツのメルケル政権は保守のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)と自由民主党(FDP)の連立政権である。外相は自民党のG.ヴェスターヴェレ党首である。棄権によってドイツはヨーロッパで孤立するわけでもなく、これは「正しい決定」だ、と外相は胸をはる(Der Spiegel,Nr.12 vom 21.3 )。「軍事介入へのもう一つの道」は「何もしない」ということではないとして、平和への積極的提言も行う。これに対して批判的なのは、社会民主党(SPD) と「緑の党」(Die Grünen)である。

12年前のコソボ紛争の時は、社民・緑の連立政権だった。ミロシェビッチ(セルビア大統領)=悪、コソボ解放軍(UCK)=善という構図だったが、後者は虐殺を含めて、実は相当悪さをやっていた。結局、国内での対立にNATOが介入して、一方を後押しした結果、その後の復興にも影を及ぼしたことは承知の通りである。今回も、カダフィ政権=悪、反体制=善という二項対立では共通している。

ドイツの国内世論は、Emnid世論調査研究所によると、「空爆」支持は62%で、反対が31%であるものの、ドイツ軍がこの攻撃に参加することに65%が反対している(FR vom 20.3) 。これは虫がよすぎると英仏は反発している。8年前のイラク戦争の時、独仏が米国の独走に反対するという構図だったのとは随分異なる。

特に軍事介入に積極的なのは、反核・平和、エコロジー、フェミニズムを主潮としてきた「緑の党」である。左派紙から「緑の騎士団」と皮肉られるほどだ(junge welt vom 22.3)。12年前のNATO空爆の際、フィッシャー外相(緑の党)が「空爆」に賛成してこれを推進した。今回は「緑の党」のK.ミュラー(元外務副大臣)が、ドイツの棄権を「致命的な誤決定」と非難し、「ドイツはヨーロッパを分裂させ、国際的に信頼を失墜させた」として、「人道に対する犯罪に対しては非難するだけでなく、行動しなければならない」と、「空爆」を積極的に支持している(以下、Vgl.die taz vom 26.3)。12年前のボン滞在中、彼女の活動について触れる機会があっただけに、かつての活動家の変貌ぶりに驚くばかりである。エコロジストやフェミニスト、人権尊重派は、独裁者による大規模な人権侵害となると見境がなくなり、強力な国家介入を求める傾向にある。「国家保護義務」の議論でも、この手のタイプは驚くほどのタカ派になる。

日本では、この「空爆」は大震災の影に隠れて、ほとんど注目されていない。菅首相はコメントすら出さず、外相が簡単に支持を表明したにとどまる。メディアの反応は外報面に限られ、批判的意見がほとんど見られない。「人道的介入」のケースにあたり、市民の生命を守るために必要な介入であって、手段として行き過ぎの面はあっても「やむを得ない」というのが大方の論調だった。
 米国の軍事介入には常に批判的な沖縄メディアも、『沖縄タイムス』は社説も出さず、『琉球新報』3月21日が「市民守り独裁に終止符を」というタイトルで、「見切り発車」と「出口戦略」が見えないことだけ批判して、「カダフィ氏は政権の座を去るべきである」に重点を置いていた。

確かに、カダフィ政権は国内の反体制派に対して、傭兵を雇い、空軍機まで使って自国民を攻撃するなど、常軌を逸している。この間の言動は特にひどく、この独裁者は「もう終わっている」という印象は強い。そうだとしても、「飛行禁止空域」の設定という安保理決議の実施に「必要な措置」ということならば何でもできるのか。すでにリビア軍地上部隊への攻撃も行われている。これでは、「人道的介入」というよりも、「反乱軍の空軍」となって、内戦における一方当事者への過度な肩入れの性格が強いと言えよう。

ノルウェーの平和学者J ・ガルトゥングは、問題は、その出動がいかに根拠づけられているかに着目する。多国籍軍はリビアの石油についても関心がある。この作戦はさらなる長期的な戦争の幕開けとなる危険を見て取る(die taz vom 26.3)。なぜリビアには軍事介入するのか。taz 紙は「スーダンは砂漠しかないから、象牙海岸はカカオしかないから、イランは軍隊が強すぎるから介入しないのか」という疑問の声を伝えている。
 保守系紙には、「リビア攻撃が軍需産業の株価を上げている」という左派のような記事が載った。リビア攻撃後、ニューヨーク証券取引所では、軍需産業の株価が5%も上昇したというのだ(Die Welt vom 23.3) 。

このヘルメットの写真は、リビア攻撃に参加した仏軍ミラージュ戦闘機のものとされている(junge welt vom 26.3.2011)。
 サルコジ仏大統領は、戦闘ゾーンの拡大を支持し(「国連決議の創造的解釈」という)、他のアラブ諸国の指導者に対して、「国際社会と欧州の対応は、いまから毎回、これと同じになるだろう」と恫喝している(junge welt vom 27.3)。これは露骨な「空爆外交」の宣明ではないか。チュニジアから始まった「革命」はいま北アフリカから中東各地に広がっている。かつてこの地域の植民地宗主国だったフランスは、それぞれの国の「体制転換」(レジーム・チェンジ)に露骨に介入しようというのだろうか。
 「体制転換」の手法のなかに、国家元首の殺害がある。今回の「空爆」でも、カダフィ大佐の邸宅に命中している。これは特定の人物に「目標を定めた殺害」(Gezielte Tötung)である。イスラエルの十八番だが、アフガン戦争では米軍がこれを行い、ドイツ軍が協力して問題になったことがある。

国際民主法律家協会(IADL)は声明を発表し、カダフィ大佐の自国民殺害を厳しく非難し、人道に対する罪として、国際刑事裁判所に訴追されるべきであると主張する。他方、国連憲章の武力行使禁止原則と内政不干渉原則に言及しつつ、安保理決議1973号はこれと合致しないと批判する。そして、IADLは、この決議が可決されるや否や、民間人への攻撃を止めさせる平和的方法が断念され、仏英米(この順番は原文の通り)による軍事行動が開始されたことを非難している。そして、リビアの国内紛争の平和的解決は人民自決と内政不干渉の原則に基づくべきことを再確認している(3月24日)。

ドイツの『フランクフルター・ルントシャウ』紙の論説委員R.ゲーレンは、「リビアの自由」という論説で、「トリポリの体制転換は、NATOの事項でもアラブ隣国の事項でもない。それはリビア人民の課題である」として、カダフィ政権の崩壊が、多国籍軍の制空下で反乱軍が首都トリポリに進撃することによって起こるものではないとしている(FR vom 25.3)。同感である。

今回は大震災の渦中だが、3月19日(日本時間20日)に行われたリビアへの軍事介入は見過ごすことができない。カダフィという「悪党」を倒すための軍事介入だから問題はない、とはならない。このことについて読者の記憶にとどめてもらいたいので、メディアにはほとんど登場しない批判的意見を主に紹介した。

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