大震災の現場を行く(6−完)――大槌町吉里吉里 2011年6月20日

水沢市(現在の奥州市水沢区)に一泊し、盛街道と呼ばれる国道397号と107号を通って釜石に向かう。国道があちこちで不通のため、大回りをしていった。道路沿いには、小沢一郎氏のポスターが随所に立っている。怒りの表情で、仁王様のように見える。さすが、この人の地盤である。だが、東北の被災地でも東京でも、実物の姿が見えてこない。

釜石市内に入ると、津波による破壊がすさまじい。特に釜石警察署の運転免許センターの駐車場には、津波で破壊された車がたくさん並べられている。それを見ていると、市の職員らしき人が近づいてきて、「車をお探しですか」と尋ねてきた。市民が自分の車を確認に来るのを待っていて、廃車手続きなどの援助しているようだった。それにしても、すさまじい数である。なお、2週間の公告期間を過ぎても所有者が名乗り出なかった場合、解体業者などへの引き渡しを認める通知を、岩手県が5月12日、宮城県が20日に出したという(『読売新聞』5月26日付)。

釜石から国道45号線を北上し、大槌町に入る。海沿いの集落はすべて津波でやられている。地震直後、町役場に災害対策本部が設置されたところに、津波が来襲した。そこにいた加藤宏暉町長以下すべての課長級と多くの職員が死亡あるいは行方不明となった。災害で、一瞬にして自治体の行政機能がここまで崩壊した事例は珍しい。市街地はひどく破壊された。死者777人、行方不明者950人を出した(『朝日新聞』6月5日付)。

大槌町中心部から3キロほど東に走ると、吉里吉里地区がある。高台から見ると、海岸から山際まで津波で破壊されている避難所になっている吉里吉里小学校に向かう。ちょうど校舎横で、婦人之友社と自由学園のボランティアが生活物資の提供を行っていた。
   近くにいた消防団員の芳賀衛さん(60歳)に話を聞く。昨年まで釜石の製鉄所に勤めていたが、地元で活動を始めた矢先の震災だった。この地区では750戸のうち300戸が全半壊の被害を受け、死亡・行方不明者は88人という。校庭には、人生経験豊富な、芳賀さんと同年輩の人たちが集まっていた。こういう人たちが中心になって、震災後、地域復旧の活動を展開してきたわけである。芳賀さんの案内で、小学校の裏手に向かう。

小高い場所に墓地があった。吉里吉里善兵衛の墓だった。江戸時代、南部藩の海産商人・前川善兵衛は代々「吉里吉里善兵衛」を名乗り、三陸の海産物を関東に送るのに大きな役割を果たした。のみならず、善兵衛は鉄鋼山を発掘して鉄鋼業も起こした。また、良質の大豆を生産してこれを銚子に送り、野田の醤油の原料ともなった。善兵衛は、津波や凶作などの災害が起こるたびに、村民救済のために蔵を開放したり、雇用を確保したり、農業や漁業を振興した。宝歴の大飢饉では3万人以上の命を救った。単なる豪商ではなく、この地域の発展に大きく貢献をした人物として、「国の光り」となっている。芳賀さんを含め、地域の人々の信頼はいまも厚い。

芳賀さんは墓の説明を終えると、先へ進んでいく。すぐに線路が見えてきた。盛岡と釜石を結ぶJR山田線、その吉里吉里駅である。3キロ手前の大槌駅は津波で完全に破壊されていたのに、この駅はまったく無傷だった。駅舎は「3.11」以降、消防団の「詰め所」になっているという。ホームに入って時刻表を見ると、列車は1日9本。2時間に1本あるかないか。桜の花びらがホームと線路に落ちている。それを散らしながら列車が入ってくる。そんな場面を想像していた。

私が今回の東北行きで最後に訪れたのが、この吉里吉里地区だった。なぜここを選んだのか。それは、大震災のなかで2つの小説のことを考えていたからである。一つはもちろん井上ひさしの『吉里吉里人』(新潮社、1981年)。もう一つは西村寿行『蒼茫の大地、滅ぶ』(講談社、1978年)である。いずれも30年ほど前、大学院生の時、出たばかりのものをハードカバーで読んだ。前者は834頁の分厚い一巻本、後者は上下2冊計412頁。いずれも東北地方が政府からひどい仕打ちを受け、日本国から独立する話である。

西村作品は、「東北六県壊滅の飛蝗襲来と悲劇の奥州国独立」と帯にあるように、バッタの大群により東北地方の農業が壊滅し、政府が東京を守るために東北を見捨てたため、東北6県が独立を宣言。若者6000人が「東北地方守備隊」と結成して、自衛隊と戦うという途方もない「バイオレンス・パニック・ロマン」である。強烈な冒頭部分に引き込まれながらも、次第にその荒っぽい筋立てと展開についていけなくなった記憶がある。大槌町は出てこないが、岩手郡岩手町あたりまでは出てくる。

『吉里吉里人』の方は言うまでもなく、井上ひさしの長編大作である。今回、『吉里吉里人』初版が書庫の奥にあったが、新たに文庫本3冊を購入して再読した。 話の筋は、日本政府の悪政に耐えかねた「吉里吉里村」の人々が、村全体で日本国からの独立をはかる。人口4200人の「吉里吉里国」の公用語は「吉里吉里語」(ズーズー弁)。独自通貨「イエン」、国会議事堂(車)や最高裁まである。独立を認めない日本国政府が自衛隊を出動させるも、「吉里吉里国」は奇想天外な方法でこれとたたかう。

「吉里吉里国」の国是は農業・医療・平和である。日本政府の農業政策の犠牲になってきた東北の怒りが根底にある。日本から独立するに至った「やむにやまれぬ理由」とは、「国益」への反発だった。東郷老人いわく。「国益の為だ、増産すろ!」「国益の為だ、減反すろ!」「国益の為だ、広域営農団地ば作れ、企業化すろ…」「国益の為だ、隣町と合併したらどんだ」…「いづも国益。政府の言うごだ国益ばっかだ」。

医療についてもかなり詳しく展開されている。脳死と臓器移植まで出てくる。ゼンタザエモン老人はいう。吉里吉里憲法の保障するあらゆる自由は、「すべて生への執着から発しているからじゃ。…『死んで自由があるものか』」「脳死の瞬間に死の判定をすることは、明らかに憲法違反なのだ」と。

吉里吉里国は、農業立国、医療立国に加えて、平和立国の視点も明確である。「日本国の衆が、こげに第9条を酷く扱うなら、まんず俺たちがそっくり引き取ってよ、軍隊の『ぐ』の字も無すで国ば作ってみしぇる」「軍隊ぬぎで小ながら一個の国家ば持ちこだえてみしぇる!」。国際法の高度な議論もおもしろおかしく登場する。法的知識を駆使するたたかいは、著者の問題意識の確かさと豊かさを感じさせる。

今にして思えば、吉里吉里国のエネルギーは地熱発電だし、食料自給率は100%、貨幣制度は金本位制である。逆に、この30年で、吉里吉里人たちが反対していたものはほとんど実現してしまったように思う。愚かなる「平成の大合併」、自然破壊の高速道路網…。とりわけ食料自給率を14%にまで落としてしまう昨今のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)のことを知ったら、吉里吉里人は怒りのあまり、卒倒するだろう。

『吉里吉里人』の結末は悲劇で終わる。だが、「キリキリ善兵衛」の独白は心に残る。私自身、30年前に『吉里吉里人』を読んでいた時はまったく気づかなかったことが、今回文庫本で再読してみて、「宝の山」のように次々見つかることに驚いた。まだお読みでない方は、この長編大作への挑戦をお薦めしたい。

さて、私の向かった大槌町吉里吉里や吉里吉里駅は作品中にも出てくるが(第3章)、小説上の「吉里吉里村」とは一応区別されている。とはいっても、沖合にある「ひょっこりひょうたん島」のモデルの島を含め、大槌町はこの『吉里吉里人』で町おこしをやってきた。

津波で行政機能を失ったが、住民は、吉里吉里小学校の避難所に、自発的に災害対策本部を立ち上げた。『毎日新聞』4月14日付夕刊によると、「行政を待っていたら、いつまでたっても復旧しない」と消防団長を経験した東山寛一さん(67歳)が声をあげ、住民が食料班、医療班などを組織して活動を開始した。住民自ら行方不明者の捜索をやりつつ、重機を使って国道や町道の瓦礫を撤去した。コンビニ店長の協力で、在庫のパンや飲料水を救援物資として住民に配った。防災用に準備した発電機を使い、医療用の電源を確保。重傷者や透析患者を運び出すため、吉里吉里中学校の校庭に、ヘリポートを示す“H”のマークを住民自ら書いた。これを自衛隊のヘリが見つけて着陸し、患者を搬送することができた。震災の5日後にこの地区に入った自衛隊員は、片づけられた瓦礫の様子をみて、「ここまで自力で復旧させるとは」と感嘆したという。まさに『吉里吉里人』を地で行く動きだ。「井上ひさしさんの小説『吉里吉里人』を機に町おこしをして注目された吉里吉里地区。今回の震災でも…『独立精神』で避難生活を支えてあっている」(山川淳平、高木香奈毎日記者)。

おそらく上記の記事に触発されて取材に入ったであろう、フランス紙『ル・モンド』のフィリップ・ポンス記者のレポート(同紙5月7日付)も、「独立精神」で支えあった吉里吉里地区の様子を伝えているこのレポートについては、フランス在住の日本人のブログでも紹介されている(『梨の木日記』5月11日「集落と自治」)。先週、この『ル・モンド』の記事に言及した憲法学者の講演を聞いた。

6月15日午後、早稲田大学の第90回法学会大会が大隈講堂で開かれた。記念講演は憲法学者の樋口陽一氏(東北大、東大名誉教授、早大元教授)、テーマは「ある劇作家と共に《憲法》を考える−−井上ひさし『吉里吉里人』から『ムサシ』まで」である。昼食会からご一緒したが、講演内容は実に興味深く、また刺激的だった。

「井上ひさしにとっての憲法」と「憲法にとっての井上ひさし」という2つの柱で講演は構成されていた。樋口氏は、小説『吉里吉里人』のさまざまな仕掛けとタネ、趣向のなかに、井上ひさしの思想を読み取っていく。ここでは詳しく紹介することはできないが(『早稲田法学』に全文収録の予定)、国家は自然のものではなく、目的をもった個人によって創設・維持されていくものという思想もその一つである。「独立」とは、血のつながりによる民族によってではなく、意志の力によってつくられるものという視点は重要である。フランス紙『ル・モンド』が震災時の吉里吉里地区のコミューンに注目したであろうことは容易に想像がつく。樋口氏も吉里吉里の人々が未曾有の危機のなか、自らの意志で独立して行動していったことに着目する。大震災によって気づかされた視点である。

芳賀さんたちに見送られて吉里吉里小学校をあとにした。私たちの車の横に停車していた軽自動車の車体には、「生き残ってください」「あきらめないで」「みんなおうえんしています」という無数の書き込みがあった。支援のボランティアたちが、帰るときに書き込んでいったものだ。

郡山市から大槌町まで約800キロを走りながら、津波の被害に驚き、言葉を失い、原発事故被害の大きさに怒り、悩み、立ち上がる人々に感動し、政治が機能せず、政局的動きを繰り返すことに脱力しながら、頭はいつも回転していた。この直言でも11週にわたり、東日本大震災の問題を扱ってきた。原発事故はますます深刻な影響を与えている。憲法施行64周年の直前に起きた大震災の現場で、また帰宅後も頭にその鮮烈な光景が蘇るなかで、憲法の役割はどこにあるのか、憲法研究者は何ができるのか、何をなすべきなのかと悩み、考え続けている。これからも、この取材で得たことを糧に、研究・言論活動を続けていきたいと思う。

最後に、震災の復興を心から願うとともに、この取材をコーディネートして下さった郡山市の降矢通敦さん限られた時間内で最大の成果を引き出してくれた案内人兼ドライバーの白土正一さんをはじめ、現地でさまざまなご配慮をいただいたすべての方々にお礼申し上げたい。どうもありがとうございました。

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