2011年の別れと出会い 2011年12月26日

2011年も1週間を切った。今年最後の「直言」である。私にとって、2011年に「別れ」が来たものが3つある。

まず、NHKラジオ第一放送「新聞を読んで」が今年3月いっぱいで打ち切りとなり私は2月5日の放送が最終回となった。中東での政治変革や小沢一郎氏起訴議決などについて8分ほど語ったあと、次のように最後の言葉を述べた。

《…「新聞をラジオで語る」という方法は、ネットが発達したデジタル時代には古いという見方もあるでしょう。新聞は瞬間力・瞬発力ではネットに到底かないませんが、立ち止まってじっくり考えるのには適しています。…新聞の切り抜きも効果があります。記事を比べるのに「手」を使う。手偏に「比」べるで「批判」の「批」になります。批判力をつけるためにも、ネットだけでなく、紙の新聞も読むことが大切だと思います。ともあれ14年間、私の話をお聴きいただき、どうもありがとうございました。》

レギュラーになって14年。いつも番組のことが頭にあって、新聞を読むときはラジオの語りのレイアウトを考えていた。これがなくなったので、最近、新聞を読むのが気分的に楽になっている。なお、『時代を読む――新聞を読んで』(柘植書房新社)は、この番組を担当した副産物である。

次に、三省堂『新六法』が2011年版をもって休刊となった。この六法は、1979年版から31年間、毎年刊行されてきた。私が編者になったのは2000年版からである。ドイツで在外研究中だったので、出版社からボンの住居に、1999年に制定された法律の条文が届いた時は驚いた。周辺事態法国旗国歌法改正住民基本台帳法(住基ネット)改正国会法(憲法調査会設置)など、憲法の観点から問題のある法律ばかりだったからである。

以来、2011年版まで毎年1冊ずつ、計12冊を出版したことになる。その間、「六法の付録」というものも作った。私の担当では、「インターネット法律道場」という形で2回出した(2004年版、2005年版)

今にして思えば、六法の編集作業というのは楽しいものだった。個性的な編集委員の面々と年に何度か会合をもったので、そこで知的刺激を受けた。担当編集者との密度の濃いやりとりも、よい思い出である。

3つ目の「別れ」は、同僚の早川弘道氏が1月15日に亡くなったことである。63歳とまだ若い。残念でならない。高校の先輩だったこともあり、何とも言えない喪失感が今もなお続いている。
   先々週、法学部の1階エスカレーター横で、背格好や服装、帽子までそっくりの人を見かけた。思わず声をかけそうになり、顔がまったく違うので、すぐ我に返ったが、本当にびっくりした。彼の研究室はそのままになっていて、ドアに貼ってあるメモなどを見ていると、思わずノックしたい衝動にかられる。

これらが2011年の「別れ」である。でも、それぞれが、それぞれの形で、私のなかで大切な宝物として存在し続けている。

2011年は、東日本大震災が起きたことにより新たに出会った人々がいる。たまたま震災前の2010年は、福島(2月)、宮城(5月、11月)、岩手(10月)と、東北での講演の機会が多かった。そこで知り合った人々も被災をした。4月に現地に行って、何人かの方々と再会した。新たな出会いの筆頭は白土正一さん(福島第二原発所在町の双葉郡富岡町の前環境課長)である。ご自身が富岡町からの避難者にもかかわらず、震災後まもない4月に、南相馬市から岩手県大槌町まで車で案内していただいた。その際、白土氏から学んだことは非常に多い。

2つ目は、大阪空襲訴訟に関わるなかで出会った人々である私が14年前に書いた防空法制の研究をたまたま検索で知り、それを訴状に使った弁護士がいた。大前治弁護士である。彼との出会いと、2月の大阪地裁での証人尋問は、私にとって、とても印象に残る、今年の重要体験となった。訴訟そのものは敗訴になったが、日本の裁判所が初めて、防空法による住民への消火義務などを認定したことは重要である。

学会報告(6月の総合人間学会)や研究会、北から南まで各地で行った講演で出会った人々も大切な財産である。今年はどこで講演をしても、全国で活躍する私のゼミ出身者との現地での再会が頻繁にあったことが何よりもうれしかった。新潟講演では5期ゼミ長のK君と6期のM君が、神戸講演では9期ゼミ長のI君と10期ゼミ長のT君が、秋田講演では8期ゼミ長のY君にお世話になった。札幌では、前々任校の水島ゼミ長M君が、松江では前任校の教え子T君がきてくれた。来年5月3日の「日本国憲法施行65周年」講演は香川県高松市で行うので、そこでの再会が楽しみである。

著書は予定したものが遅延しており、各方面にご迷惑をおかけしている。雑誌や新聞に発表した拙稿を収めたものが2冊(『民主党政権下の日米安保』花伝社、『3.11後 ニッポンの論点』朝日新聞社)出版されただけで、今年は生産性があまり高くなかった。なお、年が押し詰まり、昨年の「横川敏雄記念講座」を編著として出版することができたのは、ひとえに担当編集者の熱意のおかげである。水島朝穂・金澤孝編『憲法裁判の現場から考える』(成文堂、2011年12月20日刊)である。来年は、単著(複数)を含め、停滞している企画を進めたいと思う。

ホームページ「直言」は一度も休まず、毎週1回、計52回を更新した。平均すると毎週4290字、200字詰め原稿用紙に換算して21枚、1年間に1115枚を書いたことになる。毎回違うテーマのものを、限られた時間内に出し続けるというのはけっこう大変である。1997年1月3日でちょうど15周年になる。最初の「直言」はわずか360字だった。現在の平均の1割に満たない。思えば、ホームページ製作の方のすすめで、お試し文章を書いたのが始まりだった。来年は閏年でもあり、月曜が53回あるので、今年よりも1回多い53回分をしっかり更新できるようにがんばっていきたいと思う。この機会に、更新作業のため、毎週力を貸してくれている歴代の協力者たちにもお礼をいいたい。

来年も「直言」を、どうぞよろしくお願い致します。

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