選択しない選択がもたらすもの――安倍第3次内閣            2014年12月22日

12月15日朝刊各紙

12月14日の総選挙をどう診るか。新聞各紙が翌日一面トップに掲げた見出しは象徴的である。『産経新聞』と『読売新聞』が「自公3分の2圧勝」「自公圧勝」としたのに対して、『朝日新聞』が「自公3分の2維持」とやや腰の引けた表現をして、『東京新聞』は「3分の2維持」にとどめた。その点、『毎日新聞』は降版ギリギリの攻防で、神奈川県南部地域に配布された14A版と、東京・多摩地区の14C版とで、一面のトップ見出しが「自民横ばい」から「微減」へと微妙に変化している。実際、自民党は追加公認を含めても前回から3議席減となっており、投票率に得票率をかけた絶対得票率を見れば、小選挙区24%、比例区は17%にすぎない。しかも、沖縄県の4小選挙区で全敗しただけではない。比例復活当選した4人の自民党候補は、九州地区の比例票のおかげで当選できたのであって、もし比例票が沖縄単独でカウントされていれば全員落選だった。つまり、沖縄で自民党は完敗したわけである。もう一つ、山梨県。0増5減で1つの選挙区が減らされるなか、2つの選挙区で自民党は1議席もとれなかった。これも完敗で、選挙の翌日、自民党山梨県連の4役が辞任している(『山梨日日新聞』12月16日付)。

前回の直言でも書いたが、有権者1億424万人の約半分、52.66%しか投票しない選挙というのは一体何だろうか。何より「小選挙区比例代表偏立制」の弊害が大きいことはいうまでもない。加えて、投票率を意識的に下げるために、政権側がメディアに対する露骨な圧力を加えたことが功を奏した。歴代自民党政権の誰もやらなかった露骨な圧力(選挙報道の自粛を迫る「申し入れ」)をかけ、メディアを萎縮させた。かつてない静かな選挙運動期間は、メディアの意識的「沈黙」のなせるわざといえよう。それでも足らないとばかり、安倍首相はさかんにテレビに出演して、自ら圧力をかけようとした(11月21日の「ニュース23」が典型)。

開票時の日本テレビ「ニュースゼロ」でも安倍首相は、質問するキャスターに対し、イヤホンを耳から外すなどして敵意をむき出しにして自説を一方的に展開した。自分に都合のよい数字を並べてまくし立てるだけで、およそかみ合ったやりとりにならない。その一方で、フェイスブックや「ニコニコ動画」など、ネットを通じた発信にはすこぶる熱心である。批判されることを極端に嫌い、「いいね」「いいね」という心地よい響きだけを好む。政治家には、胆力や忍耐力のほかに、「面の皮の厚さ」も求められるが、自意識・自己愛過剰の安倍首相にはそれが極端に欠けている。キャスター相手にむきになる姿は、一国の首相とは思えない子どもっぽさである。別の番組では司会の池上彰氏に、「アベノミクスは訴えたが、集団的自衛権の憲法解釈をあまりおっしゃらなかった」と指摘されるや、「そんなことはありません。7〜8割は安全保障について話をしています」と反論した。しかし、『朝日新聞』12月17日検証記事「安倍政治その先に」によれば、安倍首相が街頭演説をした全国74箇所のうち、集団的自衛権について触れたのはわずか13箇所だったという。「7〜8割」は明らかに事実と異なる。一事が万事である。安倍首相の「アベノミクス」プロパガンダは聞くに堪えない。この選挙は、夕刊紙風に表現すれば、まさに「ペテン選挙」〔夕刊紙紙面写真〕だった。

紙面その2

12月14日は、「無党派層は家で寝ていてくれればいい」(森喜朗元首相の言葉)という政権側の期待通りに、投票率は戦後最低を記録した。2009年総選挙で自民党は小選挙区で2730万票を獲得したが64議席と大敗し、今回は2546万票と得票を減らしても223議席と大勝した。同じく比例区では、2009年が1881万票で55議席だったのが、今回は1766万票で68議席を得た。もし投票率がもっと高ければ、まったく違った風景を目撃したことだろう。

ところで、今回の選挙では、昨年参院選から投票が可能となった「成年被後見人」の人々も一票を投じた。しかし、障害者への配慮を欠いた投票所の仕組みや態勢の結果、そうした人々の選挙権行使はさまざまな困難に直面したという。また、在外邦人や遠洋漁業の船員については、解散があまりに突然だったため、選管の準備不足で大切な一票を行使できなかった。加えて、投票時間が全国35%の投票所で繰り上げられて、投票箱が閉じられる直前に一票を投じようとした人が投票できなかった。いずれも、全体から見れば微々たる数字かもしれないが、国民の投票行為は最大限保障されるべきものである。節電やら経費削減やらがいわれるが、筋が違うと思う。憲法44条2項(選挙人の資格に関する差別禁止の8事由)の観点からすれば、選挙権が行使できない状態(障害の程度、居住地など)をできる限りなくしていくための配慮が求められる。

ナチスの看板

話は唐突に変わるが、右の写真は、米国のネオナチ団体がつくった鉄製の看板である。英語まじりで、ナチスの政治システムを絵解きしている。じっと見ていると、顔のない黒子のようにびっしり座るライヒ議会議員〔拡大写真〕が異様である。議会が完全に翼賛化すると、こういうイメージになるのだろうか。議会の役割は、「国体を構成し、〔民族〕共同体を具体化し、人民を真の国民社会主義思考で教育する任務をもつ」。ナチスも最初は労働者のための要求を前面に掲げていた。総選挙後に安倍政権がまっさきに取り組んだのも、労働者の賃上げだった。

12月16日、それは異様な光景だった。首相官邸で開かれたのは、経団連と連合の代表を集めた「政労使会議」。そこで安倍首相は、「来年春の賃上げについて最大限の努力を図っていただきたい」と経団連会長に要請していた。労働者のために?

『朝日新聞』12月19日付は、「春闘60年 誰のために:交渉変質、問われる労使」という記事で春闘をこう分析している。「首相が賃上げを求めるのは、今春闘に続き2年連続だ。労使交渉に政府が口を出す異例の展開に、連合の古賀伸明会長は『賃金は政府の声や社会の雰囲気で決まるわけではなく、労使が真摯に粘り強く交渉する以外にない』と話す」と。思えば、労使交渉に首相自らが介入して賃上げを呼びかける。今までみたことがない風景である。1955年に始まった春闘は、60年になろうとする今年、政府主導の「労使交渉」に変質したのか。

ねじれなし切れ目なし、そして、向かうところ敵なし。勢いにのった安倍首相は、クリスマスイブに第3次内閣を発足させる。この国に不幸をもたらす「大惨事内閣」になることが強く危惧される。だが、「おごれる者久しからず」はいつの時代にも妥当する。メディアへの対応に見られた安倍首相(とそのご一党≠自民党)の小心さ、偏狭と狭量、余裕のない強引・傲慢な統治は、L.シャピロのいう全体主義の「六点徴候群」(注)を充足しつつある。沖縄では名護市長選・市議選、沖縄県議会選挙、県知事選挙に加えて、今回、衆院4選挙区すべてで「反中央政府」の姿勢が明確となった。民主主義の常識をわきまえれば、この沖縄の意思を無視して辺野古移設を「淡々と行う」ことは、全体主義のやり口となる。すでに、選挙中は争点にさせなかった「7.1閣議決定」について、今回の選挙で承認されたと豪語しており、まもなく、憲法9条改正までやることが第3次内閣の使命だと言い出すことだろう。これとどうたたかうか。反全体主義の政治的連携を幅広く構築していくことが求められているのである。


(注)C.J.フリードリッヒは、@公認のイデオロギー、A一人の人間に指導される大衆政党、B党と官僚機構への暴力の独占、Cマスコミに対する統制、D物理的・心理的なテロ的警察統制を全体主義の特徴として挙げたが、L.シャピロはこれに、E経済に対する中央からの統制と指導を加えて、「六点徴候群」と称した(河合秀和訳『全体主義』〔福村出版、1977年〕19-20頁)。安倍首相の労使交渉への過度な介入はEにあたるのではないか。新自由主義的政策を展開しながら、他方で国家統制の回路も開拓していくという意味で、安倍政権は戦後のどの政権にもない全体主義的性格を帯びつつある。

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