国家運営の私物化――権力者が改憲に執着するとき(その2)            2015年1月12日

世界日報

末年始の2週間は、八ヶ岳の仕事場にこもって原稿を書いていた。その間、毎朝、車でコンビニまで『産経新聞』(たまに『山梨日日新聞』か『信濃毎日新聞』)を買いに行っていた(自宅には『朝日新聞』など4紙届いているので)。その『産経』の1月4日付をみてのけぞった。「自民総裁『3期9年』論」「任期延長 首相、五輪・改憲に道」の見出し。「おせち記事」というよりも、今や安倍政権の機関紙と化した『産経新聞』の提灯記事、「アドバルーン記事」である(最近、『読売新聞』は安倍政権に微妙な距離をとる気配を感じる)。

産経新聞2015.1.4

「連続で2期6年までとなっている自民党総裁の任期を『3期9年』まで延長すべきだとの声が安倍晋三首相(総裁)の周辺を中心に党内で浮上してきた」という書き出しが示しているように、ニュースソースは「首相(総裁)周辺」「首相側近」とあるから、内閣官房、補佐官、秘書官のなかの複数の人間であることは間違いない。衛藤晟一首相補佐官(首相の靖国参拝に際して米国務省が「失望」を表明したとき、「こっちが失望した」とやった人物)や萩生田光一総裁特別補佐(在京キー局に、総選挙に関連して、街の声の拾い方まで注文をつけた人物)あたりの顔がちらつく。

「現行の党則や総裁公選規程に従うと安倍総裁の任期は平成30〔2018〕年9月まで。首相が招致に成功した2020〔平成32〕年東京五輪・パラリンピックを安倍首相のままで迎えるべきだというのが理由だ。首相の悲願である憲法改正に道筋をつけたいとの思惑も働いている」。権力を握り、それを昨年の総選挙で4年分もくすねた人たちが、その権力のうまみを最大限に追求しはじめたことを示している。権力の私物化はオリンピックの開会宣言にまで及んできたわけである。

もし「幻の第12回オリンピック東京大会」が行われていれば、開会宣言は近衛文麿首相がやっていただろう。第11回オリンピックベルリン大会(1936年)の開会宣言をやった人物と日独伊防共協定を締結した近衛が開会宣言をできなかった「悲願」を安倍首相が実現する。祖父の悲願である憲法改正も同時に追求する。安倍首相は、「ともに血を流す関係」を強調するという役割において、近衛文麿に近づいているのではないか。ちなみに、「皇紀2600年奉祝音楽」を初演したときの内閣が第2次近衛内閣で、そのとき商工大臣への就任を要請されたのが岸信介商工次官だった(いったんは断り、約1年後の東條英機内閣で入閣する)。

「選択しない選択がもたらすもの」の最たるものは、権力者のおごりと傲慢さにお墨付きを与えてしまったことだろう。ご多分にもれず、安倍首相は選挙の結果が出るや否や、選挙中はほとんど触れなかった憲法改正を前面に押し出してきた

8年ほど前、第1次安倍内閣のときに、「権力者が改憲に執着するとき」を出したが、今回久しぶりに読み返してみた。あまりに「歴史は繰り返す」なので、そのときの「直言」の冒頭部分を以下引用する。今回の「直言」のサブタイトルに「その2」をつけた所以である。

フジモリ(ペルー元大統領)、ルカシェンコ(ベラルーシ大統領)、プーチン(ロシア大統領)、オバサンジョ(ナイジェリア大統領)、ムバラク(エジプト大統領)、安倍晋三(日本国首相)。これらの人々に共通することが一つある。それは、改憲により権力基盤を強めようと試みていることだ。そして、その多くが、自らの任期延長のための改憲に手をつけている。

そもそも任期とは何か。「期間を限って一定の公職に選任された者がその地位にある期間」である。選挙という一定のサイクルで有権者のコントロールを働かせて、権力の私物化や腐敗を防止しようとする設計である。一定の当選回数を理由に、立候補を禁ずる。これは純粋に民主主義原理からは説明できない。3選以上は権力腐敗が進行する可能性が高いという政治的経験則をもとに、権力腐敗と濫用を抑制するという立憲主義の観点から説明するほかない。立憲主義の核心は権利保障と権力分立にあり、権力の制限とチェックが要請されるからである。アメリカ合衆国憲法修正22条は、「何人も2回をこえて大統領の職に選出されてはならない」と定める。また、27の州で知事の3選を禁じている。中南米の諸国では、独裁政権が相対的に多いということもあって、大統領職の2期連続就任が禁じられてきた。ペルーの旧憲法も2期連続を禁止していた。「人気があっても任期で辞める」という制度設計は合理的である。・・・

・・・安倍首相の場合は、任期延長のための改憲ではなく、祖父の想いを受け継ぎ、自らの評価(人気)をあげることに執着しているようにもみえる。ただ、自民党総裁任期を延長するという「禁じ手」はありうる。日本は、「総理・総裁」という言葉があるように、与党の総裁任期が、首相としての存続期間に連動する奇妙な国である。ただ、権力絶頂期の小泉前首相ですらやらなかったことを、安倍首相がやることはまずない。日本では、権力者の「任期」ではなく、憲法改正手続のハードルを下げることに主眼が置かれているのが特徴かもしれない。・・・

(「直言」2007年4月16日「権力者が改憲に執着するとき」より)

『産経』1月4日付には、「総裁任期は、15〔2003〕年9月に小泉純一郎首相(当時)が総裁に再選されてから、1期あたり2年から3年に1年延長された。郵政民営化を争点にした17〔2005〕年の衆院選で自民党が大勝し、小泉氏の任期を1期延長すべきだという意見が出たが、小泉氏は受け入れず、任期満了で退陣した」とある。私は8年前の上記「直言」で「権力絶頂期の小泉前首相ですらやらなかったことを、安倍首相がやることはまずない」と書いたが、これは判断が甘かった。この段階で、2012年総選挙後に安倍首相が始めた「96条先行改正」の動きは見通していたものの、自民党総裁の任期にまで手をつけようとは、さすがに考えつかなかったのである。安倍首相とその周辺は、「安倍晋三は小泉純一郎を超えつつある」と本気で思い込みはじめているのかもしれない。

10年前の「直言」で「人気があっても任期で辞める」を書いた。以下、その結びの部分を引用しよう。

「人気があっても任期で辞める」というのが、立憲主義から導かれる一つの帰結である。国民の高い支持(人気)を追い風に、任期に関する仕組みを恣意的に変更することは、国民投票という「民主的」方法を利用した立憲主義の空洞化につながりかねないだろう。

翻って日本を見てみると、地方自治体では、以前から知事の多選批判が存在した。そうしたムードを受けて、長野県の田中康夫知事は「3選禁止条例」を県議会に提案したが、否決された。次いで、埼玉県の上田清司知事が、知事の任期を連続3期12年までとする「多選自粛条例」を議会に提案。8月2日の可決・成立した。この種の条例が成立したのは全国初という。議院内閣制をとる日本の場合、自分の人気には気をつかう首相が、その任期について変な色気を出せないのがせめてもの救いか。・・・

(「直言」2004年12月6日「人気があっても任期で辞める」より)

安倍首相は、「憲法改正は私の歴史的使命だ」とばかり私的な理由、祖父の悲願を達成すべく、そして近衛文麿首相ができなかった開会宣言の悲願も達成すべく、「人気がなくなっても任期で辞めない」モードで、この国の政権運営を行っていくことが深刻に危惧される。


《付記》
『世界思想』は、世界基督教統一神霊協会(統一協会)の教祖・文鮮明氏が創設した国際勝共連合の機関誌である。

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