「我が軍」という憲法違反の宣言――箍が外れた安保法制論議(2)            2015年3月30日

予算委員会の安倍首相

閣総理大臣は憲法上、また法律上、絶大なる権限を与えられている。本人がことさら強調しなくても、誰もが「最高責任者」であるとわかっている。その責任も重い。首相の責任の意味についてはすでに論じた。首相は対内的にも対外的にも、国の最も重要な「公人」である。だからこそ、その地位にある限り、「私人」として、言いたいこと、やりたいこと、やらせたいことをできる限り抑制して、嫌いな人物とも握手をし、憎悪する政党の、大嫌いな議員の、不快な質問にも「丁寧に」答弁することが求められるのである。質問する議員に向かって、口汚くヤジを飛ばすというようなことは決してしてはならない。なぜなら、首相の地位にある間は、国民から選ばれた国会議員に対して、国会で答弁することは義務だからである。しかし、安倍晋三首相にはその自覚と認識が著しく弱い。2月19日の衆院予算委員会で、財務官僚出身の議員に向かって、自席に座ったまま、口をとがらせて、「日教組、日教組!」と叫び、予算委員長から「総理、ちょっと静かに」と注意されるありさまである(写真)。

また、安倍首相は、憲法尊重擁護義務(憲法99条)を課せられているにもかかわらず、自らの特異な憲法観改憲願望をおおらかに語ってしまう点でも際立っている。憲法改正の発議権は首相・内閣にはなく、その意味では、発議に関わる国会議員よりも憲法への拘束の度合が強い。その首相が、率先して改憲を訴えることは、憲法99条からすれば、本来許されないはずである。「内閣総理大臣およびその他の国務大臣については、憲法改正を国会が発議する前提としての発案権を国会議員だけが持つという解釈をとった場合には、大臣としての資格において憲法改正を主張することはできない、と解すべきである」(樋口陽一『憲法』〔第3版〕創文社、2010年93頁)。

さらに驚かされるのは、2012年総選挙直後のある番組で、「みっともない憲法ですよ、はっきり言って」と、日本国憲法に対する蔑視の姿勢をあらわにしたことである(『毎日新聞』2012年12月15日付「遊説録」)。憲法に対してここまでひどい言葉を投げかけた首相は、私が物心ついてから観察してきた26人の首相のなかで初めてである。「みっともない首相ですよ、はっきり言って」。

最も驚いたのが、3月20日の参院予算委員会で、自衛隊について「我が軍」と言ってしまったことだろう。まさにフーテンの寅さんのセリフ「それを言っちゃあ、おしめえよ」の世界である。そして、安倍首相も好む最高裁砂川判決のなかの言いまわしを使えば、「一見極めて明白に違憲」と言わざるを得ないものである。

この首相答弁の重大性を、質問した議員(5年前まで調布市会議員)はまったく気づかず、次の質問に移ってしまった。野党議員からヤジが飛ばなかったことも驚きである。昔なら「我が軍とは何だ」といって、野党議員が委員長席につめより、国会は空転しただろう。なお、3月16日の参院予算委員会の風景も同様である。三原じゅん子議員(自民)が「八紘一宇」を肯定的に扱う質問をしたとき、後方席でさかんに「内職」をしていた元野党党首が、その発言のときだけピクッと顔をあげ、隣の議員と「何を言っているの」という表情で語り合っていた。ここは、「委員長!この発言は何ですか」と声をあげるパフォーマンスが必要な場面だったのではないか。

安倍首相の「我が軍」発言に対しても、国会における反応は鈍く、少し遅れて民主党政調会長から批判的言及がなされるにとどまった(『朝日新聞』3月24日デジタルが一番早く伝える)。『東京新聞』3月25日付「特報欄」が、「首相 国会で自衛隊『我が軍』発言」を出したのが目立つくらいだった。ちなみに、この記事には、私のコメントも掲載されている。

早稲田大の水島朝穂教授(憲法学)は、「わが軍」発言について「自衛隊は戦力ではなく自衛力だから合憲とされてきた。『軍』という表現を使った瞬間、それは違憲状態を表す。安倍首相自ら、憲法に従っていないことになる」と重大視する。では、なぜ国会は紛糾しないのか。水島教授は、国会議員全体の劣化を憂う。「八紘一宇発言にしても、以前なら党内の人間が注意していた。野党もやじ一つ飛ばさないし、追及が甘くなっている」

24日の夜、記者からの携帯への電話取材に対応したので、中身を細かくチェックしていない。「違憲状態を表す」というのは記者がまとめた言葉で、私は、首相が自衛隊は軍隊だと言った瞬間、自衛隊は戦力ではなく自衛力であるが故に合憲という政府解釈の根拠を崩すことになり、自衛隊は違憲になるという説明をした記憶がある。

佐藤答弁

『朝日新聞』はやや遅れて3月27日付で社説「『我が軍』発言――憲法軽視が目にあまる」を出して、「歴代政府は『自衛隊は、通常の観念で考えられる軍隊とは異なる』としてきており、憲法上、自衛隊は軍隊ではない。単なる呼び方の問題ではない。自衛隊の位置づけは憲法の根幹にかかわる」としながら、安倍首相とそれを擁護し、「自衛隊は国際法上は軍隊にあたる」との論法で「まったく問題はない」と問題をすり替えた菅官房長官について、「憲法の尊重・擁護義務を負う者としてふさわしい所作ではなかろう。憲法によって権力を縛る立憲主義の原理をないがしろにするものと言わざるをえない」と批判する。そして、「1967年に佐藤栄作首相が『自衛隊を、今後とも軍隊と呼称することはいたしません。はっきり申しておきます』と答弁した基本原則は、簡単に覆せるものではない」とする。まっとうな指摘である。

こうした批判を受けて、3月27日の参院予算委員会で安倍首相は、「共同訓練に関する質疑の流れの中で答えた。相手国である他国軍との対比をイメージして自衛隊を『我が軍』と述べた。それ以上でもそれ以下でもない。自衛隊は私の軍隊とは違う」と答弁した。だが、少なくとも「共同訓練に関する」限り、「軍」であり、違憲ということになる。また、安倍首相は、過去の防衛庁長官や防衛大臣にも同様の答弁もあったから、自分の発言は問題ないという。これも「〇〇ちゃんも言っているからボク問題ないも~ん」という類のもので、過去の答弁も含めて、法的に説明がつかない。

『警察予備隊』創刊号

多くの人が自衛隊は実質的な軍隊であると思っている。だが、憲法上、自衛隊は軍隊ではない、というのが60年以上にわたる政府解釈である。左下の写真は、私が保有する消防、警察、自衛隊の車両のフロントグリルに付いていた実物である。写真の中で右は消防車の正面に付いている「消防章」、左は警察の旭日章、その上は警察予備隊から保安隊を経て、初期の陸上自衛隊で使われたジープのグロントグリルのマークである。警察の旭日章と鳩からできている。


車両マーク

私は警察予備隊、保安隊、自衛隊初期の帽章、肩章、襟章、ボタン、ネクタイピン、PXバッチ、おちょこ、金杯などをたくさん保有している。右の写真は、警察予備隊の受験雑誌である(目次写真)。そのなかで、日本国憲法制定にかかわった「憲法大臣」金森徳次郎は、「部隊行動を建前とする予備隊が所謂軍隊的な外形を持つに至ることは自然の勢といえよう。然し内容に於て予備隊が軍隊と異なるべきは論を待たない。・・・予備隊は軍隊ではないから例えば朝鮮戦争の様な際国外に出撃する様なことは絶対に考えられない」と書いている。日本には軍隊は存在しない。この60年あまり存在したのはあくまでも「自衛のための必要最小限度の実力」たる「自衛隊」である。首相の地位にある限り、この政府解釈の軸は動かせないはずだった。しかし、安倍首相は違った。この「改憲の鉄砲玉」は、明文改憲だけでなく、同時並行で、憲法に違反する施策をためらうことなく実施している。もはや日本国憲法下の首相ではない。

すべては「平成の『5.15事件』」としての「安保法制懇報告書」およびその記者会見と、集団的自衛権行使を容認する「7.1閣議決定」によって始まった。それ以来、この国の安保法制論議は「箍」が外れた状況が続いている(直言「安倍『最高指揮官』への懐疑」)。「我が軍」という言葉は、「7.1閣議決定」という違憲的狼藉の一現象形態にすぎない。安保法制の国会審議に向けて、その論点を徹底解明する著書が、4月28日に岩波書店から発刊される。『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』である。お読みいただければ幸いである。

この4月28日、2年前に「主権回復の日」とミスリードされた日に、ワシントンで、「国賓」として招かれた安倍首相が日米首脳会談を行う。自国沖縄県の知事には会わないが、米国大統領には嬉々として会いに行く。これが、いまの「我が国の首相」の姿である。


《付記》
文中の警察予備隊の写真は、テレビ朝日『報道ステーションサンデー』(3月29日10時)の取材に対して「直言」のデータを提供したものである。

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