「君はこのごろ平和についてどう考えてる」――安倍流「積極的平和主義」に抗して            2015年4月6日

奥平先生の志を受けつぐ会

11月26日に85歳で亡くなった奥平康弘さん(東大名誉教授、憲法学)については、2月2日の「直言」の冒頭に「追悼」の文を出した(本文末尾に再録)。4月3日午後。東京・調布市で「奥平康弘さんの志を受けつぐ会」に出席した。平日午後にもかかわらず、900人もの人々が集った。一般市民が多かったが、北海道から九州まで、よく知る憲法研究者が大勢参加していた。奥平さんの人望と顔の広さをうかがわせる(なお、40年前の大学院修士課程1年のときに英米公法研究の受講生だった私にとっては「奥平先生」なのだが、ここでは「奥平さん」と呼ばせていただく)。「葬式はするな」「追悼の会はするな」という故人の強い意志もあって、「志を受けつぐ会」という形になった。

正面スクリーンには、死の前日、この同じ会場で行われた講演会で、安倍首相の「積極的平和主義」の危険性を強く訴える姿が写し出されていた。高齢にもかかわらず、「九条の会」呼びかけ人として全国各地を講演してまわり、最終講演は、自宅のある調布市「九条の会」だった。私も何(十)年後かはわからないが、直前まで講演・講義をして逝きたいと思った。

新聞三紙

「志を受けつぐ会」では、奥平さんとともに「九条の会」呼びかけ人をしている作家・大江健三郎さんと澤地久枝さんのほか、一橋大学名誉教授の杉原泰雄さん、埼玉大学名誉教授の暉峻いつ子さん、東京大学名誉教授の樋口陽一さん、一橋大学名誉教授の山内敏弘さんがスピーチした。4月4日付の『朝日新聞』(第2社会面)、『東京新聞』(第1社会面)、『毎日新聞』(武蔵野版)が、「遺影」を背に大江さんがスピーチする写真を添えてこれを伝えた。『朝日』が見出しに使った「憲法の価値、次世代へ」に、奥平さんから受けつぐべきことのエッセンスが凝縮されているように思う。

私が印象深く聞いたのは、妻のせい子さんの挨拶である。亡くなる直前の、いかにも奥平さんらしい様子がよくわかるとともに、「君はいま、平和についてどんなことを考えている?」という最後の問いかけの重さを改めて感じた。この点は、会の当日の『東京新聞』4月3日付が一面トップで伝えていたものだ。以下、引用する。

東京新聞記事

・・・ベッド脇に腰を下ろした奥平さんが、せい子さんに「平和について・・・」と問うたのは、1月25日午後11時ごろ。珍しい質問をするなあと感じながら、思いつくままに答えた。「コスタリカの人は平和を愛しているそうなので様子を見に行ってみたい」「平和は積極的に構築する努力が必要だと思う」。奥平さんは相づち程度でもっぱら聞き役だったと記憶する。・・・話し始めてから1時間、日付が変わるころ「おやすみなさい」と言い合ったのが最後だった。26日朝、湯船で亡くなっている奥平さんを発見。穏やかな表情だった。医師の説明では風呂に入った直後の急性心筋梗塞だった。・・・「どうしてあの時、私に平和を問うたのか。どうして今、『永遠平和のために』を読み返していたのか。死んじゃうなら私がききたかった」 遺品となった文庫本にはさんだ紙片には、赤い文字で「平和主義」の書き込みがあった。・・・

私が気になったのは、奥平さんが読み返していた『永遠平和のために』のどのページに白い紙(平和主義と赤字で書いた)がはさまっていたのか(東京新聞・写真)、ということである。これが知りたくて、「会」の翌日、妻のせい子さんに電話をかけて確認させていただいた。

奥平さんは本に赤線や書き込みをあまりせず、附箋や白いメモをはさむという。だったら、なおさら、はさんであるページが重要なのだが、せい子さんはメモを抜いてしまったのでわからないとのことだった。残念である。赤字で「平和主義」と書いていたことは新聞の写真でわかるが、そのあとにペンで書き込んだメモの内容がわかった。せい子さんの了解を得て公開することにしたい。

赤字の「平和主義」の下には、ペンで「現実的平和主義」とあり、「民主党代表選のスローガン。岡田克也・細野豪志。両者とも憲法改正。朝日2014年12月26日。どちらかと言えば」で終わっている。「どちらかと言えば」のあとに何を書こうとしていたのかは永遠の謎?と思いつつ、当日の新聞を調べてみると、すぐにわかった。第2総合面「時時刻刻」が「民主、再生の道筋競う 代表選、事実上の一騎打ちへ」という分析記事で、そこにこうある。「憲法改正については2人とも『どちらかと言えば賛成』。『日本の防衛力はもっと強化すべきだ』との質問には、岡田氏は『どちらとも言えない』。細野氏は『どちらかと言えば賛成』と答えた」と。そして「特に細野氏は、安全保障政策で『現実的平和主義』を打ち出す」と書いてあった。奥平さんは、この「時時刻刻」の記事をメモし、民主党代表選の候補者が「憲法改正にどちらかと言えば賛成」という点と、細野氏の「現実的平和主義」に注目して、『永遠平和のために』にはさんだようである。

私はカント『永遠平和のために』を学部1年生が読むべき文献にあげたことがある。18年前の『法学セミナー増刊・法学入門』の推薦書である。また、直言「『法による平和』の危機(その2)」直言「『永遠平和』のための『永遠の戦争』?」でも、『永遠平和のために』についてコメントしてきた。カントの平和構想のスケールの大きさ、奥行きの深さは読むたびに新しい発見がある。奥平さんもこれを再度読み直して、安倍流「積極的平和主義」だけでなく、民主党代表候補が「現実的平和主義」を語ることについて、これはやっかいだなと思いつつ、せい子さんに向かって、「平和についてどう考えたらいいか」を問うたのではないか。

亡くなる前日の講演の記録をまとめたパンフを、「志を受けつぐ会」の受付で渡された。そのなかで、奥平さんはこう指摘している(奥平康弘・堀尾輝久・池辺晋一郎「鼎談 九条と私――憲法破壊に立ち向かう」調布九条の会「憲法の広場」発行、2015年3月より)。

・・・安倍総理大臣が再三再四語っている「積極的平和主義」というスローガンがあるわけです。これは本当にくせ者ですよ。「平和主義」というのは単に便宜的なもの、戦略、戦術的なものではなく、僕の理解によると人々の魂に関係する、近代の人々の魂に関係する事柄です。ですから、平和を守る、ということは、容易ならざることだけれどもやらざるを得ない。日本国は70年前にこれを決意した。僕の理解によると、その結果として僕たちは、打てば響くという形で平和主義という言葉を使ってきているわけです。・・・ところが、安倍総理は、それ〔アベノミクス〕を前提にして、むしろ「積極的平和主義」を打ち立てるんだということを、言っている。・・・僕はそのたんびにものすごく怒っちゃうんですね。どうしてかというと、「平和主義」という言葉の持っている歴史的な背景、長年の人間の歴史的な背景の中で特徴的なのは、これは普遍的な原理です。・・・われわれの先に生きてきた人たちが、あるいはキリスト教的なバックグラウンド、あるいはカント的な哲学に気づく、というような積み重ねの中で作ってきたものです。非常に理念的なものであり、そして哲学的なものであり、・・・例えば外国に行ったとして、集団的個別的同盟関係の人と国と結んで、積極的に平和をつくっていくと、アメリカの旗の下に積極的につくっていくということを前提とした、非常に独自な内容の〔ものになってしまう〕。・・・これは断固として反撃しなければならない。そして、本当の意味での平和主義、この言葉は難しいんだが、本当の意味で普遍的で、人類のどこの世界でも通用すべき、という意味で普遍的な政治倫理である平和主義を維持するほかないと思う。そうであるならば、九条はその旗印になりうると思うわけです。・・・

奥平さんが「本当にくせ者ですよ」という安倍流「積極的平和主義」。この言葉を安倍首相が公の場で使うようになったのは、2013年10月26日の国連総会一般討論演説が最初だったように思う(直言「誤解される言葉の風景」)。すでに批判したように、彼の「積極的平和主義」とは、「国際協調主義(憲法98条)を悪用して、日本の対外的な軍事機能を一気に拡大することを憲法の平和主義の名のもとに正当化しようとするものであり、平和主義の政治主義的利用である(直言「地球儀を弄ぶ外交――安倍流「積極的平和主義」の破綻」

奥平さんは、普遍的な平和主義を歪める動きに対して危機感をもち、その命が燃え尽きる直前に、58年連れ添ったせい子さんに、「このごろ平和についていろいろな理解が出ているけど、君はどう考えているかな」と問いかけ、奥平さん自身が、「くせ者」に向き合う上で、憲法の平和主義を磨き上げる必要性を感じていたのではないか。この問いかけに答えることは、残された私たちの使命であると考えている。私自身も、この奥平さんが残した「宿題」に答えなければならないと決意している。その「一つの答え」を今月28日に岩波書店から発刊する。もちろん奥平先生にも献本する予定でいたので、せい子さんにお願いして霊前に供えていただこうと思っている。厳しいが、一瞬みせる何とも言えない笑顔で、「君、これおもしろいよ」と言っていただけるよう、いま再校に取り組んでいるところである。

最後に、2月第1週の「直言」冒頭に掲げた「追悼」の文を再度掲げておくことにしたい。

《追悼》

この原稿を書いていた1月30日17時6分、知り合いの新聞記者から携帯に電話が入った。憲法学者の奥平康弘先生(東京大学名誉教授)のご逝去の知らせだった。一瞬頭が真っ白になった。1月26日に亡くなっていたことが新聞的にいうとその電話の少し前に、「わかった」ということである。85歳。私は学生時代に初めて読んだ東大社研編『基本的人権』第3巻(東大出版会)と『表現の自由とはなにか』(中央公論社)以来、先生の著作から学んだことは非常に多い。大学院修士課程のときに英米公法の刺激的な授業を受講した。憲法研究者になってからは、学会、研究会、憲法再生フォーラム96条の会など、さまざまなところでご一緒させていただいた。先生のすごさは、その学問的・人間的魅力から、大学の枠、世代の枠を超えて、憲法研究者の厚い層を育てたことだろう。学恩はつきない。数年前、私が責任者となって実施した憲法裁判の連続講演にも参加していただいた(『憲法裁判の現場から考える』成文堂)。昨年出版された『集団的自衛権の何が問題か』(岩波書店)を含め、先生が編者となられ私が分担執筆した単行本は5冊になる。全国憲法研究会の発足メンバーの1人で、1985年から2年間、代表を務められた。今年5月の創立50周年記念の会でお会いできないのが残念でならない。「九条の会」の呼びかけ人の一人でもあり、市民のなかに立憲主義、平和主義を広げていく上で果たした役割はきわめて大きい。なお、個人的にいえば、先生はクラシック音楽の「通」で、コンサート会場で偶然お会いしたことが何度もある。特に35年前、朝比奈隆がブルックナーの交響曲5曲を、5つの違ったオーケストラで演奏する「残響にこだわるコンサート」では、5列前の席に座っておられる先生を毎回お見かけした。安倍政権が「壊憲」に向けてアクセルを踏み込む危うい状況のなか、この国のゆくえと私たちを見守り続けてください(共同通信文化部コメント。『河北新報』2015年1月31日付)。

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