再び、憲法研究者の「一分」を語る――天皇機関説事件80周年に            2015年5月18日

全国憲の本

記念講演会の6日後、5月9日に東京大学で全国憲法研究会の春季研究集会が開催された。その夕方から、全国憲法研究会創立50周年記念パーティが、東大内のレストランを貸し切って行われた。学会に参加した現役会員のほかに、代表・事務局長経験者の方々をお招きした。このパーティはまた、『日本国憲法の継承と発展―全国憲法研究会創立50周年記念論集』(三省堂)の発刊を祝うものでもあった。

本書には、樋口陽一「『自ら好んで戦いにくい戦場を選ぶような議論』をすることについて」、池田政章「『憲法問題研究会』の”遺言”」、深瀬忠一「『全国憲』の創設と継承・発展と提言について」、永井憲一「全国憲創立の意義と背景」、杉原泰雄「問われる日本の憲法学」など、草創期の会員の論稿とともに、中堅・若手の憲法研究者による計31本の論文が収録されている。私はここに、「憲法研究者の研究・教育の自由――天皇機関説事件80周年」という一文を寄せるとともに、代表として「あとがき」を執筆した。ぜひ、この機会に本書をお読みいただきたいと思う。

8年前、山田洋次監督の映画「武士の一分」(2006年)をみた直後に、「憲法研究者の「一分」とは(その1)」を出した。第一次安倍内閣が教育基本法改正案、防衛庁の省昇格法案、憲法改正国民投票法案を強引な国会運営で成立させていった頃だった。いま、第三次安倍内閣のもと、大学や学問・研究、研究者のありようまでもが大きく変わろうとしている。今年は「天皇機関説事件80周年」である。再び、憲法研究者の「一分」が問われている。

まず、憲法研究者の多くが職を得ている国公私立大学の変容が著しい。「博士多売」現象に象徴される大学の歪みとひずみはさまざまな分野で広く、深く進行している。「国際競争力」を高めるという名のもとで、競争原理から最も遠いところにいたはずの大学が、「競争資金獲得レース」に追い立てられ、研究者も喘いでいる。大学ではいま、法律で定めた「国民の祝日」に授業をやる。授業の必要性からではなく、文科省が決めた授業回数(15回)をこなすために。私も連休のさなか、初めて「4月29日」に授業をやった。また、安倍首相や文科大臣のように、大学時代に学問をまともにやらなかった権力者たちによって、「実践的職業教育の場としての大学」なる方向が誘導されている。学校教育法改正によって、教授会の重要事項が限定され、実質的に教授会権限が縮減された。こんなことは戦後70年の大学の歴史において初めてのことである(直言「『学長が最高責任者だ!』――学校教育法改正で変わる大学」)。

昨年、ついに授業内容や担当教員(専任、非常勤講師)の人事にまで、さまざまな圧力がかかるようになった。広島大学総合科学部で起きた出来事についてはすでに書いた(直言「学問の自由が危ない」)。イデオロギーむき出しの新聞(『産経新聞』歴史戦)が、記者取材という形をとって、全国各地の大学の授業や学内講演などを調べ、担当教員が萎縮してしまった例を個人的に知っている。こうした取材と記事化は、「ネトウヨ」と連携して、「反日講義」「大学に巣食う韓国人工作員」等々の憎悪と偏見に満ちた書き込みやツイートを拡散させて、大学への抗議電話やメールを誘導している。国会の委員会で広島大学の授業を問題にする「質問」をして、「文科省として大学に対して必要な助言を行う」という答弁を引き出したことは記憶に新しい。

調べ書

そして、今度は「次世代の党」が、「国立大学(86大学)における卒業式・入学式の国旗の掲揚及び国歌の斉唱状況」の調査を文部科学省に求めた(4月9日 参議院予算委)。「国歌斉唱に至ってはほとんどの国立大学が実施していない。税金で賄われている以上、国旗掲揚や国歌斉唱は当たり前だ」という反知性的な質問により、文科大臣から「国立大学設置者として適切な対応が取られるよう要請していきたい」との答弁を引き出している。ここまでハイテンポで国家介入が進むとは予想していなかった。文科省が大学における「学習指導要領」を定めるまであと一息である。

憲法研究者の憲法・憲法学の研究やその教授の自由も、決して安泰ではない。80年前、特定の学説を採用することが教授としての地位を失うことに連動した時代があった。文部省が全国の憲法研究者に圧力をかけて、天皇機関説を一掃するため動いたことを忘れてはならない。教科書の改訂・絶版や講義担当から外すなどの方法で、全国の大学から一つの学説を消し去ったのである。『秘・各大学ニ於ケル憲法学説調査ニ関スル文書』(文部省思想局)については、前掲『日本国憲法の継承と発展』の拙稿でも紹介したが、本当におぞましく陰険なやり方だった。講義を受講する学生のノートをチェックして、天皇機関説を講義で語ったかどうか、どう扱ったかを調査するとともに、この学説を教科書などで引用しないように仕向けていく。

調べ書

右の写真は「大学・専門学校憲法担当教員調」である。「憲法学説(要注意箇所抜粋)」(昭和10年5月)には、担当教員ごとに学説の概要が書かれている。

宮沢

左の写真は宮澤俊義東大教授のものである。中野登美雄(戦中・戦後、早大第5代総長になる)のものもある。右の写真では東京商大(現・一橋大)の非常勤講師をやっていた美濃部達吉に赤線が引いてある。田上穣治、金森徳次郎らの赤線が何を意味するか不明である

文部省はこの陰湿な調査によって、19人の憲法学者に対して「処置」を行っている。そのなかで最も重い「速急の処置が必要な者」として、宮澤俊義、田畑忍、中野登美雄ら8人を挙げている。インテリ、大学教授はこういうやり方に弱い。全国の憲法研究者は一人残らず、文部省に忠誠を誓っていく。なかには、将来ともに「機関」という言葉は使用しないという上申書を文部省に提出した者までいた。そうまでして、教授のポストを維持すべく、過剰な迎合が全国の憲法を講ずる教授たちの間で進行していったのである。大学事務局が文部省の意向を忖度して、教授会にはからず、憲法担当を政治史や行政法に変更した例もあった。かくして1935年10月から11月までの1カ月間で、憲法学の一つの学説が全国の大学から「粛清」されてしまった。

現在、安倍政権のもとで、あるときは補助金やポスト、競争的資金の優先配分などの「アメ」を通じて、またあるときは、産経や「ネトウヨ」と連携して特定の研究者をたたいて萎縮あるいは辞任に追い込むという「ムチ」によって、研究者の地位や存在も不安定で危ういものとなっている。とりわけ安倍政権は、立憲主義をおおらかに蹂躙しているため、憲法研究者は、立場や思想信条を超えて批判の声を挙げざるを得ない状況にある。沈黙するか、これに対して自己の学問的な存在をかけて発言・発信するか。

こういう時、憲法研究者を含め、知識人というのは特有の弱点をもっている。それは丸山真男が、警察予備隊が保安隊になる時期に書いた「『現実』主義の陥穽」(1952年)にリアルに描かれている。かつて何度も読んだはずなのだが、ブログ「世に倦む日々」の指摘でハッとさせられた。以下、引用する。

「…私は特に知識人特有の弱点に言及しないわけには行きません。それは何かといえば、知識人はなまじ理論を持っているだけに、しばしば自己の意図に副わない『現実』の進展に対しても、いつの間にかこれを合理化し正当化する理窟をこしらえ上げて良心を満足させてしまうということです。既成事実への屈服が屈服として意識されている間はまだいいのです。その限りで自分の立場と既成事実との間の緊張関係は存続しています。ところが本来気の弱い知識人は、やがてこの緊張に堪えきれずに、そのギャップを、自分の側からの歩み寄りによって埋めて行こうとします。そこにお手のものの思想や学問が動員されてくるのです。しかも人間の果てしない自己欺瞞の力によって、この実質的な屈服はもはや決して屈服として受け取られず、自分の本来の立場の『発展』と考えられることで、スムーズに昨日の自己と接続されるわけです。…私達の眼前にある再軍備問題においても、善意からにせよ悪意からにせよ、右のような先手を打つ式の危険な考え方が早くも現れています。…」(『現代政治の思想と行動』未來社)。

何という符合であろうか。保安隊から自衛隊へ。そして、60年あまりたって、いま自衛隊から「国防軍」へ。憲法改正なしに、「7.1閣議決定」という狼藉によってそれが行われようとしているとき、憲法研究者の存在理由が問われている。丸山のいう「先手」、いまは「新手」と称して、違憲の「他国防衛」(他衛)に踏み込んだ閣議決定を、なお個別的自衛権の範囲内にあると読み解いてみせる見方がある。この問題は拙著『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』(岩波書店)で詳細に論じた。

ところで、1月に亡くなった奥平康弘先生は決して自ら「憲法学者」とは言わず、常に「憲法研究者」で通した。奥平先生と共著を出した若手研究者は多くの媒体で自らのことを「憲法学者」と称している。どう言おうと本人の自由だが、本来、「学者」というのは他人から言われるもので、自分で言うものではないと私は考えている。古稀を過ぎても「憲法学者」を名乗らず、「いまだに研究者であり、英語で言うとSTUDENTであり続けています」という人もいる。私も思いを共有する。

この30年間、「先手」(対案を出す)にこだわり、権力に取り込まれていった事例をいくつも目撃してきただけに、「新手」が一人歩きして、無意識のうちに「自分の側からの歩み寄り」による現状正当化への傾斜角を増すことのないよう、「人生のVSOP」におけるそれぞれの「いま、なすべきこと」を見つめてほしいと願う。


《付記》本稿は、前回の「直言」と同時に書き上げたものである。5月14日、安倍内閣は、集団的自衛権行使を可能とする武力攻撃事態法改正案など安全保障法制の関連11法案を閣議決定した。10法案を一括で「平和安全法制整備法案」、「国際平和支援法案」(海外派遣恒久法)と、海外での武力行使を可能とする法案にもかかわらず、ともに「平和」を冠する不可解さ。「ダブルスピーク」(二重語法)の極致である。いずれ本格的に論ずることにしたい。それにしても、「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にありません」と言い切る安倍首相を見ていて、これは本当に危ないと思った。

《2015年6月15日付記》
天皇機関説後の憲法学者の変身・転進はさまざまであった。積極的に国体学派に転身した者もいる。天皇機関説事件後の関西私学の憲法学者の状況について、長岡徹氏のご教示に感謝したい。論文「天皇機関説事件と関西学院」を参照されたい。

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