「100の学説より一つの最高裁判決だ」?!――安倍政権の傲慢無知            2015年7月20日

7/15新聞各紙

7月15日、55年前に岸信介内閣が総辞職した日に、衆議院平和安全法制特別委員会で、安保関連11法案が強行採決された。そして翌16日の衆議院本会議で可決され、法案は参議院に送られた。『読売新聞』と『産経新聞』の17日付は「今国会成立へ」という見出しを早々と打った。60日が経過して、「衆院の3分の2再可決」(憲法59条2、4項)により法案の成立は確実と言いたいのだろうが、参議院の存在をあまりに軽くみている。

国会前

国会前には連日のように、たくさんの市民が詰めかけ、「違憲立法」に反対する声をあげている。60年安保闘争とは違った新しい傾向が生まれており、私は、「7.1閣議決定」で戦後民主主義は終わったが、いま新たな「戦前民主主義」が始まったとコメントした(『東京新聞』2015年7月18日付第2社会面)。憲法前文にいう「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」た市民が、「一人ひとりの個人」として立ち上がり、この憲法を主体的に選び直している。それがいま、国会前の動きに象徴的にあらわれていると言えよう。この点は、いずれ詳しく論じる予定である。

そうしたなか、あの高村正彦自民党副総裁から名指しで批判されるという「栄誉」にあずかった。自民党本部での記者レクで、高村氏は、7月12日のNHK「日曜討論」における私の発言をとらえて、「フェアではない」「うそを前提に、その人がいないところで一方的に言う」と批判したのである。各紙はこれを記事にしなかったが、なぜか『朝日新聞』デジタル版7月13日13時19分が詳細な記事にしたのである(14日付紙面には記事なし)。見出しは「自民・高村氏『100の憲法学説より一つの最高裁判決だ』」というもの。次のような記事である。

憲法学者の水島朝穂・早稲田大学法学学術院教授が12日のNHK番組で、「砂川判決での田中耕太郎最高裁長官の補足意見を高村さんなんかは大上段に振りかぶって、最高裁の意見だと言っている。つまり最高裁の判断すらねじ曲げて、集団的自衛権容認の閣議決定はできている」と述べた。
   田中長官は砂川判決の補足意見で「自衛はすなわち『他衛』、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである」と記した。
   だが、私は田中長官の補足意見を引用したことすらない。ある人が「田中長官の補足意見を引用すれば、もっと直裁に説明できる」と言ってきた時、「それは、最高裁判決の本体ではない」とお引き取り願ったこともあるぐらいだ。
   私たちには憲法尊重擁護義務がある。「100の学説よりも一つの最高裁判決」だ。補足意見は、最高裁判決そのものではなく、「100の学説」の中の一つに入るものだ。水島さんの学説よりはずいぶん優れた学説だとは思うが、補足意見を最高裁判決として引用したことはない。
   私たちは判決の本体部分にある「国の存立を全うするために必要な自衛の措置はとりうる」の「必要な自衛の措置」を点検した結果、国際法上、集団的自衛権と言わざるを得ないものがあると言っている。
   論争というのは政治家であろうと憲法学者であろうと、フェアにやってもらいたい。うそを前提に、その人がいないところで一方的に言うようなことは、やめてもらいたい。(自民党本部で記者団に)

政権与党の副総裁ともあろうものが、一憲法研究者にすぎない私の発言にまでかみついてくるとはずいぶん神経質になっているのだな、と少々驚いた次第である。上記は高村氏のブログの13日のものとほぼ同じ内容である。それを『朝日』が、しかもデジタル版のみというのが解せない。朝日政治部の自民党担当記者(およびデジタル版の13日当番デスク)はどういう意図で、これを記事にしたのだろうか。

それはともかく、高村氏がかみついたポイントは、自分は判決本文の「国の存立を全うするために必要な自衛の措置はとりうる」(高村氏引用のママ)の「必要な自衛の措置」から集団的自衛権を導き出したのに、水島はそれを田中補足意見からもってきたと言っているのは嘘だというのである。

ここは発言の機会や持ち時間にかなり制限を課される「日曜討論」の瞬間的なやりとりのなかで、やや舌足らずになった箇所である。実は、私の発言には、次のような認識があった。高村氏が、砂川判決を集団的自衛権行使容認論の「根拠」として持ち出したのは、昨年の3月31日、自民党安全保障法制整備推進本部の初会合だったとされている。そこで高村氏は、「〔砂川〕判決は個別的、集団的という区別はせずに、固有の権利として自衛権を持っていると言っている。必要最小限(の武力行使)には集団的自衛権が入るものはある」と述べた(『毎日新聞』2014年4月17日付夕刊の特集ワイド「『集団的自衛権行使は合憲』砂川判決、根拠は『暴論』」)。この記事によれば、砂川判決を根拠に使う見解は、「高村さんらが唐突に思いついたものではなく、西修・駒沢大名誉教授の影響だ」(自民党ベテラン議員)という見方が永田町で広がっていたという。西氏は第1次安倍政権時から安保法制懇のメンバーで、「唯一の憲法専門家」とされている。西氏は、「【正論】国民の憲法1年 『集団自衛権』蘇らせた砂川判決」のなかで、「〔集団的自衛権を〕否定せずとの高村説に軍配」として、「自衛はすなわち『他衛』」とする田中補足意見を引き合いにだしていた。私は、高村氏が砂川判決について西氏の影響を受けているという上記報道と、田中補足意見を引用する西氏が「高村説に軍配」という記事を書いていたという事実から、田中意見を常に引用する西氏と高村氏は同じ穴のムジナであるという文脈で主張しようとしたのである。以上、反論や補足を施したくても、司会者に委ねるしかない「日曜討論」に代わってこの場で、私の発言の主旨の説明を加えさせていただく。

ところで、政権与党の副総裁として、政治権力の頂点で活動している人が、なぜ、事程左様に一介の憲法研究者を批判してきたのか。砂川事件の最高裁判決を根拠にしようという高村氏は、これを批判する人にはヒステリックに対応する傾きにあるようだ。まるで、触られて困る何かがあるように。6月28日のNHK討論でも、民主党の福山哲郎幹事長代理が砂川判決に関連して行った発言が「聞き捨てならないものがあった」として、放送後に高村氏から「デマを流す政治家」と激しく批判されていた(『朝日新聞』デジタル2015年6月29日)。福山氏が「砂川判決の根拠が行ったり来たりしている」と発言したことにかみついたもので、「当初から今日まで、そして未来永劫、私が、砂川判決の法理を集団的自衛権の一部容認の根拠とすることはまったく変わらない」という言い方は異様である。いま、安倍政権、安倍自民党は、一切の異論を許さない、全体主義国家、全体主義政党を目指しているかのようである。その先頭に立って、異端審問官のように振る舞っているのが高村氏である。

とりわけ憲法研究者は彼の憎悪の対象のようである。「最高裁の判決の法理に従って、何が国の存立をまっとうするために必要な措置かどうか、ということについては、たいていの憲法学者より私の方が考えてきたという自信はある」、「憲法の番人は、最高裁判所であって、憲法学者ではない」、「自衛の措置が何であるか考えるのは、憲法学者ではなく我々政治家だ」(『朝日新聞』6月12日付)等々。そして今回の「100の学説より一つの最高裁判決だ」である。

さて、6月4日の憲法審査会での発言以来、安保関連法案をめぐる状況の潮目を変えてしまった長谷部恭男氏(早大教授)は、「ワラにもすがる思いで砂川判決を持ち出してきたのかもしれないが、ワラはしょせんワラ。それで浮かんでいるわけにはいかない」(『朝日新聞』6月16日付デジタル)と指摘しているが、まさにその通りだろう。高村氏がいくら判決本文から集団的自衛権を導いたと言い張っても、私を含めて多くの憲法研究者は「ワラ」を根拠として認めることはできない。そもそも砂川事件で問題となったのは、旧日米安保条約の合憲性であって、日本自身が、他国のために集団的自衛権を行使することは争点になっていなかったことは明らかで、この判決について言及した膨大な論文や判例評釈を見ても、集団的自衛権がこの判決から読みとれると書いたものは皆無に近い。昨年、高村氏が砂川事件最高裁判決を持ち出したときから、ほとんどの憲法研究者は驚きと違和感を禁じ得ないでいる。

高村氏が持ち上げる、判決の「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」(PDFファイル)という文言は、文脈上、「憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではない」に論理的に連動している。これは、集団安全保障のみならず、9条2項の戦力不保持により生ずる「防衛力の不足」、すなわち日本の個別的自衛権の弱さを、他国(具体的には米国)に安全保障を求めて補ってもらうことは違憲ではないということを言うためのものであって、日本の自衛隊が他国のために集団的自衛権を行使することなどまったく問題になっていなかった。旧安保条約に基づく米軍駐留を9条2項に禁止される戦力の保持にあたり違憲とした一審判決(東京地裁判決)を可及的速やかに取り消すことこそ、米国政府から求められた極秘ミッションであったことからしても、この段階で日本の集団的自衛権行使など論外であったことは明らかだろう。

政府部内でも、高村氏ほどの強い「確信」をもって砂川判決に「拘泥」する人は他にいない。中谷元防衛大臣や横畠裕介内閣法制局長官は、国会の質疑で安保関連法案の合憲性を問われると、「砂川判決と軌を一にするもの」と繰り返し答弁していたが、中谷氏は6月15日の衆院特別委員会で、「砂川判決を直接の根拠としているわけではない」とポロリ。また、横畠長官は6月10日の同委員会で、高村氏が依拠する箇所の傍論性をしぶしぶ認め、「傍論という言葉は、厳密に言いますと、やはり裁判において結論を出すために直接必要な議論とは別であるということでございますけれども。ただ、最高裁判所大法廷がわざわざ我が国の自衛権を否定していないということについてまで言及しているということの意味は、やはり重く受けとめるべきと考えます。」と答弁している。

公明党・北側副代表

昨年の段階だが、公明党の山口那津男代表(弁護士)は、「[砂川]判決は個別的自衛権を認めたものと理解している。集団的自衛権を視野に入れて出されたと思っていない」と、高村氏の主張に否定的な考えを示した(『東京新聞』2014年4月4日付)。北側一雄副代表(弁護士)も、「砂川判決の一文を取り上げて、『集団的自衛権を容認しているんだ』というのは少し飛躍している」(『産経新聞』2014年4月5日付)と、この時はまっとうな指摘をしていた。いまでは、公明党は自民党とほとんど一体で、もはや「平和の党」というのはジョークに近づいている。

なお、元最高裁判事の那須弘平と園部逸夫の両氏が「砂川判決は集団的自衛権に触れていない」などと発言している(『朝日新聞』6月30日付34面)。高村氏が持ち上げる最高裁のOBからも、高村氏の主張に有利な声は聞こえてこない。

安倍首相の無知蒙昧からくる反知性主義に対して、高村氏は「戦闘的反知性主義」である。いつの時代にも権力者の「傲慢無知」には要注意だが、安倍政権の場合はすでに危険水域を超えている。私も研究者生命をかけて、この異様な非立憲・権威主義政権の打倒のために微力を尽くしたいと思う。

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