「平成の三矢作戦研究」ーー統幕部内資料の既視感            2015年8月24日

全文・三矢作戦研究

保関連法案に反対する動きは、かつてない規模と広がりを見せている。明後日(26日)の18時から日比谷野外音楽堂で、日本弁護士連合会「安保関連法案に反対する学者の会」 の合同で、「安保法案廃案へ!立憲主義を守り抜く大集会&パレード〜法曹・学者・学生・市民総結集!」が行われる。全国52弁護士会に所属する35000人の全弁護士が、その連合体である日弁連を先頭に、この日、「立憲主義を守り抜く」という観点で立ち上がる。弁護士法1条で「基本的人権の擁護」を使命とする弁護士としては当然としても、ここまで大規模な動きはかつてなかった。そこに、全国100大学の安保法案に反対する有志が合流する。集会に先立ち、当日16時から弁護士会館において、日弁連と「学者の会」の合同記者会見が行われる。私は「学者の会」の呼びかけ人としてスピーチを依頼されている。7月31日の「国会前スピーチ」以来である。

さて、参議院の審議も、このような広範な国民の反対の声におされて、野党の厳しい追及が連日続いている。初日の本会議(7月27日)の代表質問は、北澤俊美議員(民主党)の「対案を指摘する声が先ほど議場でもあったが、そもそもこの法案は憲法違反である。国民が求めているのは対案ではなく廃案である」という明確な追及姿勢で始まった。野党の質問もようやく鋭さを増し、この法案を急いで成立させようとする政権側にも綻びが見え始めた。とりわけ「ホルムズ海峡封鎖」の破綻は歴然としてきた。安倍首相は、集団的自衛権を使って行う機雷除去について「ホルムズ海峡以外、念頭にない」と言い切っていたが、7月23日に駐日イラン大使が記者会見して「(機雷敷設を)全く根拠のないこと」ときっぱり否定したのは痛かった(ここから[YouTube])。8月3日と4日の平和安全法制特別委員会でも、ホルムズ海峡の機雷封鎖をめぐる政府側の論拠の破綻が明らかになった。安倍首相はとうとう、「ホルムズ」へのこだわりを捨てて、従来は否定的だった「南シナ海での機雷除去」を持ち出すありさまである(「揺らぐ『ホルムズ封鎖』」『朝日新聞』8月10日付(石松恒記者))。

「今後の進め方」

参院審議の一つの転機は、特別委員会における小池晃議員(共産党)の質問だった。7月29日は海上自衛隊の内部資料を使い、「後方支援」について部内では軍事用語の「兵站」を常用していること、相手国潜水艦を攻撃する米軍ヘリを海自「護衛艦」(ヘリ空母)が支援するポンチ絵 [PDF]を用いて、「武力行使の一体化」の実態などについて踏み込んだ追及を行った。白眉は、8月11日、統合幕僚監部の部内資料 [PDF]を示し、南スーダンでのPKO部隊に「駆け付け警護」の新たな任務を付与する部隊運用などが、法案が8月に成立し、来年2月に施行されるというタイムテーブルのもとに検討されている事実を「戦前の軍部の独走(と同じ)だ」と追及したことである。

当初、中谷元・防衛相は、「ご提示していただいている資料がいかなるものかは承知していない」とシラを切り、休憩後には「同じ表題の資料は存在する」としぶしぶ認め、「国会審議が第一なので、法案が成立したあとこれは検討を始めるべきものだ」と答弁。そのままお盆休戦となった。

8月19日の委員会は冒頭、中谷大臣のお詫びで始まり、「防衛省において確認、調査を行ったところ、当該資料は統合幕僚監部が、日米防衛のための指針及び平和安全法案について、その内容を丁寧に説明をし、あわせて法案成立後に具体化をしていくべき検討課題をあらかじめ整理をし、主要部隊の指揮官等に対してそれらを理解してもらうことを目的に、内部部局と調整をしながら作成した資料であるということを確認をいたしました」「(前日14日の閣議決定を受け)翌5月15日にわたくしから省内の監部に対して、法案の内容について一層、分析、研究に努めるとともに、隊員に対しての周知を行うよう指示をした」と述べ、統合幕僚監部が5月下旬に作成したものだとし、「資料の内容はわたくしの指示の範囲内のものであり、法案成立後に行うべきものである実際の運用要領の策定や訓練の実施、関連規則等の制定は含まれておらず、シビリアンコントロール上も問題はあると考えておりません」と述べた。

質問に立った小池議員の、「大臣は11日の答弁では法案が成立したあとこれは検討を始めるべきものだと言ったではないか」との追及には、「前回の発言はわたくし中身を確認してないわけでございまして、一般論で発言をしました」と答弁し、法案成立前にすべきでないと言ったのは「検討」であり、これは「分析・研究」であるから問題でないと居直った。だが、このやりとりはネット中継でじっくり見たが、防衛相は資料の存在を「知っていた」とも「知らなかった」とも答えられず、答弁には明らかに動揺が見られた。

中谷元二等陸尉

この人は、ご自身のホームページのこの写真にもあるように、高級官僚や党人政治家ではなく自衛官(2等陸尉)出身である。だから、軍事的合理性は当たり前という意識が素直に顔に出てしまう。この国では、憲法9条があるので、軍事的には当然でも、それをいかにオブラートに包んで答弁するかという狡猾さが求められるのに、この人はあっけらかんと認めてしまうのである。突っ込みどころ満載で、野党がもっと強かった時代(報道や有権者の意識も)だったら、中谷防衛相はとうに辞任に追い込まれていただろう。

小池議員が「戦前の軍部の独走(と同じ)だ」と鋭く追及した統幕内部資料について、中谷防衛相は「シビリアンコントロール上、問題ない」というが、果たしてそうか。これは実は3月の防衛庁設置法12条の改正により、日本型文民統制(文官統制)が終焉を迎えたことと無関係ではない、と私は考えている。この法律改正で、防衛省背広組(文官)の運用企画局長や防衛政策局長が、制服組トップの統合幕僚長よりも優位に立って防衛大臣を補佐してきた仕組みがなくなり、運用企画局長のポストも廃止された。これを、3月の「直言」では、「統合運用機能の強化」(実際の部隊運用に関する業務の統合幕僚監部への一元化)と書いた。軍事的合理性を体現する制服組は、法案の成立を待たずにシミュレーションや新たな部隊編成、訓練などの準備に入ることは当然と考えている。しかし、文官の運用企画局長らは、国会審議などの諸般の事情を考慮して大臣を補佐してきた。5月の段階で、統合幕僚監部が陸海空3自衛隊の350人の幹部が参加したテレビ会議を行ったということは、国会審議にかかわらず、本来は法律成立後に行うべき陸海空各幕レベルの運用要領策定から訓練計画、関連規則等の制定準備を促すための会議だったのだろう。しかも、テレビ会議が行われた日は、なんと衆議院で法案の審議がスタートした同じ5月26日である。国会審議の裏で、統幕が主要部隊幹部を集めて、法案成立後の運用を会議していたわけである。「文官統制」廃止後、初の「統合運用機能の強化」のありようを見せつけられることになった。

この「取扱厳重注意」の部内資料には、日米ガイドラインに基づき、自衛隊が「軍」として、米軍に積極的に協力していく仕組みが先取り的にトレースされている。とりわけ、平時から利用可能な常設の「同盟調整メカニズム(ACM)」のなかに、「軍軍間の調整所」を設置することが書かれている。内局の官僚ならば「軍」という言葉の使用に慎重になるはずだが、制服にとっては基準とすべきは日米の軍事的協力関係であって、法律(まだ法案段階! )は跡づけにすぎないのだろうか。特別委員会で、小池議員からの質問に答え中谷大臣は、「軍軍間」は自衛隊と米軍を指すといいながら、「軍軍間」というのは英語の「Military to Military」であり単に便宜上のものだと言い、21日の委員会では安倍首相も便宜的なもので問題ないと言った。これに対し小池議員は、「憲法で軍を持たないという国の首相が、軍と書くことを便宜的な問題だから構わないというのが許されるのか」「国民に向かっては軍じゃないと、アメリカに向かっては軍だと、自衛隊の中では軍だと、こんなことが通用するのか!」と批判する場面もあった。

なお、19日の委員会で公明党の河野義博議員は、「この資料は秘密の内容ではなかったそうだが、正規の手続きを経ずに流出したことは極めて残念だ」として防衛省に文書管理の徹底を強く求めた。今回の資料流出はいわば内部告発の要素を伴うものであろう。特定秘密保護法の存在がリアリティをもってくる。

さて、この文書で特に問題なのは、法案の成立を8月と見越して、半年後の法律施行を2月として、それぞれのステージに必要な事項が書き込まれていることである。19日の委員会審議で大野元裕議員(民主党)が、「資料を作成した5月下旬に国会の会期延長は決まっていない。統幕だけがなぜ8月成立としたのか」と追及したが、中谷防衛相は「作成時のさまざまな報道を踏まえ、仮の日程を記述した」と答弁して失笑をかった。マスコミ報道を根拠に使うか、である。しかも、大幅な会期延長について、報道が活発化するのは6月に入ってからである。

この統幕の部内文書について、憲法研究者の立場からこれを批判する動きが起こった。21日に記者会見して、「統合幕僚監部内部文書に関わり国会の厳正なる対応を求める緊急声明」を発表した(『東京新聞』8月21日付夕刊一面に写真入りで掲載)。これに私も賛同した。下記がその「声明」である。必要な論点に触れているので、ここに収録する。

 統合幕僚監部がいわゆる安保関連法案の成立を前提に、詳しい文書を作成していたことが明らかになった。この文書には、憲法上見過ごすことのできない以下のような問題があると私たちは考え、国会の厳正なる対応を求めるものである。
 第1に、今回明らかになった文書は、単に法案成立前に関係官庁が一般的な「分析・研究」を行なうことを越える重大な問題をもっている。そもそもこの文書を作成した統合幕僚監部は自衛隊を統合運用する組織である。また本文書によると、今後はこの統幕が主管となって「日米共同計画」という軍事作戦計画を「計画策定」するものとされている。このような軍事作戦の策定・運用にあたる組織が、その合憲性に深刻な疑義のある法案について、その成立を何らの留保なしに予定して検討課題を示すことは、憲法政治上の重大な問題である。
 第2に、この文書は、「日米防衛協力のための指針」(以下、ガイドライン)実施のための国内法整備が今回の安保法案であり、この法案にない事柄は国会に諮ることなく実施されることが当然としている。これは、ガイドラインこそが日本の防衛当局にとっての最上位規範であることを露骨に示すものである。そもそもガイドラインは、政府がアメリカと結んだ政策文書であって、国会の審議や合意を経たものではない。また、この文書には本来国内法上の根拠を必要とする筈の自衛隊の運用課題も、ガイドラインのみを前提に示されている。これらは重大な国会軽視であり、独走であると言わねばならない。
 第3に、この文書は、ガイドラインにも記されていないACM(同盟調整メカニズム)内の「軍軍間の調整所」設置、そして法案に特定されていない地域をあげて南スーダンPKOへの「駆付け警護」等の業務の追加、南シナ海における警戒監視などへの関与といった検討課題を記している。のみならず、「日米共同計画の存在の対外的明示」は「抑止の面で極めて重要な意義を有する」とまで明記している。これらのことは、この文書が法案内容を自衛隊トップに単に周知するための一般的な「分析・研究」文書ではなく、法案成立を前提に自衛隊がとる運用施策を特定の対外政策に結びつけ、速やか実現することを促す文書であることを示している。これは議会制民主主義のプロセスよりも防衛実務の事情を優先した対応といわざるをえず、「軍部独走」という批判をまぬがれない。
 第4に、ここで挙げられている検討課題が、駆付け警護における武器使用基準の緩和、平時からのアセット防護、そして在外邦人の救出など、武力行使に直結する内容のものであることも見逃すことができない。法案のこれらの点に関する国会審議は全く不十分であるが、この文書はこうした課題を新法施行後ただちに実施することを予定している。総じてこの文書はガイドラインに基づいて事実上の武力行使を含む「切れ目のない」自衛隊運用の課題を挙げるもので、憲法の平和主義に基づく対外関係の推進に真っ向から反するものとなっている。
 私たち憲法研究者有志は、国権の最高機関である国会が、今回明らかになった文書がもつ深刻な問題を受けとめ、唯一の立法機関としての役割を真摯に果たし、全国民の代表として国民の信託に応えることを求めるものである。

統幕資料の問題性は上記「声明」に書かれている通りだが、この制服組の「先行」には既視感がある。いまから半世紀前の1965年2月10日、衆議院予算委員会の総括質問最終日、岡田春夫議員(社会党)の爆弾質問で明らかとなった「三矢作戦研究」のことである。それは、国会の委員会を省略し、本会議にいきなり上程して、2週間で最大87件までの戦時立法を成立させるというものであった(冒頭の写真は、林茂夫編『全文・三矢作戦研究』晩聲社、1979年の表紙である。以下の引用は本書より)。

「昭和38年度統合防衛図上研究」。1963年2月1日から6月30日まで5カ月間にわたって行われた大規模な図上演習(実際に部隊を動かす実動演習とは区別される)である。統幕事務局長(田中義男陸将)が統裁官となって、統裁部17人、研究部36人、管理班31人で行われ、最終月(6月)から内局の防衛第1課長(当時)ほか4人、在日米軍司令部から部長級(大佐)が数人参加した。この図上研究は、第二次朝鮮戦争を想定。まず在日米軍が参戦して、その時に自衛隊はいかなる作戦行動をとるかをシミュレーションしたものである。1960年の安保条約改定により、第5条で日米共同作戦が規定された。日米共同作戦における自衛隊の行動計画を具体的に検討する必要性を制服組が感じ、まずは幕僚レベルで検討を開始したわけである。当時の佐藤首相は真っ青になって怒り、責任者の処分まで口にした。

この制服組の図上研究は、基礎研究として、非常時に必要な各機関や米軍との連携、部隊行動標準(武力行使の基準)、安保条約適用上の諸問題、日米共同作戦実施上の諸問題、朝鮮戦線における日本防衛作戦などからはじまり、米軍との「作戦調整所」の設置も書かれていた。日本の各省庁との関係では、「国家情報委員会」を設置して戦時情報統制を行い、軍需審議委員会、防衛輸送審議委員会など国家総動員の体制も研究されていた。

当時、国会で最も問題にされたのは、「非常事態措置諸法令の研究」である。人的動員、物的動員、民間防空、戒厳、戦時司法などに至る107項目の法律案が検討されており、別紙A4「戦時諸法案と補正予算案の国会提出と成立」では、緊急度に応じて速やかに法令化をはかる「第1グループ法令」と、情勢の推移に応じて法令化する「第2グループ法令」に分け、前者は77件、後者は10件。計87件の法案が挙げられている。

注目すべきは、国会審議のやり方まで方向づけていることである。臨時国会の開会を8月1日とし、77件から87件の法案を緊急上程。情勢の必要性から衆参両院で同時に審議を開始し、政府説明・質疑も迅速に行い、あるものは委員会審議を省略して本会議に上程するなど、「国民の防衛意識を背景にして国会は政府の国策要綱の実施に協力する態勢」をとるようにする。「このようにして臨時国会成立後約2週間、8月中旬には政府提出全法案の成立を完了した」とある。

この50年前の「三矢作戦研究」で、制服組のエリートたちは、国会をいつ開き、法案をどのように可決成立させるかまでシミュレーションしていたのである。さすがの佐藤首相も、こういうことはあってはならないと答弁せざるを得なかった。「8月に法案成立」とは、なんとよく似ていることか。また、「三矢作戦研究」の極秘資料は、そうした資料を扱える防衛庁関係者が作家・松本清張の自宅に投函し、それを清張が岡田議員に提供したことが後に明らかになっている。小池議員も部内からの情報提供であることを隠していない。この点でも似ていることを指摘しておこう。

実は統幕のトップは37年前にも問題を起こしている。1978年、日米防衛協力の指針(ガイドライン)が策定されたとき、その直後に、当時の統合幕僚会議議長(現在の統合幕僚長)の栗栖弘臣陸将は、週刊誌上において、「いざ戦闘となれば自衛隊は独断する」「徴兵制は有効だ」「いざとなれば超法規で戦闘突入する」と発言した。現行憲法のもと、緊急事態法制の不備のため、政府が何もできなければ、現場の自衛隊は独断で戦闘加入せざるを得ないという、軍事的合理性に沿った主張をしたわけである。当時の金丸信防衛庁長官は、栗栖統幕議長を直ちに解任した。後にこのことを問われた金丸氏は、「私の原点は出征する私を両親の目の前で殴った憲兵の横暴である。シビリアンコントロールがいかに大事かということは、習わずとも身にしみている」と回想している。

栗栖氏の次の次の統幕議長(第12代)、竹田五郎空将は、1981年2月に月刊誌上において、徴兵制は憲法違反という政府統一見解を公然と批判した。政府見解は「徴兵制は憲法18条にいう『意に反する苦役』ならば、自衛隊は苦役なのか」とかみついたのである。野党の追及を受け、竹田空将は退官した。

半世紀が経過して、佐藤栄作首相とは異なり、「軍事に積極的な平和主義」を掲げる安倍晋三首相のもと、制服組はここぞとばかり、これまで抑制されてきた「軍」としての機能や権限を縦横に要求するようになっている。「一般的兵役義務制」ではない形での、何らかの強制徴募の仕組みが出てくるのは、安保法案が成立すれば時間の問題だろう。

統幕の部内資料の示すものは、いまも昔も、「軍・軍の関係」というのは政治と立憲主義を乗り越えていくという「法則」である。それだから、またそれだからこそ、この安保関連法案は廃案にしなければならないのである。

《付記》
 参議院での追及が佳境を迎えたとき、またも対案や修正案なるものを出して、安倍首相を助ける者たちが出てきた。「維新の党」などである。衆議院の「維新の党」の対案を私は憲法違反と断じた。今回の対案は、私が批判した部分(「我が国に対する外部からの武力攻撃を除く。」)をこっそり削除している。だが、違憲の「7.1閣議決定」を前提としていること、「我が国に対する武力攻撃の発生」という外形的事実を前提としない点において、「他国の防衛」と五十歩百歩であり、政府案との違いはほとんど誤差の範囲である。参院民主党は、衆院のように無様な対案に乗ることのないように望みたい。   

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