国連常任理事国入りのために――誰が内閣法制局を壊したのか            2015年10月5日

安倍首相の国連演説

9月29日、安倍晋三首相が第70回国連総会において行った一般討論演説を動画で見た。空席が目立ったが、本人だけは意気軒昂。10日前に安保関連法を強行採決で通しておきながら、「法の支配」を「日本がこのうえなく尊ぶ価値であります」と胸をはる。この感覚はすごい。「日本が安保理常任理事国となり、ふさわしい貢献をする道を、追い求めてやみません。…日本自身がこの先PKOにもっと幅広く貢献することができるよう、最近、法制度を整えました」といい、日本が武力を使った海外活動にも積極的に乗り出すことをアピールした(最初はいつもPKOから! )。そして、シリア・イラク難民への支援に8.1億ドル〔972億円〕を出すと約束し、「昨年実績の3倍となるでしょう」と自分で言ってしまう。演説のなかで、国名と具体的金額を次々に挙げて、まるでポケットマネーを気前よくばらまく成り金のようで、恥ずかしさのあまり画面から目を離してしまった。

このように豪語した後、会見の質疑応答で海外の記者から、「日本はシリア難民を受け入れる考えがあるか」を尋ねられると、「我々は移民を受け入れる前にやるべきことがある。それは女性の活躍であり、あるいは高齢者の活躍であり、出生率を上げていくには、まだまだ打つべき手があるということでもあります」と述べた。積極的に難民を支援すると言った直後に、難民の受け入れはしないと答える。難民について質問されたのに対し、「移民」と答える。また、首相はこの応答のなかで「難民を生み出す土壌そのものを変えていくために、日本としては貢献をしていきたいと考えている」と答えた。難民とは何か。集団的自衛権の行使を認める法案を通した安倍首相は、そのような難民がなぜ生まれているかを、考えたことがあるのだろうか。

黒塗りの文書

安保法制を推進した人々、特に外務省の幹部・OBなどからなる「安保マフィア」は、日本の常任理事国入りが狙いだから、それを「追い求めてやみません」(Japan seeks to becomes a permanent member of the Security Council)と安倍首相に言わせた。彼らにとっては、安保法制も自衛隊の海外展開も、途上国への援助も、そのための手段にすぎない。国連常任理事国並みの発言権をもちたい、そのために武力行使もできるようにしなくてはと憲法上の制約を突破する。それが彼らの長年の悲願だった。約20年前にも集団的自衛権行使を可能にする検討を行っていたが、その文書は情報公開請求しても黒塗りのままである。安保法制懇の報告書を先取りしたものだろうが、当時の内閣法制局の憲法解釈を逸脱していたことが明らかになるので、表には出せないということだろうか。

「最近、法制度を整えました」

ともあれ、安全保障関連法のごり押し成立の10日後の国連演説に、安保理理事国入りが何度も登場するのは偶然ではない。いずれは自衛隊が米アフリカ軍(AFICOM)の任務を担うことも視野に入ってくるだろう。実際、この演説のなかに、「南スーダンで、自衛隊施設部隊の諸君が日夜努力を続けている。ケニアでは、陸上自衛隊の専門家たちが、ケニア、ウガンダ、タンザニア、ルワンダ各国軍隊を対象に、重機の扱い方を伝えています」と、アフリカへの言及が妙に多い。

今回の安全保障関連法は、性格の異なる11本の法律群からなるが、共通しているのは、自衛隊の海外における武器使用(→武力行使)のハードルを下げることである。「軍事に積極的な平和主義」である。それはとりもなおさず、憲法改正をせずに、国連常任理事国として必要な軍事能力をもてるようにすることである。その前に立ちはだかるのが内閣法制局ということになる。集団的自衛権行使の違憲解釈のほか、自衛隊の海外派遣の実践のなかで、「非戦闘地域」、「武力行使との一体化」、「指揮と指図」、「武器使用と武力行使」、「自己保存型の武器使用」(任務遂行射撃の制限)等々を編み出してきたのは内閣法制局であった。「一体化」については翻訳不能ということで、外務官僚からすればストレスフルな「ITTAIKA with the use of force」という表現を強いられてきた。

毎日新聞

そこで目的のためには手段を選ばず、である。「安保マフィア」が官邸の要所を占める安倍政権にとって、政府の憲法解釈を強引に変えて「憲法介錯」を行うために、まずは内閣法制局長官の人事への介入から始まる。ご記憶だろうか。2年前の夏のことである。この人事の直後、「菅原文太 日本人の底力」(ニッポン放送)に出演したが、菅原さんが「なぜそういうことをするのか」と怒っておられたことを思い出す。内閣法制局の長官人事においては、本来、第1部長、次長とキャリアを重ねた人のみが長官に就任してきた。安倍首相はそこに、「安保マフィア」の小松一郎前・フランス大使を送り込んだのである。大学に例えれば、学部長は、当該学部のなかで経験を積んだ教授がなるのだが、そこにどこかの会社の社長を据えたらどうだろうか。法制局の仕事は法律職人的なところがある。その経験もキャリアもない人がトップに座って、集団的自衛権行使容認に舵をきったのである。この外務官僚の長官のもとで次長をやった横畠裕介氏が昨年5月に長官に就任したが、その後の国会答弁の迷走ぶりは悲惨だった(特にフグの例え)

この長官のもとで、「7.1閣議決定」が行われのだが、その時の法制局第1部(意見部)での審査の過程が文書として残されていないことが先週判明した。『毎日新聞』9月28日付が1面トップで報じたもので(冒頭の表は3面)、それによると、閣議前日の昨年6月30日、内閣官房の国家安全保障局(NSC)から審査のために閣議決定案文が法制局に届いた。閣議当日の7月1日には、第1部の担当参事官が、「意見はない」と国家安全保障局の担当者に電話で伝えたという。横畠長官はこの解釈変更について、「法制局内で検討した」と参議院外交防衛委員会で答弁しているから、この検討過程の文書が存在するものと予想していた。ところが、今回、案文を受けとった翌日に電話で「意見なし」と伝えるなど、結論先にありきで、「審査なし」と言ったに等しいことがわかった。

2011年に施行された「公文書の管理に関する法律」(公文書管理法)1条にこうある。

「この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効果的に運営されるようにするとともに、国や独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務を全うされるようにすることを目的とする。」

「主権者」「国民主権」「将来の国民に説明する責務」という言葉が印象的である。つまり、まともな民主主義国家ならば、国の重要な決定について、後の人々の検証に耐えるように客観的な文書の形にして残すというのは当然のことだろう。

法律4条では、「行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程」などについて、「処理に係る事案が軽微なものである場合を除き」、文書の作成を義務づけた。それには、法令の制定又は改廃及びその経緯(1号)、閣議、関係行政機関の長で構成される会議又は省議の決定又は了解及びその経緯(2号)などが含まれる。安全保障政策の大転換となる憲法解釈の変更、それを行う閣議決定案文の審査が「軽微なもの」であるはずがない。だが、法制局総務課長は「必要に応じて記録を残す場合もあれば、ない場合もある。今回は必要なかったということ。意図的に記録しなかったわけではない」と説明。公文書管理法の趣旨に反するという指摘に対しては、「法にのっとって文書は適正に作成・管理し、不十分との指摘は当たらない」と答えたという(前掲『毎日』)。

本当にそうか。政府が集団的自衛権行使の根拠の一つとして使った1972年政府見解については、集団的自衛権は認めないという明確な一文が含まれていたが、この見解を出すにあたっての内閣法制局の文書が開示された。小西洋之参院議員(民主)が情報公開請求したもので、そこには第1部の参事官が「(政府見解の案文を)別紙の通りまとめたので、これを(参院の)委員会に提出してよろしいか」と決済を求め、手書きの訂正が加えられたのち、第1部長、次長、長官の決裁印が押されていた[PDF]。「法にのっとって文書は適正に作成・管理」されているとはこういうことである。なお、この時の吉國一郎長官は、「おのずから論理の帰結として」集団的自衛権の行使はできないと国会でも答弁していたことは記憶されるべきだろう [PDF]

憲法違反としてきた集団的自衛権行使を合憲とするのだから、本来なら、法制局においても相当な激論がたたかわされるはずである。だが、閣議決定前日に案文が届き、一晩で「意見なし」の電話回答ということは、事前に第1部で審査が終わっていたことを推測させる。歴史の検証に耐える文書にも残さない(残せない)形で、長官・次長のラインで第1部の部長や参事官らを「説得」したのかは闇の中である。職人気質の法制局が、砂川事件最高裁判決や、先輩たちが出した1972年見解を根拠に、集団的自衛権行使を容認しようという官邸の主張に心から賛成した人はおそらく一人もいなかっただろう。

9月15日に国会で開かれた中央公聴会で、公述人の濱田邦夫元最高裁判事が、「今は亡き内閣法制局」と痛烈に皮肉ったように、これを壊したのは安倍首相と「安保マフィア」たちである。ちなみに、安倍政権の人事介入によって、内閣法制局が壊され、会長(+経営委員)人事によって、NHK(特に政治部仕切りの報道)の著しい劣化が生まれ、いわゆる「原子力ムラ」の原子力規制委員交代人事の後に原発再稼働が進んだ。まともな民主主義国で、それぞれ一定の独立性を保つ機関の人事に介入する国はない。いま、一つの光は、安倍政権の暴政によって、多くの人がめざめ、立ち上がっていることだろう。デモや集会も持続しているが、有権者としてのめざめが、「落選運動」など多様な形で、来年の参院選に向けて時限爆弾のように進行している。

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