「多選自粛」を反故にする首長たち――安倍色の世界に
2016年11月7日

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民党が党則〔党規約〕を改正して総裁の3選禁止規定に手をつけたことと、その意味についてはすでに書いた(直言「「総理・総統」へ?――権力者が改憲に執着するとき(その3)」)。11月1日の自民党総務会は、総裁任期を現行の「連続2期6年まで」から「連続3期9年まで」に改める党則80条の改正案を全会一致で了承した。来年3月の党大会で正式に決定される。村上誠一郎総務(元行政改革相)が採決前に「なぜ今なのか」などと慎重意見を述べ、退席したことによる全会一致だった(『読売新聞』2016年11月1日付夕刊)。村上氏は安倍首相の憲法破壊を批判した数少ない自民党総務の一人だが(『世界』2014年5月号インタビュー参照)、反対意見を表明できず、「退席」という方法しか残されていないのがいまの自民党の現実を象徴している。中国・北朝鮮なみの「民主集中制」に限りなく接近しているとしか言いようがない

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それにもかかわらず、『読売新聞』社説は3選禁止撤廃について、「国民の支持を集める首相が、政党内部の論理に左右されずに、安定的な政権運営を継続できることになろう。…憲法改正の実現など、中長期の重要課題に、腰を据えて取り組む環境が整う。…首相が解決に強い意欲を示す北方領土問題においても、最長で24年まで任期があるロシアのプーチン大統領と、ひざ詰めの交渉ができるだろう」(2016年10月27日付)と手放しの賛辞を送っている。さらに、読売の解説記事(笹森春樹編集委員)は、安倍3選の党則改正を高く評価。「バブル崩壊後、短命政権が日本の国力を弱めた面も否定できない。短命政権の要因が、憲法にも内在していることを直視すべきだ」として、議論を強引に憲法改正の方向にもっていこうとする(10月27日付解説欄)。なお、プーチン大統領は早晩ロシア連邦憲法改正を行い、3選禁止条項(81条3項(「同一人物は、連続2期を超えてロシア連邦大統領に就任することができない」)に手をつける可能性もある。この写真は、10月25日の東京国際映画祭レッドカーペットの安倍首相だが、この顔でプーチンと来月、地元の山口県で意気投合するのだろうか。

ところで、自分のためにルールを変える権力者という点で言えば、地方自治体の首長の任期についても議論がある。12年前の「直言」では次のように書いた。「…地方自治体では、以前から知事の多選批判が存在した。そうしたムードを受けて、長野県の田中康夫知事は「3選禁止条例」を県議会に提案したが、否決された。次いで、埼玉県の上田清司知事が、知事の任期を連続3期12年までとする「多選自粛条例」を議会に提案。〔2004年〕8月2日に可決・成立した。この種の条例が成立したのは全国初という。・・・ 」(直言「人気があっても任期で辞める」)。

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2015年8月の埼玉県知事選で現職の上田知事が4選を果たした(『朝日新聞』2015年08月10日付埼玉全県版)。2004年の「多選自粛条例」は、「清新で活力のある県政の確保を図ること」を目的に「知事は連続して3期を超えて在任しないよう努める」としていたが、上田氏は自ら定めた条例に反して立候補して当選した。投票率は26.63%。全国の知事選史上3番目の低さだった。県議会自民党は、「4選を否定する条例がある以上、4期目以降の知事は存在しない」と主張して、一般質問に立った自民党議員8人のうち5人が知事に答弁を求めなかった。「死ぬまで知事をやる」と公言した前知事が3期目途中で親族の政治資金規正法違反事件に伴って辞職し、上田氏は「多選首長は県政の腐敗を招く」と訴えて当選したという経緯がある(以上「記者の目」(鈴木梢)埼玉知事「多選自粛」破り」『毎日新聞』2015年11月27日付参照)。

自民党県議団の「知事スルー」「極力無視」作戦は1年以上続き、「予算要望でも知事を「無視」」(『朝日新聞』2016年10月14日付埼玉県版の見出し)という状況である。知事自身は淡々としていて、4期目の2年目に入った時点で、多選自粛条例を自ら破ったことに対して、「いつまでもぐずぐず考えないで、県政の充実をはかるのが自分の仕事」と述べ、昨年8月の知事選ですでにみそぎを済ませたとの考えを示した(『朝日』9月26日付埼玉県版インタビュー)。

多選自粛条例に関連して、上田知事が4選出馬を示唆した時点における県議会の興味深い質疑がある。2015年2月25日の定例会代表質問で小谷野五雄議員(自民)は、上田知事が初当選の際のマニフェストで「県政の停滞と腐敗を防ぐという観点から3期12年を限度とする知事の多選禁止条例の制定」を訴え、それが2004年6月定例会で知事提出議案として制定されたことをとりあげ知事を追及した。そのなかで、次のような下りがある(URL)。

…そもそも、多選禁止ないし自粛という手法がとられる背景には、三権分立と同様、過去の歴史への深い洞察と人間と権力者へ向けた悲観的な見方があると思います。いかに民意が望んだとしても、一人の人間に権力を集中させるべきではない、設定した年数以上居続けるべきではないという形でたがをはめるものでありますが、アメリカ合衆国も三権分立を行った上で、なおかつ大統領について2期8年までの任期としております。この規定にも、こうした悲観的な見方が現れていると思います。それと同時に、私はアメリカ合衆国国民の積極的な意思を感じるものであります。それは、アメリカには8年で十分に大統領として仕事をできる人材があり、自分たちはそれを選び出すことができるという強烈な自負であります。裏返せば、8年で大統領として必要十分な仕事をなし得ないような人物をアメリカは必要としていない、ほかに幾らでも人材を有するとの自負でもあります。もしも、在任期間の職において多選自粛の強い意思を表明しながら、その終期が近づくと、自分だけは例外ではないかと考えたり、周囲からも、この方には是非当初の宣言よりも長く務めていただきたいと声が出るとすれば、それも多選の弊害の一つと言えるのではないでしょうか。

改めて条例を見ると、知事の職にある者は、その職に連続して3期を超えて在任しないよう努めるものとすると在任期間について規定した上で、附則において、現に知事の職にある者について適用しますと。これまでの11年余りの年月にわたり、上田知事はどのように努めてきたのでしょうか。また、知事は最近の記者会見等においても、本年6月には4選出馬に関してはっきりさせたいとおっしゃっているようです。

条例第1条の目的規定にあるように、清新で活力ある県政の確保を図るために、上田知事が連続3期を超えて在任しないよう、これまでいかなる努力を払い、仮に残された課題があるとすれば、それは何で、本年6月までの残された数か月の期間で、その残された課題をいかに乗り越える決意なのか、上田知事の筋金入りの答弁をお願いしたい。

立憲主義と民主主義の視点を踏まえた質問である。これに対して上田知事は、「埼玉県知事の在任期間に関する条例は、3期を超えて在任しないようにすること、まさにそのことに努めることを定めたものと理解しております。したがって、3期を超えて在任しないよう何か特別な措置をとるということではなく、3期12年という任期を常に意識して県政運営に当たるということに尽きるものと認識しております。」と、何とも歯切れの悪い答弁である。

知事答弁に満足しない自民党県議団は、翌26日の定例会で、田村琢実議員が引き続きこの問題を追及した(URL)。

「知事の職に同一の者が長期にわたって存在することにより生ずるおそれのある弊害を防止したい」、この言葉は埼玉県知事の在任期間に関する条例を制定するに当たり、上田知事御本人が示した言葉であります。また、「知事並びに広範囲の人口を有する指定都市の首長、この職種は、いったん地位に就くと膨大な権限や許認可権がありますので、ともすれば長期にわたる地位が腐敗やマンネリを招き、必ずしも有権者のためにはならないというのが私の政治信条にあります」、この発言も上田知事自身の言葉でございます。さらに、平成16年7月の記者会見では、「10年以上は長期政権というイメージもあるがどう思うのか」というマスコミの質問に対し、「国会議員時代も、実は4選禁止法を提出直前まで行っておりました。各党の皆さんと議論をした中で、3期12年が限界なのではないかという、そういうぎりぎりの線を出しました」と述べております。この国会議員時代の4選禁止法については、当時、新生党の筆頭代表者となっているのが上田知事でございます。

知事は、就任当時に、憲法上、法律上の制限があるからと、自身に限り禁止にしたかったが、自粛の条例を提案したと述べています。また、単にマニフェストで約束したことではなく、自身の筋金入りの提案とし、おのずからの政治信念、政治信条に基づくという意味であるとも述べています。つまり、本来なら禁止条例としたかったが、法律上の問題から「自粛」という文言を使った。在任12年はぎりぎりの線であり、かつ、政治信念、信条に基づく条例であるとのことであります。

現在でも、上田知事のホームページでは、上田きよしのマニフェスト2003、「一年以内にやります」のページに、「3期12年を限度とする、知事の多選禁止条例を新たに制定します」との欄に、進捗状況として「条例を公布・施行しました」と堂々と記載し、マニフェスト達成率にこれを含めて公表。二期目、三期目の選挙を勝ち抜いてきました。よって、自粛条例だ、禁止はしていないなどという詭弁は言わせません。

そこで、お伺いをいたします。知事の政治信条、信念に基づく条例を守るのか、背くのか。イエス、ノーで簡潔にお答えください。

過去の発言を十分に踏まえた鋭い質問である。これに対して上田知事は、「…この条例がなぜ自粛条例になったかというと、職業選択の自由や立候補の自由、裏をかえせば有権者が選択する権利を保障する憲法の下、こういうことで禁止条例ではなくいわゆる自粛条例になったわけであります」「当初の勢いは、すぐにでも3期12年で辞めるという気分があったことも事実かもしれません」と述べつつ、「イエス、ノーという言葉で簡単に答えられないアンケートというものは山ほどありまして、今の御質問に対してもイエス、ノーで答えられないことについても御理解を賜りたいと思います。」と、実に見苦しい答弁である。自民党県議団はおさまらず、その後は知事に質問せず、事務方の部長らへの質問にとどめる「知事スルー」「存在無視」作戦を続けている。直近の6月定例会で、知事に質問した自民党県議は9人中3人のみ。なお、他会派は6人全員が知事に質問している(「(県政ウオッチ)上田氏4期目の1年(上)」『朝日』2016年9月23日埼玉県版)。

昨年の立候補時点で、橋下徹・維新の党最高顧問(当時)から、「4回目はもう出ては駄目。自分の政治信条で条例化したのであれば、いくら努力義務でも守るのは当然」「上田知事の立候補には反対。政治家として価値観は合わない」と言われてしまった。維新の党が上田知事を推薦したことについて、橋下氏は「計り知れないデメリットがある」と非難している(『毎日新聞』2015年7月24日埼玉県版)。

2016年3月現在、4期以上の知事は、6期が茨城と石川、4期が北海道、青森、埼玉、福井、京都、兵庫、徳島、大分の計10人である(全国知事会による)。知事の多選をめぐっては1991年、熊本県知事だった細川護熙氏が、「いかなる権力も腐敗して10年は続かない(権不十年)」として2期で退任した。鳥取県知事の片山善博氏と三重県知事の北川正恭氏は2期で、岩手県知事の増田寛也氏と宮城県知事の浅野史郎氏はいずれも3期で退任した。新潟県知事の泉田裕彦氏は4選をめざしていたが、原発をめぐる政府との対立のなかで、結果として3選で終わることになった(『朝日新聞』2016年03月26日新潟全県版)。

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市町村レヴェルでもいろいろな動きがある。2003年に全国初の多選自粛条例を設けた東京都杉並区では、区長が3期目の途中で辞任した。同じ年に条例を制定した川崎市でも市長は3期で辞めた。他方、徳島県阿南市では、市長が3選自粛条例を定めたが、今年6月、4選をめざして出馬した。また、同県石井町の河野俊明前町長は「全力でやるなら2期以上は無理」との考えから、在任期限を2期とする条例を制定したが、3月になって、3期に延ばす改正案を成立させ、4月の町長選に3選出馬したが、落選した。昨年3月、4選を目指す東京都中野区の田中大輔区長も、在任期限を3期とする自治基本条例の努力規定の削除を提案した。当選はしたものの、投票率は29.49%だった(『徳島新聞』9月7日付社説「多選自粛条例ほご 議会の監視機能強化を」)。自ら多選自粛を決めておいて、自分でそれを反故にして立候補した選挙は、低投票率に終わる傾向が強い。有権者の政治不信がいかに激しいかがわかる。

直接見たことも、さわったこともないが、5000ドル紙幣の裏側には、初代合衆国大統領のジョージ・ワシントンの辞任の図が描かれている。立候補すれば3選はおろか、4選、5選は確実だったワシントンは、自ら2選で身をひいた。これ以降、合衆国大統領の任期が2期まで(3選禁止)という慣習が、戦時のF・ローズヴェルトを唯一の例外として定着し、合衆国憲法第22修正(1951年)に明文の規定を持つに至っている。

そのワシントンは、1796年9月19日に発表された辞任挨拶で、歴史の経験上、権力を分立し自由を擁護する必要性は明らかであると指摘したうえで、「人民の意見において、憲法上の権力分配、制限が誤っているのであれば、憲法が規定する修正〔手続き〕によって正すことにしよう。しかし、簒奪(usurpation)によって変えられないようにしよう」と言っている。立憲主義の意義を踏まえず、「総裁3選禁止」や「多選自粛条例」を自ら反故にするような日本の権力者たちに、憲法改正を議論する資格はない。

とここまで書いてきて、とうのアメリカで、明日8日の大統領選挙の結果がきわめて注目される。それについてはまた次の機会に書くことにしよう。

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