「アベランド」——「神風」と「魔法」の王国
2018年6月4日

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「それでも地球は動く(回っている)」。ガリレオ・ガリレイがローマ・カトリック教会の異端審問裁判でつぶやいたとされる言葉である。地球は宇宙の中心にあって、かつ静止している。すべての天体はこの地球の周りを公転している。この天動説に屈して、ガリレオは地動説を放棄させられた。現代の日本において、これとよく似た現象が起きている。

この国は「アベ天動説」になってしまったのか。森友学園に対する国有地譲渡等および小学校新設の設置認可に、「私や妻が関係していたということになれば、間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」という安倍晋三首相答弁(2017年2月17日、衆院予算委)と、「加計学園の国家戦略特区への申請は2017年1月20日初めて知った」という首相答弁(3月13日、参院予算委)に合わせて、「あったことがなかったことに」されている。安倍首相の答弁が正しく、それを軸にして、公文書が隠蔽され、改ざんされ、破棄されるとともに、暗記力抜群の官僚たちの記憶が次々に消去されている。エリート官僚の頂点たる財務省の惨状は目を覆うばかりである(直言「構造的忖度」と「構造的口利き」—「構造汚職」の深層)。

「それでも地球は動く(回っている)」として、「行政がゆがめられた」と告発した前川喜平・前文科事務次官の私生活が監視され、教育委員会主催の講演会にまで圧力がかかった。「それはいくらなんでもご容赦ください」と苦悶の声が出るほどに官僚をいじめ、屈従させ、違法行為に加担させている。しかも、その責任が問われることはない(不起訴処分)。

普通ならあり得ないような価格で国有地が譲渡される。当事者はそれを「神風が吹いた」と率直に語った(籠池泰典・森友学園前理事長)。およそあり得ないような状況とテンポで獣医学部が新設される。当事者はそれを、「魔法にかけられることで出産した」(加戸守行・前愛媛県知事)と形容した。

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この写真は、愛媛県が参議院予算委員会に掲出した27頁にわたる文書の17頁目である。2015年2月25日に加計学園の加計孝太郎理事長が安倍首相と面談して、首相から「新しい獣医大学の考えはいいね」というコメントがあったことが記録されている。3月3日に加計学園側から県に申し出て行われた打ち合わせの場での報告である。「15分程度」と時間まで明記されており、その後の首相秘書官の資料提出の指示も自然である。そうだとすると、2017年1月20日に「初めて知った」という答弁と整合しないことになる。そこで、2月25日に「会った」という事実はなかったという究極の裏技が登場した。

先週5月31日、加計学園事務局長なる人物が愛媛県庁を訪れ、安倍首相と加計理事長との2月25日の面談は架空のことだったと「謝罪」した。誰もが予想しなかったような、「アベ天動説」の白眉のような主張である。事務局長は、なぜ首相と理事長が会ったと言ったのかという記者の質問に、「その場の雰囲気で、ふと思ったことを言った」と述べた。この人のキャラなのかどうかは不明だが、およそ謝罪の場に似つかわしくない不思議な笑みを浮かべながら語っていた。ここでも「理事長」の顔が見えない。加計理事長は安倍首相の「腹心の友」とされているが、もっと別の親密圏にあるという推測もあるようだ。最高権力者による権力の私物化は底抜けである。

この問題における安倍首相の国会答弁を聞いていて著しく不快になるのは、論点を意図的にずらし、問題をすり替え、話の本筋から外すという手法の多用である。「真摯に」「丁寧に」「誠実に」といった副詞までつく。ネット上でいま、その答弁手法が「ご飯論法」という形で皮肉られている(『毎日新聞』2018年5月27日付)。大臣や官僚も、首相にならって、「煙に巻く」「言い逃れをする」「誤魔化す」「言いくるめる」「詭弁を弄する」「取り繕う」「お茶を濁す」「はぐらかす」ことに勤しむ。安倍政権のもと、日本の国会は「言論の府」であることをやめ、「国会表決堂」に堕しつつある。

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一般に、最高権力者の妻が「女帝」となって「夫の威をかりて」悪さをするのはよくあることである。安倍首相の場合、「ファーストレディの無邪気な暴走」というところだろう(直言「安倍政権の終わり方—「アッキード事件」と「日報」問題」)。「私、つい誰でも信じてしまうんです」(安倍昭恵『「私」を生きる』(海竜社、2015年)参照)というおおらかさと無邪気さが、最高権力者の妻という地位とあいまって、周囲に巨大な「忖度の構造」を作り出してきたわけである。「無知の無知」の突破力は、安倍首相と同様、昭恵夫人にもそなわっている。冒頭右の写真は、3年前のドイツの週刊誌『シュピーゲル』に紹介された昭恵夫人である。居酒屋「UZU」を経営するなど、夫から「解放」されて輝く女性としての面が当時は注目されていた(Der Spiegel, Nr.14 vom 28.3.2015)。

「史上最強の私人」は、警察の捜査も操作してしまう。例えば、元TBSのワシントン支局長をやり、安倍首相に近いジャーナリストとして知られる山口敬之氏が、2015年4月3日に準強姦事件を起こし、所轄署に逮捕されそうになった際、同年3月まで内閣官房長官秘書官を務めていた、警視庁刑事部長の中村格氏が逮捕状を握りつぶしたとされている。山口氏の姉は、昭恵夫人と、聖心女子学院の中学から専門学校まで、エスカレーター式で8年間、一緒に過ごした友人といわれている。小学校から大学まで16年間、吉祥寺北町3丁目(成蹊学園)から出なかった安倍首相と同様に、昭恵夫人は社会に揉まれていない。友だちが大事とばかり、禁じ手をたくさん繰り出すことになる(例えば、「大麻で町おこし」で画像検索! )。

「モリ」と「カケ」に続き、「ヤマ」とは、財務事務次官のセクハラ事件やTOKIOの強制わいせつ事件の影に隠されている重大な性犯罪である。被害者は救済されていない(伊藤詩織『Black Box ブラックボックス』(文藝春秋社、2017年)参照)。端的に言えば、妻の親友の弟が逮捕されそうだと、安倍首相が官房長官に連絡をとり、元秘書官だった中村格警視庁刑事部長(現・警察庁総括審議官、警視監)を動かし、所轄署の逮捕状執行を握りつぶしたのではないか。ここにも権力の私物化があらわれている。

人事の私物化はこの政権の場合、非常に露骨な形であらわれる。内閣人事局を使った官僚の統制と操縦は各省庁ともにかなり進んでいるが、とりわけ露骨なのは自衛隊の統幕長人事である。先月、河野克俊統幕長の3度目の定年延長が決まった。2度目の延長の異例さについてはすでに書いた。陸と空からトップが出ないで、米軍とより密着している海出身の河野が2019年5月末までその地位にあるのはきわめて危険である。安全保障環境の緊張を理由にしているが、この人物はこの間の自衛隊の不祥事に責任をとっていない。何度も辞任すべきタイミングがあったのに、ことごとく部下の辞任ですませている。自衛隊の実戦化も進み、死者が出る可能性のある陸上自衛隊の抵抗をおさえて、トランプ政権による中東・アフリカ派遣要請にこたえられる人事といえよう。憲法の「9条加憲」をやって、とにかく軍隊としての属性をできる限り具備させる。そのための「フェイク改憲」である。なお、古賀茂明「9条改正の先にある安倍「先軍政治」の恐怖」参照のこと。

冒頭左の写真は、ドイツの日本研究所が編集した『安倍時代の日本—政治学的分析』(Steffen Heinrich und Gabriele Vogt (Hrsg.), Japan in der Ära Abe: Eine politikwissenschaftliche Analyse, München 2017,S1-291)の表紙である。この「ABELAND」(アベランド・安倍の国)と表記され、安倍首相が王冠をかぶっている絵は、2015年11月に渋谷区原宿の通りの一場面として、ドイツ人の編者が撮影したものである。この本は、安保関連法、構造改革と「アベノミクス」、メディア政策(特にNHK)、反対運動ではSEALDsの分析まである。この研究で注目されるのは、安倍首相が官僚制に箍をはめ(内閣人事局)、決断権限を集中する柔軟戦略を追求しているという分析である。それは「私の内閣のもとで」とか「私が責任者だ」という言葉に象徴されるという。第二次安倍内閣以来、この国はかつてないほどに英国のウェストミンスター・システム(一元主義型議院内閣制)に近づいたと評されている(S.282)。自民党もまた、「クライアント政党」から「専門的な有権者政党」に変わったとも評されている。

2016年12月時点の研究をまとめたものなので、「モリ・カケ・ヤマ」の「依怙贔屓(えこひいき)スキャンダル(cronyism scandals)」(The Gaurdian,17 April 2018)や、安倍首相が憲法9条の「加憲」を押し出してきた2017年5月以降の状況は踏まえられておらず、やや楽観的と思われる評価も含まれている。しかし、全体として、安倍首相が、これまでのどの首相にもないほどに、この国を根本的に変えていることに注目している。その「変革」の方向と内容が、外交・安全保障政策から経済・労働市場政策、エネルギー政策に至るまで多岐にわたることを指摘している。同時に、この「変革」に対して、デモや新しい形態による若い世代の抵抗の動きも生まれていると指摘している(2015年9月の安保関連法反対運動を直接取材して書かれている)。

私は安倍流「5つの統治手法」を、①情報隠し、② 争点ぼかし、③論点ずらし、④友だち重視、⑤異論つぶしと特徴づけている。そして、全体を貫いているのが「前提くずし」ではないだろうか。

安倍首相の場合、「前提くずし」は2012年の政権復帰とともに、上位のルールであるメタ・ルールの憲法、さらにその改正手続を定める96条(「メタ・メタ・ルール」(高見勝利『憲法改正とは何だろうか』岩波新書、2017年))を破壊するところから始まり、2013年から集団的自衛権行使違憲の政府解釈を強引に変更し(「7.1閣議決定」)、ついには、自民党総裁の3選禁止規定を撤廃した(直言「「総理・総統」へ?」)。自民党の党則80条4項「総裁は、引き続き2期(前項に規定する任期を除く)を超えて在任することができない。」の規定は、人気の高かった小泉純一郎首相・総裁でも、周囲のすすめを断って、手をつけなかった。しかし、安倍首相3選を求める高村正彦副総裁らのイニシィアティヴで、2016年11月の自民党総務会は、総裁任期を現行の「連続2期6年まで」から「連続3期9年まで」に改める党則80条の改正案を全会一致で了承。2017年3月の党大会で正式に決定した。なお、多選自粛条例を自ら制定しておきながら4選した上田清司埼玉県知事のように、安倍首相をモデルに地方にも「前提くずし」が出てきている(直言「「多選自粛」を反故にする首長たち—安倍色の世界に」)。

安倍首相と同じタイプは世界中に増殖している。「人気があっても、任期で辞める」ことが、立憲主義にのっとった、まともな民主国家の「前提」である。これを自らのために3選禁止規定を撤廃する動きがアフリカで目立っている。最近では、ブルンジ、ウガンダ、ルワンダで憲法改正によって大統領任期を延長している(『毎日新聞』2018年5月22日夕刊)。アジア経済研究所の武内進一氏の「アフリカの「三選問題」——ブルンジ、ルワンダ、コンゴ共和国の事例から」(『アフリカレポート』2016年 No.54)によれば、アフリカ諸国では2015年以降、憲法の大統領3選禁止規定が変更された。それぞれの国ごとに事情が異なるものの、「民主的な政治制度を形骸化してきた政権が、その権威主義的な性格を一層露わにするとき、「三選問題」が起きるのである。」という指摘は興味深い。

この5年を超えた「アベランド」の日本は、明らかに「国のかたち」を変えてきている。いま、日大アメフト部の不祥事で、日大危機管理学部の存在が問われているが、この学部の実態は、加計学園の千葉科学大学危機管理学部と同様、その設立から人事、教育内容まで、「安倍カラー」に彩色されているようである

この「アベランド」をどうすべきか。この点で、豊永郁子「忖度生むリーダー:辞めぬ限り混乱は続く」(『朝日新聞』5月19日付「政治季評」)は秀逸な分析であり、問題提起である。保身と私益に走るアイヒマン問題やモリ・カケ問題の分析を通じて、結論としてこう指摘する。「安倍首相は辞める必要がある。一連の問題における「関与」がなくともだ。忖度されるリーダーはそれだけで辞任に値するからだ。すなわち,あるリーダーの周辺に忖度が起こるとき、彼はもはや国家と社会、個人にとって危険な存在である。そうしたリーダーは一見強力にみえるが、忖度がもたらす混乱を収拾できない。さらにリーダーの意向を忖度する行動が、忖度する個人の小さな、しかし油断のならない悪を国家と社会に蔓延らせる。すでに安倍氏の意向を忖度することは、安倍政権の統治のもとでの基本ルールとなった観がある。したがって、忖度はやまず、不祥事も続くであろう。安倍氏が辞めないかぎりは。」と。

「神風」や「魔法」を使うことなく、市民一人ひとりが、いまの状況をしっかりと見据え、自らの意見をもつこと。そして「アベランド」からの離脱の意志の表明が求められている。「どうせ」とか「どっちもどっち」という言葉を使って思考停止することなく、「でもね」と静かに疑問を口に出していくことが大切なのではないか。

《付記》
冒頭の本の表紙に使われた原宿の写真について、読者から情報提供があった。「ABELAND」の絵が原宿の通りにあった、ということから連想すると、それは、裏原(宿)ブームの一端を担うアパレル・ブランドの「A BATHING APE(R)」が、設立20周年を記念して原宿で行ったアトリエ一般公開「BAPELAND」を基にした風刺ではないかと思われる(当時のイベントの様子と、BAPELANDについて)。外国人も店に並ぶ世界的に有名な、若者向けのアパレル・ブランドのロゴの猿人類と迷彩模様を使いつつ、「APE」ではなく「ABE」とし「ABELAND」の風刺は、エイ「プ」ならぬ、エイ「ブ」のランドという、ABEの「猿の惑星」という表象なのかもしれない。

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