ケムニッツの警告——「水晶の夜」80周年(北ドイツ・デンマークの旅(その1))
2018年9月17日

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8月20日から31日まで、北ドイツと南デンマークの各地をまわった。ハンブルク空港でレンタカーを借りて、ハンザ都市リューベック、旧東のメクレンブルク=フォアポンメルン州の州都シュヴェリーン、ハンザ都市ヴィスマール、デンマーク国境に近いフレンスブルク、そして南デンマークのオーデンセ、コリング、リーベを訪れた。後半はドイツに戻り、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州の州都キール、最後はハンザ都市ハンブルクである。いずれも歴史の現場であり、そこでのさまざまな出会いに、いろいろと思考を刺激されたが、「直言」では大きく4つのテーマに分けて書いておきたい。

一つは、滞在中の8月26日に起きた旧東のザクセン州ケムニッツにおける極右暴動事件である。今回、メクレンブルク=フォアポンメルン州で極右的土壌の強い地域をまわる計画を立てたが、ケムニッツ事件が起こったこともあり中止した(新聞報道で今回は書く)。二つ目はキール滞在の目的だった「キール軍港水兵蜂起100周年」企画(特別展)の取材である。1918年11月3日に起きたこの事件によってドイツ革命が起こり、来年の「ヴァイマル憲法100周年」につながる。三つ目はハンブルク近郊、エルベ川東岸にあるナチスのノイエンガンメ強制収容所と、そこにおけるドイツ連邦軍の「歴史研修」についてである。そして最後は、今回のドイツ訪問の最大の目的だった、デンマーク系住民の少数政党、「南シュレスヴィヒ選挙人同盟」(SSW)の取材。デンマーク国境に近いフレンスブルクにある同党本部の訪問と、当日開催された創立70周年記念大会に招待されたので、それについても触れる。この政党は連邦選挙法6条(いわゆる「5%条項」)の適用除外になっており、州議会に3議席をもつ。いわば政治的affirmative action(積極的差別是正措置)だが、「外国人の地方参政権」とはまた違ったアングルから議論のヒントになるだろう。

なお、政治状況が刻々と変化しているので、以上4本の「北ドイツ・デンマークの旅」の掲載は順不同で、かつ不定期になることをご了承いただきたい。

さて、冒頭の写真はシュヴェリーン城。これはドイツで一番美しい議事堂(州議会)である。メクレンブルク=フォアポンメルン州では、2016年9月4の選挙で、右派ポピュリスト政党の「ドイツのための選択肢」(AfD)が大躍進した。得票率は20.8%(18議席)。第1党は社会民主党(SPD)の30.6%(26)だから、議会第2党である。メルケル首相のキリスト教民主同盟(CDU)は19.0%(16)で第3党に転落した。

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8月22日に城(州議会)の中に入ったが、残念ながら本会議場は改装工事中だった。その前のホールに貼られていた会派・議員を示すプレートを見ると、右側に極右に親和的姿勢をとるAfDがどっかり陣取り、その隣がCDU。一番多いのがSPDで、44歳の女性州首相を出している。一番左が左派党(13.2%(11))である。メルケル首相の選挙区がある、いわば「お膝元」で、難民排斥の極右の動きが大きなうねりになっている。

第2党となったAfD議員団の部屋は3階奥にあった。あとで州本部に2回電話をかけたが、つながらなかった。議員も秘書も夏休み中のようだった。ただ、AfDは公安機関に監視されているので、私がアポをとれば、私自身がいろいろ調べられるリスクがあるので、今回は慎重にしておこうと思って、それ以上の接触を控えた。

AfDの躍進傾向は旧東で明確にあらわれていて、在外研究中の2016年3月13日のザクセン=アンハルト州議会選挙はすごかった。前回選挙で0%だったAfDは一気に24%を超える得票で第2党に躍進した。この州では、赤(SPD)、緑(緑の党)、黒(CDU)の「アフガン連立」(国旗の色)という不自然な連立政権にならざるを得なくなったことはすでに書いた

昨年9月24日の連邦議会選挙では、AfDが12.6%を得て、国政に初登場で一気に94議席を獲得して、野党第1党に躍り出た。そのこともあって、政権がなかなか発足できず、総選挙から6カ月近くたって、ようやく第4次メルケル政権が発足した。しかし、この大連立政権(GroKo)は不協和音続出どころか、そもそも和音が成立していない。とりわけ、姉妹政党であるCDUとキリスト教社会同盟(CSU)の対立が際立つ。CSU前党首のH.ゼーホーファーを内相に起用したため、難民問題などで政府方針がなかなか定まらない。ちょうど3年前にメルケル首相の決断でドイツが130万人の難民受入れを決めて以降、ドイツ国内では難民排斥の動きがドイツ社会の深部と芯部に広がりつつある。

さて、8月26日、私がデンマーク・コリング(Kolding)のフィヨルドに近いホテルにいた時、部屋のテレビにすごいニュース映像が飛び込んできた。その日未明、旧東のザクセン州ケムニッツ市(旧カール・マルクス・シュタット)で、キューバ系ドイツ人が路上で刺殺された。容疑者としてシリア国籍とイラク国籍の20代男性が拘束されたというので、市内のメインストリートには夕方までに極右グループが集結してデモを始めたのである。警察機動隊は出動しているのだが、何の規制もしない。極右デモは6000人に膨れ上がった。これに反対する市民のデモが1500人。警官隊は591人過ぎない。極右運動ペギーダ(西洋のイスラム化に反対する愛国的欧州人(PEGIDA))がさらなるデモを呼びかけた(Der Spiegel, Nr.36 vom 1.9.2018, S.10-20)。

2年前の在外研究中、レンタカーで旧東部地域の諸州をまわったが、その際、ドレスデンでこのペギーダの「月曜デモ」を取材したことがある(直言「ペギーダの「月曜デモ」」)。私が集会を撮影していると、参加者が笑顔でもっと前の方に来いと手招きしてくれるなど、スキンヘッドのネオナチとは異なる雰囲気だった。その後、ケムニッツではネオナチとつながって、かなり狂暴化したのだろうか。

大衆紙は「殺人」と「暴徒」という大見出しを打ち、「ドイツはドイツ人に」「外国人出て行け」「メルケルは辞めなければならない」「嘘つきメディアの面に」「我々の国だぞ」などと叫び、ヒトラー式の敬礼を行う者も出てきたことを、生々しく、派手に伝えている。「暴徒」の写真を見ると、右手を斜めにあげて、まさに「ハイル・ヒトラー」をやっている(Bild vom 28.8)。冒頭右側の写真をご覧いただきたい。通常、公共の場でこういう行為をすると逮捕される。ドイツ刑法86a条は、ナチ式敬礼や標章の使用などを処罰する(3年以下の自由刑)。だが、ケムニッツでは、警察官の目の前でナチ式敬礼をしているのに、警察官の規制はゆるかったと大衆紙の記者は書いている。

極右集団の論理は、難民の流入によって治安が悪化し、刺殺事件も起こるから「自衛」するのだと主張する。ドイツ人の安全を外国人・難民から守り抜くという論理である。AfDのM.フローンマイアー議員はツイッターに、「もし政府が市民を守らないなら、皆が街に繰り出して自警する。それくらい簡単なことだ!」と投稿した。同議員は、「致命的な『移民の刃』を止めるのは市民の義務だ!あなたの父や息子、兄弟を狙っている!」と続けた。しかし、メルケル首相は、これは「自警団」であって、「自警団による正義」は看過できないと警告した。連邦警察や周辺の州の警察の応援を受けて、ケムニッツに大量の警官隊が投入された。

「ケムニッツは法治国家の非常事態」とされるのには理由がある。単に極右デモが広がっているというだけではない。刺殺事件に関連して、2人の男性に対する勾留状が、本人の顔写真付きでネット上に公開されたからである。前代未聞のことで、勾留状の発給から執行に関わったすべての関係者が調べられ、警察関係者がネットに流したことが判明し、処分されたようである。警察内部に外国人排斥の極右に共感し、支援する者がいるということである。

ところで、8月下旬のケムニッツの騒乱のなかで、極右デモ参加者が外国人を追いかけまわす動画がネットに拡散した。これと関連して、「極右は外国人なら誰でも襲う」という情報がSNSに流れた。連邦憲法擁護庁という公安機関のトップ、H.マーセン長官は、この動画の信憑性を疑う発言をした。根拠は何も示さなかった。これに対して、野党のみならず、与党の内部からも、長官が極右の暴力を曖昧にするものだとして批判が高まっている。ゼーホーファー内相はマーセン長官を擁護し、一方、連立与党SPDは解任を求めている。メルケル首相は態度を打ち出していない(本稿執筆の9月14日現在)。

ドイツで最も知的な週刊紙は、民主主義に対する「上からの攻撃」という見出しで、憲法擁護庁長官の発言は、問題を曖昧にし、論点をずらす姿勢が公的な議論を妨げ、民主主義を弱体化させると強く批判し、不信が民主主義を破壊するとしている(Die Zeit vom 13.9(degital))。極右が外国人を攻撃したという事実を曖昧にして、「誰がやったかわからない」「本当にあったのかわからない」と公安機関のトップが語り、治安を担う内務大臣がそのトップを擁護する。この構図は危うい。

このケムニッツの事態により、「異質なものの排除における新しい次元を経験している」こと、極右は外国人に見えるだけですべてを排除しようとすること、それは「自衛」というよりも、およそむきだしの、異質なものへの憎悪が解き放たれてしまった、と指摘する心理研究者もいる(Frankfurter Allgemeine Zeitung vom 2.9)。

デンマークからドイツに戻り2日間滞在したキールで、朝食の時、地元新聞がカウンターに置いてあったので、コーヒーを飲みながら読んだ(Kieler Nachrichten vom 29.08)。3面に「ザクセンという悪夢(Der Sachsen Alptraum)」と題する興味深い評論記事を見つけた。ケムニッツ事件の背後に、極右を受容するザクセン州の根っこには、統一後、12年の長期にわたって州首相を務めたクルト・ビーデンコップの存在が大きいと指摘する。「帝王クルト」と呼ばれるほどに圧倒的な影響力をもってザクセンを統治した。しかし、ビーデンコップは極右の動きに対して、「ザクセンには人種主義の問題は存在しない。ザクセンはそれに対して免疫がある」と主張して、寛容な態度をとり続けた。この評論は、「ザクセンには一つの問題がある。それは、憲法敵対的立場の危険で緩慢な普通化(Normalisierung)である」という、いまのザクセン州副首相(SPD)の言葉が紹介されている。極右、ネオナチ的な傾向に対する大きな寛容が存在するのかという問題は、別の論者も指摘している(FAZ vom 30.8, S.9)。

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権力の内側からネオナチに寛容な「空気」が作られ、極右、ネオナチの言動を積極的に肯定はしないものの、これをあえて否定もしない。トップのそうした「穏和な」姿勢が、極右やネオナチの動きを加速しているというのが現状ではないか。ここに、ドイツの今日的な危機の源がある。その背後には、難民問題に端を発する国民の不満と不安がある。この地図(前述のKieler Nachrichten 3面〔出典:憲法擁護庁報告書〕より)を見ると、ブルーの色が濃ければ、それだけ極右による暴力事件が多いことがわかる。私が滞在したメクレンブルク=フォアポンメルン州は人口10万人あたりの極右暴力事件が5.2人で全国最高。ケムニッツのあるザクセン州より高い。最低のヘッセン州の0.3人の17倍にあたる。AfDの支持率が高いのも頷ける。

ところで、週刊誌『シュピーゲル』最新号はAfDの大特集を組んで、その危険性を多角的に分析している(Der Spiegel, Nr.37 vom 8.9, S.10-19)。衝撃的だったのは、「日曜質問」(Sonntagsfrage)〔「もし次の日曜日が連邦議会選挙だったら、あなたはどの党に投票しますか?」という質問〕の結果、旧東の5つの州のすべてにおいて、AfDが第2党になったことだろう。メクレンブルク=フォアポンメルン州22%。ザクセン州では25%の支持である(S.13)。次の州議会選挙でも大躍進が予想される。

この特集でもう一つ注目したのは、「制度を通じた行進」(Der Marsch durch die Institutionen)である。かつてヒトラーのナチ党が選挙を通じて、着実に権力を握っていった手法を指す。ここでは、ドイツ警察官労働組合の組合員9万4000人のなかにAfDが増えていることに注目したい。特に連邦軍が危うい。一般市民に比して、軍内の支持者は多い。軍人の9割が男性であり、旧東ドイツ出身者が比較的多く、そのなかでAfD支持者が増えているというのだ。連邦・州の219人のAfD議員のうち、軍人出身は13%以上である。連邦議会議員だけで20%が職業軍人である。AfD副議長は参謀本部の退役将校(大佐)だった。戦没者追悼記念行事の来賓議員は、SPD4人、CDU5人、緑の党と左派党が各1人に対して、AfDは38人だった。それだけ軍との関係が深いということである。メディアにもAfD関係者が進出している。

かつてなら考えられないほどに、極右的言動がドイツをおおっている。周囲の人が、「そんなことを言ってはいけません」といわなくなった。ナチ式敬礼は許されないという「常識」が緩んで、街頭で「ハイル・ヒトラー」とやって平気でいられる「空気」が醸成されているのか。なお、ケムニッツ区裁判所は即決裁判で、9月13日には保護観察付8カ月の自由刑、14日には5カ月の実刑をそれぞれ言い渡している(Die Welt vom 14.9)。

さて、今年の11月9日は「ベルリンの壁」崩壊29周年と同時に、「水晶の夜」(Kristallnacht)80周年である。1938年11月9日夜から起こった、ドイツ各地における反ユダヤ主義暴動・迫害である。主力となったのはナチ突撃隊(SA)。全土でユダヤ人商店やシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)などが破壊され、多くのユダヤ人が殺された。この「11.9」の80周年になる今年、ケムニッツの事件が起きたのである。ケムニッツ市内のユダヤレストランが27日の週内に襲撃されている。極右の仕業だが、普通の人々もまた、80年前と同様、沈黙という形で消極的に関わっている。だが、80年前との大きな違いは、ケムニッツでも多くの市民が、極右に反対のデモを行っていることだろう。9月3日はそのケムニッツで、パンクバンドやヒップホップアーティストによる反人種差別を訴えるコンサートが開かれ、約6万5000人が参加している(BBC9月4日も報道)。80年前が繰り返されないという一つの証、希望といえるだろうか。

ちなみに、ナチズムに詳しい歴史学者(フンボルト大学教授)のMichael Wildtは、「ドイツは新たな1933年〔ヒトラーの権力獲得の年〕に脅かされているのか」という評論で、5つの側面から冷静に現状を分析。社会を故意に分裂させようとする動きに警鐘を鳴らしつつ、にもかかわらず、上記のケムニッツ65000人コンサートにも言及しながら、こうした動きをいくつも挙げ、これらを、「開かれた、連帯的な社会を守る決意の表明」とみて、「新たな1933年」のおそれはないと断じている(Die Zeit vom 8.9.)。

ひるがえって日本はどうか。差別や人間の尊厳を損なう発言がなされた時、上に立つものがきっぱりとこれを否定し、そのような発言をした人間をたしなめる。かつての保守政治家ならばおそらくやったであろうことが、この政権下ではやられていない。安倍晋三首相は、杉田水脈衆院議員がLGBTの人たちのことを「生産性がない」と書いたことに対して、これをたしなめることすらしなかった。通常、このような事態が起きれば、トップが「不快感を示した」という形で否定的空気が作られる。安倍首相は何もしない。極右に対して寛容な姿勢をとってきたザクセン州の「帝王クルト」(ビーデンコップ元首相)が果たした役割と似て、「安倍的なるもの」は差別や偏見に対する寛容を広げていくのか。そうした人物がさらに3年も首相の座にあることは「悪夢(Alptraum)」である。

(2018年9月14日稿)

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