末尾「9」の年には変動が起きる――2019年の年頭にあたって
2019年1月7日

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年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

2017年の年明け「直言」は、トランプの登場と東欧ポピュリズム政権の勃興に焦点をあてた「自由と立憲主義からの逃走―「直言」更新20周年」をアップした。2018年の元旦には、「憲法存亡の年のはじめに―直言更新1110回」を出した。今年はすごい。「ヴァイマル憲法100年」、「世界大恐慌90年」、「第2次世界大戦開戦80年」「ドイツ基本法70年」と続き、何よりも「ベルリンの壁崩壊30年」である。末尾に「9」の付く年は大きな変動が起きて、節目となることが多い。2009年1月12日の直言「末尾"9"の年と憲法」 では、政治の激動を予測したが、8月の総選挙で自民党は大敗。政権交代が起こった。あれからまもなく10年になる。末尾「9」の2019年は、歴史的な転換の年になるだろう。どこに焦点をしぼって2019年を展望するか。6年前は笹子トンネル崩落事故で「ヒヤリ・ハット」したことから、個人的な事柄を中心に、「還暦の年を迎えて―激動の2013年への抱負」を書いたりもした。

そこで今回は、2019年に起こるであろう大変動について論ずる前提として、22年続けてきたこのホームページ(ブログではない、念のため)の原点について語ることにしよう。1997年1月3日に「平和憲法のメッセージ」を開設した際、トップページには、「塹壕のマドンナ」(「スターリングラードの聖母」)の絵ハガキの写真を掲げていた。その後、「このホームページの3つの原点」という形で、これをクリックしないと見られないように奥に格納した。気づく人だけが気づくように、と。そして、この木炭画が発する「光・命・愛」(Licht, Leben, Liebe)をこのサイトの「原点」と明記したのである。

この画は、第2次世界大戦の転換点となったスターリングラード攻防戦の際、ドイツ軍の軍医クルト・ロイバーが、塹壕のなかで、地図の裏側を使って描いた「子どもを抱く聖母」である。ドイツ第6軍がソ連軍に降伏して、彼は捕虜収容所に入れられるが、そこで病気のため死亡した。この木炭画は最後の手紙とともに息子にもとに届いた。1983年に、西ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム記念教会内に「原本」が展示された。

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この木炭画の存在を知ったのは、1985年8月12日夜8時からのNHK特集「人間のこえ―日米独ソ兵士たちの遺稿」だった。番組が始まって7分ほどたったところで、突然、ニュース速報のテロップが流れた。「羽田発大阪行日航機レーダーから消える」。ロイバーの家族が大きな箱のなかから、彼の遺品を出してカメラの前に出した語り始めたところで、画面はスタジオに切り替わった。キャスターが緊張した面持ちで、「途中ですが、大阪に向かった日本航空機がレーダーから消えました…」と述べ、番組はそのまま中断した。この日航123便「事故」(私は「事件」と呼んでいる)と「塹壕のマドンナ」がこの34年間ずっと重なってきた。2010年に出した直言「日航123便墜落事件から25年」では、冒頭、この「マドンナ」との出会いについても語り、「事故」原因に初めて踏み込んだ直言「日航123便はなぜ墜落したのか」、直言「「日航123便墜落事件」から30年」、を経由して、直言「日航123便墜落事件から32年」、昨年の直言「「遺物」から迫る日航123便事件」まで続いている。なお、このホームページのバックナンバーで、常時アクセス数が高い「ベスト5」が日航123便関係である。世の中では、この事件への注目と関心が絶えることはない。2019年は、この「事件」に関連した注目すべき展開がある。

右の写真は、ベルリンの教会にある原本であり、これは1988年5月の初訪問以来、何度もみてきたが、最近では2016年8月に「再会」した。この写真はその時に撮影したものである。実はその4カ月後、この教会のある広場のクリスマスマーケットにトラックが故意に突っ込み、12人が死亡し、48人が重軽傷を負った(直言「「新世界無秩序」への予兆」参照)。IS(イスラム国)と関係のあるチュニジア国籍の人物が起こしたテロとされている。

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2016年にロシア旅行をした際、ヴォルゴグラード(旧スターリングラード)に滞在して、独ソ戦の現場をまわった(直言「ロシア大平原の戦地 「塹壕のマドンナ」の現場へ」)。戦争博物館(パノラマ博物館)には、「マドンナ」の写真が展示されている(左の写真)。展示の仕方はあくまでも「大祖国戦争」史観から、ドイツ軍はあくまでも侵略者であるが、ドイツ軍のなかにもいろいろな人物がいたことを示唆する。ただ、展示の仕方はドイツ国防軍の旗などに埋もれた感が強い。

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街中まで歩くと、中央駅の近くのデパートの地階がドイツ第6軍司令部跡になっている。「記憶」博物館という。ここでロイバーの「マドンナ」を見つけた(右の写真)。キャプションには、「クルト・ロイバー。牧師、医師にして画家。ドイツ第16装甲師団の軍医。スターリングラードで捕虜となり、1944年に捕虜のまま死亡した」とある。このほか、市内にはカザン大聖堂に、ベルリンの原本のコピーが飾られている。

2018年9月、ドイツ北部をまわった際、ハンザ都市ヴィスマール(Wismar)を訪れた。旧東のメクレンブルク=フォアポンメルン州にある。市内観光をしていて、偶然、聖霊教会(Heiligen-Geist-Kirche)に入った。そこで、「スターリングラードのマドンナ」を見つけた(冒頭左の写真)。これはまったく予想していなかったので驚いた。ヴィスマールを含めてドイツ各地の26の教会にこの「マドンナ」のレプリカがあるという(英国はコヴェントリー大聖堂、オーストリアの4箇所の教会、日本では私の研究室の入口にコピーが掲げられている)。ロイバーが戦場で描いた「マドンナ」は、戦争の悲惨な現実のなかから生まれた一条の光として継承されている。

このホームページの「原点」とした理由は、日本国憲法もまた、苛烈な戦争と、抑圧と不自由の結果として誕生した「一条の光」ではないかと考えたからである。これからもひたすら、ぶれることなく、地道に、着実に、この「原点」から、激動する現実と向き合い、「平和憲法のメッセージ」を紡いでいきたいと思う。

さて、年明け最初の「直言」として、2019年の特徴的傾向となると私が考えていることを少し語っておきたい。

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第1に、2019年は、6年続いた安倍政権の「本当の終わりの始まり」(End time)となるだろう。2017年2月に直言「「トランプゲート事件」と安倍政権―終わりの始まり?」を出してから2年が経過するが、「この不安定で予測不可能なトランプ政権に、190以上ある世界各国の政府のなかで最も早く、かつ深く、濃く密着してしまった日本の安倍政権は、トランプ政権の迷走と暴走の影響をまともに受けることになる。日本の利益を考えれば、トランプ政権と適切な距離をとることが何よりも求められていた時期に、安倍首相がやったことはその正反対のことだった。」という指摘は、その後の2年間でより明確になったのではないか。「旧ソ連時代から屈指の諜報員だったプーチン・ロシア大統領が、謀略と智略、アメとムチ、心理戦の巧緻で挑んでくる。・・・ロシアからむしりとられる3000億円や、トランプに押しつけられる多大の負債と負担・・・米露首脳との、準備不十分な会談をあわててやった結果、日本側が失ったものは想像以上に大きいということである。」という2年前の指摘は、「国民の痛みを伴って」現実化していくだろう(安倍首相の「一方的片思い」の破綻)。「消費税10%」も、明白かつ現在の形になってくる。

安倍流「5つの統治手法」(①情報隠し、②争点ぼかし、③論点ずらし、④友だち重視、⑤異論つぶし)とその全体を貫く「前提くずし」は長きにわたり、あまりに露骨に、あけすけに、かつ公然と用いられてきたために、その手詰まり感は否めない。安倍首相が何を語っても猫の目が変わるように次々と何かを打ち出しても、国民の間に、倦厭、倦怠、食傷、辟易の「空気」が生まれている。小泉進次郎議員がかつて述べたように、「奢り、緩みだけでなくて、飽きだ。だんだん飽きてきている」。2019年はこの「倦怠感」がパワーに転化するかどうかが鍵である。

第2に、とはいえ、巧妙で狡猾な安倍政権は、新たな「仮想敵」を創出しつつ、「不断の動員」の状況を維持させていくだろう。1年前は北朝鮮のミサイルとJアラートだったが、昨年の11月頃からは韓国とのトラブルが相次ぎ、ついに「レーダー照射問題」で韓国は「味方ではない」という空気が醸成されている。これからも、周辺諸国とのちょっとしたトラブルに便乗して、国民の不安感や不信感があおられる事態が生まれるだろう。一般に、「不安の政治化」(フランツ・ノイマン)は、いつの時代、どこの権威主義的体制にも効果的な手段だからである。「あったことをなかったことにする」政権は、「なかったことをあったことにする」ことくらい朝飯前だろう。

昨年12月30日夜、ラジオ番組で安倍首相は、来夏の参院選に合わせて衆院解散・総選挙を行う同日選の可能性について「衆院の解散は頭の片隅にもない」と述べた。「頭の片隅」ではなく、頭のすべてを覆っていることの正直な告白である。この7月、衆参同日選挙+憲法改正国民投票を仕掛けてくる可能性は十分にある。2019年は、目を大きく見開いて、「何でもあり」の状況に備える必要があるだろう。

第3は、ここまでひどい状況が続くと、「あきらめ」と「倦怠感」の一方で、これを何とかしなければという前向きの力学も働き始める。従来の枠組では考えられなかった、あるいは思いもしなかった組み合わせや連携・連動が生まれる可能性がある。いま問われているのは、この国の進路に関わる政策的選択や安全保障の方法論ではない。そういうことを議論する国会を壊し、メディアを操縦し、ルールのルールである憲法を破壊して「前提崩し」を行う政権をまずは止めること肝要である。議論は「前提」を確保してから始まる。

そうした歴史的転換点では、「追い風」は外から吹いてくることがある(「外圧」の内圧化)。これから昨年の「11.6」(米中間選挙)の結果誕生した新しい米連邦議会が活動を開始する。とりわけ民主党が多数党となってトランプ政権との間で「ねじれ」が発生した下院では、各種常任委員会(小委員会を含む)の調査機能がさまざまに発揮されて、それが日本にも及んでくる可能性があるのではないか。「11.6」に米国で生まれた「ねじれ」は、2013年7月の「ねじれ解消」という誤誘導によって生まれた「安倍一強」を止める効果があるかもしれない。市民の側でも、さまざまな思いや行きがかりやこだわりをひとまず棚上げして、論理と理性と知性を軸にした「運動の化学反応」が起こるように努力すべきだろう。その際、「前提くずし」に抗する「立憲主義」が重要である。7月の参議院選挙は、立憲主義回復のための重要なステップとなる選挙と私は位置づけている。

安倍政権の「闇(改ざん)、死(戦争)、敵視(ヘイト)」の政治をストップするためには政権交代が必要である。長期にわたり「人の金」で権力を私物化している現財務大臣が首相をやっていた「未曾有」(みぞうゆう)の1年間を思い出してほしい。それを崩壊させたのが10年前の政権交代だった。その後の菅・野田政権の失敗から、政権交代そのものが「トラウマ」として刷り込まれてきてしまった6年間だったのではないか。「安倍首相しかいない」「他に代わりがいない」という政治的呪文が、国民のなかに「定着」させられてきたのではないか。この思考の惰性からの脱却が必要である。政治と政治家を育てるのも市民の力である。同じことは繰り返さないためにも、市民の側にも眼力と胆力が求められている。今年、2019年は、何か飛躍が起きる傾きの強い「末尾9の年」である。

このホームページを開設してちょうど22年になった。最初の「直言」は管理人の要望により“お試し”で書いた366字の短文だった。いまは5000字を超えることも珍しくない。これからも、原則として毎週1回の更新を地道に続けていきたいと思う。

今年も、「直言」をどうぞよろしくお願いします。

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