雑談(122)音楽よもやま話(26)早稲フィル創設40周年のこと
2020年2月10日

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試繁忙期のため、ストック原稿をアップする。今回は雑談シリーズ「音楽よもやま話」の26回である。25回は4カ月前の「公演パンフレットのこと」だった。今回は私が会長をしている早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団(早稲フィル、WPO)の創立40周年について書こう。

昨年の12月26日、早稲フィルの第81回定期演奏会(創立40周年記念コンサート)が開催された。文京シビックホールの大ホール。プログラムはサン・サーンス「死の舞踏」、チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」、メインは、ラフマニノフの交響曲第2番ホ短調。超絶的に美しい旋律の第3楽章を含むポピュラーな曲である。受付担当者によると、聴衆は1259人だった。

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ただのクラシック音楽ファンにすぎない私がオーケストラの会長になってから15年になる。いろいろな問題を抱えて体調を崩していた時に舞い込んだお話だった。会長になってすぐに河口湖での練習合宿に参加させてもらい、仕事に復帰する元気をもらった。 第52回から第81回までの定期演奏会のほとんどに出て、パンフレットに主催者挨拶を書いてきた。この写真は昨年の第81回のものである。これまでのなかで、特に印象深かったのは、会長就任最初の冬、第53回定期演奏会だった。曲目はベートーヴェンの「第九」だった(指揮者は飯守泰次郎さん)。会場のすみだトリフォニーホールには、開演前から長蛇の列ができて、満席だった。10年目の冬の第73回定期演奏会も思い出深い。ブルックナーと並んで私好みのグスタフ・マーラーの交響曲第1番ニ長調で、指揮は「炎のコバケン」こと小林研一郎さんだった。上野の東京文化会館。全席指定にして満席だった。

定期演奏会で最も多く指揮していただいているのは松岡究さんである。私のみるところ、学生たちとの相性もよく、安定した演奏が期待できる。冒頭の写真は、昨年12月の定期演奏会の風景である。また、このオケの特徴は、OB/OGの支援がきわめて厚く、また熱いことである。トレーナーとして、あるいは助っ人として、ボランティア精神で学生たちを鍛えていただいている。この先輩たちのおかげで、早稲フィルの音が継承されているといっても過言ではないだろう。

早稲フィルの活動は地域においても続いている。新宿区立落合第六小学校における子どもたちを対象にしたコンサートは、2003年から毎年行われている昨年も、子どもたちのほか、地域の人々も加えたコンサートを開催している。このような地道な演奏活動は貴重であり、地域に根ざした大学という意味でも重要な活動といえるだろう。

ところで、一般には、ワセオケ(WSO)と呼ばれる早稲田大学交響楽団がよく知られている。早稲フィル(WPO)会長というと、ワセオケと間違えられることがよくあった。特に2018年夏の不幸な出来事が起きた直後は、私がこの事件に関わっていると心配した人からメールが届いた。メディアからの取材もあった。ワセオケと早稲フィルはまったく別物であるという立場でノーコメントを通した。

その出来事とは、『週刊文春』2018年8月2日号(7月26日発売)が、ワセオケの「永久名誉顧問」をめぐる問題を大きくとりあげたことに始まる。TBSの朝のワイドショー「あさチャン」は全国ネットでこれを詳しく伝えた。この人物は85歳。40歳台でワセオケの指揮者となり、「永久名誉顧問」として長期にわたって君臨し、金銭トラブルも起こしていた。ヘルベルト・フォン・カラヤンに私淑しており、権威主義的なオーケストラ操縦法もカラヤンの真似をしているようだった。ドイツでの演奏会のたびに、カラヤンの墓碑に学生たちを連れていっていた。カラヤンに対しては、ベルリンフィル内部からも厳しい批判がある(ティンパニー奏者のヴェルナー・テーリヒェンはカラヤンを「貪婪(どんらん)者」と呼ぶ)。「帝王」と呼ばれていたカラヤン。その「帝王」を崇拝する者がそれを周囲に押しつけ、自らを「尊師」と呼ばせる。まさに負の連鎖である

ちなみに、生前のカラヤンは、自身が才能を認めたサウンドデザイナーやレコード会社社長などに、マフラーの着用を薦めたという。マフラーの着用を認められた人々は「カラヤン・マフィア」と呼ばれ、そのマフラーはカラヤンに認められた証といえるとして、「永久名誉顧問」は「カラヤン・マフラー」を学生たちに下賜して、楽団の代表は代々このマフラーを受け継ぐのだという

カラヤン信者の指導者のやり方に納得せず、40年前、ワセオケを飛び出した学生たちが結成したのが早稲フィルである。40年間、「永久名誉顧問」のもとにあったワセオケと、権威主義的な指導者と決別して、自由な演奏活動を目指した早稲フィル。その創設40周年を前に、早稲フィル創設の原因をつくった人物が「永久名誉顧問」の地位から去ったことは象徴的である(「永久名誉顧問」辞任を伝える文書)。

2009年、大学がニューイヤー・コンサートを早稲フィルに依頼したことにこの「永久名誉顧問」が激怒し、さまざまな嫌がらせをしたことは忘れない。コンサートは大成功だったが、大学が想定していた、学内のオーケストラが順番でニューイヤー・コンサートを実施するという当初の目論見は、「永久名誉顧問」の横やりで実現することはなかった。だが、この「永久名誉顧問」の影響が永久に除かれたとするならば、2020年代の遅くない時期に再び、ニューイヤー・コンサートが大隈講堂で開催される可能性も出ていた。第2回ニューイヤー・コンサートは、新生ワセオケに実現してもらいたいと願う。

さて、下記は早稲フィル40周年記念誌の会長挨拶である。40年誌は関係者だけに販売されるので、一般の読者の便宜のため、私の挨拶のみ転載させてもらうことにした。ホームページの利点を活かして、現物にはないが、関連する「直言」をリンクしてあるので、クリックしてお読みいただければ幸いである。

早稲フィル40周年に寄せて
会長・水島朝穂(法学学術院教授)

2005年1月24日、当時のインスペクター(幹事長、以下インペクと略す)の村山太朗君(ホルン)から会長就任を依頼するメールが届きました。ほとんど即レスで受諾のメールを送りました。村山君と話すなかで、WPOの求めるものや、メンバーのありようなどが、私の目指すものと一致していると感じました。このオーケストラは、専任教員としての私が会長を務める早稲田大学の公認団体(「学生の会」)ですが、同時に、他大学の学生も参加しており、その意味では多様な「人」と「音」の集まりです。早稲田の学生だけの「ナショナル・オーケストラ」と比べると、「多国籍オーケストラ」といえるかもしれません。「仰ぐは同じき 理想の光」というゆるやかなベースの上に、独自の響きを作っていけばいいと、会長を引き受けたときに考えました。

以来14年間、15人のインペクの一人ひとりの顔とパートを覚えています。練習場所の確保などのために申請書類に印鑑を押す仕事がメインですが、これがないと学生会館も使えません。その意味で、早稲フィルの縁の下の力持ち的な存在に徹しました。年に2回の定期演奏会がメインになりますが、最初の頃は、全体合宿に参加して、ビデオをみせたり、話をしたりしたこともありました。一番思い出に残っているのは、大隈講堂でのニューイヤー・コンサートと、東日本大震災の被災地ボランティアです。

2009年12月の早稲フィル創設30周年を前にして、大学の文化推進部から、2010年1月に大隈講堂を使ったニューイヤー・コンサートの最初の栄誉ある役を依頼されました。ニューイヤー・コンサートは、毎年1月1日にウィーン楽友協会大ホールで行われるウィーンフィル(WPO)のコンサートのことで、シュトラウス一家のワルツやポルカなどが華麗に演奏されます。早稲フィル(WPO)は大学の公式サイトで、「ニューイヤー・コンサート レジデント・オーケストラ」として紹介されました。開催までには、早稲フィル誕生に深く関わる人物が横やりを入れてくるなど、いろいろな困難もありましたが、インペクの花田知弘君(ヴァイオリン)や大学関係者の奮闘で、無事実現にこぎ着けました。

2010年1月9日(土)、大隈講堂は、総長ご夫妻をはじめ二階席まで満席。征矢健之介さん(都立国立高校の1年後輩)の指揮とヴァイオリンで、とても格調高く、しかもユーモアあふれる楽しいコンサートになりました。終演後、総長ご夫妻が大変満足した面持ちで、楽屋の征矢さんに挨拶に来られました。

もう一つ、早稲フィルの活動で忘れられないのは、2011年3月11日の東日本大震災です。余震と「計画停電」という状況のなか、大学は一切の行事の自粛を求めてきました。会長として苦渋の選択で、3月19日の32期生卒団コンサート(所沢市民文化センター)を中止してもらいました。震災から2カ月たった5月24日の第64回定期では、犠牲者を悼んで何かできないかとインペクの小野洋奈さん(クラリネット)に相談しました。演奏会冒頭、プログラムにない曲として、バッハの「G線上のアリア」が演奏されました。弦楽パートの選抜メンバーがステージにあがり、指揮者の松岡究さんが聴衆に「拍手はなし」を求めて静かに演奏が始まりました。第一ヴァイオリンの男子学生(2年生)は、「震災で犠牲になった方々のために、『離れていても心は一つ』という思いで一心に弾きました」と後で語っていました。聴衆の反応もよく、「冒頭のアリア。被災した一人として心にしみました」というのもありました(定期演奏会アンケートより)。

大学の震災復興支援ボランティアにも参加して、猛暑の8月、岩手県陸前高田市と宮城県名取市閖上で、3年生ばかりの有志10人が、弦楽四重奏と木管五重奏の演奏を行いました。インペクの小野洋奈さん(クラリネット)から携帯電話を通じて逐一報告を受けていました。そのなかで感動したことがあります。陸前高田病院でのコンサートで、アンコールとして陸前高田出身の歌手、千昌夫の「北国の春」がリクエストされたのですが、早稲フィルメンバーは誰もそれを知らず、演奏できませんでした。次の会場に移動するバスのなかで、コンサートマスターの酒井義人君はネットで曲を探し出し、それをじっと聴いて覚え、夕方のコンサートのアンコールでは、彼は即興で見事に弾ききりました。ニューイヤー・コンサートでも被災支援活動でも、早稲フィルは土壇場に強いと思いました。これも日頃の練習と同時に、各メンバーが何のしがらみもなく、本当に音楽が好きだからだと思います。早稲フィルのよさは、大学の壁や専門(学部等)の壁を超えて、音楽に向けて一丸となることだと思います。

2018年6月、メディアを騒がせたWSOの出来事の際、ティンパニー奏者のヴェルナー・テーリヒェン『あるベルリンフィル楽員の警告』(音楽之友社、1996年)を思い出しました。彼が「貪婪者」として批判するヘルベルト・フォン・カラヤン。「その誇大妄想、欲求衝動、自制不能は、もはや音楽とは呼べない。」「強そうにかまえているが、じつはなにかに隷属しているにすぎない。その同じ隷属を『貪婪者』は自分のまわりのすべてのものに強制する。」「もはや花は開かず、育たず、繁らず、収穫するものも、提供するものもない。こうして音楽も死ぬ」と。異様なカラヤン信者が長期にわたり君臨していた時代は昨年終わりました。早稲フィル40周年を前にして、その原点を確認できたような気がしてなりません。私はあと4年で早稲田を去りますが、早稲フィル50周年に向けて、音楽好きたちが、自由に、豊かに演奏を続けていってほしいと願うばかりです。

(『早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団創立40周年記念誌』会長挨拶)


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