この国は「放置国家」になったのか――安倍政権、迷走の果てに
2020年4月20日

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近まで仕事をご一緒させていただいた方が、新型コロナウイルス感染症で亡くなった。ショックでしばらく仕事が手につかなかった。3月中旬に持病で入院されたが、4月に入り症状が回復したため、ご自宅近くの病院に転院された。しかし、数日後に症状が悪化。最初の病院で集団感染が発生したため、症状の悪化から4日たってPCR検査を実施したところ、陽性と判明(重症、会話不可)。検査したその当日(!)に亡くなられた(以上、当該自治体の感染状況報告による)。

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「専門家」の言葉と首相の言葉

性別と年齢、「濃厚接触状況」といった報告書の無機質な記述を見ながら、その方のお人柄やお仕事のことが目に浮かび、何ともいえない気持ちになった。いま、メディアを通じて感染者の数字が次々に出ている。安倍晋三首相が過度に依存する尾身茂氏や押谷仁氏らの口から出てくるのは、「クラスターをつぶす」「接触者を〇割減らす」といった、統計と確率、数字であり、生身の人間個人を「感染者集団」として対象化して語る。その語り口は不快だが、研究者だから専門用語を使うのはやむを得ない。しかし、政治家はそれを生身の人間の言葉に置き換えて伝えなければならない。安倍首相は言葉も数字もそのままの形で国民に向けて繰り返す。たまたま感染者となった一人の個人が家族ともども「感染物体」として括られ、社会的に排除されていく。感染症の蔓延を防ぐために必要かつやむを得ない対応であっても、度を越した差別が随所に生れている(感染症予防医療法の前文を想起せよ)。そうならないように、国の指導者は、言葉づかいに細心の注意を払わなければならない。ドイツのメルケル首相の演説はすでに紹介したが、常に「連帯」という言葉を忘れずに使い、「誰も見捨てない」という姿勢を堅持している。安倍首相が「コロナという敵とたたかう」といきがって演説するたびに、感染者とその家族は、周囲から「敵」の一味と見なされる「空気」がつくられていく。今回、当該自治体の報告書や、その方の感染・死亡を伝えるローカルテレビのネット映像を見ながら、世の中にはかり知れない大きな貢献をされた方が、感染者数の一つとして扱われていることに深い悲しみを覚えた。報告書には、「プライバシーの保護や風評被害の防止のため、本人や医療機関等の特定につながる情報は公表しておりませんので、ご理解のほどお願いいたします」という一文がある。そこに記載された味気ない日付や記述からみえてきたのは、その方の症状が悪化していたのに、なぜ、亡くなる当日までPCR検査をされないまま放置されていたのかという疑問である。

「放置国家」と「法恥国家」

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日本は法治国家である。だが、国民に対してひたすら自粛と自己負担、自己責任を求め、まともな対応をとってこなかった「放置国家」であり、かつ、「コロナ危機」のどさくさ紛れに、検察官の定年延長という無理筋の検察庁法の改正までやろうとする「法恥国家」になり下がったようである。特定の人物を検事総長にするための定年延長を閣議決定して、それと帳尻を合わせるために、検察官の役職定年に例外を設けて、そこに法務大臣の広い裁量を認める法律改正を行う(「news 23」4月16日)。詳しくは立ち入らないが、起訴権を独占する検察官を私物化する、最高権力者として決してやってはならないことである。「憲法違反常習首相」のなせる技といえよう。

新型コロナ特措法32条で「緊急事態宣言」を出す権限を与えられた安倍首相は、4月16日、対象区域を、まだ感染者を出していない岩手県を含む日本全国に拡大した。しかし、具体的な中身は、「アベノマスク」を全国に発送することだった。わが家に届いたものは、そのまま「わが歴史グッズ」のラインナップに加わることになる。日本の歴史上、最低・最悪の政権が税金466億円を使ってやった窮極の愚策の象徴として。

そして、16日の当日になって唐突に出てきた、「国民一人当たり10万円の給付」という方針である。家賃やテナント料が払えない、従業員の雇用の確保をどうするかなど、日本全国で血を吐くような叫びに、安倍首相は「補償はしない」と冷たく言い放つ。どこの国でも迅速な給付や補償の対応をとっているのに押されて、「減収世帯に30万」を閣議決定したものの、それを16日に突然覆した。どのような政治力学が働いたのか。給付自体はよいが、財務大臣のように「手を挙げた方に給付」という動きもあり、迷走が予想される。国会というものを徹底的におちょくり、「立法府の長」を自称してきた安倍首相の面目躍如である。

冒頭左の写真は、フランスの『ル・モンド』紙4月17日(デジタル版)の記事である。「安倍晋三政権は、オリンピックを理由に伝染病の規模を過小評価した」というリードに、本文では、旧正月中の中国人観光客を呼び込み、水際対応が遅れたこと、「フクシマ」と同様、政府は、「アンダー・コントロール」(la situation était sous contrôle)という感覚を国民に対し与え続けたことが、伝染病蔓延の原因であることなどが指摘され、手厳しい。なお、「島国にもかかわらず」という点が何度か強調されているのは、フランスのように複数の国と国境を接しているのとは違って、日本は周囲を海に囲まれ、「水際」対策をとりやすいのにという思いがあるのだろう。

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「検査なき自粛」と「補償なき自粛」

冒頭右の写真は、『南ドイツ新聞』4月15日付の紙面である。首相は「家にとどまれ」と訴えるも、それは裏目に出たようだというトーンで、歌手の星野源さんが「うちで踊ろう」という楽曲動画を発信したのに対して、4月12日に突然、首相がコラボしてきたことを伝えている。犬を抱き、飲みものを口にし、本を眺め、テレビのリモコンを操作する。日常的風景のつもりだろうが、これが猛烈な反発をまねいた。星野さんの楽曲の英語タイトルは、Dancing On The Insideである。「お家で」(at home)だけではない。どんな場所にいても、ともに踊ろう。共感と連帯の気持ちが込められている。首相秘書官の想定外は、音楽家の心を深く傷つけたことだろう。

先の『南ドイツ新聞』の記事は、この「コラボ」について、「芸なく演じられた、あからさまな無策」と批判する。「政治家というものは、パンデミックにおいて重要な役割を演じるものである。第一に政治家は、専門科学の勧告に従って、国の誰もが理解できる明確な決定を行わなければならないからである。他方で、政治家が決定に続いて、これらの決定の厳しさに自らも耐えることを映し出さねばならないからである」と。「大事なことは、信頼性である。賢明に統治することである。そして、危機においては、まことすべての人に同じルールが適用されるという合図が大事なのである」と。

「アベノマスク」に続いて、「アベノコラボ」の大失敗によって、安倍首相への支持率は低下し、不支持が多数になった。「コロナ危機」対処のなかで、多くの国の指導者も支持率をのばしている。ドイツのメルケル首相(79%)をはじめ、西欧の多くの国々の指導者が7割台の評価を受けているのに対して、安倍首相は約4割である。やること、なすこと、語ること、ことごとくが、コロナに苦しむ人々の心を砕き、脱力させ、深い怒りをかっているからである。日本でなければ、暴動が起きても不思議ではない。たくさんあるが、2つだけ例を挙げておく。

やってはならないこと――「コロナ危機」と安倍首相

まず、『南ドイツ新聞』の先の記事にあるように、「科学の勧告に従って、国の誰もが理解できる明確な決定を行わなければならない」という観点から、安倍首相は落第だということである。誰もが理解できる言葉を使い、明確な根拠を示して、特定の期間、「外出しないでください」というなら、何とか理解を得られるだろう。だが、欧米やアジア各国でも他に例がないほどに低いPCR検査数で、科学的根拠が見えないのに、ひたすら精神論で「家にいろ」というのは「検査なき自粛」、禁錮といっしょである。刑務所ならご飯も出るが、仕事がなくて食べられなくなる限界の人たちもいる。「検査なき自粛」は、家庭内クラスターを生むリスクもある。また、「補償なき自粛」は中小業者に倒産しろというにひとしい。公務員や医療関係者、郵便、宅配、輸送、食料品など、社会の基本インフラを担う人々は自宅を出て、仕事にいかねばならない。そういう人たちの心を深く傷つけたところに、傲慢で知られる首相秘書官の誘いにのって動画をアップした安倍首相の罪深さがある。

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2つ目は、安倍首相の「外出を控えてください」という呼びかけに説得力がないのは、「危機においては、すべての人に同じルールが適用される」に反しているからである。3月下旬、「密閉」「密集」「密接」の「3密」を避けよと呼びかけているなかで、昭恵夫人が、台東区の会員制高級レストランで「桜を見る会」のようなことをやっていた。これを国会で追及されるや、「レストランに行ってはいけないのか」と居直る。自粛ムードの緩んでいない改正特措法施行翌日の3月15日、昭恵夫人が、「コロナで予定が全部なくなっちゃった」と言って、大分県宇佐市の宇佐神宮に参拝している。50人ほどのツアー客と一緒だったという(『朝日新聞』4月17日付)。SPや秘書、現地では高級ハイヤーを仕立てて乗り込む「大名旅行」。衆院厚生労働委員会での答弁は、「この大分訪問は、小池都知事が週末の外出自粛を都民に要請した3月25日より前におこなったものでございまして、また、私がですね、不要不急の自粛を呼びかけたのは3月28日だった」というもの。見苦しいを越えている。森友問題で、誠実な公務員が命を絶っているが、森友問題も、この夫人から始まっている。安倍首相がまずやるべきことは、「外出を控えてください」と自らの家族を説得することである。「危機において、すべての人に同じルールが適用される」ことを徹底できない人物は、首相失格である。

「本物の専門家」の会議を

今回の「コロナ危機」でも、偏った「専門家」たちの言説に安倍首相がのめりこみ、大きく対応を誤った可能性がある。内閣官房に設置された「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」のメンバーの多くが独特の利害構造をもつ「パンデミックムラ」の関係者であることが、日本だけがPCR検査を不自然に抑制してきた背景にあるという指摘に注目したい(「新型コロナ専門家会議――その提言に世界が「疑問符」」『選択』2020年4月号110-113頁)。詳しくは紹介できないが、小見出しだけ掲げておく。「「パンデミックムラ」の利権構造」「「検査難民」が溢れる大失態」「予算増とポスト拡大に余念なし」「実績乏しい日本限定の「専門家」」。世界の感染症専門家から見ても疑問とされるメンバーが要職についているとされ、安倍首相が重用する尾身茂氏が批判されている(児玉龍彦氏によれば、「昭和の懐メロ」的人物)。そして、「流行終息後に検証する「本物の専門家」を探さねばならない」という悲観的な結論で終わる。

4月16日にコロナ対策として打ち出された「国民一人10万円」については、どこまで熟慮したものなのか、はなはだ疑問である。2009年の麻生内閣の「定額給付金」を思い出す。リーマン・ショック時の追加経済対策の目玉として、当初は「定額減税」が検討されたが、途中から、定額給付金に変わった。国民一人あたり1万2000円。しかし、その根拠は最後まではっきりしなかった。首相自身、「景気刺激策」と「弱者救済」の間で発言が迷走した。閣僚の発言もぶれた(直言「「報道とともに去りぬ」――メディアと政治」参照)。

今週から感染者の数はさらに増えていくだろう。東京のニューヨーク化は避けられないのか。いまは、5月から始まる「遠隔授業」の準備に追われている。「大学教育崩壊」を起こさないように、学生たちにきちんと授業を提供する。そのために、いま、大学も大学教員もまた、手さぐりで奮闘中である。いずれ、この問題についても、この「直言」で書くことにしよう。

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