「政治的仮病」とフェイント政治――内閣法9条のこと
2020年9月7日

大災害にトップ不在の日本

史は繰り返す。一度目は偉大な悲劇として、二度目はみじめな笑劇として…。有名なマルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の一節だが、日本の憲法政治をみるならば、これはもう悲劇でしかない。もちろん国民にとって、である。一度ならず、二度までも、安倍晋三は政権を投げ出し、日本はいま、実質的にトップを欠いた不安定な状態となっている。そうしたときに、沖縄・奄美、九州地方に超大型の台風10号が接近し、「過去に経験したことのないような」状況が生まれようとしている。早く避難しろと住民の「自助」のみを求め、政府が首相を先頭に、自治体とともに大災害に向かうという「公助」が手薄になっている。安倍首相がこの時期の豪雨や台風のときに、いつも脱力するような行動をとってきたことは、繰り返し指摘してきた通りである(直言「「危機」における指導者の言葉と所作(その2)―西日本豪雨と「赤坂自民亭」」および「「東日本大水害」と政治―「危機」における指導者の言葉と所作(その3)」参照)。

首相に権限を集中する緊急事態条項を憲法に導入せよと主張する人物が、国民の命と財産に対する最大の緊急事態を前にして任務放棄をしたわけである。目下、後任の「総理・総裁」を決めるための自民党総裁選の真っ最中である。内閣官房長官の菅義偉が候補者のため、官邸の調整機能が低下。台風被害に対する国の対応の遅れは、今から目に見えるようである。そういえば、菅が総裁選に際して打ち出したスローガンは、「自助・共助・公助」の順番だった。公助の縮減は新自由主義に乗っかる自民党政権の基本路線である。国民に向かって、まずは自助と自己責任でいけと、「コロナ禍の台風災害」で公助が鈍いことをあらかじめ言い訳するような効果を生むことを、さすがの菅も予想しなかっただろう。本稿を執筆しているのは9月4日だが、台風10号がもたらす結果については、また来週以降に書くことにする。

13年前の政権投げ出しの理由

さて、安倍辞任に際して、2007年の第1次政権の時も「潰瘍性大腸炎」を理由にして政権を投げ出したという向きもあるが、これは間違いである。病気や体調のことを、当時の記者会見で安倍は一言も触れなかった。官邸のホームページをクリックすれば直ちに確認できるだろう(首相官邸ホームページ(2007年9月12日))。

「…今後、このテロとの闘いを継続させる上において、私はどうすべきか。むしろこれは局面を転換しなければならない。新たな総理の下でテロとの闘いを継続していく、それを目指すべきではないだろうか。…今日、残念ながら党首会談も実現をしないという状況の中で、私がお約束をしたことができない、むしろ私が残ることが障害になっていると、こう判断したからであります。」と。7月の参議院選挙で大敗した責任をとって辞めるという一言もない。8月最終週に内閣改造までやっておきながら、小沢一郎民主党党首との党首会談は「新総理」でやってほしいといっている。

理由にならない理由で辞任した安倍について、私は直言「送別・安倍内閣(その1)」でこう書いた。「政治家としての経験もキャリアも乏しいなかで、その「存在の耐えがたい軽さ」を自覚しながら懸命に自分を大きく見せようと無理を重ねてきたために、1年足らずでポキッと折れてしまったのかもしれない。ある意味では気の毒だが、そんな人物をバスの運転席に座らせてしまったのは誰か。それを持ち上げてきたメディア(特に、みのもんた氏の過剰な肩入れ)。運転席にしがみつき、急ハンドル、急加速を繰り返して迷走する安倍バス。周囲にぶつかり、乗り上げ、乗客も鞭打ち症になりながら、その残した「被害」の大きさを思う。」

しかし、2012年9月の総裁選では、10人ちょっとの迷い票が動いただけで、安倍は総裁ポストを獲得してしまった(詳しくは、直言「在任期間のみ「日本一の宰相」」参照)。ここから日本の不幸が7年8カ月も続いているわけで、その「功罪」、あるいは「光と影」について、新聞各紙が先週から連載や特集を組んでいる。しかし、私の場合、直言「安倍政権の「影と闇」―「悪業と悪行」の6年」でも書いたように、「功」や「光」を見つけることはできなかった。直言「「反社勢力」に乗っ取られた日本―安倍政権7年の「悪夢」」でも書いたように、この政権の7年8カ月で、省庁でも重要な機関でも、従来の自民党政権ならあり得ないような人物が枢要な地位につく傾向にある(前川喜平元文科次官の言葉を借りれば、「なんであの人があそこに座っているの」状態である)。安倍が、「権力の私物化」をかつてない規模と内容で押し進めた罪は重い(直言「「総理・総裁」の罪―モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ・コロナ・クロケン・アンリ・・・」参照)。

責任を曖昧にする「病気」と「死亡」

今回触れておきたいのは、一般の人の頭のなかに、「病気で二度も政権を投げ出した」と刷り込まれている今回の突然の辞任についてである。日本人の一つの弱点として、「公」と「私」の区別が曖昧になり、かつそういう区別ができないことに寛容であることが挙げられる。責任者が責任をとるという当たり前のことにしっかりこだわらず、妙に甘くなる傾きが強い。安倍は「責任を痛感しています」という言葉を100回以上使ったというが、ただの一度も「責任をとった」ことはない(『毎日新聞』デジタル2020年7月12日)。それを許してきたのも、「一億総懺悔」(東久邇宮稔彦)以来75年の歴史のなせる技かもしれない。「責任」という言葉の4つの意味がよく理解されていないことも大きい(直言「首相の「責任」の耐えがたい軽さ」参照)。特に責任追及を著しく鈍らせるのが、「病」と「死」である。

政治家が責任追及を免れるために、政治入院という手法をとることはよく知られている。甘利明(党税制調査会長)は、2013年11月に口利き疑惑で追及されるや「睡眠障害」を理由にドロンしてしまった。病気を理由に入院して、追及の嵐が過ぎるのを待つという手法はよく使われてきた。病気の人間を追及するのは控えるべきだという、妙なやさしさが日本人にはあるのか。韓国や米国のメディアはどこまでも政治家を追いかけていく。日本では、記者たちは病院の外で行儀よく並んで待っている。この違いは何だろう(直言「メディア腐食の構造―首相と飯食う人々」参照)。責任追及の途中で死亡(自殺・殺害・病死)すれば、一気に追及の勢いは弱まる。さらに追及を続けようとすると、「死者に鞭打つのか」という声があがって、結局、曖昧にされてしまう。「病気」と「死亡」はこの国では責任追及を鈍らせてきた二大要因であった。

今回は、責任追及を曖昧にする空気と雰囲気が意識的に準備された節がある。8月24日、大叔父・佐藤栄作を抜いて、連続在任が憲政史上一位になったその日、厳重な警備をしいて、安倍の新型センチュリーは、箱乗りSPの黒塗り警護車両を前後に従えて、慶応大学病院に入っていった。そして7時間が経過し、出てくるところもしっかり映像でとらせて、再び車列を組んで官邸に引き返していった(上記の映像はYouTubeに投稿された「箱乗りSP」による強引な首都高進入の一例)。あまりに大げさな通院である。どう考えても、病気で大変なことになっているという雰囲気と空気を重々しく演出しているとしか思えない。かつて安倍は、ホテル内のジムにいく形で、密かに医師の診断を受けたこともあった。今回は、むしろ病気をあえて見えるようにしている。「潰瘍性大腸炎」の再発はなく、ストレス性の胃炎だという診断に納得せず、嘘の診断書を病院側に要求して断られたという話の真偽は不明なので、ここではこれ以上触れないでおく。いずれにしても、記者会見でも病名をしっかりと表に出し、しかもそれだけが辞任の理由であるとしているのが、13年前の第1次辞任会見との決定的な違いである。つまり、今回、初めて、病気を前面に押し出して、それを唯一の理由にして辞任したのである。

当然、コロナ禍での政権投げ出しはあまりに無責任だから、たくさんの批判が向けられた。だが、驚くべきことに、ネットでもテレビのワイドショーでも、批判した人たちが非難されるという奇妙な現象が起きた。例えば、野党の女性議員が「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」とツイートしたため、ネットが炎上した。ツイッターという「140字の世界」の言葉の荒れについては、私は批判的である(直言「雑談(123)「140字の世界」との距離+親指シフト・キーボードの終わり?」)。だが、内閣総理大臣は公人中の公人であり、高速道路も緊急車両扱いで優先走行している最高権力者である。「病気」を持ち出して辞任する以上、その病気について何かを語っても非難される筋合いのものではない。むしろ異様だったのは、「病気で辞任」が明確になった8月28日の夜から、アナウンサーやワイドショーのコメンテーターたちが安倍に敬語を使うようになったことである。安倍官邸の狙い通り、これが国民にも広がり、安倍政権の支持率が一部で20ポイントも上昇するという珍現象も起きた。

8月28日以降の動きを見るならば、安倍首相の辞任の理由が「持病の悪化」ではないのではないかという疑問が強くなってくる。さらなる責任追及の大波がくる前に辞任して、それをかわす。しかるのちに態勢を整えて、政治的影響力を及ぼし続けようという狙いが見えてくる。では、そうまでして「逃亡」する必要性がどこにあったのか。

安倍辞任をめぐる「不都合な真実」

実は、8月に入って安倍晋三はピンチだった。オリンピックの中止はもはや現実のものになろうとしている。トランプとの約束の履行で、国民に隠してきたものが次第にみえてきている。コロナ禍で先のばしになってはいるが、「アベノミクス」の壮大なるツケが押し寄せてくる。兵器爆買いの支払いも。そして、何よりもかによりも、「モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ・コロナ・クロケン・アンリ」に象徴される安倍政権の「影と闇」の部分が、あるいは徐々に、あるいは急速に露顕し始めていることである。コロナ対策の大失敗が明らかになる前に逃亡する。「アベノマスク」を自らやめて「ホカノマスク」に乗り換えたのは、その前触れだったかもしれない。当日、内閣支持率は最低を記録していた。

そして、これが決定的に重要なのだが、「アンリ」事件の進展である。「クロケン」(黒川検事総長構想の挫折)によって、東京地検特捜部を止めることはできなくなった。東京地裁では「アンリ」事件について、100人を超える証人尋問が続く。そのなかで、安倍総裁および安倍秘書軍団のダークな関与が明らかにされる可能性が高い。「アクセスジャーナル」によれば、「安倍事務所の秘書が、1億5000万円の約半分を持ち帰っていることについて、すでに河井案里が供述している」というのだ(「アクセスジャーナル」9月1日参照)。

リテラ8月29日は、「首相動静」欄などから「会食ざんまい」を取り上げ、「安倍首相自身の病気や健康状態、辞任決断の経緯などに関する説明が、矛盾だらけのシロモノ」と指摘している。安倍自身も6月の定期検診で再発が判明したというが、連日のように、ステーキなど、およそこの難病の患者とは思えないような会食が続いていた。本当に「潰瘍性大腸炎」が再発しているのか、疑問が生じているという。

元検察官の郷原信郎は、IWJのインタビュー(7月1日)で重要な指摘をしている。郷原は、「これまで「地盤培養行為」として見逃されていた行為を買収行為として2人の逮捕に踏み切ったことは重大だ」と述べ、「自民党本部の側にも交付罪が適用される可能性があり、河井事件捜査の本丸は安倍総理ではないか」と指摘している。

河井夫妻の公判は大きな山場を迎えるだろう。私は前・三原市長など、溝手顕正後援会が強い地域の証人に注目している。秋の後半にまだ首相の座に入れば、当然、現職のまま、この1億5000万円についての弁明が求められる。自分のことを「もう過去の人」といった溝手憎しで、1500万円の「10倍返し」をやったという逆恨みの本音を、半沢直樹モードで言っても的外れである。

内閣法9条事態ではないのか

吉祥寺北町3丁目のエスカレーターで16年間過ごしたときに身につけた「言い訳」と「ずる休み」の能力を十二分に発揮したものである。父親の安倍晋太郎は外相、農相、通産相、官房長官と自民党4役(幹事長、総務会長、政調会長、国対委員長)をすべて経験して、首相へのパスポートをもっていたが果たせなかった。息子の晋三は第3次小泉改造内閣で官房長官として初入閣するも、わずか9カ月で総裁選に立候補して当選。首相となった。父親と違って、主要閣僚の経験がほとんどない晋三は、小学校から大学までのエスカレーター的生活の延長で、閣僚としての基礎修行も乏しく、一気に首相になってしまった。人間力もなく、経験不足も著しい人物が長期にわたって首相をやったあげくが、病気を理由にした辞任である。私はこれを「政治的仮病」と呼ぶ。 一般に仮病とは、病気でないのに病気をよそおい、病気のふりをすることである。「政治的仮病」とは、実際に病気になっていても、政治的必要性からそれを過度に重く見せるなど、病気を政治的に利用することをいう。安倍流「5つの統治手法」のうちの「論点ずらし」の典型的な形である。これが「フェイント政治」である。

私が「政治的仮病」(念のためにいうが、病気でないとはいっていない)という根拠はこうだ。首相を辞任しなければならない病状ならば、直ちに入院するだろう。内閣法9条は「内閣総理大臣に事故あるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う。」と定めている(直言「内閣総理大臣が欠けたとき」参照)。本当に、本当に病気で職務遂行が困難ならば、内閣総理大臣臨時代理(麻生太郎副総理)をたてて、国政運営に支障がないようにするところだろう。ところが、辞任を決めた病人が、後任の決まるまで首相の地位にとどまるというのである。いま、この国はトップが中途半端な状態にある。しかも、コロナ禍の巨大台風への対応を求められる決定的に重要な局面において、首相の顔が見えない。「これまで経験したことのない台風」が九州に迫るという真正の非常事態に、「憲法改正で緊急事態条項を」という改憲フェチの首相が居すわっている不幸を思う。

「敵基地攻撃能力」をもつ国へ

辞任会見のなかで安倍は、「病気と治療を抱え、体力が万全でないという苦痛の中、大切な政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはなりません。国民の皆様の負託に自信を持って応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではないと判断いたしました。」と語っている(首相官邸ホームページ(2020年8月28日))。ここでは重要なことがいわれている。病気のために「大切な政治判断を誤る」可能性があるというのである。だとすれば、前述のように、内閣法9条に基づき臨時代理を立てて、自らは入院して治療に専念すべきであろう。ところが、不思議なことに、辞任会見が終わるや、妙に吹っ切れたように、在任中に「敵基地攻撃能力」についての方向性を出すようにと指示を出しているのである。「在任中に憲法改正を」とか、オリンピックを自ら主催するとか、やたら「レガシー」ばかりを強調する人物が、とうとう、「敵基地攻撃能力」を「レガシー」と勘違いしているようである。6月に「イージス・アショア」を撤回するや、唐突に出てきたのが「敵基地攻撃能力」だった。北朝鮮もコロナや水害でそれどころではないというのに、なぜ日本が攻撃能力を急ぐのか。究極の「不要不急」の議論を、辞めると宣言した首相が熱心にやっている。本当に病気ならば、おとなしく入院するか、自宅療養に徹するはずなのだが、「敵基地攻撃能力」についての首相談話まで出すと言い出している(9月4日現在、朝日新聞参照)。「政治的仮病」という私の指摘は外れていないように思う。「フェイント政治」にひっかかるな。国民の「忘却力」(Vergesslichkeit)に依拠する統治に対しては、国民は立ち止まってしっかり考え、選挙での「一票」を行使することが求められている。

次回は、史上最長にして、最悪の官房長官が首相になるかもしれないという、この国の不幸について書く。

《文中敬称略》
(2020年9月4日脱稿)

《付記》

冒頭左の写真は、全国各地にいるゼミ出身のマスコミ関係者から届けられた号外である。朝日、毎日、読売、北海道、北日本、静岡、沖縄タイムスで、東京新聞は号外を出さず、「張り出し号外」(販売店の表に張り出すもの)で対応した。宮崎日日は号外はないので、29日付紙面を送ってもらった。

冒頭右の写真は、『南ドイツ新聞』8月29/30日付2面に掲載された安倍首相辞任のニュース。写真は、歌舞伎町一番街側から靖国通り向かいのビルの大型(LED)ディスプレイの記者会見中継の映像。

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