菅義偉政権、「恣意」の支配――「シュタージ国家」への道
2020年11月16日

大統領選挙後の大統領占拠

メリカにおける政権移行が滞っている。というよりも、現職の大統領が選挙での敗北を認めず、選挙無効を言い立てて訴訟を乱発し、来年1月20日までホワイトハウスに「籠城」する勢いである。『南ドイツ新聞』11月13日付は、「ブラックハウス」というタイトルと写真を載せて、「米国の民主主義と法の支配の終わりになるだろう」と危惧している。まさに異常事態である。

11月13日のロイター電によれば、勝敗が判明していなかったジョージア州でバイデンが確実となり、ノースキャロライナ州をトランプがとって全50州で大勢が判明した。その結果、全米538人の選挙人のうち、バイデンが306人、トランプが232人を獲得することが確実となった。2016年大統領選挙の際にトランプが獲得した選挙人の数が306人だったから、大逆転である。2016年選挙で306人の選挙人を獲得したことを「地滑り的」勝利とトランプは表現していたから、それを踏まえれば今回はバイデンの圧勝ということになるのだろう。加えて、13日集計時点で人民投票の得票数でバイデンがトランプを約539万票(3・4ポイント)上回っている。トランプの敗北は明らかである。

しかし、トランプは、合衆国大統領選挙の歴史上政治慣習化した「敗北宣言」を拒否している。大統領選挙が終わって、「大統領占拠」が始まった。バイデンは2021年1月20日に宣誓を行い、合衆国大統領として活動を開始することができるか。旧政府から新政府への政権移行は、米国の歴史上最も困難なものとなるかもしれない。冒頭左の写真は、ドイツの週刊誌 Der Spiegelの11月7日号の表紙で、タイトルは「家屋占拠者 大統領執務室をめぐるトランプの汚い戦い」である。スクォッター(Squatter)という60年代の空き家占拠運動を覚えているものは、トランプにこの言葉をあてたことにいろいろな意味を感じるだろう。

トランプ-安倍の退場

世界各国の首脳のなかで、最もトランプべったりだったのは安倍晋三だろう。ここまでやるかの世界(「相棒」!)を見せつけられた。「8.28」(政治的仮病による政権投げ出し)は、コロナ対応の行き詰まりと「アンリ事件」公判の進展が背景にあるが、トランプの敗北を早々と見越して、これに現職首相として向き合うことからの逃亡という面もあったのかもしれない。トランプ敗北についての安倍のコメントが見物である。

2016年11月17日から2020年8月までの、「ドナルド・シンゾー」の「蜜月」時代がこの国に与えた(与え続けている)巨大な負債は、米国にとっては積極財産として継承されていくだろう。兵器の爆買いの支払いも、バイデン時代に本格化する。

「恣意の支配」

「ドナルド・シンゾー」時代は、まさに恣意の支配だった。「恣意」(Willkür)は、「自分一個の特殊性を最も多く突出させる」(ヘーゲル)。国家権力に法を守らせ、恣意的な権力行使をさせないことが法の支配の眼目である。法の支配の対語は「人の支配」であり、人治主義である。気ままで放縦かつ自分勝手であり、論理的な必然性もなく、思うままにふるまう。恣意の支配からの脱却、端的に言えば、究極の人治主義による「トランプ災害」からの復興が、バイデンとハリスのコンビに求められている。

11月9日の2人の勝利演説は人々に希望を与えるものだった(『毎日新聞』と『東京新聞』の11月10日付が全文翻訳を収録した)。とりわけ初の女性副大統領となるカマラ・ハリスのそれは、目配り、気配り、心配りの行き届いた、言葉を精選した、人々の心を射抜く名演説だった。米国にいる人を介して入手中なのが、“Make America Normal Again”というキャップである。近々、「わが歴史グッズ」のトランプ・キャップ(2016年と2020年)の横に加わる予定である。とりあえずこの大統領選挙の結果、「恣意」の支配から離脱する、「ノーマル」な米国(ここではNormalの中身は留保した上で)への希望を多くの人が抱くことになった。だが、この4年間の「恣意」の支配(トランプ的なるもの)の種は残り続け、米国社会の深部と芯部に転移・攪拌していくかもしれない。大都市圏にも支持が広がっていくかどうか。何よりもトランプ本人が「4年後の大統領選挙に立候補」という形で、米国の「時間」をも支配していくことになるだろう。

「ドナルド・シンゾー」時代を「継承」する日本の菅義偉政権の方はどうか。冒頭右の写真は、10月29日の衆議院本会議で、野次に対して後ろを振り返り、大島理森議長に向かって静かにさせてほしいと求める菅義偉首相である。国会は国権の最高機関。そこで行政府の長たる首相が野次を浴び、批判されるのは当然のことである。議場の静謐を維持するため、議長が自らの判断で「静粛に願います」というのであって、首相がそれを要求することはあり得ない。首相が議長に向かってそのようなことを求めることは、日本の国会の歴史になかったことではないか。「独裁者」という野次がひどいかどうかはともかくとして、国会の議長に向かって注文をつけることは、さすがの安倍晋三もやらなかったことである。

安倍晋三という「無知の無知の突破力」を最大の武器とした政権が、菅義偉という「特高顔」(辺見庸の言葉[『毎日新聞』10月28日付夕刊])の政権となって、そこにおける「連続」と「断絶」の側面を慎重に見極めることが求められる。菅が官房長官をしていた安倍政権から菅が首相となった政権に確実に継承されるのは、「シュタージ」(Stasi: Ministerium für Staatssicherheitの通称で、旧東独・国家保安省のこと)の手法である。ソ連の秘密警察をモデルにしたもので、社会全体に徹底した監視システムをつくり、とりわけ人力を重視し、市民の批判的言動を密告する非公式協力者(IM)は全人口の一割近くもいた。

壁崩壊31周年と日本の「シュタージ」

先週の月曜日は、「ベルリンの壁」崩壊から31年だった。15年前の直言「「壁とともに去らぬ」―旧東独の傷口」を改めて読み、1991年2~9月のベルリン滞在時のことを思い出していた。この「直言」でも書いたが、私が住んだ旧東ベルリンでは、「シュタージ」のトラウマに人々がさいなまれていた(自殺者も出ていた)。

安倍逃亡後に政権を握った菅の場合、より粘着質で陰湿な面が前面に出てきている。日本学術会議の問題には、菅の「シュタージ」的手法が集中的に表現されている(直言「学問研究の自由の真正の危機―沈黙するなかれ」参照)。菅の場合、安倍の「エスカレーター人生」のむしろ逆の、「東北出身」「たたきあげ」「したたか」「下積みが長い」等々を売り込みポイントとして押し出している。狭量・狭隘、知的好奇心の著しい欠如は安倍には言えても、菅にはあてはまらないだろう。俗に言う「地頭」と政治感覚と政治的勘はすぐれていて、人を信用しない、極端な猜疑心は、安倍とは違った意味でより強いと思う(直言「安倍政権が史上最長となる「秘訣」―飴と鞭(アベと無知)」参照)。菅の「シュタージ」的体質は、この間の国会質問のなかで垣間見られるが、その分かりやすい教材が、 国会質問でも取り上げられた菅義偉『政治家の覚悟』(文春新書、2020年)である。

先日、駅の書店で購入して、講演先に向かう電車内で読了した。国会質問にも登場した第6章「「伝家の宝刀」人事権」は確かに目玉だろう。NHK問題で担当課長を代える人事を強面に敢行したことが、自慢話として得々と書かれている(144-153頁)。「人事を重視する官僚の習性に着目し、慣例をあえて破り、周囲から認められる人物を抜擢」する(150頁)。「官僚の習性」は「メディアの習性」と置き換えてもいいだろう。それぞれの組織のルールを無視して、その弱点を利用して操縦していく。その際、「恐怖」を利用するのが菅の特徴である。上記の自慢話も、官僚側が震え上がる言動や手法がおおらかに語られている。

菅は2015年6月、憲法学者3人が一致して安保関連法案を違憲と断言したことについて、「予想もできない事態」と呼び、法案が参議院で可決・成立したとき、「体中の力が抜けていくような気がしたものです。」と述懐している(210-211頁)。正直な気持ちだろう。

これがトラウマとなって、自分の意に反する意見を事前に取り除くことへの執念にも似たこだわりが生まれたのだと思う。特に憲法学者は百地章などの一部を除いて、絶対拒否の姿勢が定着した。例えば、天皇の生前退位問題を検討する首相の諮問会議「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」のメンバーにあえて専門の憲法研究者を入れず、行政法学者一人のみにしたのも菅の指示だろう。安倍以上に粘着質で執念深い菅の性格は、首相になって遺憾なく発揮されていく。

首相になるや、安倍腰巾着の今井尚哉や佐伯耕三といった経産官僚を直ちに切り捨て、和泉洋人首相補佐官と、警備公安警察畑の杉田和博官房副長官北村滋国家安全保障局長を残した。特に杉田は、来年4月になれば80歳である。昨年私は、安倍内閣のもと、この国は日本版「公安警察国家」(シュタージ国家)になりつつあると指摘したが(直言「映画『新聞記者』を超えるリアル――逮捕状を握りつぶした人物が警察庁長官に?!」参照)、菅政権になって、杉田の存在が俄然、クローズアップされている。野党が杉田の参考人招致を要求しても、与党側は拒否し続けている。

菅官房長官秘書官から警視庁刑事部長となった中村格は、元TBS特派員の山口敬之に対する逮捕令状執行をもみ消したことで悪名高いが、その後、警察庁総括審議官を経て、現在、警察庁次長となっている。警察庁長官となる最短距離にいるが、菅政権になって中村警察庁長官の実現可能性は格段に高まっている。中村の長官就任は、杉田の政権内での高い地位とも相まって、菅政権の「シュタージ国家」性の一つの到達点を示すものとして、いまから注目しておこう。

霞が関の中央合同庁舎8号館5階にある内閣人事局。会議室フロア(A~E)だが、その一角にある人事局が日本の高級官僚の全人事を統制している。局長は杉田官房副長官。元・警察庁警備局長として、全国の警備公安警察の頂点に君臨した。中央合同庁舎2号館20階の警察庁警備局のフロア。なかでも警備企画課が司令塔である。杉田はここから、全国の警備公安警察を統制し、安倍内閣と菅内閣のありように大きな影響を与えてきた。警備公安警察の体質は戦前も戦後も基本は変わらない(直言「わが歴史グッズの話(40)―「特高」を必要とする「共謀罪」」)。

内閣法制局長官から最高裁判事となった山本庸幸のインタビューは一つの歴史的証言といえるだろう。安倍政権時代、集団的自衛権行使を合憲とする「7.1閣議決定」が行われるには、内閣法制局長官人事が大きかった。

元・内閣法制局長官の告白

最近、新聞のインタビューに登場した山本元法制局長官は、任期前に長官退任を言い渡したのが、杉田官房副長官であったことを告白している。集団的自衛権行使を違憲とする解釈を維持する内閣法制局を変えるため、安倍は杉田を通じて長官人事を強引にすすめた。以下、『毎日新聞』11月12日付から引用する。

「…2013年の6月ごろだった。首相官邸で開かれた閣議の後、杉田さんから「あ、ちょっと」と呼び止められ、立ち話の形で「君には7月21日の参院選の後に辞めてもらうことになっているから」と言われた。長官は政治任用ポストである特別職の国家公務員なのでそう言われれば従うしかないが、後任の名前を聞いて本当に驚いた。それは内閣法制局での勤務経験が全くない小松一郎駐仏大使(当時、14年に死去)だったからだ。」「実は、私は12年12月の第2次安倍政権発足の数日前、安倍氏の側近から「首相は集団的自衛権の行使容認を希望されている。どう思うか」と聞かれ、「集団的自衛権を真正面から行使するのは憲法上できない」と答えていた。と同時に「もっとも、現行の憲法解釈で認められるギリギリの範囲内で自衛隊の活動を広げることならできるだろう」とも話した。私が法制局長官として集団的自衛権について意見を伝えたのは、その1回だけだった。」

山本長官は集団的行使合憲の解釈変更の方針を首相が出せばその方向で検討をするという気持ちはもっていたと述べている。

「…行政機関の一員として、トップから指示されれば、そのように動くのは当然のことだ。ところが、安倍氏は、私の考えていた行政機関のトップというよりは、あたかも党内政治のように行政機関内部にも政治的に振る舞ったと思う。つまり、部下に指示し、議論し、必要なら説得して方向性を決めるのではなく、いわば「うるさ型」を、いつの間にか渦の中心から徐々に外していき、気が付いたら渦から出されていたというのが実感だ。」

安倍的手法は、「異論つぶし」である。官僚操縦法が「党内政治」のようだったという指摘は注目される。結局、山本は長官を退任させられることになる。今回の学術会議問題について山本はいう。

「…私のころは、官邸内人事は、すべて杉田氏が差配されていた。後に内閣人事局長になられたが、人事のスペシャリストであり、既に長くやっておられるので、人事を通じての各省庁に対する官邸の影響力には今や絶大なものがある。しかも「人事権は内閣にあり」という原則を誰よりも重んじていたと思う。それ自体は、内閣が行政組織の統一を図り、国務を総理する機能を十全に果たす上で必要なことである。

ところが、昨今の日本学術会議を巡る問題は、外から見ていて、どうにも理解しかねる面がある。法律の解釈はともかくとして、日本学術会議は確かに首相の所轄の下にあるが、各省庁のように直属の行政機関ではない。しかも日本学術会議法では「会員は、日本学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」とあるのだから、それなりの自治が認められていると思う。そういうところに内閣の人事権の論理を持ち込むのは、いささか場違いな気がする。」

菅義偉政権の寿命を縮める

菅義偉政権の「シュタージ国家」性は日本学術会議問題で国民の知るところとなった。国民の関心は高くはないが、しかし、その動きは身近にもあらわれている。例えば、NHKの9時のニュースについての最近の動きは、「シュタージ国家」の兆候をわかりやすく示している。

権力の私物化は官僚的合理性との衝突をもたらす。安倍政権下の高級官僚の人事は、役所のなかの暗黙の人事ルールを壊し、官僚のなかに、ねたみ、そねみ、やっかみ、ひがみを蔓延させ、役所の空気をよどませている。これがマグマのようになって、いつか爆発するだろう。とうのドイツで「シュタージ」への国民の怒りはすさまじく、ベルリンの壁崩壊に向かうエネルギーともなった。菅義偉政権が「シュタージ」的手法を多用すればするほど、自らの首をしめ、その寿命を縮めていることを知るべきだろう。

(文中・敬称略)


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