アフガニスタンはどうなるのか――「9.11」と「10.7」から20年
2021年9月6日

自民政権維持のためのフェイント――菅首相退陣

義偉首相が退陣表明をした。昨年914日の直言「メディアがつくる「菅義偉内閣」――「政治的仮病」の効果で書いたように、今回も大きくみれば、自民党政権を維持するための政治的フェイントではないのか。安倍政権への批判をかわすために登場した菅政権は1年で役割を終え、メディアによる「総裁選狂騒曲」の直後の総選挙で、自民党が多数を占めるのか。国民は、自らが一票を行使できない一政党の党首選びにすぎない「総裁選」の帰趨に目を奪われ、その結果誕生する新党首が「総理・総裁」になることを当たり前のことのように思ってしまう。そもそも「総理・総裁」という言葉は、政権交代が普通にある国々には存在しない、特殊日本的政治用語であることを知るべきである。メディアがこの言葉を無批判に使うこと自体、現政権維持に貢献するものではないか。

 コロナ対応やアフガン退避の失敗、安倍政権以来の数々の政治スキャンダルなどの重要問題は脇に追いやられ、五輪のメダルレースの次は、総裁レースにテレビのワイドショーは連日時間をさく。臨時国会を開けば政権の立ち往生は必至の状況のなか、憲法53条後段違反を続けている菅首相「最後のご奉公」が、この時期、このタイミングでの退陣表明だったのではないか。その意味で、「コロナ前逃亡の安倍晋三の手法を忠実に「継承」したといえなくもない。このような政治手法が繰り返されることで、この国の議院内閣制がどこまで壊れてしまったのかを後日論ずることにして、早速本論に入る。

 

米国が勝手に始めて、勝手に終わる

830日、バイデン米大統領は「20年間にわたるアフガニスタンでの米軍駐留は終了した」と、アフガニスタン戦争の終結を正式に宣言した。新聞各紙は91日付朝刊の一面トップで、「20年戦争 米幕引き アフガン撤収完了」(『毎日』)、「米軍 アフガン撤退 最長の戦争20年 終結」(『朝日』)などと大きく報道した(『読売』だけは「眞子さま年内結婚」の「スクープ」)2001107日から2021830日まで20年近く続いた、米国史上最長の戦争ということが強調されていたが、そのきっかけ、ないし口実とされたのが2001911日に起きた、いわゆる「同時多発テロ」であった。今週の土曜日で20年になる。

   9.11」、それが世界をどう変えたのかについては、2年前に直言「「新世界無秩序2.0」へ?――9.11」から18で詳しく論じた。この20年のアフガニスタンをめぐる状況を貫いているのは、戦争を勝手に始めて、勝手にやめた米国の身勝手さである。米ブラウン大学の研究チームが91日、「部分的なコストに過ぎない」と断りつつ発表した数字では、「9.11」後の「対テロ戦争」の費用は8兆ドル(880兆円)、死者は90万人前後 (米兵7052人、敵対した兵士30万人前後、市民3638万人、ジャーナリスト680) に達するという(『朝日新聞』92日付夕刊)

 

ジョージ・ブッシュの「世紀的誤り」

この写真は、世界貿易センタービル(World Trade Center)の残骸の一片である。冒頭左の写真は当日の号外である。あの日の驚きとショックは今でも鮮明に思い出される(直言「最悪の行為に最悪の対応参照)だが、実際何が起きていたのか、真の首謀者は誰なのかを含めて、その全貌が明らかにされたわけではない(なお、93日、バイデン大統領が連邦捜査局(FBI)の9.11関連文書の機密指定見直しを指示し、これを公開する大統領令を出したことは注目される(『毎日新聞』94日付夕刊))

 2001107日、米軍は、アフガニスタンに対する「空爆」(この言葉は要注意)を開始した。私は翌日の直言「言葉もて、人は獣にまさるで、「テロを実行した者たちが潜んでいる(とされる)国[アフガニスタン]に対して「報復」を行うことは許されない。「武力復仇」を克服し、これを禁止するのが国際法秩序である。「報復」で無辜の市民を犠牲にすることは、国際法秩序を崩壊させるものといえよう。」と書いた。そして、直言「あれから5年――何が変わったのか(その1)でこう指摘した。

 「…ブッシュ大統領は、「9.11」直後、「これは戦争だ」(厳密に言うとThe Art of War)と叫んだ。そもそも非国家的主体(「テロリスト」)による攻撃に対して、それがどんなに規模が大きくても、これを「戦争」と呼び、軍隊を他国への攻撃に投入したのは重大な誤りだった。あの時、国際刑事警察機構(ICPO)などとともに、全世界の警察組織が連携して、容疑者を追及すれば、少なくとも「テロとのたたかい」はアラブ世界にも支持を広げられたに違いない。ブッシュのやったことは、「世紀的な誤り」と言ってもいいだろう。

 メディアでもさかんに、「非対称戦争」ということが言われたが、戦争が、「国家意思を他国に強制するために国家間で行われる正規軍を使った武力の応酬」と定義すれば、「対テロ戦争」という概念は成り立たない。「戦争」概念の内包をゆるめ、外延を広げていくことで、いつの間に、「テロそのもの、テロリスト、テロリズムに対する戦争」、略して「テロとの戦争」という概念がひねり出されたのである。

 1945年の国連憲章によって、武力行使や武力による威嚇に対する厳しい規制の枠組が作られたのであるが、それは、自衛権観念の恣意的な拡張や、「事態の累積理論」などを通じて徐々に崩されていった。「対テロ戦争」により、軍事力行使への「規制緩和」がはかられたわけである。…」

 この誤った「戦争」に対して、米上下両院を通じて、ただ一人、反対票を投じたのがバーバラ・リー議員(民主党、カルフォルニア州第9(現在は第13)選挙区)であったことは記憶されていい。私は20年前、「アメリカの良心」と書いた。米国が国際法違反の「ブッシュの戦争」に丸ごと賛成したのではないという良心の証として、リー議員の「たった一人の反対」の意味は限りなく大きい(直言「たかが一人、されど一人)。最近、リー議員について、『朝日新聞』8月15日付が記事にしている(ここをクリック)

 

「アフガン30年戦争」の終わり方――旧ソ連10年、米国20

冒頭右の写真は、『南ドイツ新聞』92日付9面トップである。同紙編集委員Sonja Zekriの評論で、「それでおしまい」(Das war's)、リード文は「ロシア[旧ソ連]はヒンズークシュ山脈[アフガニスタン]で挫折したが、そこから米国は何も学ばなかった。1989年のように問題はそのままだ。撤退によって超大国の終わりが始まるのか」とある。「ソ連のアフガン戦争」は、1979年に軍事介入したソ連軍と、ムジャヒディンなどの反政府組織・義勇兵との戦いである。ソ連軍の撤退は19892月、花で飾られた装甲車両が「友情の橋」を通ってウズベキスタン(当時、ソ連邦構成共和国)に帰っていった。10年間でソ連側に14000人以上、アフガン側は100万以上の死者を出す結果となり、「ソ連のベトナム戦争」といわれた。

 対照的なのは、「アメリカのアフガン戦争」の終わりを象徴する写真で、暗視カメラの緑色の画像に写し込まれた一人の軍人である。カブール国際空港からC-17輸送機に乗り込む最後の一人、第82空挺師団長クリストファー・ドナヒュー少将である。

ソ連軍は占領中、強力な武器に加えて、20万人のアフガン人の技術者、将校、行政官を養成した。だが、ソ連は惨憺たる敗北を喫して、撤退することになる。これはソ連邦の終わりの始まりを意味していた。アフガニスタンはソ連にとって、初めての無意味で英雄なき戦争となり、退役軍人だけでなく社会全体に深刻なトラウマを負わせることになる[アフガン撤退の210カ月後にソ連邦解体]

米国にとっても、バイデン大統領が述べたように、国家建設の試みは、カブール空港で終わることになった。「他国を変革[レジーム・チェンジ]するための大規模な軍事作戦の時代は終わった」とバイデンは語った。

 

「価値の輸出」の終わり

ドイツの左派系新聞tageszeitung 828日に掲載されている、ヘルフリート・ミュンクラー(フンボルト大学名誉教授、政治学)の評論「アフガニスタンにおける西側の挫折:「価値の輸出の終わりも興味深い。「テロとの戦い」がすべてならば、アルカイダの基地は初期の段階で崩壊したので、「遅くとも2003年には撤退することができた」とみる。米国や西側同盟国の行動の基礎にあったのは「レジーム・チェンジ」と「ネイション・ビュルディング」(国家建設)である。ソ連も、約10年間、同様のことを試みたが、失敗した。アフガニスタンへの西側介入の根本的な間違いは、ソ連の失敗の理由を慎重に分析しなかったことであるとして、この評論は、価値に基づく世界秩序の終焉を論じていく。

 アフガニスタンでの西側の失敗に対して、地政学的な勝者がいる。中国とロシアである。中国・ロシアとタリバンとの妥協線は、中国の新疆ウィグル自治区の問題に介入せず、かつてソ連邦に属していた中央アジア諸国におけるイスラム過激派の活動を支持しないことである。その見返りに、中国とロシアはタリバンに経済的観点から協力していく。ロシアと中国は人権や市民権の輸出を放棄するから[そもそも両国自身が怪しいが]、タリバンは邪魔されることなくイスラム首長国の設立へと向かう。西側諸国が掲げてきた「価値の輸出」の時代は終わったというわけである。

 

この写真は、私の研究室にあるブルカである。20021月にカブール市内で売られていたものを、知人が送ってくれたものである。タリバンは女性の権利・自由を認めず、ブルカの着用を強制してきた。だが、アフガニスタンは多民族国家であり、「北部同盟」のような軍閥も割拠して、けっこう残虐なこともしている。米国はかつて、「北部同盟」などを巧みに利用してタリバン政権を倒した。いま、新たなタリバン政権が発足するなかで、北部の抵抗勢力との内戦も危惧されている(『毎日新聞』93日付)

 この20年間、アフガニスタン社会を支え、そこで育ってきたエリートの少なくない部分が8月中旬から下旬にかけて、国外に脱出した。タリバンが、西側諸国に留学し、あるいは西側諸国の機関で通訳や運転手として働いた人々への粛清を始めるかどうかが重大な懸念としてある。これは楽観も悲観もできない。国際社会からの援助を得たければ、国民の権利・自由の否定は決定的にマイナスになるから、タリバンとしてもすぐに「大粛清」を始めることはないだろう。ただ、真綿で首を締めるように、直接・間接の圧力をかけてくる可能性は否定できない。タリバン内部も複雑で、穏健派と過激派に単純に二分できない。

 米国やNATO諸国が育成してきたアフガン政府軍20万と国家警察10万はものの見事に消えてしまった。近代的な武器や車両、航空機なども、タリバンがすでに確保している。ドイツが育成した警察官とワルサーP1拳銃1万丁もタリバンの手にわたったようである。

タリバンは、官僚や軍人、対米協力者などに対する「恩赦」を行うという。数と装備の点では圧倒的だったアフガン政府軍が、なぜタリバンの前に雲散霧消したのか。この過程の検証がいずれなされるのだろう。だが、20年間の恨みが私的報復につながることもありうる。タリバンがどのように秩序を維持できるかが鍵となろう。

 そのためには、タリバンを過度に追い詰め、孤立させないことが肝要である。彼らは、ソ連や米国などとの「10+20年戦争」の結果、外国勢力を駆逐して、独立を達成したという思いでいる。どこの国と、どんな関係を取り結ぶか。これからタリバンも慎重に見極めていくだろう。その点で、習近平国家主席が2013年に提唱したシルクロード経済圏構想の「一帯一路」にタリバンが参加する意向を示したという情報が気になる(時事通信93)。このままいくと、タリバンに対する最も影響力の強い国は中国ということになりかねない。

 

タリバン、日本との良好な関係を望む?

  意外だったのだが、フジテレビ系の「プライムオンライン」の取材に対して、タリバンの報道官が、「われわれは、日本人のアフガニスタンからの退避を望んでいない。しかし、自衛隊は退去してほしい」と述べたことである。報道官は、「われわれは日本人を保護する」といい、現地の日本人などに退避しないよう呼びかけたうえで、「[日本との]友好的で良い外交関係でいたい」とも主張したという(826日放送)

日本ボランティアセンター(JVC)顧問の谷山博史氏は、「タリバーンを孤立させれば報復につながる--“軍隊”を派遣していない日本だから可能な対話を」(『週刊金曜日』92日号)でこう述べている。「・・・主要諸国の中で日本だけがアフガン本土に“軍隊”を派遣しなかった。日本が他国と違うのは、ひとりのタリバーン兵もアフガン市民も殺していないということだ。日本がタリバーンからも一定の信頼を置かれているのはこの一点においてに他ならない。日本はタリバーンと国際社会を仲介する大義をもっている。このアフガニスタン危機において日本の平和外交のイニシアティブを発揮するべきだ。」と。重要な指摘だろう。

 

中村哲さんの存在が大きい

この点で、201912月に殺害されたペシャワール会の中村哲さんの存在は大きかった。武力で占領するというイメージとは正反対の中村さんの存在と活動は、これからのアフガニスタンにおいても光であり続けるだろう。

拙稿「「武力なき平和」の実践者」(『週刊金曜日』20191213日号)は、中村さんが殺害された直後に書いたものである。 20011013日の衆議院テロ対策特別委員会の参考人質疑で中村さんは、「9.11」からまだ1カ月しかたっていない時点で次のように述べていた。「現地におりまして、日本に対する信頼というのは絶大なものがある。それが、軍事行為に、報復に参加することによってだめになる可能性があります」「自衛隊派遣がとりざたされていますが、当地の事情を考えますと有害無益でございます」と。

 
これからも、日本のスタンスは、中村さんが命をかけて示してきた方向と内容であるべきだろう。

 

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