「安倍院政権」の誕生へ――権力の私物化と「生業としての政治」(その2)
2021年10月4日

ドイツは多党連立交渉、日本は一党派閥交渉

民党総裁選で岸田文雄が当選した。私が大学院博士課程院生の時に法学部に入学してきて、3年時に民法のU助教授のゼミに所属していた。海部俊樹以来、32年ぶりとなる早大法学部出身の首相について、学内外ともに話題になっていない。それはともかく、今回、5年前に書いた直言「権力の私物化と「生業としての政治」の続きで、「その2」をアップすることにしたい。この間の日本の政治の展開は、あまりに情けなく、新しいことを語る気力がおきない。5年前の前稿に登場する「役者たち」が今週から主役になっていくからだ。ドイツでも連邦議会選挙後の政治の停滞と手詰まり感があるが、決定的に違うのは、政党間の議論が重ねられていることである(16年前のメルケル政権発足までの迷走参照)

   先週のドイツ連邦議会選挙についてはすでにアップしたが、早速、4つの党の間で連立交渉が始まっている。組み合わせは、「ジャマイカ連合」と「信号機連合」の2つに絞られたが、後者になるだろう。出だしから2つの野党(「緑の党」とFDP)が主導権を握り、順調に政策協議を重ねている。対照的に、日本では、政党間協議どころか、ただひとつの政党、つまり自民党が、派閥入り乱れての権力闘争にうつつを抜かしてきた。そして、衆院選前ということで、報道の政治的中立性・公平性が求められるにもかかわらず、報道における野党の扱いは圧倒的に少ない。この時期、このタイミングでの総裁選は、「衆院選比例区は自民党に」という大規模な事前運動を、メディア(特にテレビ)を使ってやったのと同じ効果を発揮した(させた)のではないか。

 

安倍院政――自民党総裁選の結果

  それにしても、岸田がここまでの大差で勝つとは予想していなかった。昨年の夏、コロナ禍で「政治的仮病」を使って政権を投げ出した安倍晋三が、何故ここまで偉そうに立ち回れるのか。普通の政治家の感覚ならば、しばらくはおとなしくしているだろう。本当にこれは謎である。「無知の無知の突破力のパワーは無敵なのだろうか。高市早苗を公然と推薦して、「泡沫といわせない」などと勘違いさせてしまった。「ネトウヨ」の潜在力を引き出して、高市自身が抑制を求めるところまで暴走させてしまった。その結果、河野太郎を上回る議員票が出た。安倍が「アベフォン」を使って、議員たちに直接圧力をかけたことも大きいようである。

   元首相となる安倍の気になる言葉がある(929日の高市結果報告会での挨拶)。「高市氏を通じ、自民党がどうあるべきかを訴えることができた。はがれかかっていた多くの自民党支持者が自民党の元に戻ってきてくれた」(『東京新聞』929日付)822日の横浜市長選挙の結果は、自民党にとって、相当なダメージとなった。自民党支持者も菅政権から離反しつつあることが歴然となったからである。あのまま総選挙に突入すれば、大量の議席を失う。自民党にとって真正の危機だった。そこで繰り出した奇策が、この「総選挙直前の総裁選」だった。私はこの手法を徹底的に駆使したのが、安倍だと考えている。自民党の支持率は回復しつつあるという。だが、衆院選投票日まで何が起こるかわからない。直言「「アベ的なるもの」の終わりの始まりを書いたが、この総裁選への過度の介入がかえって、「アベ的なるもの」の終わりを早める可能性もある。

   なお、この写真は、国会売店で売られてきた安倍・菅内閣記念のお菓子たちで、関係者から研究室に届けられてきたものである(まもなく「キッシー瓦版煎餅」が届く。賞味期限はいつになっているか)


 役者たちの「復権」

ところで、今回の総裁選では、2012年と同様、地方の党員・党友票で多数をとった候補が、決選投票において破れている(私は決して負けた候補がいいといっているわけではなく、むしろ逆である。念のため)

 冒頭の写真は、『南ドイツ新聞』930日付9(国際政治)トップである。「温和な右派」が自民党のトップになる過程を、数値を交えて分析している。「総裁選に出馬したカルテット[4]」について、自民党のすべての範囲をカバーしているとして、ナショナリスト強硬派(die nationalistische Hardlinerin)の高市早苗、リベラルな男女同権運動家(die liberale Gleichstellungskämpferin)の野田聖子、ちょっと変わりやすい現実政治家(der etwas wechselhafte Realpolitiker)の河野太郎、そして温和な右派(der sanfte Rechte)の岸田文雄という「カルテット」を描いている。そして、岸田は、「党の権力構造において、右翼ポピュリストと改革派の間を体現する妥協のようなもの」と位置づけられている。

 岸田総裁のもとでの党人事、岸田内閣総理大臣としての組閣は、まさに「安倍院政」の様相を強めている。本稿執筆時点(101)で、党役員人事で真っ先に決まったのは、「甘利明幹事長」だった。これには仰天した。忘れもしない。この写真は、5年前の直言「権力の私物化と「生業としての政治」の冒頭で使ったものである。当時は経済再生担当大臣。独立行政法人都市再生機構(UR)との補償交渉をしていた千葉県の建設業者から100万円(元公設秘書が500万円)を受け取ったことについて、口利きの事実は否定しつつも、現金授受については「記憶が確かでない」と曖昧にし続けた。大臣室での現金授受という疑惑について、国会での答弁を避けて、結局、「睡眠障害」という診断書を使って逃亡した(『朝日新聞』2016216日付夕刊)

   この写真は、安倍政権下で辞任した閣僚のラインナップである。甘利のほかには、小渕優子の辞任が生々しい(#ドリル優子で検索)。細田派の高木毅・元復興大臣の国会対策委員長起用については、これが「適材適所」ならば、野党を馬鹿にした人事としかいいようがない(高木の「華麗な経歴」について『毎日新聞』930日付参照)。民主党政権下の201112年に国会対策委員長をやった岸田ならば、野党との駆け引きを含めて、高木ではもたないことはおそらくわかっているのではないか。「人の話をしっかり聞くこと」が特技?の岸田ゆえに、細田派(安倍)の声を聞きすぎたというところだろう。

 

政治は数、数は力、力は金、そして金はポスト

総裁選の「論功行賞」で、過去に辞任したり、逃亡したりした政治屋たちが閣僚や党の枢要なポストを占めていく。田中角栄の「名言」ではないが、政治は数なり、数は力なり、力は金なり、である。この連鎖の基軸が人事、ポストである。総裁選で見せつけられたのは、大臣ポスト(それ以下の副大臣、政務官等々の人事)欲しさの、政治屋たちの「仁義なきたたかい」である。2回もトップの座を投げ出した安倍は怖いものなしで、派閥を超えて、個々の議員に「裏の人事権」を行使している。

   「岸田人事」には安倍の意向が強く働いている。若手と女性の積極登用も、閣僚や政府の人事で行われていくだろう。本稿執筆時点での「サプライズ」は、当選回数3回の「福田達夫総務会長」人事である。自民党4役というが、総務会長はきわめて重要な役割をもっている。さまざまな利害を調整して、国会に出す法案から閣議決定の内容まで、党内手続の最終段階にある組織である。総務は総理大臣経験者など大物が入る。かつて総務会は全会一致を原則とし、数時間の議論の末、それでも反対する議員は退席する伝統をつくった。自民党の強さは、この総務会の決定前の稟議と根回しに支えられていた。それを「ぶっ壊した」のが小泉純一郎である。2005年の郵政民営化の際、民営化法案には党内の反対が強く、全会一致にはならず、怒号のなかでの多数決となった。多数決は決してしない総務会が壊れた瞬間だった。その時の総務会長、堀内光雄は、著書『自民党は殺された!』(ワック、2006年)でそれをリアルに描写している。安倍・菅政権以降の総務会にはほとんど力がなくなって、総務会長も軽量級になっていった。「こんな若くて総務会長が務まるか」というのは、小泉政権以前の自民党の話で、「福田総務会長」は今の自民党を象徴しているといえなくもない。

   女性の登用でもいろいろと目立ったことをしてくるだろうが、高市の扱いに見られるように、「アベ的なるもの」にコントロールされた岸田の「裁量」はきわめて狭くなるだろう。とはいえ、サンケイ系『夕刊フジ』102日付(1日夕方発売)1面トップが「高市封じ――岸田人事激震」と八つ当たりしているように、高市の政調会長ポストに右派は不満のようである。

  この写真は、1969年の自民党の結党14年でつくられたイメージソング「話しあいのマーチ」(作詩・星野哲郎、作曲・猪俣公章、編曲・竹村次郎、歌・水前寺清子)である(直言「わが歴史グッズの話(19話しあいのマーチ参照)。「云いたいことは なんでも云える 自由がここに あるんだぜ 話しあおうよ どこまでも 話しあおうよ 純粋に 心と心の  空間を みんなの意見で 埋めよう」…。半世紀後の自民党がこの歌からどれだけ離れてしまったか。「アベ的なるもの」はこのマーチの正反対のところにある

 

総選挙後に安倍院政は終わる?

104日に臨時国会が召集され、岸田が内閣総理大臣に指名される。32年前の海部俊樹内閣と同様、主要派閥(海部の時は旧竹下派)のコントロール下での組閣になりそうだ。国民は、「エーッ、この人が○○大臣!?」という仰天の人事を見せられることになる。『南ドイツ新聞』101(デジタル版)は、「背後にナショナリスト」という見出しで、総裁選で投票する安倍の写真を使っている。このまま安倍「院政」が始まれば、組閣の結果、岸田内閣ではなく、「岸内閣」になってしまうおそれがある。三木武夫のように大化けして、「アベ的なるもの」を切るかどうか。岸田がそれを行うため、いまは低姿勢で、安倍の声を丸飲みしているのであって、そういう「戦略」があるのだと期待するのはやめておこう。「ヘタレ」で終わった時の脱力感が大きくなるから。ただ、岸田が総裁選立候補の際、きりっとした顔で、「新自由主義的政策からの転換」を宣言したこと、党役員を11年、連続3期までとして、二階俊博幹事長の怒りをかった事実はしっかり記憶しておこう。自分の言葉にこれから縛られ続ける。これが政治家の宿命だからである。

 長期にわたって臨時国会の召集をしないという違憲状態を続けてきて、104日に召集する。それも総理大臣指名のために。安倍・菅両政権の特徴は、とにかく国会が嫌いなことである。特に予算委員会での追及が苦手な首相たちだったが、岸田もそれにならうのか。本会議での所信表明演説と野党の代表質問で打ち止めにして、予算委員会での追及でボロが出てくる前に衆議院を解散してしまう。その方向となるならば問題は根深い。

 ここは有権者の判断のしどころである。国民の忘却力(忘れっぽさ) に依拠して、安倍的統治手法が続いてきた。あと2カ月あまりで安倍・菅政権の9周年を迎える。もうリセットする時である。選挙では、自分が支持できそうな候補者を「選ぶ」のではなく、安倍院政権の側にいる候補者を「選ばない」という投票行動が求められている。「選択しない選択」である

 最後に、5年前の直言「権力の私物化と「生業としての政治」」で紹介したマックス・ヴェバーについての文章を掲げておこう。政治家とはかくあるべし、ということである。岸田文雄自民党総裁に謹んで進呈したい。

  マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(脇圭平訳、岩波文庫、1980年。原著:Max Weber, Politik als Beruf, 1919)によれば、政治家にとっては、情熱(Leidenschaft)、責任感(Verantwortungsgefühl)、判断力〔見通す力〕(Augenmaß)の3つの資質がとくに重要となる。「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」と熱く語りつつ、「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず! „dennoch!”)」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職(„Beruf”)」を持つ」で結ばれる。

(2021101日脱稿)

《文中敬称略》

 

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