「プーチンの戦争」に反対する――ロシアの研究者と弁護士の抗議声明
2022年3月7日

「ユーラシア人」と「大西洋人」の最終闘争?

の写真は、2016年のドイツ在外研究中に訪れたモスクワのみやげ物店で入手した「プーチン・バッジ」である。「我々を侮辱する者は、3日と生きられないだろう」と書かれている。プーチンは射撃の名手として知られ、この文章には凄味がある。左の写真はドイツの週刊誌Der Spiegel122日号の表紙である。「プーチンはどこまで行くのか」という特集だった。その約1カ月後の224日、まさにこの戦車群がウクライナ領内に侵攻を開始した。私は、泥沼化を避けるため、プーチンは「電撃戦」(Blitzkrieg)を仕掛けたとみて、第3次中東戦争時のイスラエル国防相モーシェ・ダヤンの「6日間戦争」(19676)を想起して、224日から、北京パラリンピックの開会式(34)までの「7日間戦争」で決着を狙ったのではないかとみていた(直言「「東アジアの不戦のメッセージ」――「プーチンの7日間戦争」が始まるなかで」)

実際には、ウクライナ軍と市民の抵抗の激しさ、ロシア軍の士気の低さ、これまでにない強力な経済制裁(特にロシアの銀行のSWIFTコードからの排除)、そして、ロシア国内外からの反対の声等々、プーチンが軽くいなせると思っていたものが存外、手ごわいことが明白になってきた。その焦りのあらわれだろうか、核兵器使用で威嚇したり、軍事的合理性の観点からもかなり危うい状況を生み出している。何がプーチンをそこまで突き動かしているのか。

いろいろな読み解きが可能だろうが、その一つに、Der Spiegelデジタル版(32)に出ていたClaus Leggewie(政治学、ロストック大学)の分析がある。「プーチンは狂気ではなく、イデオロギー的に一貫した行動をとっている。プーチンの行動を理解するには、どのようなイデオロギーが彼を動かしているかを知る必要がある」として、プーチンが、「ユーラシア人」と「大西洋人」との最終闘争(Endkampf zwischen Eurasiern undAtlantikern)を信じていると指摘している。プーチンのNATOへの異様な拒否反応は、ここに起因しているようである。したがって、ウクライナのNATO加盟は、プーチンにとっては絶対的に阻止されねばならない「レッドライン」というわけである。プーチンにとって、ウクライナとバルト三国は特別である。「特別の軍事作戦」がウクライナだけにとどまらない可能性も指摘されるのは、プーチンの「大ロシア主義」の世界にNATOが踏み込んできたからだろう。


コロナ禍の「民主主義国」間の戦争

ところで、ウクライナにおける新型コロナウイルス感染症の感染状況を示すグラフを見ると、ロシア軍の侵攻が始まった224日頃から数字が下がっている。医療機関は、コロナの検査や治療どころではなく、戦傷者の治療に全力をあげているからだろう。ロシア軍もウクライナ軍も、コロナ対策をして戦っている映像は寡聞にして見たことがない(ガスマスクは別)。住民も、地下室やシェルター、地下鉄の駅などに避難して、密集状態である。ウクライナから周辺諸国に脱出する避難民も、マスクをしている人は少ない。ロシア軍のなかでクラスターが発生して、戦線離脱となった部隊がいるのかどうか。事情はウクライナ側も同じだろう。コロナウイルスは、国籍や民族を選ばない。この戦争にコロナがどのような影響を与えているかは、これから明らかになるだろう。

 もう一つの要素、それは、まがりなりにも民主的な選挙によって選ばれた大統領をトップにいただく国同士の戦争であることだ。2000年以降、ロシア国民はプーチンを選び続けている。大統領の3選禁止規定(ロシア憲法813項)があるため、腹心のメドベージェフに大統領を1期やらせ、自らは首相となるという裏ワザで権力を維持し続けた(20082012年)。そして、2012年に再び大統領に選出され、2018年の選挙で再選されると、2020年の憲法改正で3項に例外規定を設けて、最大で2036年まで大統領職にとどまることを可能にした。彼はもう22年近く最高権力を保持し続けている。

この写真は、2018319日のロシア・トゥディ(RT,NHKBS1)の映像である。2000年の初当選時は53%足らずだったが、2018年は76.7%と、4分の3以上の高い支持を得ている(投票率は67.5)。プーチンは、世論操作や選挙運動規制などを巧みに使い、ロシア国民の過半数の支持を得て権力の座にある。だが、どのような権威主義的国家であっても、選挙で大統領を選ぶ国である以上、「プーチンの戦争」にロシア国民も責任がある。ロシア各地で戦争反対のデモも起きているが、徹底的に弾圧されている。報道統制もネット規制も厳しくなっている。そうしたなかで、ロシアの研究者たちが抗議の声を挙げている。それを紹介しよう。

 

ロシアの研究者たちの抗議声明

224日の日付で、ロシアの研究者と科学ジャーナリストの公開書簡が、署名者全員のリストを添えて、『科学と社会』(Наука и общество)のホームページにアップされた35日現在まだ見ることができる)。この戦争を始めた一切の責任がロシアにあること、この戦争にいかなる合理的な正当化事由が存在しないことを明確にするとともに、戦争を開始したプーチンの大ロシア主義について、「いかがわしい歴史的幻想によって突き動かされたロシアの指導部の地政学的野心」と断罪している。ロシアが国際的に孤立して、他国の研究者と共同研究が出来なくなっている状況への悲痛な叫びでもある。

 タイミングからして、かなり前から準備されていたものとみられる。署名リストを見ると、最初の方は、ほとんどロシア科学アカデミー(PAH)の会員である。非常に多くのアカデミー会員が署名している。プーチンは、日本学術会議に政治介入した安倍・菅政権よりもずっと以前から露骨に科学アカデミーに政治介入していたから、それに対する怒りと批判も反映しているといえよう。署名者のなかには、世界各地で研究する博士課程院生なども並んでいるから、メールやSNSを使って、世界中にいるロシア人研究者に呼びかけたものと推測される。サイトには、3月5日23時現在、「署名は今も届き続けており、できるかぎり追加掲載したい(現在、7650筆以上)」とある。

ウクライナとの戦争に反対するロシアの研究者および科学ジャーナリストの公開書簡(署名の完全なリスト)
Открытое письмо российских ученых и научных журналистов против войны с Украиной (полный список подписей) 24.02.2022

2022年2月24日

我々、ロシアの研究者および科学ジャーナリストは、ウクライナ領土においてわが国の軍隊によって開始された軍事行動に対する断固たる抗議を表明する。この破滅的な一歩は、甚大な人的犠牲をもたらし、既存の国際安全保障体制の諸原則を毀損する。ヨーロッパにおいて新たな戦争を始めた責任の一切は、ロシアにある。

この戦争に対する、いかなる合理的な正当化事由も存在しない。軍事作戦を展開する口実としてドンバスの状況を利用する試みには、いかなる信用もおけない。ウクライナが、わが国の安全保障にとって脅威でないことは、全く明らかである。ウクライナに対する戦争は、不正義であり、明らかに無意味である。

ウクライナは、我々にとって親密な国であったし、今もそうである。我々のなかの多く者の親類、友人そして学術活動における同僚がウクライナに暮らしている。我々の父、祖父、曾祖父は、ともにナチズムと戦った。いかがわしい歴史的幻想によって突き動かされたロシアの指導部の地政学的野心のために戦争を開始することは、父祖たちの記憶に対する冒涜的背信行為である。

我々は、機能する民主的諸制度に支えられたウクライナの国制を尊重する。我々は、我々の隣人が親ヨーロッパ的選択をしたことに理解をもって接する。我々の両国の間のあらゆる問題が平和的に解決できることを、我々は確信している。

開戦後、ロシアは、国際的孤立そして逸脱者国家としての地位に陥った。このことは、我々研究者がもはや自分の仕事を通常通りに行うことはできないということを意味する。なぜなら、他国の同僚と十分に協力せずに研究を行うことなど無意味だからである。世界からのロシアの孤立は、肯定的な将来の見通しが全くないまま、わが国が文化的・技術的にさらに衰退していくことを意味する。ウクライナとの戦争、そこに進む先はない。

わが国は、他の旧ソ連構成共和国とともにナチズムに対する勝利に決定的に貢献したにもかかわらず、いまではヨーロッパ大陸における新たな戦争を引き起こした張本人となってしまったことを、我々は痛苦の思いで自覚しなければならない。我々は、ウクライナに対する一切の戦闘行為を直ちに中止するよう要求する。我々は、ウクライナ国家の主権と領土的一体性を尊重するよう要求する。我々は、我らが両国のために平和を要求する。



ロシアの研究者の抗議声明への連帯

ウクライナ侵攻に対しては、日本各地の大学や研究者が抗議の声を挙げている。上記のロシアの抗議声明を支持する声明が、「安全保障関連法に反対する学者の会」の呼びかけ人一同の名前で、3月1日に出された(日本文と英文)。これは『東京新聞』3月4日付で紹介された。呼びかけ人に私も参加しているので、以下掲載する(ホームページ参照

 ロシアの学者・科学ジャーナリストの「抗議声明」を支持し、ロシア軍のウクライナ侵攻に抗議します

私たち「安全保障関連法に反対する学者の会」の呼びかけ人一同は、本会(賛同人 14,499名)を代表して、2月27日にロシアの科学者と科学ジャーナリストによって発せられた、ロシア軍のウクライナ侵攻に対する「抗議声明」を支持し、平和を願うロシアの科学者たちとの連帯を表明します。

この「抗議声明」に名前を連ねられた何百名もの科学者のほぼ半数は、プーチン大統領によって厳しい権力統制を強いられてきたロシア科学アカデミーの会員の方々です。その勇気ある行動に心からの敬意の言葉を送ります。そして、平和への願いと学問の良識にもとづいて声をあげた方々の人権が踏みにじられないことを祈っています。

私たちは、世界の科学者・市民と連帯し、ウクライナの平和を求めてたたかい続けます。さらに、この戦争の危機に乗じて、日本国内において憲法改正と軍事力の強化をもくろむ動きにも強く抗議します。

安全保障関連法に反対する学者の会・呼びかけ人一同[氏名略]
2022年3月1日

ロシアの法律家の抗議声明

プーチンが報道統制を一段と厳しくしているので、ロシア国内での戦争反対の動きがなかなか見えない。科学アカデミー会員たちの抗議声明に加えて、ここでは、ロシアの法律家、とりわけ弁護士が反対の声を挙げていることを紹介しよう。
  2月27日、ロシア連邦弁護士院の理事の訴えがアップされた。だが、これはすぐに削除された。これをたまたまキャッチした人から下記のメールが送られてきた。
 この声明は、ロシア連邦弁護士院の声明ではなく、連邦弁護士院理事会の理事の訴えである。ただし、署名者の筆頭に、連邦弁護士院会長のPilipenkoの名前があり、Grib、Reznik, Semenyako、Klyuvgant、Tolcheev、Volodina、Avakyanも連邦弁護士院の副会長である。会長および12人いる副会長のうちの7人が署名しており、実質的には連邦弁護士院の執行部の声明ということができる。

この声明は、当初は連邦弁護士院のサイトに掲載されていたが、3月5日現在、サイトから削除されている(削除URLはここから)。削除された声明文は、連邦弁護士院のサイトのGoogleキャッシュのURL から見ることができる。以下が、弁護士院の会長・副会長の声明である。非常に短い文章で、法律家としての専門的な評価が示されているわけではないが、プーチン政権下での圧力と統制のもとで、これがギリギリの意見表明だったのだろう。

ロシア連邦弁護士院理事の訴え

2022年2月27日

本日、我々は、恐ろしく、悲劇的な出来事の目撃者となっている。軍人のみならず民間人が死亡している。このすべてが、隣国において、我々の兄弟民族との間で生じている。このような事態は、21世紀には起きてはならない。前世紀に我々の祖父、曾祖父は平和のために、あまりにも高い犠牲を支払ったのである。このことに関わるすべての者に、戦争行為をやめ、和平交渉を開始するよう呼びかける。

ロシア連邦連邦弁護士院理事 Y.S. Pilipenko, V.V. Grib, G.M. Reznik, E.V. Semenyako, V.V. Klyuvgant, M.N. Tolcheev, S.I. Volodina, E.G. Avakyan, K.E. Dobrynin

《2022年3月5日午後4時30分脱稿、23時情報追加》
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