「終わりの始まり」の記念日――ロシア憲法87条2、3項適用をうかがう?
2022年5月9日

文末に5月9日のプーチン演説についての長い付記を書きました。お読みください。

58日」か「59日」か

争がいつ始まり、いつ終わったのか。「始まり」についていえば、1914728日(火)、193991日(金)、2022224日(木)のそれぞれの年数を二分して足し算した上で月日を加えると、すべて「68」になるという、一見意味がないように見えて、実は意味のない数字の不思議が、巷の一部では話題になっている。224日が「三度目の勃発」の日になるかどうか。そこへきて、77年前に「戦争が終わった日」が、新たな戦争の「始まる日」になるかどうかが懸念されている。それは59日(月)、プーチン・ロシア大統領が何を言うかにかかっている。

 なぜ、59日なのか。それは、旧ソ連時代から旧ワルシャワ条約機構(WTO)諸国、現在ではロシア主導の「集団安全保障条約」(CSTO)加盟諸国(アルメニア、ベラルーシ、カザフスタンなど)で、「対独戦勝記念日」として盛大に祝われてきたからである。ドイツでは、58日が「終戦記念日」(“Ende des Zweiten Weltkrieges”)であるが、1985年のこの日に、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領(当時)が、ナチス体制からの「解放の日」と呼んだことはよく知られている 

実はドイツが無条件降伏した日付は2つある。降伏文書調印は、フランス北部のランスにあった連合国遠征軍最高司令部で、アイゼンハワー元帥と独側ヨードル上級大将により、57日午前241分に行われた。降伏文書の停戦発効時刻は58231分だった。また、ベルリンのカールスホルストにあったソ連軍司令部において、ジューコフ元帥と独側カイテル元帥が降伏文書に調印した時間は、59日の午前015分であった(モスクワ時間では同午前215)。こうして、「戦争が終わった日」は、ドイツ、米英仏などでは「58日」、旧ソ連、ロシアなどでは「59日」ということになった (ここから降伏文書等の現物で確認できる)。この76年間、この2つの記念日は、それぞれの国で、それぞれの政治家が重要な演説をする日として、また特別の儀式を行う日(ロシアでは、1995年制定の法律により盛大な軍事パレードを実施)として、一種の年中行事だった(ちなみに、「8.15」は日本では「終戦記念日」、韓国では「光復節」(独立記念日))。

 

「記念日」の政治利用

  英国のウォレス国防大臣は、プーチンが59日に「ナチスとの戦争」を宣言し、ロシア国民の動員を訴える可能性を早くから示唆していた(『毎日新聞』53日付)。他方、ロシアのラブロフ外相は、ロシア軍兵士は「特定の日に基づき行動することはない」として、それを否定していた(ロイター51)。いずれにせよ、今年の「59日」は「戦時中」における「戦勝記念日」ということで、軍事的にも政治的にも利用されるのは確実である。
 ところで、戦後60年を前にして、各国が「記念日」をどのように利用するかについて書いたことがある(直言「それぞれの「記念日」」)。ある特定の日付について、国家が意味づけを与え、祝日や儀式を使って国民に参加を求めることはどこの国でも行われている。だから、日付の選択や意味づけは重要な意味をもつ。「記念日」の国民統合機能である。

 

独ソ戦の始まりと終わり

20167月にロシアを訪れたとき、独ソ戦の開戦75周年で、戦争関係の記念館では特別展示が行われていた。1941622日(日)に、ドイツ軍が3つの方面からソ連になだれ込んだ。南方軍集団はウクライナを蹂躙した(直言「ウクライナをめぐる「瀬戸際・寸止め」手法の危うさ――悲劇のスパイラル参照)。その独ソ戦の最大の激戦地がスターリングラード(現・ヴォルゴグラード)である。キエフから直線で1000キロ。「史上最大の市街戦」といわれ、市街地の96%が完全に破壊された。両軍の死者の数はすさまじく、20万人以上の市民の命も失われた(直言「ロシア大平原の戦地「塹壕のマドンナ」の現場 へ――独ソ開戦75周年(2)」参照)。冒頭右の写真は、「スターリングラード攻防戦パノラマ博物館」に展示してあるソ連軍のT34/76戦車である。子どもたちに人気のようだったが、まさかこの6年後に隣国との戦車の戦闘がおきるなどとは夢にも思っていなかっただろう。

 冒頭左の写真は、スターリングラードで戦死したソ連軍兵士の水筒である(入手の経緯はここから)。銃弾が貫通したあとが残っている。ドイツ軍のヘルメットの方は、1999年夏、ボンのフリーマーケットで、常連となった「特殊な骨董屋」から入手したものである。これにも3つの貫通痕がある。これを身につけていたドイツとソ連の兵士は、確実に命を失っている。
   スターリングラードで使用されたソ連軍の砲弾も研究室にある(右の写真参照)1942年製のT34/76戦車用の76ミリ砲弾と思われる(76-СУиТАНК)。これは冒頭右の写真の戦車で、スターリングラードで使用されたものである。大戦後期になると、T-34/85が大量に戦場に投入された。このタイプは85ミリ砲を搭載し、火力が強化されている。

 なお、冒頭左の写真にある2枚の伝単(降伏を呼びかけるビラ)もリアルである。特に左側の茶色紙の、ソ連軍に対してドイツ軍がまいたロシア語の裏面には、「共産党政権はこれまでの諸君の多くを抑圧し、いっさいの権利を剥奪し、今でも自分の体制を守るために利用している。諸君の戦いは無駄である!…諸君の命を、よりよい将来と諸君の家族のために守りたまえ…」とある。表の絵には、「ユダ公(ユダヤ野郎)の政治委員を打ち倒せ。野郎をぶちのめせ!」。ソ連軍の各級部隊には軍人の指揮官のほか、政治委員がいて、実際の部隊運用にも影響を与えて、時に「二元統帥」となったこともある。ソ連軍兵士は政治委員を激しく憎んでいた。他方、ソ連軍がドイツ軍兵士にまいたのが、ヒトラーが、雪のなかに倒れる第6軍の兵士たち(スターリングラード)に向けて、「何とすがすがしい感じだ。春が近づいている」と、笑顔でピント外れのことをつぶやいている構図だ。裏には、「ドイツ国防軍の兵士へ」という見出しで、「赤軍はすべての民族や人種の同権の精神で教育され、かつ他の諸国民の諸権利の尊重によって大きくなってきた。…赤軍の目的はドイツファシズムの侵入者をわが国から駆逐することにある。…ヒトラー一味(Hitlerklique)はドイツ人民と混同されてはならない。…」と書いてあり、ナチスとドイツ国民を区別しつつ、ヒトラーへの反発と戦争への疑問をかきたてている。雪のなかで包囲された第6軍将兵の戦意喪失を促すための伝単である。詳しくは、直言「わが歴史グッズの話(38)最高「責任」者とスターリングラードの水筒参照されたい。

 独ソ戦は、第二次世界大戦における最大の戦闘であり、戦死者の数は桁違いである。ソ連は約2700万人が死んだといわれるが、ドイツ軍が真っ先に侵攻して焦土戦を行ったウクライナでは、約650万人が死亡している。全人口の16%にあたり、日本の軍人・民間人を合わせた死者数の2倍である。この戦争が終わって77年が経過して、いま、ロシア軍がウクライナに侵攻して、多くの命が失われている。戦争が終わった「記念日」に停戦を発表するどころか、まったく逆に、新たな戦争宣言を行う可能性がある。「終わりの日」が「始まりの日」になれば、これは世界の「終わりの始まり」になりかねない。

 

ロシア憲法872項の初適用か?

軍事パレードが行われるモスクワ「赤の広場」を訪れたことがある。クレムリン宮殿のなかに展示されているのが、この巨大な大砲がある。ツァーリ・プーシュカ(大砲の皇帝)といって、18トンの重さで、口径は890ミリもある。戦艦大和の主砲が46センチ(460ミリ)だから、倍近い。砲弾の方が大きいそうで、実際に使えるしろものではない。こけおどしというか、クレムリン宮殿から発せられる言葉を象徴するような巨砲(虚報)といえるだろう。

 ウクライナに対する「電撃戦」(Blitzkrieg)を仕掛けて、成功すると思い込んでいたプーチンにとって、誤算に誤算が重なり、悲惨なことになっている。何よりもロシア将兵の犠牲の多さである。とりわけ、将官の戦死者の数と率は、戦争の歴史にかつてないのではないか。

独ソ戦が終わった日に、プーチンが新たな戦争宣言をするとすれば、米国やNATOに対してというよりも、もっぱら国内向けではないのか。兵士の士気がどん底まで下がり、国民のなかに厭戦意識が広まれば、経済制裁による生活危機とあいまって、プーチンの岩盤支持層も安泰ではない。戦車と比べればはるかに安価な対戦車兵器により、人的、物的損失は著しい。対戦車兵器(カール・グスタフ、パンツァーファウスト3に、プーチンのドスのきいた表情を重ねて撮影したのがこの写真である。

   さて、59日、追い込まれたプーチンがやることとは、米国・NATOに対する、核をチラつかせた牽制だろう。1993年に制定されたロシア憲法の872項が初適用される可能性がある。 戒厳(令)(state of war)の条項である。「ロシア連邦に対する侵略またはその直接の危険がある場合、ロシア連邦大統領は、ロシア連邦の領域またはその個別の地域に、戒厳令を布告し、これを連邦会議および国家会議に直ちに通告する。」と。3項は、「戒厳令は、憲法的連邦法律によって定められる。」
  この法律が、2002年1月30日の「戒厳令に関する憲法的連邦法律」である(「ロシアにおける非常事態法制の概要と非常事態対処体制 」国立国会図書館「海外の立法」251号(2012年3月)など参照)。 

 

国民の権利の広範な制限

戒厳令に関する法律4条3項にこうある。「戒厳令の布告に関するロシア連邦大統領令は、ラジオおよびテレビのチャンネルで速やかに公表され、また、速やかに公布されるものとする。」 珍しいことに、法令を公表する媒体としてラジオとテレビがあげられている。でも、国民全体に行き渡らせるためには、紙媒体よりも音声と映像の迫力だろう。太平洋戦争開戦の大本営発表もラジオだった

  この法律の7条「戒厳令下の領域に適用される措置」が重要である。

1項:戒厳令下の領域においては、連邦法律およびロシア連邦のその他の法令に従い、国家の需要、ロシア連邦軍その他軍隊、軍事組織および戒厳令の間設置される特別組織(以下、「特別組織」)の活動の保障、ならびに住民の需要のために、製品の生産(業務の遂行およびサービスの提供)を組織するための措置が適用される。

 第2項:ロシア連邦大統領令に基づき、戒厳令下の領域においては、以下の措置が適用される。

1) 公共の秩序の保護および公共の安全の保障、重要な国家の軍事施設および特別の軍事施設、住民生活、交通、情報伝達お よび通信のための施設、エネルギー施設、ならびに人々の生命および健康ならびに自然環境にとって高度に危険な施設の保  護を強化すること

2) 交通、情報伝達および通信のための施設、エネルギー施設ならびに人々の生命および健康ならびに自然環境にとって高度に 危険な施設の運用に関する特別手続の導入

3) 経済的、社会的、文化的施設の避難、および住民に常設または仮設の住居を必ず提供した上での安全な地区への一時的な 住民の移住

4) 戒厳令下の領域への出入に関する特別手続の導入および運用ならびにその領域内での移動の自由の制限

5) 宣伝および(または)煽動を行う政党、その他社会団体、宗教団体の活動、ならびに、戒厳令下においてロシア連邦の国防お よび安全を損なうその他の活動の停止

6) ロシア連邦政府の定める手続きに従い、国防上の需要に関する業務および敵の兵器使用による結果からの復旧活動に関す る業務の遂行、損傷(破壊)した経済施設、生命維持装置および軍事施設の修復、ならびに火災、疫病、伝染病の対策に市民 を参加させること

7) 連邦法律に従い、国防上必要な財産を市民および団体から押収し、押収された財産の価額を国家がその後に支払うこと

8) 居住地または住所の選択の禁止または制限

9) 会議、集会、デモ、行進、ピケその他多衆運動の禁止または制限

10) ストライキおよび団体の活動を停止または終了させるその他手段の禁止

11) 交通手段の運行の制限およびその検査

12) 一日の特定の時間帯に街頭その他公共の場に市民がいることを禁止し、連邦執行権力機関、ロシア連邦構成主体の執行  権力機関および軍政機関に対し、市民の身分証明書の検査、身体検査、所持品、住居および交通手段の検査を必要に応じて 行う権利を付与し、連邦法律の定める事由に従い、市民を逮捕し、または交通手段を押収すること。右の場合、市民を30日を 超えて逮捕してはならない。

13) 武器、弾薬、爆発物、毒物の販売禁止、薬物および麻薬その他劇薬を含む調剤、アルコール飲料の流通に関する特別手続 の設定。連邦法律およびロシア連邦のその他の法令の定める場合には、市民から武器、弾薬、爆発物、毒物を押収し、団体か ら、武器、弾薬、爆発物、毒物に加え、軍事および軍事訓練に関する物資および放射性物質を押収する。

14) 交通、情報伝達および通信のための施設、印刷所、コンピュータ・センターおよび自動化システムならびにマスメディアの業務 を監督し、国防上の需要のためにその業務を利用すること。個人利用される送受信無線局の運用の禁止 

15) 郵便および遠隔通信システムによる通信に対する軍事検閲ならびに電話による会話に対する監督の実施。右の事項を直接 に扱う検閲機関の設置

16) 国際法の一般に認められた諸原則および規範に基づくロシア連邦と戦争状態にある外国の国民の抑留(隔離)

17) ロシア連邦の領域からの市民の出国の禁止または制限

18) 国家権力機関、その他国家機関、軍政機関、地方公共団体の機関、団体における秘密保持体制の強化を目的とした追加的 措置の導入

19) ロシア連邦の防衛および安全を損なうことを目的とした活動を行っているという信頼できる情報を法秩序維持機関が取得した 外国組織および国際組織のロシア連邦における活動の終了。


「終末の日」とは何か─戦争への国民動員

  「終末の日」を示唆する警告を発すると見られている。軍事パレードの上空には、空中指揮機「イリューシン(IL80」も飛行するという。この飛行機は、核戦争勃発時に大統領が乗り込むことから「終末の飛行機」と呼ばれている。これの運用は2010年以降初めてという (ロイター56)

  もし、プーチンが憲法872項を初適用するならば、法律7条のこの19の措置が可能となる。すでにロシアは強権的な権力行使によって批判的な声は沈黙させられている。それに加えて、プーチンに批判的な人々をあぶりだし、統制することも可能となる。何よりも、この日を契機に、厭戦気分の流れる国民のなかに、戦争に向けた思想動員をはかるのみならず、実際に人的な動員(兵士の緊急徴募)なども行われるだろう。2020年の憲法改正によって、プーチンの大統領任期の延長はもとより、愛国主義や保守主義(新ユーラシア主義、大ロシア主義)が憲法条文化された影響はことのほか大きい(672)。「祖国擁護者の追憶」「歴史的真実の擁護」という形で、特定の歴史観を憲法レベルに押し上げるとともに、「祖国擁護における国民の偉功の意義を貶めることは許されない」として(同3項)、「不滅の連隊」に憲法的意味づけを与えたといえるだろう(直言「戦争のために憲法を変える――2020年ロシア憲法改正の深層参照)

《2022年5月8日16時30分脱稿》


《長い付記》

  59日のロシアの「対独戦勝記念日」におけるプーチン演説についてコメントする。結論からいえば、本文に書いたような憲法87条の「戒厳令」や「戦時動員」についての直接の言及はなかった。私の予測は外れた。「特別軍事作戦」という言葉すら使われなかった。「戦果」の誇示(マリウポリ制圧など)もなく、戦術核兵器使用の威嚇や、領土の併合をいっそう行うこと(ヘルソン州など)についての言及もなかった。

   その一方で、侵攻後に死亡・負傷した兵士ヘの哀悼の言葉や遺族への具体的なケアについて踏み込んで語っていた。「我々のあらゆる兵士と将校の死は、すべての者にとっての悲しみであり、親族や知人にとって取り返しのつかない喪失である。国家も、地方も、企業も、社会団体も、そうした家族に配慮し、助けるべく全力を尽くす。死亡しあるいは負傷した兵士の子どもたちに特別の支援を行う。本日、この点に関する大統領令に署名した。負傷した兵士や将校の速やかな回復を願う。そして、軍事病院の医師、看護婦、医療スタッフの献身的な活動に感謝する」等々。戦果の誇示よりも、戦死者や戦傷者への周到な配慮は、ロシア軍がかなり深刻なダメージを受けていることを推測させる(『南ドイツ新聞』59日付の評論「プーチン、当分の間、新たなエスカレーションを回避参照)。

  「不滅の連隊」の行進でも、独ソ戦の戦死者の家族だけでなく、ウクライナの戦死者の家族も行進していたことから、2020年憲法改正による「祖国擁護者の追憶」「歴史的真実の擁護」(67)が今回の戦争にも適用されていることを示している。「プーチンにとって2020年憲法改正は、この「不滅の連隊」の思想と行動をウクライナに向かって実践するための布石だったのではないか」と指摘した通りである(直言「戦争のために憲法を変える――2020年ロシア憲法改正の深層」)

  西欧のメディアでは、「重要なのはプーチンが語らなかったことだ」(Die Welt vom 9.5)という点に関心が集まっている。演説で重要なのは戦争目的の明確化だが、語られたことは次の点である。第1に、「祖国を守ることは常に神聖だった」という歴史を強調しつつ、「世界からナチスの居場所をなくすために戦っている」として、77年前に終わった「大祖国戦争」を今のウクライナの戦争に重ね、それをロシアの安全のためとして正当化したことである。「米国やその目下の仲間たちが当て込むネオナチやバンデーラ主義者たちとの対決は、不可避となろう」と。

  第2に、ミンスク合意が破綻したのはNATOのせいであるとしていることである。「昨年の12月、安全保障条約を締結しようと提案した。ロシアは、西欧側に対して、真摯に対話し、合理的で妥協的な解決策を探求し、相互の利益を考慮するよう呼びかけた。すべては無駄になった。NATO諸国は、私たちの声を聞こうとせず、そのことは、実際には彼らにはまったく異なるプランがあることを意味している」として侵攻を正当化している。

  第3に、「予防的反撃」という形で、「先制自衛」を示唆していることである。「軍事インフラが展開され、数百人の外国のアドバザーが活動を始め、NATO諸国から最新鋭の兵器が絶えず納入されるさまを我々は目にしてきた。危険性は日に日に高まった。ロシアは、侵略に対する予防的反撃を行った。これは、強いられた、適時の唯一の正しい決定だった。主権をもつ強力で独立した国家の決定である」と。ドンバスの2つの「共和国」からの「要請」による集団的自衛権行使ならまだしも、ウクライナ北部と南部からの侵攻はまったく説明がつかない。先制的自衛権のような主張だが、法的には成り立たない。今回、こうやって侵攻を正当化したことは、「先制的」に軍事侵攻するカードは今後とも使っていくことを宣言したものと理解すべきだろう。 なお、 『朝日新聞』510日付2面「演説骨子」は、上記の箇所を「ウクライナに軍事施設がつくられ、」と訳したが、プーチン演説には一カ所も「ウクライナ」という言葉は出てこない。プーチン演説は、主たる対象をウクライナ全土ではなく、ドンバス地域に絞り込んでいる。

  演説に迫力がないのは言葉や内容のみならず、演説のトーンが予想以上に控えめだったこともあろう。通常なら、演説のポイントとなるところで拍手が起きたり、終了後に「嵐のような長い拍手」が起きたりするのだが、それはなかった。人材不足で、演出も稚拙になってきているのだろうか。「語られなかったこと」の読み解きは専門家にまかせるとして、今後の展開次第では、プーチンが戦時体制・戒厳令によって国民の統制と動員をはかるカードはいつでも引けることを強調しておきたい。その意味で、後半で紹介した憲法87条と2002の「戒厳令に関する憲法的連邦法律」については記憶にとどめておいてよいと思われる。

202259日午前630分脱稿》

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