雑談(132)「アラ古稀」の心境――「最終模擬講義」を終えて
2022年8月22日


アラ〇〇が語られるとき

休みモードで、雑談シリーズをアップする。前回の雑談(131)は「音楽よもやま話(30)チャイコフスキー交響曲第2番「小ロシア」or「ウクライナ」ということで、これはこれでけっこう重いテーマだった。今回はまったくの個人的話になるが、お読みいただけたら幸いである。

  アラサー(around thirty)とかアラフォー(around forty)といった言葉がある。前者は28歳以上32歳以下、後者は38歳以上42歳以下の、主に女性についていわれる。20世紀にはなかった言葉で、女性ファッション雑誌の界隈から2006年頃から広まったようである。30代、40代のそれぞれの10年を微妙に分けて、プラス・マイナス2歳くらいまでを、できるだけ若い方に傾けて表現する。45歳の人には、さすがにアラフォーとはいわない。何でこんな言葉が生まれたのかはよくわからないが、実年齢より若く見られたいという気持ちから、年齢ラインをぼかすことに意味があると考えてのことだろうか。

 かくいう私は現在69歳。7カ月ちょっとで70歳、古稀を迎える。69歳はaround seventy、つまり「アラコキ」ということになるのだろうか。60歳前後は「アラ還(カン)」というそうだ。小学生の時、「戦国の剣豪」(日本テレビ系、1964上泉伊勢守信綱を演じたアラカンこと、嵐寛寿郎の大ファンだったから、「アラカン」と聞くと私の頭は半世紀以上前にもどっていく。なお、私自身の還暦の時には、直言「還暦の年を迎えて――激動の2013年への抱負」を出した。この時生まれた孫が、いま近くで夏休みの自由研究をやっている。

  ところで、「アラコキ」の私は4月3日生まれのため、「70歳に達する年度の3月31日をもって定年とする」という教員任免規則の規定により、71歳となる3日前まで現役教員として働くことになる。2024年は閏年で1日多いから、70歳の誕生日から363日間は現役ということになる。とはいえ、あと1年あまりで無職になるので、そろそろ就活をしなければと考えている。

「最終模擬講義」の風景

  夏休み期間中に大学を開放して、高校生とご家族に大学を体感してもらうオープンキャンパスが毎年行われている。その企画の一つの模擬講義を、私は2007年から、在外研究の2016年を除きほぼ毎年担当してきた。模擬ゼミも、2006年(直言「ふたつの第9条(その3・完)参照)と2007年(直言「裁判員制度が始まるけれど(2)参照)2回行っている。模擬講義では、700人教室で、全員を対象に「ベルリンの壁」を回覧してきた。2011は立ち見も出て、「750人参加」とその年の手帳にある。「壁」の回覧は2019年までやったが、コロナ禍でオープンキャンパスそのものが中止となった。今月7日、2年ぶりに再開されたが、感染対策で一人おきに座る措置がとられた。「壁」の回覧はやめたので、書画カメラでスクリーンに大きく映し出して解説した 

   私は「出会いの最大瞬間風速」の連鎖のなかでここまでやってきた。オープンキャンパスでのテーマとの出会いが、大学受験にとどまらず、参加者にとって「一期一会」、いや「一語一会」になるかもしれない。そう期待して、12年間、「壁」を全員に触らせてきた。実際、私の模擬講義に参加して、早大法学部を目指した高校生がいる。そして、私のゼミ生にまでたどり着いた学生がこれまでに計5人いる。だから、わずか40分ちょっとの短い時間だが、毎回全力を投入してきた。 

テーマはごく一般的な「憲法とは何かを考える」にして、毎年、副題を変えてきた。2019年までは、「ベルリンの壁に触ってみよう」も使った。これができなくなって、今年はいろいろと考えた。気象異変が続き、いつ、どこで災害の当事者になるかわからない。「地震雷火事親父」という言葉がある。「オヤジ」はこわいお父さんではなく、オオヤマジ(大きい風=台風)からきたという説もある。そこで、語呂がいいので、副題を「地震・戦争・テロ・コロナ」とした。地震とコロナは、最初は「天災」だが、政治の対応のまずさから「人災」にもなっていく。戦争とテロは徹頭徹尾、「人災」である。いずれにおいても、国家と個人の関係などを含めて憲法が密接にかかわってくる(レジュメ・PDFファイル「憲法とは何かを考える」)。

模擬講義では時間が足らず、具体的なテーマにはあまり踏み込めなかったが、レジュメの「3.大学に入るということ ――「習う」「教えてもらう」から主体的な営みである「学ぶ」への転換」については、10分オーバーして熱く語った。終了後、いつものように質問や歴史グッズを撮影させてほしいと、教壇の前に列ができた。私にとってはこれが、オープンキャンパスで高校生に語る「最終模擬講義」となった。

大学で教えて40年――3つの水島ゼミ

  思えば大学院生の時、法学部に当時設置されていた法職課程教室「憲法Aクラス」(1年生)担当の非常勤講師として、初めて学生の前で講義をした。毎回鋭い質問を浴びせてくる好奇心の塊のような学生たちがいて、終了後も喫茶店で議論が続いた。今彼らは「アラカン」だが、毎年1回行っている水島ゼミ出身者との「水島会」(水島と会う、水島で会う)に「水島組」として参加してきた(この2年はコロナで中止)。当時1819歳の彼らとの出会いが、その後の私の授業のやり方の原点となった。翌1983年に助教授として札幌の大学に赴任するが、私の講義スタイルは、この40年前の法職Aクラスの、パワーあふれる18歳との出会いが大きかったと思っている。

  この6月に人生最後の引越しをやった。3年がかりで移動式書庫も破壊して、書籍や雑誌を処分してきた(直言「雑談(119)「断捨離」と「終活」――「緑寿」を契機に」)。ようやく落ちついたので、この8月に1週間かけて、段ボールから出した自分の著書などを書棚に並べていくうちに、いろいろな「再会」をすることになった。17年前の直言「雑談(42)引越の効用書物との再会の時よりも、はるかに本の量を減らしたので、「再会」も濃密になった。その一端は、昨年の「法学入門2021年」で書いた通りである(直言「「断捨離」で再会した本のこと 」)。

  1978年の紀要論文(小野梓記念学術賞受賞論文の一部)やその翌年、『法律時報』誌に初めて掲載した論文、『法学セミナー』誌に掲載された、札幌、広島、早稲田の3つの水島ゼミの紹介記事なども再読した。いずれもそれぞれのゼミ長が執筆したものである。札幌学院大学・水島ゼミ(198711月号)の記事を久しぶりに読んだ。当時私は34歳。ゼミ合宿の際に、南富良野の金山湖でボート競争をやったことも書いてあって笑えた。また、広島大学・水島ゼミ(199311月号)では、私にとって初めてとなる沖縄合宿のことが、ゼミ生の筆で熱く語られている。これは、早大に移ってから24年間にわたりゼミ沖縄取材合宿を続けていく、私の原点となるものである。早大・水島ゼミの沖縄取材合宿は、昨年12月の第12回で終了となったがゼミ合宿の本当の最終回は、来月、96日からの6回目の北海道取材合宿である。これで早大・水島ゼミの取材合宿は終了となる。なお、『法学セミナー』2020年7月号に「社会問題の根底を憲法から探る、自由闊達な言論空間 水島ゼミ」として紹介されている(1頁目2頁目)。

最終講義は20241

今回は87日の「最終模擬講義」について書いたが、本当の最終講義は、2024119日(金)の予定である。定年退職はするが、講義や講演は一生続けていくつもりである。あと5年ちょっとで「後期高齢者になるが、なぜかこの25年以上、病気らしい病気をしていない。20年ほど前に書いた直言「雑談(11)私の健康法」に付け加えるならば、昨年7月から近所のスポーツジムに通うようになり、ランニングマシンや各種ストレングスマシンを使い、1時間ほど汗を流している。「直言」を自分で更新するようになって今回で64回になった。これからも毎週1回の更新を続けていきたいと思う。

《付記》登録した読者の皆さんにお送りしている「直言更新のお知らせ」(直言ニュース)は、今週はお休みします。

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