権力の私物化と社会の軍事化――「我が軍」といった首相の葬儀
2022年10月3日



「お仲間たちの式典」――海外の視線


日の朝6時からNHKBS1「ワールドニュース」をチェックする。英仏独、「ウクライナ公共放送」(3月からロシアテレビを外して入った英語の政府広報)、アルジャジーラ(カタール)などが連続して流れ、前夜7時くらいまでの世界や各国の政治や経済、社会の問題が一通り確認できる。78日」はどこも取り上げた。しかし、「927日」は私が見逃したのか、注目度は低かった。海外の新聞各紙の扱いも一様に大きくはなかったようだ。デジタル版を定期購読している『南ドイツ新聞』(ケルンの知人が紙媒体の写真を送ってくれる)は、28日付の6面扱いだった(デジタル版は271716)。それでも、秋篠宮夫妻の後ろ姿のカラー写真を使っていた(冒頭右の写真)。 

見出しは、「東京における追悼と怒り――安倍晋三元首相の国家追悼式で、Weggefährtenがその功績を偲ぶ。しかし、抗議行動もある。それには理由がある」である。Weggefährtenの訳に苦労した。辞書には「仲間たち」、「同伴者」、「コンパニオン」などと出てくる。菅義偉(前首相)の「友人代表」としての追悼の辞の末尾の方に、「歩みをともにした者として」という下りがあり、それをドイツ人記者が“Als dein Wegbegleiter ”と独訳していたので、見出しに、同義語の“Weggefährten”が付けられたのではないかと推測される。この副題をそのまま訳せば、「お仲間たちがその功績を偲ぶ」となる。「国民こぞって」ではなく、「お仲間たちの偲ぶ会」ということだろう。 

  この東京特派員は、この儀式に反対する人々のスローガンや発言を詳しく拾いながら、次のように書く。「追悼と怒り。日本の政治エリートが、近年の最も重要な人物に別れを告げたその日、東京は異様な雰囲気に包まれていた。だが、それがまた絵になる。(この)島国の社会では、治者と被治者の間に深い亀裂があるからである。何十年もの間、世襲政治家と選挙派閥が、日本の民主主義は利己的な権力者たちによって支配されているという印象を多くの人に与えてきた。その印象を確かなものにしたのが、自らも著名な政治家一族の子孫である安倍晋三であった。そして今、彼は死に際して自らそれを行っているのである」と。

  そして、安倍殺害の背後に、統一教会の問題があることに触れながら、この教団と自民党との関係について、「壮大なスケールのダブルスタンダード(二重モラル)」があり、信頼の基礎がなくなると書いている。そして、2012年の安倍第2次政権が、総選挙のわずか59.13%の投票率によって誕生したことに注目し、その後の2014年と17年の低投票率に注意を喚起する。投票率が60%を切ると「民主主義の危機」がいわれるドイツとの際立った違いがここにある。安倍政権が決して国民の多数の支持で誕生し、継続していたわけではなく、かつその「終わり」も世論調査で6割が反対する「国葬儀」になったことをドイツの読者に伝えようとしている。

  特派員は、「右翼界のアイドル」であり、「平和主義の憲法を改正する闘士」でもあった安倍について、「新自由主義原理を日本的縁故主義と結びつけたアベノミクス政策」、持続可能な改革はほとんど進めることなく、「彼の右翼的なポピュリズムは両極化をもたらし、在任中のスキャンダルは、政府が自分たちのことしか興味がないことを示した」と手厳しい。こうした安倍の「国葬儀」を行うことに対して抗議運動が活発化し、世論調査で過半数が反対する事情にも触れながら、元議員の反対声明なども紹介する。岸田文雄首相が、この葬儀によって右派陣営を味方につけたかった可能性は高く、昨年秋の総裁選時の約束(政府と国民の間のギャップを埋める[注:「国民の声を聞く政治」])を破ったと指摘している。 

『ニューヨーク・タイムズ』(米国)の「安倍元首相の国葬に対して、なぜ日本国民は怒っているのか」も注目される。これを紹介した記事(2022927)のなかの下記の指摘が興味深い。 

「…国葬については、多数の人々が抗議デモや反対する署名活動を行い、公費の無駄遣いで岸田首相と内閣によって一方的に押し付けられたものだと不満を表明。国民の弔意は薄れてきているようだ。事件を通じて、自民党の政治家と宗教団体「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」の接点も次々と明るみに出た。安倍元首相を殺害したとして送検された山上徹也容疑者は、事件の前に教団と政治への関わりについて恨みを記していた。そしておそらく最大の驚きは、山上容疑者が非難されるどころか、その話が国民の琴線に深く触れた点だ。往々にしておとなしい日本の報道機関は、容疑者の母親など弱者を食い物にして金銭的利益を得ているとして非難された教団と政治家との関係について、数週間にわたって掘り下げてきた。

こうした反発は安倍元首相の約8年にわたった首相在任期間に対する国民投票の色合いを帯びている。安倍元首相は世界的には称賛された一方、日本国内では激しい対立を生み、その右傾化政策に反対した人々は、政権運営について多くの不満を表明している。…有権者は安定性という名目のために自民党を支持し続けるかもしれないが、国葬に反対することで、安倍元首相の生前の行為に対する批判の声を上げている。… 

 宗教学者などによれば、亡くなった人を純粋に悼む気持ちというものは、1週間から10日が限度だという(御厨貴インタビュー『週刊金曜日』930日号14頁)。吉田茂の「国葬儀」は決定から実施まで11日だった。ちなみに、ゴルバチョフ元ソ連大統領は830日に死去して、その葬儀は93日と、4日後だった。エリザベス女王の場合は98日に死去して、11日後の919日に国葬を行っている。安倍晋三の場合、78日に死亡してから「国葬儀」まで2カ月と19日、81日もかかっている。これでは、悼む気持ちよりも、「国葬儀」の必要性や対象者の人物評価などの議論が騒がしくなるのは不可避であった(直言「「安倍国葬」と統一教会―― 自公政権の葬送狂騒曲」参照)。

 
「桜を見る会」の手法

当初、日本武道館には「吉田茂国葬儀」(1967)と同じ6000人の参列が予定されていた。しかし、実際には4000人程度だった。存命中の国会議員の元職すべてに招待状が送付されたようで、わざわざ不参加をツイッターなどで表明する元職も相次いだ。秋葉忠利(元広島市長、衆院3期)ら24人の元国会議員が連名で中止を求める声明を出した。上記『南ドイツ新聞』の記事には、それが引用されている。国家的葬儀・式典に招待された人々が、ことさらに不参加のアピールを行うという、各国の歴史をみても例のない光景が現出した。

 招待者のなかに、不思議な人々がまじっていた。自らインスタグラムやツイッターなどで発信して悦にいっているのでわかってしまったのだが、百田尚樹や有本香といった人々も招待されている。これでは、ほとんど「桜を見る会」である首相推薦枠(60番台)には、詐欺集団「ジャパンライフ」の元会長なども含まれていた(写真参照)。まさかそのリストが「故人の友人・知人」ということで参考にされたのだろうか。弔辞を読む友人代表は、本人が「腹心の友」とまでいっていた加計孝太郎(加計学園理事長)が最もふさわしかったと皮肉る向きもある。 

 日本武道館における「安倍国葬」の企画運営業者の選定は、内閣府による一般競争入札で行なわれたが、参加したのは大手イベント会社「ムラヤマ」1社だったという。「特定の業者に便宜を図った事実は一切ない」(松野博一官房長官)というが、『週刊ポスト』取材班によれば、入札には「履行体制証明書」の提出が求められ、そこには〈過去5年以内に、皇族、内閣総理大臣、衆・参両院議長及び最高裁判所長官の全て又はこれと同等の出席があった式典等(要人等を含む1,000人以上が出席)における当該業務に類似する業務(企画・演出及び警備)を行った実績(1回以上)〉が含まれていた。「ムラヤマ」は「桜を見る会」を5年連続して受注しているから、これを本当の「出来レース」というのだろう。
 

なぜ、「国全体として」なのか

岸田首相は98日の議院運営委員会の閉会中審査で、「国葬」の定義を問われ、「故人に対する弔意と敬意を国全体としてあらわす儀式」と繰り返した。「国全体として」という場合、「国民こぞって」というトーンになって、これに賛成しない人たちには弔意が強制される懸念が出てくる。2020年の中曽根康弘(元首相)の内閣・自民党葬の際は、自治体や教育委員会など関係機関に弔意表明の協力を要望する閣議了解が行われている。だが、「安倍国葬」に際しては、「国民一人ひとりに弔意を求めるものであるとの誤解を招かないため」(松野官房長官)として、閣議了解が見送られている。中曽根元首相よりもランクが上の「国葬儀」にもかかわらず、弔意に関連する閣議了解を行わないとはどういうことだろうか。弔意は自発的なもので、国民に弔意が強制されると勘違いされないように、ゆるやかにしますというならば、「国葬」にせず、「お別れする会」や「偲ぶ会」に近い形にするのが自然である。歴代首相の多くのように内閣・自民党葬にしていたら、その実施に対する反対は少なかっただろう。にもかかわらず、なぜ「国葬」にこだわったのか。

増上寺の家族葬に異例の「と列」

 712日、安倍家の葬儀(喪主は昭恵夫人)が行われた。遺体を乗せた車が国会などをまわった。清和会の秘書などが国会前に出てきて見送る場面を、たまたま近くを通った水島ゼミ生が撮影したのが右の写真である。
 この712日、葬儀が行われた浄土宗の大本山、増上寺には、写真のように陸上自衛隊特別儀仗隊が整列して「と列」を行った。防衛省によると、戦後の首相経験者では、国葬や政府と自民党などの合同葬が計11回あり、儀仗隊はいずれにも参列したが、家族葬への参列は初めてという。このことについて、陸自トップの吉田圭秀・陸上幕僚長(18年前の二佐の時代に改憲案を起草)は、「大臣レベルで判断された。我々は指示をいただいたので、粛々と任務を遂行した」と述べた。当時の防衛相は、実弟の岸信夫だった(以上、『朝日新聞』96日付 )。

防衛省は「自衛隊法6条などに基づいて儀仗隊の参列を決めた」というが、6条は、「自衛隊の礼式は、防衛省令の定めるところによる。」としか書かれていない。自衛隊法施行規則14条以下には、「儀じょう」などの定めがあるが、一般的な定めにすぎない。具体的には、「自衛隊の礼式に関する訓令」(防衛庁訓令第14号)が、「儀じょう」については第5章、「と列」は第6章で定めている。誰に対して行うかが明記されているのは天皇、皇族などわずかであって、元首相についての文言はない。「と列」については、824項に「防衛大臣が特に必要と認める場合」とあり、これに該当すると大臣が判断したからだろう。儀仗についても、844項で「その他防衛大臣が特に必要と認める場合」とされている。すべて大臣の判断で決まる。「「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀における自衛隊の礼式に関する省令」(令和2年防衛省令第9号)のように、個別に省令で定めている。しかし、自宅から「と列」を行ったのは初めてとされ、きわめて異例だった。陸幕長のコメントにある「粛々と」には、問題を感じつつも大臣判断でやむを得ないという気配を感じる。

弟が兄の葬儀に部隊を派遣したようなもので、これでは自衛隊の私物化ではないか。内閣改造で退任するから思い切ったのだろうが、臨時国会で追及すべき論点の一つである。

 

「我が軍」といった首相への配慮

 ご記憶だろうか。2015年3月20日の参議院予算委員会で、安倍晋三首相(当時)は、自衛隊について「我が軍」といってしまった(直言「「我が軍」という憲法違反の宣言参照)。自衛隊は軍隊ではない。これが政府の公式解釈である。1975年に「国葬儀」とならず「国民葬」となった佐藤栄作は、1967年の首相としての答弁で、「自衛隊を今後とも軍隊と呼称することは致しません」と断言していた。   ところで、9月27日の「国葬儀」には、16県を担任する第1師団を中心に、海自や空自の隊員、防衛大学校、防衛医科大学校の学生ら計1390人が参加した。陸自の第302保安警務中隊の特別儀仗隊がメインだった(『朝日新聞』2022926)。「と列」、空砲を19発放ち弔意を表す「弔砲」、音楽隊による「奏楽」などが実施された。このうち約20人の海自隊員が、遺骨が自宅を出る際、自宅前の道路で、着剣して儀仗を行った(写真にリンク)。陸自のプロたちと違って、動きがぎこちない。遺骨を乗せた車が日本武道館に向かう途中に寄ったのは、国会ではなく防衛省だった。多くの幹部自衛官が出迎えた。ほとんどが陸海空の制服組だった(写真にリンク)。武道館に遺骨を抱えた昭恵夫人が到着すると、陸自第1特科隊の105ミリ榴弾砲による「弔砲」が実施された(19発)。昭恵夫人を岸田首相が出迎え、特別儀仗隊長が先導した。遺骨は3人の儀仗隊員が祭壇に安置した。「国歌」演奏は、陸上自衛隊中央音楽隊。着剣した特別儀仗隊が入場して、黙祷となった。その際に演奏された曲は「國の鎮め」。歌詞には「國の鎮めの御社と斉き祀らふ神霊…」とある。靖国神社と戦死者の霊。国家神道の精神がバックにある。従来から自衛隊音楽隊が演奏することがあるが、これを「国葬儀」という場において用いることについて、政府においてどのような配慮がなされたのだろうか。憲法上きわめて疑問であるのみならず、中国や韓国、東南アジア諸国からの参列者はこれをどう聴いたか。ミャンマー軍事政権の関係者も参列した可能性があり、この「安倍国葬」という場が、日本の軍事的な側面を内外に印象づけることになったのは間違いないだろう。なお、 遺骨が武道館から自宅に戻る際、「花は咲く」を演奏したのが、海上自衛隊音楽隊だった。遺骨が自宅を出るところから、自宅にもどるまで、自衛隊が深く関わっていた。

 安倍政権により、違憲の安全保障関連法(安保法制)が強行成立させられてから7年というタイミングで、その「功労者」への最大限の感謝を示すという意味と同時に、「普通の軍隊」のイメージを社会に広めていく機会とすることも狙いだったのではないか。「国葬」においては、どこの国においても(エリザベス女王の国葬も)、軍隊が重要な役割を果たす。「国葬」という非日常の場を使って、軍事的なものが、社会に「定着」させられていく。山本五十六(連合艦隊司令長官)の国葬(194365日)は、戦時中にもかかわらず、否それゆえにこそ大々的に行われた。戦意高揚のために。「安倍国葬」において自衛隊をことさらに押し出したのも、ウクライナの戦争や「台湾有事」など、軍事的緊張の高まりと無縁ではないだろう。12月の防衛計画の大綱などの策定や、来年度予算に向けての防衛費増額、「GNP2%」などに向けた「効果」も計算されていたのではないか。「安倍国葬」の弔砲を、憲法改正に向けての号砲とするのが故人の「遺志」と解釈する人々がいるということである。

《付記》冒頭左の写真について。左下は、20147月に自民党本部前でゼミ生が撮影した。右上は201410月、岩手県平泉の中尊寺近くで撮影したもの。右下は、2012年総選挙の自民党マニフェストに使われたもの。つまり遺影は、10年前の58歳の安倍晋三である。

【文中敬称略】

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