雑談(134) 新『西部戦線異状なし』――ドイツ人がドイツの戦争を描く
2022年11月21日

Netflixの世界

親と同居するようになり、生活スタイルが変わった。深夜まで原稿書きをしていたが、いまは早朝型である。夕食後は家族と過ごすことが増えた。今年1月、『新聞記者』を見るためにNetflixに入会した(直言Netflix『新聞記者』を見る──アベノリアル参照)Netflixは世界190カ国で、22100万人の有料会員を有する配信登録制のストリーミングサービスとのことで、今年からその会員の一人となった。4Kテレビも導入して、プライムビデオを含めて、これまでの人生で映画館に通って観た数よりもはるかに多くの作品を観ている(映画観賞の質という点は別として)
   具体的に挙げるときりがないが、例えば、米国と韓国の『サバイバー』(継承順位最下位の閣僚が大統領になる話)(米国、2016年~18年。韓国、2019)。自閉症の医師や弁護士を主役にした『グッド・ドクター(名医の条件)(米国、2018)『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』(韓国、2022)。後者は、韓国のテレビドラマの世界に初めて「はまった」。とにかくおもしろい。脚本も俳優の演技もいい。そして、ごく最近、『ザ・クラウン』(英米合作、2016)のシーズン52022年)まで観終わった。どこまで本当なのかと思わせる、かなり際どい作品づくりである。今さらフィクションと断っても、too lateの感を禁じ得ない。エリザベス女王の死(202298)によって、「1997831日」や「200549日」を扱うシーズン6がどうなるのか。シーズン5で示唆された英国王室の存立危機(King CharlesⅢそのもの)のみならず、連合王国の危機 (スコットランドの再度の国民投票(20231019日))と英連邦の解体(カリブ諸国などで共和制に向かう国々が続出)がリアルになりつつある。「202356日」がどうなるか。6年前の直言「「連合」の終わりの始まり?――国民投票の悩ましきAmbivalenz」の余震も続いている。
   
   Netflixで10月28日に配信されたばかりの『西部戦線異状なし』(Im Westen nichts Neues)(エドワード・ベルガー監督、独、2022年)を観た。これだけは一人で、しかも、途中で中断して、翌日昼間に続きを観るという異例の形をとった。それでも、このドイツ映画については、いまを語る上で興味深い素材を提供していると思うので、「雑談シリーズ」の一つとして書き残しておくことにしたい。

 ドイツ人がドイツの戦争を描くこと――『U・ボート』

直言「雑談(98)映画で戦争を描くということでも書いたが、ナチスによる戦争をドイツ人が描くことのハードルは、高いものだった。旧ソ連・ロシアはもとより、英米仏の映画作品に登場するドイツ兵(将校)の描写というものは、厳しいのが当然である。ドイツ兵は特徴的なヘルメット(シュタールヘルム)をかぶり、迷うことなく人を殺していく。ドイツ語は暴力性と威圧感をもった言語として印象づけられる。

戦後西ドイツで第二次世界大戦を扱った映画としては、『橋』(Die Brücke(ベルンハルト・ヴィッキ監督、独、1959)が印象に残る(冒頭右の写真)。敗色濃いドイツで、少年たちが動員されて、橋の守備につく。そこへ米軍の戦車がやってきて戦闘になる。モノクロ画面で、地味な展開だが、米兵が「幼稚園児とは戦わない。こっちへ来い」といって少年たちを助けようとするが、不幸なことに…。エンドロールの直前、「1945427日。あまりに些細な事件で、軍の記録には残っていない。」という文字が出る。ハリウッド映画とは対照的に、ドイツ映画には戦争のヒーローはいない。最後は虚無感が漂うものが多い。

 戦後、本格的に戦争を扱った映画としては、U・ボート』(Das Boot(ヴォルフガング・ペーターゼン監督、独、1981年)が画期をなすように思う。ついにドイツも戦争映画をつくるようになったのかと当時注目された。41年前、大学院生のとき、封切りと同時に新宿で観た。9割近くが、狭い潜水艦内の描写である。この作品について、DVDを購入して何度も観ながら(冒頭右の写真)「直言」を書いた。そこにこうある。「戦争映画は米国製が圧倒的に多く、そこに登場するドイツ軍将校はどこまでも冷たく、憎々しく、下士官、兵たちは表情のない「切られ役」として、あっけなく倒れ、すぐ動かなくなる存在として描かれてきた(実際の戦争では、人間はそんな簡単には死なないのに)。だが、この作品では…、そのドイツ軍の将校、下士官、兵が、一人ひとりの苦悩する人間として緻密に描かれている。」と。

  『U・ボート』について、山田和夫という映画評論家が、40年前の『赤旗』映画評で、戦争の全体状況やヒトラーの犯罪性などが描かれていないという主旨の批判を書いた。私は紋切り型の批判に違和感を覚え、名古屋大学教授の森英樹さん(20204月逝去) にその旨を伝えると、まったく同感といってくださった。「戦後36年」の時点で、ドイツが戦争映画を正面から世に問うた意味はあるということで意見が一致した。作品中で、ヒトラーの演説が艦内ラジオに流れるとき、艦長がまったく無視するかのように書き物を続けるシーンが印象に残る。なお、この写真は、20188月に北部ドイツのキールに行ったときに艦内にも入ったU-995である

   90年代になると、ドイツの懲罰大隊に着目した『スターリングラード』(ヨゼフ・フィルスマイアー監督、独、1993年)が注目される。同名のジャン=ジャック・アノー監督作品(米・独・英・アイルランド合作、2001)8年前に公開された。極寒の地でソ連軍に包囲され、自壊していくドイツ第6軍を描く。スターリングラード(現・ヴォルゴグラード)の6軍司令部跡に行ったことがある。周辺の激戦地の墓地も訪れたが、そこで管理人からもらったソ連兵の水筒が研究室にある(直言「わが歴史グッズの話(38)最高「責任」者とスターリングラードの水筒)。見渡す限り広い原野で戦った兵士たちのヘルメットの悲惨な状態から、そこでの戦闘の壮絶さが想像できよう。

 2015年の「戦後70年」を前にして、ドイツでは、第二放送(ZDF)が長時間の戦争ドラマを制作した。日本での公開タイトルはジェネレーション・ウォー』(独、2013)(冒頭右の写真)である。原題は「わが母たち、わが父たち」(Unsere Mütter, unsere Väter)である。2022年公開の『西部戦線異状なし』は、「わが曾祖父たち」ということになろうか(若者にとっては「わが高祖父たち」?)。

『西部戦線異状なし』米国製とドイツ製(Netflix)

この作品は、第次世界大戦の主にフランス軍との戦いを描いたものである。レマルクの原作も学生時代に読んでいたし、『西部戦線異状なし』(All Quiet on the Western Front(米国、1930)は、第3回アカデミー最優秀作品賞、最優秀監督賞を受賞した名作であり、DVDも持っている(冒頭右の写真)。1979年の米英合作のテレビ映画も放映された。1930年の映画も1979年のテレビ映画も、ドイツ兵が英語をしゃべっている。命令もドイツ語口調の英語である。

 202210月28日に公開されたNetflix版(以下、2022年版という)は、リメイクというよりも、ドイツ人が、100年以上前の、自らルーツにあたる人々の壮絶な塹壕戦を生々しく再現しようとした作品である。ドイツ語だけで、敵方はフランス語である。同じレマルクの原作に基づきながら、1930年の作品とはかなり異なる。最新作なのでネタバレは避けたいと思うが、何点か述べておきたい。

1930年版で私が重要だと思うのは、主人公が戦場から郷里にもどった時の心理的変化である。学校で教師が愛国主義を鼓吹し、「祖国のために戦え」という言葉に興奮して志願した。友人たちも同じだ。しかし、過酷な戦場で心も体も傷つき、休暇で帰郷して母校を訪れると、教師は相変わらず、後輩の生徒たちに軍隊に志願して戦場に行けと煽っている。たまたま教室を訪れた主人公に対して、教師は英雄的な話を求める。だが、主人公は、戦場には何もない。あるのは死だけだと突き放すと、後輩の生徒たちからブーイングを受ける。知識人やごく普通の人々が戦争に協力していったことへの痛烈な批判の箇所である。1930年版の白眉の場面といっていいと思う。だが、2022年版に、その二度目の学校のシーンはない。そもそも主人公は休暇で故郷にはもどらない。戦場とその周辺で物語は進行する。ほとんどが絶望的な塹壕戦である。

1930年版でも2022年版でも、また、一般的に第一次世界大戦を扱った他の映画でも、観ていて最も虚しさを覚えるのは、ホイッスルの音とともに突撃発起して、塹壕を飛び出して銃剣突撃を行う場面である。相手陣地の手前で、重機関銃により兵士たちが次々になぎ倒されていく。第二次世界大戦では日本軍の「バンザイ突撃」が異様な例として扱われるが、第一次世界大戦では、いずれの側もこれが通常の戦法だった。特に西部戦線では、ドイツ軍とフランス軍がこの戦法を無意味に繰り返し、たくさんの戦死者を出した。本来ならば、十分な火力支援(攻撃準備破砕射撃)により相手の機関銃陣地を無力化させてから突撃を敢行する。しかし、この映画でも描かれているように、相手の機関銃座に向けてひたすら直進させていく、まさに自殺戦法である。かけがえのない命が、かくも簡単に奪われていく。その虚無感は1930年版でも十二分に描かれるが、今回の作品はカラーなので、適度な抑制はあるものの、残虐な場面の連続に気が滅入る。
  上の写真は、西部戦線であるヴェルダンの無数の墓標、その向こうに見えるのが「ドゥオモン納骨堂」である。そこには両軍の兵士たちの身元確認不能な骨が納められている。右の写真は、納骨堂の窓から撮影した骨の山である。立派な大腿骨が多いことから、若くて健康な若者の骨ということがわかる。

   加えて、第一次世界大戦において本格的に使われるようになり、戦争様相を一変させた3点セット、戦車、飛行機、毒ガス。この映画にはそのすべてが出てくる。飛行機の場合、1930年版では控えめで、1機だけのんびり飛んできて、爆弾を落としていく(誰にもあたらない)という牧歌的な描き方だった。戦車が出てきて兵士を圧死させるなんてシーンもなかった。毒ガスも限定的だった。だが、2022年版は、いずれもすさまじい。サン・シャモン突撃戦車の登場.シーンはあたかも、霧のなかから、恐ろしい咆哮とともに「怪物」が出てくるホラー映画のようである(前述の『橋』でも、プライベート・ライアン』(米国、1998)でも、戦車の登場前が恐い)。何よりも、2022年版のすごさは火炎放射器だろう。沖縄戦を描いた『ハクソー・リッジ』(米国、2016年)にも出てくる。1918年の戦争末期、戦車や火炎放射器により、塹壕戦が無意味化していくのがよくわかる。

   原作でも白眉であり、1930年版でも強烈な印象を与える、顔のみえる距離での白兵戦闘とその結果。端的にいえば、理性的人間は人間を殺せるかというテーマである。今回の作品でも、痛々しく描かれる。妻子のある、立派な職業をもつ一人の人間を自分の手で殺害したことへの罪の意識。戦場の恐怖と興奮のなかでの敵兵の殺害とは違って、心の痛みは消えない。「冷たい塹壕のなかに横たわる死骸を見ることは淋しかった。しかし、それはいかにも静かだった。」(志賀直哉『城の崎にて』風で)。

   1930年版にない「政治」も描かれる。「118日」とか、日付をさりげなく出して、遠いベルリンではドイツ革命により皇帝が退位し、共和制が宣言されている。2022年版では、フランス軍との停戦交渉の場面がある。それぞれのメンツがあって、その間にも前線では兵士たちが無意味な戦闘で死んでいる。映画のなかに出てくる連隊長(大佐)は、「社会民主主義者のクソども」といって、新たな政府の停戦命令に従いたくない。1111日午前11時に停戦となるが、まだ15分ある。その時間的空白に、総攻撃が命じられる。一度、平和な日常への復帰に喜んだ兵士たちに、もはや戦う気力はない。絶望から希望を与えて、再び絶望を与えることの残酷さが描かれる。戦争はイヤだと抵抗する兵士は、敵前抗命罪で銃殺となる。軍法会議なしの即決だ。「消化試合」どころでない。フランス軍にしても、戦争が終わったと喜んでいるところにドイツ兵が突撃してきた。西部戦線では、4年間で300万人以上がこのような形で死んでいった。第一次世界大戦では約1700万人が命を落とす結果となった。

   1930年版のラストのシーンはあまりにも悲しいが、きれいにまとめられている。2022年版の場合はネタバレになるので書かないが、まったくその逆である。だが、2022年版の本当のラストシーンは美しい。それは冒頭のシーンと対をなしている。究極の人災である戦争、愚かな人間とは無関係に、自然の営みは続くということか。


ウクライナ「東部戦線異状あり」

 6年前のドイツ在外研究中、フランスのヴェルダンに行った。直言「「戦争に勝者はいない」ということ――ヴェルダンで考える」をリンクまでお読みいただきたい。「巨大な肉挽き器」と呼ばれた戦場であり、まさにこの映画の舞台といっていいだろう。私がヴェルダンに行く少し前に、ヴェルダン戦100年を記念して、ドイツのメルケル首相とフランスのオランド大統領(いずれも当時)が現地を訪れた。そこでメルケルは、独仏が殺し合うことはない、ここからヨーロッパが生まれたと宣言した。この2人は、前年にミンスクの合意のため尽力している(直言「NATO「北方拡大」は何をもたらすか――「ヴェルダン」と「ミンスク」のメルケル前首相参照)。プーチンもウクライナの当時の大統領もこれに署名した。それをゼレンスキーは反故にした。それは、プーチンのウクライナ侵攻の口実にも使われた。

 「東部戦線異状あり」(Im Osten Neues)。ウクライナの戦争では、ドイツにとっては嫌な響きの「東部戦線」であり、ロシアにとっては「西部戦線」である。1115日、ポーランド東部に「ミサイル」が着弾して、2人のポーランド市民が死亡した。米国もNATOも、ウクライナ軍の地対空ミサイルによるものと冷静だが、ゼレンスキーはまだロシア軍の攻撃だと強弁している(ただし、11月20日から微妙に変化)。

   なお、この戦争については、直言「映画『戦争のはじめかた』(2001)のリアル――軍備強化の既視感、直言「アフガンとウクライナ――大国が勝手に始めて、勝手に終わらせる戦争とは、直言「「武器供与のリスクと副作用」――「ウクライナ戦争」の半年などで論じているので参照されたい。

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