中村哲さんの殺害から3年――日本は武力行使をする国になるのか
2022年12月12日

「きな臭い年」2022年も終わりに近づく

13日の直言「2022年の年頭にあたって――「力の政策」の突出は何をもたらすか」において、「2022年はきな臭い年になる」と示唆しつつ、「冷戦時代のソ連を基層としてもつプーチンのロシアと、3度目の「歴史決議」で自己の正統性を磐石としたかに見える習近平の中国とが、2022年の世界に重大な影響を与えるアクターとなるだろう。」と書いた。そして、20142月のロシア軍によるクリミア併合により、「NATOは「原点回帰」して、欧州正面においてロシアの「力の政策」と力で対峙する時代になったようである。…アジアもまた、習近平の中国が「力の政策」をかなり露骨に押し出してきている。日本政府も、「力には力を」とばかり、「敵基地攻撃能力」や「防衛費GDP2%」などを持ち出して威勢がいい。」とも指摘した。これらの動きに関連して、一つの対案として、西原春夫早大元総長らが中心になって進めている「東アジアの不戦のメッセージ」についても紹介した(実際の宣言については228日の「直言」を参照のこと)。

 

「敵基地攻撃能力」をめぐる大政翼賛状態

その2022年もあと20日足らずとなって、この国は歴史的な大転換を迎えようとしている。「国家安全保障戦略」、「防衛計画の大綱」、「防衛力整備計画」(20232027)のいわゆる「安保3文書」の「骨子案」が129日にメディアにリークされ、各紙10日付の一面トップとなった(『東京新聞』のみあえて無視、あるいは「特オチ」?)。『毎日新聞』は「1216日にも閣議決定する」と断定している(『朝日新聞』は「今月16日の閣議決定をめざしており…」)。いずれにしても、3文書が12月中旬までに公表されることはかなり前から明らかにされており、これらの前提となる「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」報告書も、1122日にすでに公表されている。そこには、話題を呼ぶように、前触れ、先触れ、アドバルーンとして、「敵基地攻撃能力」(「反撃能力」に言い換え)が明記されていた。メディアの多くは無批判にそれを流すばかりで、社説・解説の類でも、根源的な批判はほとんどみられなかった(『信濃毎日新聞』の丸山貢一論説主幹の一面評論は読ませる)。

 国会は統一教会問題の被害者救済法案の「今国会成立」という岸田首相の一言に帳尻を合わせるべく、衆院での審議入りからわずか5日で成立させてしまった。内容的には、「いずれ我が身」の連立与党に「十分に配慮」して、被害者救済にはほど遠い、中途半端なものになった。衆院で土曜日に会期末処理が行われるのは、1994129日以来、28年ぶりという(『朝日』10日付)。

 重大なことは、安全保障政策の大転換となる重要文書を、国会の閉会後に閣議決定しようとしていることである。国会での議論を避け続け、まともに答弁しない安倍・菅政権のDNA は、岸田政権にもしっかり受け継がれている。岸田首相の特徴は、安倍・菅とは異なり、「言語明瞭、意味明瞭」なのだが、その言葉が浮いていることである。例えば、「敵基地攻撃能力(反撃能力)」を「専守防衛」の範囲内と主張するためには、そうとう論理や法理を駆使しなければもたないはずなのだが、何のためらいもなく、そう言い切ってしまう。岸田文雄という政治家についてのこれまでの私の評価にはなかったもので、岸田の一つの「才能」なのだろうか。

 首相も首相だが、今国会では、野党のなかにも劣化が目立った。1216日に予定される閣議決定に向けて、野党の中から踏み込んだ提案が首相に対して行われている。127日、日本維新の会の馬場伸幸代表が岸田文雄首相に会い、「反撃」の対象にミサイルの発射台などの軍事施設だけでなく、司令部や通信施設、レーダーなどの指揮統制能力も含めるべきだとし、「被害の可能性を最大化して見せることは抑止力につながる」と強調したことである。「被害の可能性を最大化」という表現に驚いた。法制局解釈で違憲となる一つの基準は、「他国に壊滅的な打撃を与える兵器」の保持であり、首相は、こういう従来の政府解釈に反する意見には素直に「聞く耳」を発揮して、「最終のとりまとめに使わせていただく」と応じた(『毎日』8日付)。9日には、国民民主党の玉木雄一郎代表が岸田首相と会って、「周辺国がミサイルシステムでは対処できないミサイルを開発、配備しているなどを指摘して、反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有を求めた」という(『毎日』10日付)。立憲民主党泉健太代表の野党第一党の党首としてのミスキャスト性はかねてより気になっていたが、維新との協力を重視する姿勢から、「敵基地攻撃能力」に乗る構えを見せるなど、まったく評価できない。「財務」(創価学会の献金活動)が問題化することを嫌って、連立与党の「平和の党」は、「敵基地攻撃能力」にほとんど条件も付けずに賛成してしまった2022年秋、国会では、「敵基地攻撃能力」をめぐる大政翼賛状態が成立したのか。この問題については、16日の安保3文書の閣議決定後にまた論ずることにしよう。

  中村哲さんの死から3

先週、124日は、「 ペシャワール会」現地代表だった中村哲医師が、アフガニスタンのジャララバード南約35キロの地点で何者かに銃撃され死亡してから3年となった日である。冒頭の『週刊金曜日』(20191213日号)の拙稿は、死亡から数日後に脱稿したものである。

 昨年8月、バイデン政権がアフガニスタンから一方的に手を引いて、再びタリバンの支配が復活した。いったい、この20年間は何だったのか(直言「アフガニスタンはどうなるのか――「9.11」と「10.7」から20参照)。ブッシュが始めた「対テロ戦争」の壮大なる勘違いと罪の深さを思う

 直言「アフガンとウクライナ――大国が勝手に始めて、勝手に終わらせる戦争とはで紹介した拙稿「アフガニスタン戦争20年と日本」(『法律時報』202111月号「法律時評)のなかで、私は次のように書いた。

「日本は、タリバンもアフガン市民も殺していないから、タリバンから一定の信頼を置かれている。ここに日本がタリバンと国際社会を仲介する大義があるという指摘がある(日本ボランティアセンター〔JVC〕顧問・谷山博史氏)。補給支援活動により、アフガンでの米軍等の戦闘行動に間接的にかかわっていることは否定できないが、日本への憎悪が欧米に比べて低いのは確かだろう。この点で、201912月に殺害されたペシャワール会の中村哲さんの存在は大きかった。武力で占領するというイメージとは正反対の中村さんの活動は、これからのアフガニスタンにおいても光であり続けるだろう。…これからも、日本のスタンスは、中村さんが命をかけて示してきた方向と内容であるべきだろう。」と。

 畏友・高世仁氏のブログから

50年来の友人でジャーナリストの高世仁氏。私が37年前から使い続けている「親指シフトキーボードについても、同じ思い入れをもっている。その彼のブログの124日から7日まで、現地アフガニスタンを取材してまとめた中村哲医師についてのレポートが連載されている。

 1回「外国NGOを歓迎するタリバンには、高世氏が訪ねた経済省で、タリバンの幹部が、「中村医師はアフガニスタン人のために命を投げ出して献身されました。日本の皆さんに心からの感謝を申し上げます」と、神妙な顔であいさつしたことが書かれている。「この言葉を信じるとすれば、タリバンも中村哲医師を高く評価していることになる」と高世氏。電話で直接聞いた話だが、彼がタリバンの検問所でチェックを受けた際、「ジャパニ」と答えると、兵士は笑顔で「ナカムラ! 」と叫んで、パスポートも見ずに通してくれたという。また、ジャララバード市内には、「NSS」という看板あり、これは「ナカムラスーパーストア」の略とのことで、地元に人にとって中村さんの存在がいかに大きいかを示すものだという。右の写真は、近くの「ナカムラベーカリー」である。

今年10月、ジャララバード市内中心部の殺害現場近くに「ナカムラ記念公園」がオープンした。幹線道路から中村さんの笑顔がよく見える(上の方の写真)。夜はライトアップされる。昨年、タリバンがカブールを支配したあと、市内にあった中村さんの横側の壁画が白く塗りつぶされたというニュースが日本でも流された。だが、高世氏によると、あれは偶像崇拝を嫌うタリバンのなかの「はねかえり」が誤って消してしまったのが真相に近いようだ。実際、ナカムラ記念公園はタリバンも関わっており、中村さんの評価はタリバン政権下でも高いと考えて間違いないだろう。

 連載第2「「倫理観の神髄」を見ながら民衆に分け入った中村医師で高世氏は、中村さんが、なぜここまでアフガニスタンの人々の心をつかみ、さまざまな事業で成功を収めることができたのかについて触れる。「理由の一つに、異文化に対する非常に深い理解があったと思う。そこには「近代」へのラディカルな批判も伴っていた。…私はこれを考えることが、なぜタリバンが「勝った」のかを知ることにもつながると思っている。中村さんは「農村部の後進性」のなかに「倫理観の神髄」を見たのである。そして近代が「人権」を叫ぶかたわらで弱者を切り捨てると喝破している」と。米国など西側の価値観が善で、タリバンの価値観は悪という発想が一般には広まっており、女性差別の現実はそれを裏付けているようにも見える。だが、少し立ち入ってみると違った風景も見えてくる。高世氏は、都市部はともかく、農村部に行くとタリバンが広く支持されているという。女性差別の問題は深刻だが、それを解決するためには、西側も制裁を強めるのではなく、もっと工夫と粘り強い努力が必要だという。

 連載第3「中村哲医師の「共に生きる」哲学も興味深い。「…中村さんは、パシュトゥンワリーを「アフガン農村社会を律する共通の掟」と捉える。代表的なものとして「メルマスティア(客人接待)」と「バダル(復讐法)」の二つを挙げ、「これは、外国人の想像を超える強固な農村社会の掟である」という。「タリバン政権が、「テロリストのビンラディンを引き渡せ」とのアメリカの要求を蹴ったのは、前者の「客人接待」にあたる。当時、「客人を理由なく売り渡さない」というタリバンの不文律が一般大衆に説得力を持っていたと中村さんはいう。このビンラディン身柄引渡し拒否こそ、アメリカの侵略を招いたのだから、民衆が米軍に敵意を持つのは当然である」と。ブッシュ政権の「対テロ戦争」の論理に乗ってしまったことへの反省が求められる所以である(直言「言葉もて、人は獣にまさる参照)。

 連載第4回「「民衆とともにあれ」と中村哲医師は言ったでは、高世氏が、ペシャワール会の現地事業体PMS(平和医療団)のプロジェクトを取材したことが書かれている。PMSは「医療団」であるが、土木工事のプロジェクトもあり、この活動は中村さん亡きあとも続けられている。ジャララバードから1時間ほどのところにある診療所には検査室があり、検査技師が顕微鏡で検体をのぞいていた。ワクチン接種に特化したスタッフもいる。女性患者を診る女医もいて、PMSは「医療の質が高い」と人々が信頼しているという。土木工事にたずさわるPMSがこれまで掘ってきた用水路は、「100メートルあたりわずか10センチの傾斜で水を通している。用水路を掘るのにあたり、土木にはまったくの素人の中村さんは、娘さんの数学の教科書を借り、土木工学を一から勉強して自ら設計図を描くに至ったという。その中村哲さんに薫陶を受けたアフガニスタン人の弟子たちがいま難工事に挑んでいる。中村さん亡き後も、彼の精神と技術を受け継いで前に進んでいる多くのアフガニスタン人がいることを知って感動し、また安心した」(高世氏)。

 米国が去り、タリバン政権となって、PMSの活動に支障は出てはいないか。中村さんと「緑の大地計画」の立ち上げから一緒に活動しているディダール技師はいう。「ドクター中村は言っていた。「政府は変る。しかし民衆は変らずにそこにいる。政府がどうであるかに気をとられるな。民衆とともにあればよいのだ」と。この言葉を守って、政府が変わっても私たちは活動を変えません」と。「前の政権も今回の政権もPMSを尊重してくれています」とも。

なお、共同通信の現地からの報告によれば、タリバン暫定政権も中村さんの功績を称賛し、ナンガルハル州の灌漑事業の責任者は、州内でPMS方式を採用した5つの用水路の建設を計画中で、財源のめどが付き次第着手するという。その責任者いわく、「中村医師ほど私たちのために尽くした人はいない。彼の死はこの国最大の損失だ」と述べたという(『東京新聞』124日付「アフガンに根付く 希望の教え 荒野潤す用水路建設 遺志継ぎ脈々と」)

 高世氏の現地取材に基づくレポートからは学ぶものが多く、私が付け加えるものはない。実は、彼はドキュメンタリー番組として使えるだけの撮影を行っており、編集もされている。まだどこのテレビ局でも放映されていないので、早くドキュメンタリー番組としてみたいものである。今回の「直言」では、中村さんが殺害されてまもない時期に『週刊金曜日』の依頼で執筆した3年前の原稿をアップする(冒頭ファイル参照)。日本は米国のあとを追いかけるのではなく、むしろ、アフガニスタンに積極的な人道支援を行う必要がある。タリバンへの制裁にばかり目がいき、生きているアフガンの人々のことを忘れてはならないだろう。タリバンがかなり柔軟化してきたという高世氏の指摘は注目される。

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