戦で死ぬ兵たちのこと――「その他大勢」の思想
2023年3月13日


合戦の主役、「足軽」「雑兵」

月、ある必要に迫られて、これまで自分が書いてきたものを整理していた。「著書・編著」欄「論文・エッセイ」欄 に載せたもの以外にも、いろいろな媒体に書いてきたものが、書庫を整理した際の段ボールから見つかった。その一つが、『法学セミナー』19858月号「読書随想」である。名前が「みずしま あさお」となっていることに今回初めて気づいた。編集部からは、どんな本を取り上げてもいいといわれていたので、法律書ではなく、江戸初期に書かれた『雑兵物語』を選んだ。それがこの38年前の文章である。ご一読いただければ幸いである。黒澤明監督作品『乱』(日仏合作、19856月公開)について冒頭で触れている。

    この映画でもそうだったが、大河ドラマを見ていても、合戦でバタバタ死んでいくのは、名もない足軽である。「その他大勢」である。たまに騎馬武者がやられるときは、それなりの演出がされるが、足軽の死は本当に軽く描かれる。苦悶の表情やしばらく悶えて息絶えるなんて演技は、足軽役には要求されない。すぐに死んで動かない。視聴者は、主人公の武者が足軽を次々に斬り倒していくのを眺めている。実際の合戦ならば、足軽は集団戦法で動き、同時に長槍を繰り出せば、太刀でこれを避けることは困難である。しかし、ドラマや映画では、足軽は主人公に「行儀よく」順番に斬りかかり、主人公の武者はそれを順次倒していく。予定調和の殺陣であるが、考えてみれば不思議である。敵が集団でかかってくるところに単身で斬り込むのはハイリスクなので、通常は考えられないだろう。

    戦国時代の戦死者の死因を分析すると、鉄砲傷が一番多く、次が矢傷、そして槍による傷といわれている。大河や映画で「絵」になるのは刀を使った接近戦だが、最初から刀で斬り込んでいくという戦い方はあまりとられなかったようである。安手のものとはいえ、一応具足をつけている足軽を一刀のもとに斬り殺すこともむずかしい。しかも足軽は多くは農民である。生活と家族がある以上、そう簡単には死なない、死ねない、死にたくない。だから、体をかわしたり、逃げたりするのが戦場のリアルだろう。

殺す場面の「約束ごと」

    そこで、足軽や兵隊がたくさん死ぬ合戦や戦争を描く映画・テレビを「娯楽」として制作するためには、私は3つの「約束ごと」が必要と考えている。21年前の直言「雑談(20)沖縄でサイパン戦をみる」でそのことを書いた。簡単に要約すると、「約束ごと」の第1は、「斬られ役」ないし敵役は「いかにも悪者」という表情をしているか、あるいは没個性で画一的、無表情であることが求められる。個性的で表情豊かな人間として描くと、それを殺す主人公への感情移入は不徹底になる。ドイツ映画『西部戦線異状なし』に有名なシーンがある。主人公のドイツ兵が塹壕に飛び込んできたフランス兵を銃剣で刺し殺すのだが、これがなかなか死なない。うめき声をあげ、苦しむのを見かねて、水を飲ませて、「ごめんよ、ごめんよ」と泣く。一人の人間を殺してしまったという罪悪感にさいなまれる。観客(視聴者)も苦しい。だから、娯楽にするには、敵兵は表情豊かには描かない。これが「約束ごと」の第1である。

    第2は、斬られたり撃たれたりしたらすぐに死ぬ、即死することが肝心である。敵兵がのたうって苦悶し、なかなか死なないシーンを映せば、観客は主人公の側にいくばくかの負い目を感じるだろう。「約束ごと」の第3は、五体満足で死ぬこと。手榴弾で敵の機関銃座を沈黙させると、観客は「これで味方が撃たれない」とホッとする(ように演出される)。でも、バラバラになった敵兵の手に家族の写真がしっかり握られていたなんてシーンが一瞬でも流れただけで、観客の眼差しは変わる。

   21年前のこの「直言」では、これに続けて、こう書いた。「ベトナム戦争でも同様だった。米軍が村人506人を虐殺した「ソンミ村事件」(1968316日)を、『ライフ』誌(1970119日号)が写真入りで伝えてから、米国内の雰囲気が一変した。女性や子どもが震えながら肩を寄せ合う写真、一斉射撃のあと道に倒れる子どもや女性の死体。顔を撃ち抜かれた、ものすごい形相の女性の死体。この「目線」の変化は、その後のベトナム反戦世論の高まりに大きく影響した」と。この「ソンミ村事件」をスクープしてピューリッツァー賞を受賞したのが、シーモア・ハーシュ記者だった。彼がこの28日に出した「ノルドストリーム爆破事件」のブログ記事については、直言「「勝利する」と「負けない」の間――ウクライナ侵攻1年とハーバーマス」で紹介したが、今週になって、『ニューヨークタイムズ』7日付や、ドイツのテレビ局ARD週刊新聞Die Zeit が親ウクライナの国籍不明の6人がこの破壊工作に関わっていること、連邦検察庁が爆破に使用された船舶を捜索していたことを報じている(日本では、『東京新聞』39日付(共同通信ベルリン支局配信))。単なる「陰謀説」ではないことが1カ月で明らかとなった。ハーシュ記者の第二弾も準備されており、公表が待たれる。

戦場を歩く(1)――ヴェルダンの戦い

   さて、そのハーシュ記者のスクープで、米国人のベトナム戦争への認識と意識が大きく変わったことにも見られるように、戦争というものは、「味方中心の見方」は危ういことがわかる。「ウクライナ戦争」でも、日本の報道はほとんど欧米メディアと横一線である。NHKに至っては、BS1の「ワールドニュース」(朝67時台)の定番だった「ロシア・トゥディ」(RT)「ウクライナ公共放送」に差し替えてしまった英語で公式的すぎるためか、やがて放送枠から消える(いまはカタールのアルジャジーラ。こちらは従来から信頼性が高い)BBCZDFF2のあとにRTが流れれば、視聴者はウクライナの戦況を多角的に知ることができるのに、NHKはせっかくの機会を奪ってしまった。なお、RTのサイトは、対立する立場の情報を知ることができて、SPUTNIK日本とともに要チェックである。 

   「ウクライナ戦争」をめぐって、過去の2つの戦いが語られている。一つは「ヴェルダンの戦い」(1916) であり、もう一つはスターリングラード攻防戦(19421943) である。ともに、現在、決定的な局面を迎えているとされるウクライナ東部の要衝バフムトをめぐる戦闘の例えに使われている。テレビには、戦況評論家が出てきて盛んにしゃべっているが、毎日のように両軍の兵士が死んでいるのである。このウクライナの膠着した状況について、制服組のトップである米統合参謀本部議長マーク・ミリー大将は、この戦争には軍事的な勝者がいないこと、交渉による和平協定のみが解決につながること、そして塹壕戦、消耗戦はまるで「ヴェルダンのようだ」と語って物議をかもした(ドイツのメルケル政権の軍事顧問だったエーリッヒ・ウァト元准将も同意見)。

   ヴェルダンの戦いは第一次世界大戦を象徴する塹壕戦で、一つの正面の戦闘として、死者の規模が異様に多く、独仏両軍合わせて70万人が死傷する典型的な出血消耗戦として知られている。その100周年の時に独仏の首脳(メルケル首相とオランド大統領)がここを訪れた。私も7年前にここを訪れたが、墓標の数に圧倒されるとともに、ドゥオモン納骨堂にうずたかく積まれた身元不明の独仏両軍兵士の骨に息をのんだ。立派な大腿骨を見れば、生命力あふれる若者が命を失ったことがわかる。ウクライナの戦闘の膠着がこの戦いに例えられるのは何ともつらい。一刻も早く停戦に持ち込む必要がある。「戦車よりも交渉を」である。


   戦場を歩く(2)――スターリングラード攻防戦

  22日はスターリングラード攻防戦終結の日とされている。プーチンは「ウクライナ戦争」の局面打開をはかり、バフムトを軸にウクライナ東部で攻勢をかけようとした。これは直言「「ウラヌス作戦」80周年のリアル――「ロシア・NATO戦争」への「勢い」と「傾き」」でも書いた通り、独ソ戦のみならず、第二次世界大戦のターニングポイントとなったこの戦いを利用して、プーチンは「ウクライナ戦争」に対する国民の戦意高揚をはかろうと狙ったのだろう。

  7年前にこの戦場をめぐったが、ヴェルダンとはまた違った意味で、驚きの連続だった。直言「ロシア大平原の戦地「塹壕のマドンナ」の現場 へ――独ソ開戦75周年(2)」参照)に詳しいが、何よりもドイツとソ連がお互いに捕虜をとらない殲滅戦争を行った現場には息をのんだ。独ソ(ルーマニアなどの枢軸側を含む)合わせて200万人以上の死傷者を出している。その一人のソ連軍兵士の水筒がこれである。腰につける水筒に穴があいて、現場に放置されていたということは、持ち主は戦死したのだろう。建物の一つひとつをめぐるすさまじい市街戦がヴェルダン戦との違いだが、市内の各所に戦闘の痕跡が残っている。「パヴロフの家」というのは、ソ連1個小隊が立てこもって、多数のドイツ軍をくい止めたことで顕彰されたバルマレイの泉も有名である


「ウクライナ戦争」における「その他大勢」のこと

  一体、ウクライナでどれだけの人が死んでいるのか。西側メディアもロシアのメディアも正確な数字は公表していない。日本の「大本営発表」もそうだったが、国民の士気を下げることのないようにと、数字の発表には手加減が加えられる傾きにある。英国BBC は、前述のミリー米統合参謀本部議長の言として、両軍合わせて20万人以上が死傷、と書いた。

   ウクライナのポドリャク大統領府長官顧問は昨年12月、地元テレビで、ウクライナ軍の兵士の死者数について、「公式な評価」として1万~13000人と述べ、一方で、ロシア軍兵士の死者数は10万人にのぼると強調した(『朝日新聞』124)

   2023年の正月、ウクライナ東部ドネツクの「マキイフカ」という地名が世界を駆けめぐった。その町にある専門学校の校舎に対して、ウクライナ軍が、米軍供与(ロッキード・マーチン社製)のM142 高機動ロケット砲システム(HIMARS)による攻撃を実施。校舎にいたロシア兵が多数死亡したからである。当初ロシア軍は死者63人と発表したが、すぐに89人に上方修正した。ウクライナ側は400人が死亡と発表した。一度の攻撃でこれだけ多数の兵士が死亡したことは、この戦争ではそれまではなかった。時間を知って納得した。攻撃は1231日大晦日。動員されてきた予備役が多かったようで、家族や恋人を思って、校舎のなかで携帯電話の電源を入れ、“с Новым Годом”とやったに違いない。記者会見でロシア軍の中将は、「禁止されているにもかかわらず、大勢の兵士が敵の射程圏内で携帯電話の電源を入れて使用したことが主な原因であるのは明白だ」と述べた(AFP202314)。戦場における携帯電話の使用は相手方に位置情報を与え、攻撃目標となることは自明である。日本の神社に参拝する同じ年齢の若者たちが、スマホで親しい人たちに「新年おめでとう! 」をやった同じ時間帯に、「マキイフカ」では89400人の命がこの世から消えたのである。ロシア軍はこの失態を隠すため、遺体の大量搬出や救出活動などの映像を出さなかった。ウクライナ側も、「敵殲滅」の大戦果にもかかわらず、公表は地味だった。

   これらの数字の影に隠れているウクライナとロシアの「その他大勢」の命がこれ以上失われないように、一刻も早く停戦するように求めていくことが必要だろう。

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