雑談(137)70歳に思う―― 「直言」連続更新1385回
2023年4月3日


朝鮮戦争の戦中派

回は、個人的な「雑談」である。

  70年前の今日、43日早朝、私はこの世界に生を受けた。43日生まれでは、ドイツ統一時の首相ヘルムート・コールがいる。「朝穂」という名前は、この日の早朝に生まれたことが一つの理由である。「近くに米第五空軍司令部があり、朝鮮戦争の最中で近くの道路を米軍車両が走っていた」(『論座』(朝日新聞社)20051月号)。私が生まれて115日後の727日(月)、板門店で休戦協定が調印された(直言「わが歴史グッズの話(43)朝鮮戦争「休戦」から「終戦」へ」参照)。

  戦後生まれというよりも、朝鮮戦争の「戦中派」というところか。いま、ウクライナの戦争は、まだ停戦にこぎつけていない。バフムトをめぐる攻防戦は、第一次世界大戦のヴェルダンに例えられるほどに悲惨な状況のようである。1年前のイスタンブールにおけるウクライナとロシアの交渉を決裂させた者たち、特にボリス・ジョンソン英国首相(当時)の責任は重い。なお、この問題については、最新刊の『法律時報』20234月号に、昨年11月の全国憲研究会での講演をベースに書いた拙稿「緊迫の時代における憲法9条のリアリティ――「ウクライナ戦争」の逆説」(56-60頁)が掲載されているので、参照されたい。


最高齢の教員として授業

   今週から、この大学の最高齢の現役教員の一人として、2023年度の春学期と秋学期の授業をフルで担当する。早大教員任免規則には、「70歳になる年度の331日をもって定年とする」とあるから、70歳の教員が363日間、現役で働くことになる(2024年は閏年で1日多い!)。担当科目は、1年導入演習専門ゼミ(主専攻法学演習を昨年度で廃止したので、法政策論と憲法、導入講義(法学入門)、大学院の憲法研究、それに大学院のオムニバス科目(「法学研究の基礎」)ということになる。

   最初で最後になる大講義が「導入講義(法学入門)」である。これは定年前の教員が春1コマを担当するのが慣例となっており、私にとっては一回性の授業である。1997年度から2018年度までやった政経学部の教養科目「法学A/B以来の「法学入門」である。憲法と法学入門を受講する新1年生は、現役の場合は2004年生まれが多い。私の孫と6歳しか違わないので、学生から見たら「おじいちゃん」だろう。

   先週の卒業式の時に、ゼミの最後の集まりをもった。冒頭左の似顔絵は、その際に、ゼミ生にもらったものである(吉村千華さん、ありがとう)。最長老のおじいちゃん教授になったが、何とか最後の1年を完走したいと思う。


研究室の撤収へ

   冒頭右の写真は私の研究室である。かつて、校友会誌『早稲田学報』20202月号で「教授の部屋」特集が行われた際、私の研究室も紹介された(直言「「わが歴史グッズ」の現場――『早稲田学報』特集「教授の部屋」」参照)。それまでは「知る人ぞ知る」だったが、これでかなり知られるようになった。これらの「歴史グッズ」は、今年の冬前には撤収するので、この状態で写真を撮れるのもあとわずかとなる。

   「わが歴史グッズ」シリーズは、2001年の1(1902年の投票所入場券の話)以来、50回を超えたが、研究室の奥にはまだまだ怪しいグッズが眠っている。研究室の片づけをしながら「再会」や「再発見」がありそうで楽しみである。このシリーズで、その都度紹介していくことにしたい。前回扱った「イラク戦争グッズ」も、この20年間でけっこう入手したので、まだどこかにあるはずである。


「直言」の更新を続ける

   26年前の199713から始めた「直言」は、毎週1回の更新を26年間続けて、今日、連続更新1385回を迎えた(「緊急直言」を出して52回より多い年もある[「直言」年次リスト参照])。途中、連続更新1000回記念で新聞に紹介されたこともある(『東京新聞』20151229日付と『北海道新聞』2016112日付)。なお、この時の新聞に、訪問者は日に1000人から2000人程度とあるが、ホームページのアクセス解析によれば、訪問者は同程度、ヒット数は毎日2万前後であり、加計学園問題の「直言」は通常の4倍近くヒットした。

   202167日の「直言」から、私自身が管理人となって更新を始めた。今回で、自分で更新をするようになって、95回目となる。html文書のタグにも慣れてきた。ただ、140字」の軽い発信とは距離をとっている20156月から、「直言」の更新を知らせるツイッターをやっているが、これからも、週1回のみという、ツイッターを使う人間のなかでも抑制的姿勢を保ちたいと思う。

著書・講演・その他

   「雑談」なので、70歳の誕生日を契機に、これからの予定をアトランダムに語っておこう。幸いにして大きな病気をしていないし、コロナにもかからなかった。スポーツジムに通い始めてまもなく2年になるので、これからも足腰の強化、筋トレは続けたいと思う。22年前に、直言「雑談(11)私の健康法」をアップしたが、そのなかで、「大学教員も好奇心・探究心を持続しつつ、常に学生・院生に真正面から向き合い、そのパワフルな「気」を受けとめていれば老いることはない」と書いている。専任として学生を教えることは終わるので、今年中に何とか就活をやって、教える機会を確保したいと思う。何かいいお話はないだろうか(本気です)

   研究面では、ここ数年停滞している著書を出版していきたいと思っている。いまゲラをチェックしている単著の論文集も近々出版する予定である。私の古稀記念論文集の方は、広告にもあるように4月下旬から書店に並び始める予定である。水島朝穂先生古稀記念(愛敬浩二・藤井康博・高橋雅人編)『自由と平和の構想力――憲法学からの直言』(日本評論社である。

   講演はとにかくたくさんやってきたが、今年は、「早稲田大学教授」の肩書で講演できる最後の年になるので、日本全国どこでも、できる限りお引き受けしたいと思う(お問い合わせはここから)。

   53日の憲法記念日の講演は、1986年北海道・釧路市から始めて日本全国にわたり、四国では全県でやった(2001徳島県2008高知県2012香川県2018愛媛県)。現役として最後になる202353日は、茨城県弁護士会で講演する。ちなみに、茨城県では2006年に「日本国憲法施行60年」で講演している。参議院議員(日本社会党、19741998年まで424年)で、茨城県弁護士会会長もやった矢田部理さんからの直接の依頼だった。講演前に矢田部法律事務所でお話ししたのが思い出される。よく通る声で、予算委員会などで首相を追及する切れ味は抜群だった(直言「国政調査権の活性化を)。こういう議員が国会から消えて久しい。矢田部さんは一昨年、89歳で亡くなっている。来月の講演での再会はかなわなかった。

  自民党の宏池会で講演したこともある。ドイツでの2度目の在外研究を終えて帰国した2000年、加藤紘一会長時代の勉強会に招かれて講演した。テーマはドイツの司法制度だった。『日独裁判官物語』(1999年、木佐茂男監修)のビデオをお土産に持参し、後日、派閥の皆さんに回覧していただいた。谷垣禎一議員は自民党司法制度問題部会長をやっておられるとのことで関心が高く、「ドイツの開かれた司法は大変参考になった」などの意見をもらった。岸田文雄議員もその近くに座っておられた。200711月の早稲田祭では、加藤紘一議員の講演会のコーディネーターを引き受けた。この写真はその際のものである。

  政治の世界からまともな言葉が消えて久しい。岸田首相の言葉づかいこそ丁寧だが、やっていることは強引である。「丁寧にぶんなぐる」手法とでもいえようか。今回は雑談シリーズなので立ち入らないが、統一地方選挙が近いにもかかわらず、国民・有権者の忘却力は今回も有効で、低投票率が続くのだろう。岸田内閣の支持率があがっているというのも、忘却力のなせるわざなのだろうか。

   残りの人生、どう生きるか。これから考えたいと思う。直言「子どもの情景――アベノミクス「出生率1.8」と待機児童問題」の冒頭の写真は、私の孫たちの7年前である。早いもので、上の子は中学生になった。これからは、孫たちが不幸になるような社会や自然環境にしないために、残りの人生、微力ながら努力していきたいと思っている。

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