ナトー好きの日本首相(その2)――「真正の軍事大国に」
2023年5月15日

『タイム』誌の表紙の政治性

国の雑誌『タイム』TIME)の表紙には、これまでも意外な人物が登場して話題となってきた。憲法研究者の松平徳仁氏のツイッターには、「政治家や軍人が『タイム』誌の表紙を飾るのは昔からの伝統で、それだけ『タイム』は政治性が強い雑誌です。たとえば米内光政が2回『タイム』の表紙に登場しました。」として右下の写真が載っている。これは『タイム』194034日号の米内光政首相(1940116日~722日)である。太平洋戦争直前までの188日間の内閣だった。海軍大臣時代の1937830日号の表紙にも登場している。米内は、日独伊三国同盟に反対したとされている。『タイム』誌は戦争中からそういう米内を取り上げるという政治性があったわけである。1944110日号の表紙には、ドイツ国防軍のマンシュタイン元帥が使われている。ヒトラーに対して意見できた将軍として、戦時中にも関わらず、『タイム』は彼の知的風貌をそのまま活かしている。他紙(誌)でひどい顔で描かれた東條英機や、カイテル、ヨードルといったヒトラー取り巻き将軍とは異なり、米内やマンシュタインをあえて自然な表情で使ったのには、『タイム』誌なりの政治感覚が働いていたのだろう。戦後は日本の歴代首相が何人も表紙に使われ、安倍晋三も2014428日号に「愛国者」(The Patriotとして登場している。写真横には、「安倍晋三は、よりパワフルで自己主張の強い日本を夢見ている。それが多くの人々を不快にさせる理由」とある。そうした『タイム』の政治性に留意するならば、来週522/29日号の表紙に岸田文雄首相を使い、顔半分に影のある何ともいえない表情のまま、発売日のかなり前にネットにあげるというのは、519日(G7広島サミット)を前にしたこの雑誌の狙いも見えてくるのではないか。
   というわけで、今回は、NATOに過剰コミットする岸田首相について、「ナトー好きの日本首相(その2)」として書くことにしたい(後述する16年前の直言「ナトー好きの首相」はここから)。

外務省の「抗議」?

冒頭左の写真(『タイム』Ko Tsuchiya撮影)は、59日午後9時の段階で確認したものだが、見出しは「日本の選択」として「岸田文雄首相は長年の平和主義を捨て、自国を真正の軍事大国(a true military power)にしたい」となっている。独占インタビューの方の見出しは、「かつて平和主義だった日本に、国際舞台でより積極的な役割を与えようとしている」である。外務省は『タイム』に、「見出しと中身が異なっているとして異議を伝えた」という(『東京新聞』512日付)電子版のインタビュー記事に出てくる表紙の文章はそのままである(514日現在)。東京新聞の記事には、「見出しは11日午後の時点で…差し替わった」としているが、インタビューの見出しは表紙の文章とは最初から異なっていた。外務省は、表紙の方の「日本を真の軍事大国に」という見出しに違和感を示したのだろうが、Web上の『タイム』は表紙をそのままにしている。来週発売の紙媒体の表紙が差し替えられるのだろうか。

  インタビューの内容は、首相官邸の亡霊話から始まり、幼少期に祖母の膝の上で聞かされた原爆の恐ろしさを原点にしていることなど平板な内容で、特に新しい知見や識見はない。昨年12月に「第二次世界大戦以来最大規模の日本の軍備増強」を決め「2027年までに防衛費がGDP2%に引き上げられ、日本は世界第3位の防衛予算となる」という事実を淡々と書いている。「これまでの日本の指導者たちが国際制裁の発動をめぐって躊躇していたが、岸田は米国主導の措置にてきぱきと(with alacrity)参加した」として、これが安倍晋三の目指した改革で、「安倍首相のタカ派的評判が意見を二分する一方で、岸田首相はハト派的人あたり(dovish persona)のおかげで、大きな反発を受けることなく安保改革を成立させることができた」と、むしろ高評価である。ウクライナや台湾の問題について岸田首相の姿勢を確認しながら、最後に、「岸田の広島での使命は、広島の焼け跡と折り鶴に焦点を当て続けることだ。亡霊たちの声を聞くことである」と結ぶ。この記事は、首相官邸と広島、そして結びの3箇所に亡霊(ghosts)が出てくる。岸田には某霊の影があらわれていて、それが表紙の何ともいえない表情につながっているのかどうかはわからない。

この「独占インタビュー」の内容自体については、外務省にとっても異論はあるまい。ただ、表紙に使われた文言に過剰反応したのだろう。「真正の軍事大国」(a true military power)は、 「普通の国」への道に質的に踏み込んだことを意味する。表紙の文言があまりにも率直で、事柄の本質をストレートに表現しすぎてしまったことが問題なのだろう。外務省の異議と「言い換え」によって、逆に、「真正の軍事大国」への道の危険性が浮き彫りになったように思う。


NATOの東方拡大から「極東拡大」へ

岸田首相はNATOにご執心である。2022629日、スペイン・マドリッドで開かれたNATO首脳会合に、岸田は、韓国大統領、オーストラリア首相、そしてニュージーランド首相とともに参加した(冒頭右の写真参照)。そこで岸田首相が演説した内容は外務省ホームページに掲載されている。注目されるのは「欧州とインド太平洋の安全保障が切り離せないとの認識」「ロシアによるウクライナ侵略は、ポスト冷戦期の終わりを明確に告げた(こと)」「ウクライナは明日の東アジアかもしれないという強い危機感」「NATOは日本の重要なパートナーであり、協力の一層の強化に取り組んでいく」「NATO本部への自衛官派遣等を通じて協力を深化するとともに、日NATO相互の演習へのオブザーバー参加を拡充していく」「NATOが、インド太平洋地域への関与を強めていることを歓迎」など、今だかつてないほどの質的な関係強化といえる。

 Nikkei Asia03.05.2023 によれば、「NATOは日本事務所を開設し、インド太平洋への関与を深める」という。東京にNATO連絡事務所が開設されれば、これはアジアでは初めてとなる。「この拠点により、軍事同盟は日本や、韓国、オーストラリア、ニュージーランドなどの地域の主要パートナーとの定期的な協議を行うことができるようになる。また、NATO と日本は、7 11 12 日にリトアニアのビルニュスで開催される NATO首脳会議を前に、 個別に調整されたパートナーシップ プログラム (ITPP) に署名することを目指し、協力を強化する」という。

言うまでもなく、NATOは集団的自衛権システムである。ウクライナでの武力対立が欧州に波及すれば、それは日本にとっての「存立危機事態」に連動するのか。これは日本の平和と安全保障にとって重大な問題であるにもかかわらず、国会での何の議論もなく進んでいく。実は、岸田首相がNATOに深入りしていくのにはわけがある。かつて「ナトー好きの首相」がいたからである。16年前の2007924日に直言「ナトー好きの首相」をアップしている。今回は、それゆえに、「ナトー好きの首相」(その2)ということになる。

元祖「ナトー好きの首相」

  16年前の「直言」は、「送別・安倍内閣(その2・完)という副題を付けていた。201212月に第2次政権ができてからも、安倍の「ナトー好き」は変わらず、岸田がその「悲願」を達成しようとしているわけである。

  安倍は20071月、ブリュッセルのNATO理事会で演説した。日本の首相がそこで演説するのは初めてだった。そこで安倍は、「日本とNATOが別々に行動するような無駄は許されない」という不思議な言葉を使った。NATOが行う海外ミッション(アフガニスタンのISAFなど)に日本も積極的に参加する決意を表明したものと受け取られた。だが、これは少々早すぎるアピールだった。この「直言」はこう続く。

NATOは、旧ワルシャワ条約機構と対峙する集団防衛システムから、アフリカや中東などヨーロッパの「死活的利益」=権益を守るための「欧州介入同盟」へと変質したとされる。「領域防衛から利益防衛への転換が、NATOの歴史における重大な転機を表現する」とされる所以である(H. Reiter, KJ 2/2007)安倍首相は、ヨーロッパの安全保障システムのなかでも、この軍事中心のNATOに肩入れしすぎているように思う。NATOへの過度の思い入れ(思い込み)は、「片務的」な日米安保条約を、「双務的」なNATO型条約に変えたいということもあるだろう。「日米安保のNATO化」ということも80年代からいわれてきた。これは祖父の岸信介元首相の「見果てぬ夢」だった。NATOの「介入同盟」化に照応して、日米安保のグローバル化をはかるのが狙いだとすれば、安倍首相がブリュッセルで行った、「無駄は許されない」という主張は、NATOの首脳陣には実にたのもしく聞こえたに違いない。「日本にもっと分担してもらえる」という期待は、従来の金銭的負担だけにとどまらず、文字通り「金だせ、人だせ、血も流せ」という水準になりつつある…」

 上記の「直言」で述べたことがいま、実現過程に入っているといえるだろう。2009年の直言「「家の前の戦争」から10年―NATO60周年」では、NATOの「前科」について書いている。その最たるものが、19993月からの「ユーゴ空爆」(「78日戦争」)である。上記の写真にある3枚の「伝単」(空襲警告ビラ)は、この時にベオグラードなどに撒かれたものである。そこに書かれていることについては、直言NATO「北方拡大」は何をもたらすか」のなかで紹介したので参照されたい。

またNATOは、2001年の「9.11」の際、初めて集団的自衛権行使の「5条事態」を発動した。米国主導の軍隊がカブールのタリバン政権を倒した直後、国連安全保障理事会はアフガニスタンの新政権を支援する国際治安支援部隊(ISAF)を承認した。NATO2003年に正式にISAFの指揮を執り、ヨーロッパを越えて初めて作戦に参加した。NATOはアフガニスタンでの任務の最盛期には、50以上の同盟国やパートナー国から13万人以上の兵力を指揮した(2014年にISAF任務終了)(以上、概説として、What Is NATO?参照)。


NATOの東方拡大とAMPO(日米安保)の西方拡大=「世界的NATO」?

 「ロシア・トゥディ」(RT)のサイトによれば、中国が日本のNATO事務所の開設に反応を示している(RT202354)。「米国主導のブロックのアジアへの拡大は地域の平和と安定を損なうだろうと中国政府が警告した」と。中国外務省の報道官は、「アジアは平和と安定の拠り所であり、協力と発展の有望な土地であり、地政学的な競争の場ではない」と述べた。“NATO”は「北大西洋」条約機構の略語だが、最近、「インド太平洋」にも権益を持っていることを公然と認めた。「ロシアはNATOの国境への拡大に強く反対しており、その活動をアジアに広げようとするNATOの試みも批判している」と。

RTによれば、プーチン大統領はこの3月、「米国とその同盟国による「世界的NATO」創設の推進は、第二次世界大戦勃発前の1930年代の日独伊三国の行動に似ている」と述べたという。「ウクライナ戦争」の展開のなかで、NATOの東方拡大から「北方拡大」(フィンランド、スウェーデンの加盟へ)、さらには日米安保との連携・連動という米国の戦略が背後にあると推察される。この点、ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングが2000年の段階で、21世紀の「地政学的軍事枠組み」として、「NATOAMPOの拡張」を予測していた。“AMPO”とは日米安保体制のことである。日本と関係の深いガルトゥングは、NATOの東方拡大に対して、AMPOの西方拡大(当面は米国の兵站支援などの形をとって)に注目していた(水島朝穂「日本の「防衛政策」――転換への視点」(『ジュリスト』200111/15日号45参照)4分の1世紀を経て、ついにNATOAMPOが「合体」する時が近づいているようである。「カタツムリの歌」のように、日本に対して、「金出せ、人出せ、血も流せ」と求めてくる米国の戦略に、岸田首相は「躊躇なく」「さくさくと」「てきぱきと」(with alacrity)応えていく。まだハト派の幻想を抱いている国民は、岸田首相の表情(『タイム』表紙)に見られる半分の「影」が象徴するものに気づいていない。

《追記》冒頭の松平氏によると、『タイム』誌522/29日版の表紙はチャールズ国王の戴冠式で、岸田首相の顔が表紙に使われたのは「アジア版」だけだった(中野晃一氏の指摘)、というのがオチである。(2023515919分追加)

【文中敬称一部略】

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