「過去の再来を明日防ぐために、我々は今日何をなすべきか?」――岸田政権の暴走を止めるために
2023年7月31日



モスクワで出会った「言葉」

スクワのクレムリン宮殿を7年前に訪れた際、ツァーリ・ブーシュカ(大砲の皇帝)の前で記念撮影をした。重さ18トン、口径は890ミリ。ちなみに、戦艦「大和」の主砲は46センチ(460ミリ)である。よく見ると、砲弾の方が大きいようで、実際に使えるしろものではないことがわかる。「巨砲」ならぬ「虚砲」である。昨年5月の直言「「終わりの始まり」の記念日――ロシア憲法8723項適用をうかがう?」でも、別の写真でこれを掲載して紹介したことがある。

  軍事パレードが行われる「赤の広場」からタクシーを拾い、北に5.2キロほどのところにあるグラーク歴史博物館」に向かった(英文ホームページはここから)。グラーク(GULAG、ロシア語で末尾のgは濁音にならない)とは強制収容所のことである。直言「「収容所群島」とグラーク歴史博物館――独ソ開戦75周年(3・完)」でも詳しく書いたが、博物館の出口直前にあるモニュメントには、ロシア語と英語で次のように記されている。「もし私が…なら、繰り返すことはないだろう。」「過去を認識するためには、…が必要だ。」「過去の再来を明日防ぐために、我々は今日何をなすべきか?」(What should we do today in order to prevent the return of the past tomorrow?)。3つ目の言葉はインパクトが強い。

 「過去への反省」ないしは「スターリニズム再来の防止に関する将来への誓い」というのがこのモニュメントの狙いだろうが、3つ目の言葉は、スターリン独裁体制がもたらした悲劇についてだけでなく、「ウクライナ戦争」の先が見えない現在、とても重く響く。78年の長い長い「戦間期」を経て、第三次世界大戦が始まるのか。フランスの歴史学者エマニュエル・トッドによれば、「ウクライナ軍は米英によってつくられ、米国の軍事衛星に支えられた軍隊で、その意味で、ロシアと米国はすでに軍事的に衝突している」。トッドによれば、「第三次世界大戦に突入した世界」のなかで、『問題はロシアより、むしろアメリカだ』(朝日新書、2023年)という正論を説いている。

 第三次世界大戦の当事者になるのか――岸田首相の爆走

二度の世界大戦の「再来」を明日防ぐために、今日、何をなすべきなのか。少なくとも、岸田文雄首相が、日本を、集団的自衛権システムである「北大西洋」条約機構に実質的に参加させようとしていることにノーをいう点では一致できるのではないか。NATOとロシアの対立をアジアに持ち込み、それを日本が正面から受け止める。それが果たして日本の安全につながるのか。NATOの日本事務所開設にNATO加盟国からさえ慎重な声があがったのは当然といえよう。NATOの東方拡大から「北方拡大」、さらには「極東拡大」へ、NATOとAMPO(日米安保)の連携・連動の動きに前のめりの岸田首相の爆走はとどまるところを知らない(拙稿「緊迫の時代における憲法9条のリアリティ――「ウクライナ戦争」の逆説」参照)。

 1年半前の「直言」では、まだ「リベラルな宏池会」の会長という指摘をしていた。だが、このところ岸田首相の顔つきは、明らかに変わってきた。直言「ナトー好きの日本首相(その2)――「真正の軍事大国に」冒頭の米『タイム』誌の写真の何ともいえない表情は、NATO事務総長と握手する際の首相の表情と重なるという遠藤誉氏のツイッターは興味深い。G7「軍都広島」サミットが飛躍のバネになっているように思う。明らかに岸田首相は「自信」をもってきている。奢(おご)りと昂(たかぶ)りの表情があらわれている。学生時代にゼミであまり発言せず、「聞く耳」で貫いた「岸田文雄君」の姿はそこにはない。ある意味では、「アベなるもの」を超えつつあるのではないか。

 元・日本遺族会会長、前・宏池会会長、元・自民党幹事長と、憲法9

  フィリピン・レイテ島で父親が戦死し、母親が早朝、自転車にたくさん荷物を積んで行商に向かう。それを見送る幼児。「寝ている母親の記憶がない」という「戦争未亡人の息子」として選挙に出て初当選し、日本遺族会会長もやった古賀誠元・自民党幹事長。靖国神社にも参拝する。その古賀氏の著書を読んだ。タイトルは『憲法九条は世界遺産』(かもがわ出版2019)。いつか「直言」で使おうと思い、3年前に読んだ時にメモしておいたものを下記に貼り付ける。まさに「その時」と思うので。

「あの大東亜戦争で、多くの人が無念の思いで命をなくし、その結果として、子どものために人生のすべての幸せを捨てた戦争未亡人はじめ多くの戦争遺族の血と汗と涙が流されました。その血と汗と涙が、憲法九条には込められています。そう簡単に、この憲法九条を改正する議論をやってもらったら困るし、やるべきではないと思うのです。」(42-43頁)

「…過去の過ちへの反省は、あの平和憲法の中にも含まれていて、だからこそ九条を維持し続けるというぐらいの誠実さと謙虚さが、この日本の国には必要なのです。そうやって初めて、中国とも韓国とも本当の意味での信頼関係ができると私は思います。」(45頁)

「憲法九条については一切改正してはダメだというのが私の政治活動の原点です。ここは曲げられません。九条一項、二項だけは一字一句変えないというのが、私の政治家としての信念であり、理念であり、哲学なんです。」(51頁)

「一番腹立たしいといいますか、憲法にも違反するのではないかと思われるのは、集団的自衛権の解釈変更の問題です。集団的自衛権の行使は憲法違反だ、日本は専守防衛でやっていくのだというのが、戦後の内閣がずっと維持し、国民も支持してきたことなのに、閣議だけでこの見直しを決めてしまった。本末転倒というか、国民の皆さん方に対して、取りかえしのつかない禍根を残した決め方だったと私は思っています。しかも、日本の安全にとっても極めて危険なことだと思います。専守防衛を乗り越えて、戦争ができる方向に進んでしまったのです。」(55頁)

「信念、そしてあの憲法九条に込められた決意と覚悟、これさえしっかり持てば、日本はよその国と同じような道を歩く必要はない。これが私の結論なのであります。だから世界遺産なのです。私は日本の宝として後世の人たちへの贈り物として、守り抜いていくために、ここはしっかりとがんばり抜きたい。」(58頁)

「そもそも「憲法九条改正」など、ときの権力者が言うことではありません。憲法は国民のものなのです。憲法は権力者の権力行使を抑制するための最高法規です。」(72頁)


「いま」何をなすべきか?

 古賀氏は『朝日新聞』のインタビューで、「平和は理屈じゃない」として、岸田政権への批判を行なっている(『朝日新聞』デジタル202352)。

そのなかで、宏池会の理念として、「憲法の尊重、歴史認識、言論の自由、軍事大国にならないこと」を強調しながら、岸田首相が「この線を逸脱するのは、今後の宏池会のあり方にとっても非常に心配なことだ。」と述べている。そして、岸田首相の政治手法についてこう語る。「「今流の政治」なんだよね。岸田さんだけじゃない。自民党だけでもない。いまの政治の一番の泣きどころは、「現実主義」という言葉を使っているところですよ。理屈で割り切れれば、戦争だって外交手段の一つになってしまう。だけど、理屈を超えたものを我々は戦争で経験したから。平和というのは理屈じゃないよ、ということも勉強してもらいたい。憲法を尊重するというのはそういうことです。」と。

 そして、古賀氏はいう。「今の人たちは、憲法9条を守ると言う僕に「先生、それは理想論です」と言うんだよ。でも、「理想を実現するのが政治だろう」と。でも、「若いやつだけじゃないけど、政治の世界はみんな功名心と上昇志向が先行するものです。岸田政権を支えているのは「俺が」という人たちばっかりだから。僕が一切会わないことが、岸田政権を支える、ということかな。」と結んでいる。なぜ古賀氏は、「岸田首相に会わないこと」にここまでこだわるのか。結局、岸田政権を支える側で沈黙するということなのか。

古賀「宏池会」名誉会長は、安倍晋三が行なった集団的自衛権行使の合憲解釈と、それに基づき制定された安保関連法について、著書『憲法九条は世界遺産』のなかで、「日本の安全にとっても極めて危険な」「戦争のできる方向に進んでしまった」と厳しく批判していた。この安倍路線を「スピード感」をもって、よりアグレッシブに突き進む岸田首相に対して、古賀氏は「いま」、どのような発言し、どのように行動しようとしているのだろうか。「僕が一切会わない」というが、こうした「行動」では無責任ではないのか。この国の「立憲主義の存立危機事態」に、それでいいのだろうか。

  日本が78年前に悲惨な結末を迎えた「あの戦争」もまた、政治家や軍人だけでなく、国民やメディアも熱狂して始まったことを想起するならば、そうした「過去の再来」を、遅くない将来(「明日」)防ぐために、「今日」何をなすべきなのか。古賀名誉会長だけではない。クラスター弾禁止条約加盟に踏み切る決断をした福田康夫元首相も、「国家の破滅に近づいている」という危機感をお持ちならば、岸田首相がクラスター弾ウクライナ供与に反対しなかったことについて、なにがしかの発言をしてほしい。岸田首相の前のめりの「9条破壊」に対して、「いま」、どのような発言や行動をとるのか。まさに「いま」が試されている。

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