長沼事件一審判決から50年――憲法9条2項が「在ること」の意味
2023年9月4日

 長沼一審判決から半世紀

週の木曜日、97日は、長沼ナイキ基地訴訟について、札幌地方裁判所で自衛隊違憲判決が出されてから50年(半世紀)という日である。2013年9月に直言「長沼ナイキ基地訴訟一審判決から40年」をアップした。この10年で日本や世界の状況は一変した。判決が出された50年前、私は20歳で、法学部2年生。自衛隊に対して明確な違憲判決が出たので、高田馬場駅の売店で、97日付夕刊各紙をすべて買い込んだのを覚えている。いま残っているのは読売と朝日だけ。長年、研究室の目立つところに掲示してきたので、劣化して紙がボロボロになっている(左の写真)。読売の見出しが一番大きく、2面には、「「違憲判決」踏み台に」「問い直そう国防のあり方」として憲法改正への傾きを示す。朝日は2面で、「高い理想と重い既成事実と」「原点に戻った防衛論争」という形で、憲法9条に軸を置いた防衛論議への期待を込める。50年前の新聞紙面を見ても、当時から判決に対する評価や議論の仕方は大きく分かれた。

 

92項違反を認定した唯一の判決

  憲法9条を素直に読めば、陸海空軍のみならず、「その他の戦力」という形で、軍隊類似組織を広く不保持の対象にしていることがわかる。自衛隊が「戦力にあたらない」と解釈する方が実はエネルギーを必要としたのである。政府解釈(内閣法制局)の変遷を見てみると、1950年の警察予備隊については「警察力を超える実力」が「戦力」になるので、それに至らなければ合憲、1952年の保安隊(+海上警備隊)については「近代戦争遂行可能な人的・物的組織体」にならない限り合憲、そして1954年の自衛隊については、「自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)」にとどまる限りは合憲という形で、2年おきに解釈が変更されてきた。そして、1956年に憲法改正に踏み出し、「自衛力」合憲論は2年程度の賞味期限となる可能性があった。だが、誤算が生じた。1956年の4回参議院選挙で、改憲勢力は3分の2の議席を確保することに失敗したからである。明文改憲は当面の課題ではなくなり、「解釈改憲」の方向が前面に出てくる。「自衛力」合憲論を基軸にして、第1次防衛力整備計画(1次防、以下同様)1958-1960年)、2次防(1962-1966)3次防(1967-1971)と、年々防衛費は増大していった。「自衛力」合憲論を正面から問う長沼ナイキ基地訴訟が起きたのは、まさに4次防(1972-1976)が始まる前だった。

 長沼ナイキ基地訴訟とは、北海道長沼町の馬追山の国有保安林35ヘクタールを、地対空ミサイル「ナイキJ」の基地とするため、農林大臣(当時)が保安林の指定の解除を行なったのに対して、長沼町の住民らが原告となって、解除処分の取り消しを求める行政訴訟を起こしたものである。札幌地裁民事第1部(福島重雄裁判長)は、原告住民が行政事件訴訟法9条にいう「訴えの利益」を有することを認定して(原告の平和的生存権侵害をリンクさせた構成)、そこから自衛隊の実態審理に入る。そして、92項の「戦力」とは、「自衛または制裁戦争を目的とするものであるか、あるいは、その他の不正または侵略戦争を目的とするものであるかにかかわらず」「その客観的性質によってきめられなければならない」として、自衛隊はその「編成、規模、装備、能力から」して「明らかに『外敵に対する実力的な戦闘行動を目的とする人的、物的手段としての組織体』と認められるので、軍隊であり、それゆえ陸、海、空各自衛隊は、憲法第9条第2項によってその保持を禁ぜられている『陸海空軍』という『戦力』に該当する」と判示した。その上で、自衛隊法等の関連法令は違憲無効であるから、自衛隊の施設を設置するという目的は、森林法262項にいう「公益性」を持ちえないとして、保安林の指定解除処分を取り消した。

 札幌地裁は、この結論を導くために、自衛隊に対する詳細かつ緻密な実態審理を行なった。そのために、憲法学者、国際法学者、財政学者、軍事評論家、空幕防衛部長(現職と元職)、元空幕長、地元農民ら24人の証人尋問を行なった。その尋問調書の一部がこの写真である。一番右下が憲法学者の小林直樹東大法学部教授(当時)の尋問調書である。なかでも、源田実・航空自衛隊元幕僚長(真珠湾攻撃時の第1航空艦隊参謀)の証人尋問では、踏み込んだ証言が行なわれ、マスコミも注目した。一体、自衛隊は何を守るのか。源田の講演記録(甲第24号証)を見ると、「今の航空自衛隊は何を守るのかといえば、アメリカの持っている反撃力を守る」と明確に述べていた(後掲書72頁参照)。

 
福島裁判長へのインタビュー

 15年前、長沼事件一審の裁判長を務めた福島重雄さんに、長時間にわたってインタビューをする機会があった(写真は2008412日、日本評論社5階会議室)。それをもとに、福島重雄・大出良知・水島朝穂編著『長沼事件 平賀書簡――35年目の証言』(日本評論社、2009)が出版された(冒頭右の写真)。本書前半は、私がインタビューや資料を使ってまとめた全6章、125頁からなる(後半は「平賀書簡問題」)。これを執筆する際に重要な資料となったのは、福島さんが克明につけておられた日記である。三浦俊章・朝日新聞編集委員が本書出版後に福島さんにインタビューした記事のなかに、その日記の抜粋が紹介されている(『朝日新聞』2009430日付)。

  なぜ自衛隊違憲の判決になったのか。当時は、政府・自民党も、福島さんのことを青年法律家協会の会員だということから、「偏った思想の持ち主が違憲判決を出したのだ」と喧伝した。他方、「護憲勢力」からは、よくぞ違憲判決を出してくれたと持ち上げられた。福島さんはそのいずれに対しても反発を感じ、35年間、沈黙を守ってきたわけである。副題に「35年目の証言」とつけた所以である。福島さんは、「僕は裁判官として、自分の仕事としてやっただけです。憲法問題を特に研究してきたわけではありません。」という(本書17頁)。加えて、福島さんは海軍兵学校78期で、学生隊(第306分隊)の名簿(48人)に名前が残されている。306分隊の同期と毎年集まって、海軍の旗を掲げて軍歌を歌ってきたという(79頁)。札幌に赴任した直後、長沼事件担当の裁判官がたまたま病気になったので、急遽この事件の担当裁判長になったという経緯がある。私が、「毎年、軍隊時代の仲間と集まり、軍歌を歌い、旧海軍の旗を掲げる裁判官が、自衛隊違憲判決を出したということですね。」というと(81頁)、やっとわかってもらえたというような、うれしそうな顔をされたのを覚えている。なお、源田元空幕長を証人尋問した際の感想を聞くと、この海兵52期の大先輩に対して福島さんは、「はっきり証言して、立派だなという感想はありました。」と述べている(82頁)。

  長沼一審判決は自衛隊違憲判決だが、被告国の主張する統治行為論についてもしっかり対応している。判決は、司法審査の対象から外れる国家行為が一般的に容認されるとしても、それはきわめて限られた例外的なもの、例えば議員の資格争訟や衆院解散などで、安易に拡大すべきでないとする。①「憲法の基本原理に対する黙過することが許されないような重大な違反の状態が発生している疑い」が生じている場合、②その結果、「国民の権利が侵害され、または侵害される危険がある」場合において、③憲法問題に立ち入らずに訴訟を終わらせたのでは「紛争を根本的に解決できないと認められる場合」には、「その国家行為の憲法適合性を審理判断する義務がある」としている。自衛隊に対する違憲判断をなすにあたって、このような周到な筋道を明らかにした上でそれを行なっていることに注意したい。福島さんは、「ほかの裁判官もちゃんとそれなりに憲法判断をしておれば、僕などが目立つことはなったのに、みんな判断回避に逃げてしまうものだから、僕たちだけが目立ってしまったということです。」と述べている(56頁)。詳しくは、本書を参照されたい


長沼一審判決は生きている92項が「在ること」の意味

 さて、控訴審の札幌高裁は、197685日、代替施設(砂防ダムなど)の完備によって「訴えの利益」は消滅したとした。その上で主文に無関係な「見解」をあえて付加して、「自衛隊は一見極めて明白に侵略的なものであるとはいい得ない」と指摘しつつ、自衛隊の憲法適合性の問題は「統治行為に関する判断」として裁判所は判断すべきでないとした。統治行為にあたるなら「侵略的」かどうかの判断も控えるべきなのに、かなり無理な書きぶりになった。最高裁は198299日、代替施設の完備という点で控訴審判決を支持しただけで、控訴審判決がかすった憲法問題には一切立ち入らず、訴訟を終結させた。このことで、札幌地裁の長沼一審判決は無意味になったのかといえば、そうではない。直言「長沼ナイキ基地訴訟一審判決から40年」のなかで私はこう書いた。

「「たかが裁判所、されど裁判所」である。一審判決とはいえ、40年前、国家機関である裁判所が明確に「戦力」と認定したことが、その後の自衛隊のあり方に計り知れない影響を与えてきた。長沼一審判決の違憲判断という上限を意識しつつ、「自衛のための必要最小限度の実力は自衛力であって、戦力ではない」という内閣法制局の自衛隊合憲解釈は慎重に構成される必要があった。集団的自衛権行使の違憲解釈も維持されてきた。そのことが、テロ特措法にも、イラク特措法にも「武力の行使」を禁ずる条文を置かざるを得ず、「武力の行使」と区別された「武器の使用」という形をとることを余儀なくさせてきたのである…。ここに憲法9条がなお生きているのであり、それを最も明確に活かした長沼事件一審判決の影響を見て取ることができる。」と。

      だが、この「直言」を書いた1年後の20147.1閣議決定」によって、安倍晋三内閣は、集団的自衛権行使の違憲解釈を強引に変更したのである。安全保障関連法(2015年)、「安保(戦略)3文書」改定(202212.16閣議決定」)等々、坂を転げ落ちるように大軍拡に向かっている。とはいっても、「7.1閣議決定」の前提となった「安保法制懇談会報告書」についての記者会見(2014515日)で、安倍首相(当時)が、安保法制懇の「ただ一人の憲法学者」(西修)の説く「自衛戦力合憲論」を採用しないと述べたことは記憶されていい。これまでの政府解釈と整合しないというのが理由である。集団的自衛権行使を合憲と解釈変更しても、「自衛戦力合憲」論をとるところまで安倍首相は踏み込まなかった。

    長沼一審判決が半世紀前に、自衛隊は戦力であり違憲という明確なメッセージを打ち出したことは、今日に至るも、自衛隊に軍隊としての全属性を付与することに対する防波堤となり続けているのではないか。「たかが一審判決」だが、「されど」国家機関たる裁判所の判決である。自衛隊が軍隊としての全属性を具備するまでには至っていない。憲法92項が存在していることの意味は限りなく大きい。これを「改正」するための動きが今後形をかえ、品をかえ、趣をかえて強化されてくるだろう。維新の会が自民党の別動隊として牽引していくのは間違いない。しかし、手ごわいのは、「岸から岸田へ」の60年あまりの間に、憲法軽視や憲法無視、さらに安倍流の憲法蔑視ではなく、岸田流の「憲法スルー」路線が定着してきたことである。「敵基地攻撃能力も専守防衛の範囲内」と、何のためらいもなくいってのける感覚がすごい。重大な憲法違反や危険な政策に対する指摘や批判を「丁寧に、適切に」スルーしていく。岸田首相のすごさは「聞く力」ではおよそなく、ムキになってすぐに反論・反応してしまう安倍にはおよそできない、「馬耳東風に聞き流す力」をもっていることである。

憲法九条規範はこうした「新しい戦前」状況のもとでも、なお存在し続け、まだ鼓動を止めていない。不用意な死亡宣告をする前に、憲法九条が「在ること」の意味を再認識、再確認、そして再吟味する必要があるのではないか(本日(9月4日)発売の水島朝穂『憲法の動態的探究――「規範」の実証』(日本評論社、2023年)序章も参照されたい)。

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