緊急直言




「酒鬼薔薇」事件へのもう一つの視点 1997/7/30


ともいやな事件である。事件そのものも異常だが、それをめぐる世間の右往左往 の仕方もまた実に不気味で、寒々としている。マスコミは、またも大きな誤りをおか している。被疑少年の家族と親類にまで取材攻勢をかけ、「弟は県外転校、父は地方 転勤」「酒鬼薔薇・父母は離婚」と大見出しで書いた夕刊紙もある(『夕刊フジ』7 月29,30 日付)。新聞やテレビは、相変わらず、警察の垂れ流し発表を「スクープ」 と称して派手に「報道」している。だが、少年は長期にわたって代用監獄にいること を忘れてはならない。断片的に伝えられる「証言」なるものを信ずるのは危険すぎる 。その点をきちんと突いたのが、『週刊現代』 8月 9日号のトップ記事「供述調書・ 殺人日記に隠された『大嘘』」。各紙が大きく扱った少年のメモは、捜査本部が出さ ねば決して分からない最重要証拠。それがマスコミに流れるということは、「地方公 務員法34条の守秘義務違反にもつながる」と指摘する。つまり、意識的・意図的に少 年に関する情報を操作しているという。「捜査本部」ではなく「操作本部」といわれ ても仕方がない。では、何のために。「少年犯罪捜査を従来の更生を目的とした補導 中心主義から、逮捕を辞さない厳罰主義に変えていく」というのが警察の狙いで、こ の事件はまたとない「神風」というわけだ。だから、少年の人間像を一方的にイメー ジさせ、とにかく「少年法は甘い!」という方向に世論を操作するのが「操作本部」 の狙い。だから、少年の供述のなかに、「私は弱い虫である。僕よりも一ツ上の男に ミミズを食えと口に入れられたことがある。僕という弱い虫がミミズを食べた」とい う部分を、警察は意識的にカットしたという。また、「殺人日記」とされているもの は、「瑪羅門三兄弟」などからの引用があり、どこまでが少年の本音か、全体を見な ければ即断できない。関連して、「何を」、「どう」見直すのかの視点抜きの、「少 年法見直し」論議が一人歩きしている。「少年にも厳罰を」「被害者の人権を尊重せ よ」という肩を怒らせた「正義」論は、「目には目を」式の発想を経由して、最終的 には野蛮な復讐感情に帰着する。「親の顔がみたい」という形で、すでにマスコミが 世間の復讐感情を代表して、少年の「一族郎党」抹殺に手を染め始めている。野蛮な 行為に対して、野蛮に対応する者も野蛮になるということを知るべきである。この事 件では、冷静な視点をキープすることが非常にむずかしい。各人のリーガル・マイン ドの精度が問われている。