『憲法問題』6号(三省堂、一九九五年)
 講演記録一九九四年五月三日/なかのZERO

 憲法でシミュレートする日本の国際協力
                            水島 朝穂(広島大学)

一 はじめに

 本日は、とてもシンボリックな憲法記念日です。来年は戦後五〇周年、ヒロシマ・ナガサキ被爆五〇周年、国連憲章五〇周年。その翌年は日本国憲法公布五〇周年。戦後半世紀、憲法制定半世紀を目前にした今年〔一九九四年〕は、近代国家日本による最初の大規模な対アジア戦争である日清戦争開戦一〇〇周年の年でもあります。一八九四年九月一五日午後五時二〇分から翌年四月二七日午前七時三五分まで、明治天皇は広島城内に置かれた「広島大本営《で戦争を指導しました。二二五日間、広島は事実上「日本の首都《だったわけです(それ故に、半世紀後、原爆の第一投下目標にカウントされることになるのですが)。それから一〇〇年たった今年一〇月には、中国も参加して、広島でアジア運動競技大会が開催されます。色々な意味でシンボリックな年であります。
 そうしたなか、千代田区永田町一丁目七番地では、相変わらず「政治的野合集散の宴《が繰り返されています。湾岸危機以降、「国際貢献プレッシャー《ともいうべき状況の下、PKO協力法が成立し、自衛隊の海外出動が当たり前のように行われるようになりました。今からちょうど四〇年前の一九五四年六月二日、参議院で自衛隊の海外出動禁止決議がなされたことを記憶している人は少ないでしょう。「国際貢献《や「政治改革《、「人道救援《といった、誰も否定できない「殺し文句《が一人歩きし、マスコミも世論も冷静さを失いました。そして、時の政権の失敗や全く別の性格の問題まで憲法のせいにする議論が横行しています。「憲法モデルチェンジ論《という形で、憲法を自動車に例え、「古ければ変えればいい《というような荒っぽい議論もなされています。
 では、日本国憲法の平和主義は本当に古くなったのでしょうか。「新しい《とされる議論にも、軍事優先の古色蒼然たるものもあり、何が古くて、何が新しいのか一概にはいえません。本日は、特に次の二つの点にしぼってお話ししたいと思います。まず、最近の軍事状況に少々こだわりながら、今日の憲法状況を平和主義の観点から分析する「憲法危機のシミュレーション《です。もう一つは、軍事的な「国際貢献《論とは区別される、日本国憲法の理念に適合的な平和的国際協力の可能性、いわば「平和のシミュレーション《です。時間がおしてきていますので、直ちに本題に入りたいと思います。

二 「憲法危機《のシミュレーション

1 連立政権の下で、改憲へのフットワークは一層軽くなりました。何よりも「憲法危機《のトップには「軍人大臣《の登場を挙げねばなりません。先週〔四月二八日〕の羽田内閣の組閣で、新生党の永野茂門氏が法務大臣に任命されました。そのニュースの第一報を聞いたとき、私は思わずのけぞりました。広島陸軍幼年学校、陸軍士官学校卒のパリパリの職業軍人で、かつ四つ桜の陸将(一般の陸将は三つ桜で陸軍中将のランクだが、陸幕長のみ陸軍大将の扱い)である陸上幕僚長を務めた人物です。憲法六六条二項の「文民《をどう解釈するかという点では、憲法制定過程の経緯を含め色々と議論があるところです。当初は「文民《とはかつて軍人であったことのない者と解する説が有力でした。そして、軍人一般ではなく、「軍国主義的思想に深く染まっている軍人《を排除するという説も登場し、その後、自衛隊の誕生により、現在軍人でない者およびこれまで軍人であったことのない者を指すというのが通説となります。換言すれば、帝国陸海軍の職業軍人であった者および現在自衛官である者、かつて自衛官であった者は「文民《でないということです。政府解釈は、軍国主義的軍人と現職自衛官を除くという立場です(一九七三年一二月・内閣法制局)。職業軍人というのは、現役、退役を問わず、軍事的思考パターンや軍事的行動様式が徹底して身についています。だから、こうした人物を大臣から排除するという形で、平和主義をより徹底しようとする趣旨と解すべきでしょう。だとすれば、幹部自衛官の頂点にいたものは、国家の武装組織である自衛隊を体現していたわけで、かかる人物は大臣としては上適格となる。この国務大臣任命行為は憲法六六条二項に違反するといわざるを得ません⑴。
 戦後初めて、実質的な「退役陸軍大将《が法務大臣となったことは重大です。存在感のない神田防衛庁長官(民社党)を補強する「影の防衛庁長官《ということで、有事法制を積極的に推進していくことになるでしょう。これが「憲法危機《の第一の問題です。

2 「憲法危機《の二つ目として指摘したいのは、いわゆる「朝鮮有事《の問題です。北朝鮮の「核疑惑《にからんで、四月二二日に、ペリー国防長官は、安保理の合意がなくとも、「多国籍軍《型の「制裁《措置を、日本および韓国等と協力して実施すると述べました。もはや、湾岸戦争時のような姿勢は許されない。金か人かではなく、文字通り、軍事作戦の重要な部分を日本が担任することを、アメリカは予定していると見るべきでしょう。それにしても、北朝鮮(「朝鮮君主主義臣民共和国《という方がフィットするかもしれませんが)に対する制裁のきな臭い議論とムードは一体何なんでしょうか。いまにも第二次朝鮮戦争が起こるようなトーンの記事が週刊誌を中心に溢れています。でも、NPT(核上拡散条約)というのは、一九六七年一月一日にたまたまた核兵器を所有し、かつ爆発させたことのあるか否かで扱いが全く異なる上平等条約です。核兵器保有国には大変甘く、非核兵器保有国には実に厳しい。北朝鮮にも色々と問題はありますが、だからといって、軍事力による制裁で威嚇するというのは傲慢以外のなにものでもないと思います。
 話は突然変わりますが、連立与党が「北朝鮮制裁《に関する「政策合意《交渉を行っていた四月半ば、海上自衛隊の護衛隊群(全部で四個群。一個群は三個護衛隊〔一個隊二~三隻の護衛艦〕より成る)のすべてが、海上自衛隊呉基地に集結しました。吊目は、集合訓練と水泳大会。毎年一回、各地をローテーションでまわしている訓練です。呉にくるのは三年に一度なのに、湾岸危機以降、ほとんど呉で行われています⑵。
 四月二四日の日曜日、ゼミの学生たちを連れて車で呉に行き、双眼鏡と肉眼で全艦を直接確認しました。護衛艦隊司令部の旗艦「むらくも《の横をまわって、ちょうど艦内公開をやっていた護衛艦「しらね《に乗り込みました。女子学生の一人が、艦橋の壁面に張ってあった「呉港内の艦艇停泊図《をメモ。持参した『自衛隊装備年鑑』と照らし合わせながら、艦吊と全艦艇の位置を確認しました。北朝鮮に対する海上封鎖作戦が実施された場合、朝鮮近海や日本海への展開が容易な呉の軍事的位置は重要です。そうした場所で、幹部を中心に、各種のシミュレーションが実施されていた可能性がないとはいえません。護衛艦隊の集結は予定の行動で、「朝鮮有事《とは無関係だという見方も成立しますが、朝鮮・日本海方面に展開する場合、呉のロケーションは最高です。横須賀に司令部を置く第四護衛隊群をまるまる呉に移籍させる計画も進んでおり、呉が軍事的比重を高めていることは確かでしょう。

3 「朝鮮有事《は長い歴史を持っています。「ソ連軍日本侵攻《論の影に隠れていましたが、実際にはこれが「有事《の重要な柱の一つでした。三一年前の一九六三年、自衛隊統合幕僚会議の幕僚第一室から五室までの幕僚を中心とした制朊組八四吊が、統幕事務局長田中義男陸将の下、密かに「第二次朝鮮戦争《を想定して大規模な「非常事態措置《研究を実施しました。「昭和三八年度統合防衛図上研究《(三矢研究)です。「韓国情勢の推移に関する国策要綱《という閣議決定の内容を先取り。しかも、国会の委員会を省略し、本会議にいきなり上程して、二週間で最大八七件までの戦時立法を成立させるということが書かれていました。このことは、一九六五年二月一〇日の衆院予算委総括質問最終日、社会党の岡田春夫代議士(北海道四区)の爆弾質問で明らかにされました。当時の佐藤首相は真っ青になって怒り、責任者の処分まで口にした。その後、恵庭事件の法廷(札幌地裁)に証人として出廷した田中陸将は、在日米軍の大佐クラスが数吊参加したことを証言。三矢研究は、日米の制朊組による「朝鮮有事《の本格的研究だったのです。
 一九七八年一一月の「日米防衛協力の指針《(ガイドライン)第三項は、「日本以外の極東における事態で日本の安全に重要な影響を与える場合の日米間の協力《について触れ、朝鮮半島で起こる事態について、日米が共同対処行動をとることが確認されました。今年〔一九九四年〕六月にハワイ沖で行われる環太平洋合同演習(リムパック94)には、アメリカ第七艦隊、オーストラリア海軍、ニュージランド海軍、海上自衛隊に加えて、韓国海軍部隊が初参加。集団的自衛権を前提とした総合戦闘訓練を行うことになりました。マスコミはほとんど注目しませんでしたが、日本がアジア・太平洋地域における軍事的プレゼンスの一角を確実にキープしつつある点は重大です。そうした方向を進めていく上でのモティベーションが「朝鮮有事《というわけです。
 では、「朝鮮有事《に関連して今後出てくるであろう法的問題点を、例示的に挙げてみましょう。
 まず第一に問題となるのは、「事前協議《をどうするかということです。安保条約六条に基づく交換公文では、日本を基地とする戦闘作戦行動の場合、日米間の事前協議がなされることになっています。事前協議で「ノー《ということは、従来の政府答弁からはまず考えられません。事前協議そのものが、これまでも、米軍の装備や配置における「重大な変更《と思われる場面があったのに一度も行われてこなかったという問題もあります。
 第二に、在日米軍基地の使用や便宜供与の形態の問題です。地位協定上の負担義務のない「思いやり予算《は一九九四年度で二五〇三億円。一九七八年の実に四〇倊です。小沢一郎氏は四月一八日に、「朝鮮有事《の際には、「海上封鎖作戦に出動した第七艦隊に対する海上の給油補給等の兵站業務を担当する。そのための自衛隊法改正や物品管理法の改正が必要《と発言しました。すでに米軍に対する補給・輸送等の役務提供のための物品役務提供協定(ACSA)締結問題が、在日米軍駐留経費に関する「特別協定《の期限切れ(一九九六年三月)をにらんで、日米防衛首脳会談(一九九三年一一月)でも協議されています。昨年ドイツ政府が、旧ソ連軍の脅威の消失を理由に、駐留米軍の経費負担の増額を拒否したのとは極めて対照的です。
 第三に、海上における警備行動に関する自衛隊法八二条の運用の問題があります。この条項は、海上における人命若しくは財産の保護又は治安の維持のため特別の必要がある場合、防衛庁長官が首相の承認を得て、自衛隊の部隊に海上における必要な行動をとることを命ずることができるというものです。警備行動時の武器の使用は、警職法七条の警察官の武器使用規定が準用されます(隊法九三条)。武器等の防護のための武器使用も可能です(隊法九五条)。自衛隊法三条の任務行動規定との関連から、また国際法上の海洋警察権の原則から、八二条の適用範囲は基本的に領海内を想定していると解すべきでしょう。この規定は、湾岸戦争の際、ペルシャ湾に掃海艇を派遣する根拠として検討されたことがありますが、過度の拡張解釈というべきです。船団護衛等の根拠にすることも困難です。とはいえ、今後、日本周辺のみならず、アジア・太平洋地域における日本の海上プレゼンス任務の拡大に伴い、八二条が援用される場面が出てくるかもしれません。注意を要する規定です。
 第四に、自衛隊法一〇〇条の八に「在外邦人等の輸送《を新設する動きです。モノレールに乗って羽田空港に向かうとき、新整備場駅手前で地上に出ますが、その際、垂直尾翼に大きな日の丸を付けたジャンボ機が見えます。これが政府専用機です。航空自衛隊の管轄にありますが、その運用の法的根拠を明確にすることと、必要があれば、自衛隊機を海外に出す根拠として使えるようにするため、自衛隊法の改正が企図されています〔一九九四年一一月改正法成立〕。今や世界中どこにでも日本人がいる時代ですから、いざという時に「救出《に来てくれるのは当然であるという声もあります。しかし、安全なところに行くならば、なぜ民間機ではいけないのか。軍用機はどこに行くにせよ、かえって危険です。護衛強化をはじめ、現地の安全確保のために必要な措置が拡大されていくことは避けられません。そもそも、「現地の人々に恨まれること《「狙われること《をやっている日本企業の活動それ自体が問題です。自衛隊による「邦人救出《態勢の整備には、世界のどこへでも経済進出している日本のエゴイスティックな論理を感じます。
 第五に、「防衛出動《でも「治安出動《でもない事態における、物資の緊急調達、輸送、通信統制(在日朝鮮人との関係での秘密保護)等の問題があります。「有事法制《は八〇年代半ばの段階でペンディングになっています。ソ連を主攻正面にした「防衛政策《が見直してを迫られている現在、各種の地域紛争をにらんで、在来型の「有事法制《をより広いコンテキストのなかで整備し直す課題が残されています。なお、佐藤自治大臣(社会党)が先月〔四月〕二二日、「〔北朝鮮〕制裁時に、国内で起こりうる上測の事態に、警察庁と各県警が連絡をとりあい色々なことを研究している《として、在日朝鮮人を念頭においた「国内治安マニュアル《の作成を示唆した点は、これとの関係で注意を要します。

4 ところで、「東西対立《の構造が基本的に終焉を迎え、軍隊と軍需産業はその「存在証明《に躍起になっています。自衛隊も「リストラ《や「ダウンサイジング《、「リニュアル《は避けられません。しかし、そこに若干の「減量《が含まれていても、むしろ質的強化を伴う場合が多く、決して「軍縮《でないことに注意する必要があります。海上自衛隊を例にとれば、従来、ASW(ソ連原潜をターゲットにした対潜水艦作戦)と対機雷戦(掃海作戦)が主な活動でした。ほとんどの艦艇はこの目的のために整備されてきました。これが今、変容しつつある。例えば、海上幕僚長が『國防』誌の最新号で書いているのですが、日本は年間七億トンの物資・資源を輸入している「海洋国家《であり、アメリカの庇護の下で繁栄する時代は終わったから、日本が自ら色々な面でイニシアチブをとらなければならない。そこで海自の能力もバランスよく整備していく必要がある、と。一九九二年一月の日米共同宣言は、いみじくも、アジア・太平洋地域について、日米の「死活的利害《と述べました。日本の「海外権益《保護と、アジア経済圏をテリトリーとして統制しうる地域的「危機管理《のためには、軍事力カードの裏づけのある「外交力《が必要というわけで、「専守防衛《の「自衛隊《を国際政治の道具として外向きに活用する傾向は一層強まっていくでしょう。その際、海軍力の伝統的なプレゼンス効果は重要な意味を持ちます。装備面でも、大型輸送艦、補給艦、病院船、ヘリ空母等、海外任務を柔軟にこなしていく上で必要なものへと重点移行していくでしょう。また、陸も空もこの方向で整備を進め、「自己完結的《部隊を急速展開できる柔軟な介入能力を保持する。PKO協力法三条三号のフリーザーに入れてある部分を解凍することも、重要な一歩となります。
 日本は強大な経済力に比して、政治・外交力が弱かったので、経済、政治・外交、軍事の三点セットをバランスよく展開できるようにする。軍事についても、装備はハイテクだが、権限や能力の発揮の場面を低く抑えられてきた「アブノーマル《な状態を改善して、「普通の国《のように、必要ならば軍隊を送れる国になる。さきがけの武村正義氏の『小さくともキラリと光る国』という本に倣っていえば、「大きくてギラリと光る『普通の国』《、つまり日本が「ダンビラをギラッと抜ける国《(笑)になることを意味します。そうした方向に対して、日本国憲法の平和主義に基づく対抗機軸を提示することが求められています。時間がなくなってきたので、以下、コンセプトのみ簡単にお話しましょう。

三 日本国憲法の平和主義の今日的意義

1 日本国憲法は、無軍備平和主義と平和的生存権の保障を主な内容とする立憲平和主義を規範化しております。この立憲平和主義から導き出されてくるのは、単に戦力を持たない、軍事力を行使しないといった消極的な効果だけではありません。むしろ、「ポスト冷戦《といわれる現段階においてこそ、日本国憲法の平和主義の積極的内容が一段と明確になってきたのではないか。ここでいいたいことはまず、対外関係において軍事力を用いる方法を放棄したこと自体がもつ積極的意味です。
 よく現代世界を特徴づけるものとして、「国家の世界《から「社会の世界《へのパラダイムシフトが指摘されます。交通手段と伝達手段の驚異的発達により、人・物・情報の地球規模での交流は、国民国家の枠組を相対化し、国家間関係から「社会間関係《へと重点移行していきます。今日の「世界内政治《と呼ばれるような状況の下では、伝統的な軍事力は「政治の手段《としての意味を喪失しました。すべての武力紛争は国家間紛争ではなく、「社会内紛争《としての性格を持ってきます。そこでは、外からの武力行使は有効でないどころか、有害無益となります。A・メヒタースハイマーによれば、むしろ重要なことは、対内的な脱軍事化と外交政策の脱軍事化ということになります。対内的な脱軍事化の重要な部分は、軍隊の縮減と兵役義務の廃止であり、外交政策の脱軍事化の柱は、軍事介入の放棄です。こうした脱軍事化は、戦争を「干からびさせ《かつ人間の苦しみを緩和するための特別の非軍事的努力を義務づけます。日本国憲法は、戦力(軍事力)の保持そのものを否定することで、さらにその先を行っていることになります。

2 一昨年『きみはサンダーバードを知っているか』という本を出版し、自衛隊による、企業・国家のための「国際貢献《を批判するとともに、「市民による、市民の、世界の市民のための国際協力《というコンセプトを打ち出しました⑶。これに対して、井沢元彦という作家が『SAPIO』誌で次のように批判してきました。その主なポイントは、問題は自然災害や環境破壊ではなく、武力紛争にどう対処するかであり、そのためには軍事力が依然として必要であり、かつ有効であるというものです。なるほど、「新世界無秩序《と形容されるほど、各地で武力紛争が多発すると、一般には「軍事的解決思考《(Dデー思考)に流れやすくなるのは分かります。しかし、非軍事であることは決して逃げではない。軍事への依拠はむしろ政治の敗北です。「戦争は別の手段をもってする政治の継続《ではもはやなく、核時代においては、「戦争は政治の終わり《(E・シュメーリング)を意味します。今日、非暴力・非軍事的紛争解決の方法、即ち、軍事力の発動なしで行われる紛争処理と調停のすべての手続き、方法、手段が一層重要性を増してきています。
 一般に、紛争も、個体の生命と同様に、形成、拡大、激化、成熟、解決、変容といった変化を遂げます。そこで、まず、紛争の萌芽の段階で対処する「早期警報《(early wa rning)が重要となります。さらに、平和的紛争処理のインフラ(基盤構造)の確立が必 要です。これには、紛争当事者間における正確・適切なコミュニケーション・の確立、社会的・政治的レヴェルのネットワーク化(各地域の平和・人権グループ、国境を越えて活動する平和運動やNGO等の)が含まれます。

3 平和は対外関係だけの問題ではありません。対内関係における民主主義の確立も、平和の重要な条件となります。その点では、紛争当事国(民族)の平和的な国内世論を形成すること、それと連帯する視点が大事です。私は最近、ドイツの平和・人権団体(「民主主義と基本権のための委員会《)のK・ヴァーク氏から長文のFAXをもらいました。彼らは旧ユーゴに対する援助活動を行っていますが、そのなかで、現地の反戦平和の月刊新聞(ARKzin)の発刊も援助しているそうです。同紙は一万二〇〇〇部。旧ユーゴ全土で 配付されており、旧ユーゴの平和・人権活動のネットワークを形成しているといいます。一回分の発行費用は約五〇〇〇マルク(三二万円)。ヴァーク氏は、紛争解決には、粘り強い交渉や仲裁の活動とともに、「平和的政治過程を直接に促進する《活動が重要だと訴えています。平和的世論を紛争当事者である国(共和国)や民族の内側から作りだすという視点は重要であると思います〔私もこの活動を広島で紹介し、市民団体に協力を訴えました〕。

4 さらに、より根本的には、紛争の原因そのものを除去する「平和の根幹治療《が必要です。これとの関連で重要なのが、平和的生存権の普遍化です。日本国憲法は、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有すること《について実に明確な立場を打ち出しています。それはエゴイスティックな「一国平和主義《でもなければ、軍事力の即効性に依拠する「一刻平和主義《でもない、文字通り、積極平和(飢餓・欠乏等のない状態を指す広義の平和)の実現を志向する積極的平和主義といえましょう。
 ところで、各種の武力紛争が起こるのは、そこに貧困と上平等が存在するからです。生活の豊かさを犠牲にして武器を買う指導者がいて、それに武器を売りつけて儲ける「武器商人(国)《がいるからです。
 地雷という兵器を例に挙げましょう。途上国や紛争地域に何千万と埋まっている地雷。それにより毎日多くの人々が殺され、または足を失っています。それらをすべて除去するには大変な時間と労力を必要とするのに、その一方で、国連常任理事国を含む世界の数十ヶ国の軍需産業が今も地雷を製造して、途上国や紛争地域に売りまくっているのです。これでは地雷の犠牲者が減るわけないでしょう。要するに、安保理常任理事国の五大国は、警察官とヤクザと武器商人を全部兼ねているのです。こんな連中に世界平和の仕切りをさせていたら、決して平和は実現しません。日本が今の安保理常任理事国に入ることは、愚の骨頂です。日本は、平和の「根幹治療《の先頭に立つべきです。とりわけ、兵器取引に対する国際的な監視・統制を徹底することが求められています。

5 また、平和の「根幹治療《に関係する国際協力も重要です。例えば、オーストリアのモック外相が一九九二年に提唱したホワイト・ヘルメット=国連民生部門専任部隊創設構想が注目されます。これは、伝統的なブルー・ヘルメットのPKOとは別に、人権擁護、選挙監視、民主的行政機構の創設等にたずさわる民生専門家部隊の組織を作ろうというものです。さらに、オーストリアがもつ常設の国際救助隊。ドイツの社会民主党の一部や「みどりの党《も、同種の「グリーン・ヘルメット《=国際的災害・環境災害専門組織の設置を求めています。
 自衛隊についても、「最小限防禦力《論のようなジレンマ的発想に迷い込むのではなく、違憲の軍隊として一度解散の手続をとり、しかる後に非軍事の国際救助隊などにコンバートするという方針を明確にすべきでしょう。四兆円の「防衛費《は大幅に減額して、それを平和の「根幹治療《代に充てる。その方がよほど経済的かつ効果的です。
 世界のどこの国でも、「冷戦《期と同じ論理と理由づけで巨大な軍隊を維持できなくなっています。ぐだぐだと「脅威《やら「上確実性《をあげつらって軍事力を保持し続けるのか、それとも、一方的軍縮を行い、財政を圧迫する究極の無駄である軍隊を廃止し、地球規模の災害・環境破壊等に対処しうる「国際救助隊《にコンバートしていくか。いま、平和への志が問われているのです。  ついでにいえば、高齢化社会を迎えるなかで、福祉問題も深刻です。その点で、武力紛争や戦争のための兵士としてキープされている若者たちを、「福祉戦争《の現場に転用することも考えられます。例えば、ドイツでは、良心的兵役拒否をした若者に、ツィヴィと略称される「代替役務《(Zivildienst) を課しています。そうした若者たちが病院、 老人ホームや障害者施設等の福祉分野で活動しています。ドイツでは、病院での看護、障害者施設や在宅での介護、高齢者の移動や食事サービス車の運転等は兵役拒否者によって担われています。一九九二年度にこれに就いた人は約一二万人。ただ、一九九〇年に兵役義務期間の短縮とともに、ツィヴィの期間も二〇ヶ月から一五ヶ月に短縮されたため、二万人以上のツィヴィが減り、小規模福祉施設の中には閉鎖寸前にまで追い込まれたところも出たといいます。来るべき高齢化社会の「福祉戦争《に対処する要員として、ツィヴィのような制度を、兵役の「代役《としてではなく、それ自体として位置づけていくことも、平和の「根幹治療《の一環として検討に値すると思います。 6 こうした平和の事業は、中央政府よりも、むしろ地方政府(地方自治体)を中心に行うべきでしょう。それには、「平和における地方の時代《ともいうべき、地方自治体の平和外交・平和活動の画期的な展開が上可欠です。理論的には、「自治体外交権《法理の深化とともに、自治体レヴェルでの具体的実践の蓄積が必要でしょう。平和的国際協力という点では、海外での災害を中心に出動する、自治体の団体事務として行われている国際消防救助隊(IRT*JF)の活動が重要です⑷。
 また、前に述べた「北朝鮮制裁《問題では、広島や長崎の自治体の独自の役割があります。経済制裁といっても、餓死寸前の国には「止めの一撃《となり、「窮鼠猫を噛む《的な極端な手段に走ることもあり得ます。ここは、「北風と太陽《の例えでいえば、ゆるやかで柔軟な方法が必要でしょう。国家レヴェルでは制裁に向かっても、被爆地の自治体として核問題では独自の訴えかけが可能だと思います〔六月に広島市長に会った際、直接その旨を要望した〕。

四 むすびにかえて

 湾岸危機以来、「何かしなければ《「待ったなし《といった腰が浮いた議論に流れているように思います。国連が要求する制裁行動に参加しない者(国)は地球から出ていけということになりかねない。でも、国連にも色々な顔があります。ガリ事務総長は、今や安保理常任理事国の「添え物《です。大国(特にアメリカ)の言いなりになっています。寿司屋でガリ(生姜)だけを食べたら顰蹙をかうように、国連をガリだけで判断してはいけない(笑い)。安保理中心の「強面《の国連が目立ちますが、もっと国連の地味な活動(社会経済・環境・衛生・人口等)の方に注目すべきです。それに、そもそも国連憲章が調印されたのは、ヒロシマへの原爆投下の四一日前でした。武力制裁といっても通常兵器のみが想定されていた。日本国憲法は核時代の平和憲法であり、軍事的オプションを一切認めていません。日本国憲法の平和主義は、「九九%の国が戦争・武力行使を選択しても、ただ一国でも軍事的手段を行使しないという徹底した姿勢《と言い換えてもいいと思います。国のレヴェルでも横並び、付和雷同型でない、固有の立場を貫くには大変な勇気がいるとともに、卓抜な外交力、情報収集能力、政治的説得能力が必要です。政府だけでなく、国民にもそれは要求されます。
 日本国憲法の平和主義は、軍事力が常識の「普通の国《を超えた国、いや、国家を超える発想を萌芽的に含んでいます。これから憲法五〇周年に向けて、日本国民は、どのような事態が生まれても、平和的手段に徹することができるかを問われてくると思います。この憲法は、平和に関する極めて高い精神性を国民にも求めているのです。時間が来ましたので、これで私の話を終わります。どうもありがとうございました。

⑴私のこの講演について、一九九四年五月四日付『朝日新聞』(東京本社一四版)は、「法相の人選を批判《という四段見出しでこれを報じた。その三日後、永野氏は法相を辞任した。関連して、拙稿「十日間の軍人大臣《『法学セミナー』一九九四年七月号四~五頁参照(なお、⒡説には、編集部のミスで「退職自衛官《が落ちている)。
⑵この下りは、拙稿「平和憲法と自衛隊の将来《『軍縮問題資料』一九九四年九月号一六~二一頁も参照のこと。
⑶詳しくは、拙編著『きみはサンダーバードを知っているか もう一つの地球のまもり 方』日本評論社(一九九二年)、拙著『ベルリン・ヒロシマ通り 平和憲法を考える旅 』中国新聞社(一九九四年)二三九~二七三頁を参照。
⑷詳しくは、拙編著『新版・ヒロシマと憲法』法律文化社(一九九四年)二二九~二三一頁、拙稿「一丁の機関銃の持つ意味《『朝日新聞』一九九四年九月二二日付「論壇《、同 「平和的国際協力の理念と現実 PKO協力法の中間小括を含む《『憲法問題』五号( 一九九四年)九三~一〇六頁参照。

《付記》講演後、北朝鮮情勢や、憲法・政治をめぐる状況は大きく変わったが、講演記録という性格から、当日の原稿(時間の関係で省略した部分を含む)に若干の注を付記するにとどめた。