週刊金曜日・書評、康煕奉『こんなに凄いのか!韓国の徴兵制』

 フランス革命以来、一般兵役義務制(徴兵制)は「民主主義の子」と言われることがある。国民は収入に応じて一定額を国に「納め」、いざという時には武器をもって国を守る。前者が「納税」義務であり、後者が兵役義務である。一定年齢に達した国民はみな等しく軍隊に召集され、「わが国」を守るのが、一般兵役義務制である。これは民主主義の原則に適合すると考えられてきた。
 だが、日本国憲法はこうした考え方をとらない。軍隊・戦力の不保持を定めた以上、どのような形であれ、軍事組織の人的供給システムを設けることは許されないからである。
 近年、ヨーロッパ諸国では、徴兵制は風前の灯である。特にドイツでは、政府与党のなかでも徴兵制廃止論がある。兵役拒否者の数も増大し、九八年には約一七万人というレコードを達成した(湾岸戦争時でさえ一五万人)。兵役適齢期の若者の三四・三%が兵役を拒否するというのは尋常ではない。
しかも、軍隊の任務が、ボスニアやコソボへの派遣など、「自分の国は自分で守る」という論理では説明不能になってきた。そういう国際的任務には兵役義務者は使えないという議論もあるなか、昨年秋、EU介入軍の設置が決まった。「国防」から「人道的介入」へ。ドイツも徴兵制を廃止して、柔軟に対応できる志願制軍隊への道を進むのは時間の問題だろう。
 こうしたヨーロッパと異なり、軍事的緊張が持続する韓国では、徴兵制廃止の議論はあまりない。本書は、その韓国の徴兵制の実態を、在日コリアンの視点から明らかにしたものである。徴兵される韓国の若者と、「徴兵制って何?」感覚の日本の若者との間で、「もう一つの視点」を提供してくれる。これが本書のメリットだろう。
 第一章は、一人の若者の徴兵体験記から始まる。六一年生まれだから、光州事件(八〇年五月)の頃の軍隊内の雰囲気がリアルに伝わる。第二章では、韓国徴兵制の社会的な影響や問題点が明らかにされる。著者は、韓国訪問時にタクシーに乗るたびに、運転手に話しかける手法をとる。このタクシー内の軍隊体験聞き取りは、本音が出ていて面白い。第三章は軍事境界線への旅。ここでは、韓国で在韓米軍への反発がなぜ強まっているか、その背景が明かされる。そして第四章は、在日コリアン側の問題。徴兵制に対する著者の主張が明確に出てくる章である。
 本書を読んで、興味深かった点をいくつか指摘しておこう。まず、「軍隊で腐ってこい」と先輩に言われる若者。「何も考えずに腐っていかないと時間を過ごせない世界」がすぐそこにある。しかも二六カ月。途方もない時間である。学生たちは大学二年次を修了すると軍隊に入り、三年次に戻ってくる。専門課程に入る直前に、「体育実技」の合宿実習を二六カ月やるようなものだろう。こういう生活は相当きつい。だから、徴兵逃れの裏わざもいろいろとある。たとえば、国際スポーツで活躍した選手には、入隊免除の特権がある。九八年アジア大会に韓国のプロ選手が大挙して参加し、優勝した背景にこういう事情があったのだ。
 驚くのは、「内務班」という言葉を含め、旧日本軍の残滓が韓国軍のなかにしっかり受け継がれていること。たとえば、支給された戦闘靴が足に合わないと、「靴のほうにおまえの足を合わせろ」と上官に怒鳴られる。常識の逆転。戦前の日本の若者も、軍隊に入営する当日、この言葉で、自分が「地方」(一般社会)から分離されたことを実感させられた。
 それと暴力的制裁。旧日本軍でも、「私的制裁根絶ニ関スル指導監督案」が出されるほど、内務班での暴力はひどかった。現実は、上官による「公的」制裁の制度化だったのだが(久田栄正・水島朝穂『戦争とたたかう』日本評論社参照)。こうした暴力は、韓国軍でも日常化している。
 「軍隊の中にいると、不条理、裏切り、嫉妬、暴力といった人間の醜い部分に翻弄されすぎてしまう」。タクシー運転手の言葉は重く響く。また、別の運転手はいう。「世の中を動かしているのは恨みだ。軍隊ではみんなが誰かに恨みをもつ。その恨みを晴らしたいと思う。それが生きる糧になったりエネルギーになったりするんだ」。若者をここまで追い込む仕組みとは何なのか。
 韓国社会には、こうした徴兵制の影響がさまざまにあらわれている。兵役に辟易しても、ある種の「能力」は軍隊で確実に開拓されてしまう。その一つが喧嘩の強さ。
「日本と韓国の現在社会を論じるとき、そこに存在する大きな違いは徴兵制ではないか」と著者はいう。徴兵制の社会的影響のより深い解明が求められる所以である。 さて、著者は在日コリアンの視点から、日本社会を批判的に眺めながらも、憲法九条をポジティヴに評価する。「日本に徴兵制があったら、経済成長の担い手になった企業戦士たちもあれほど猛烈に働けなかった。徴兵制が吸い取り紙となり、脂ぎった若者のパワーの何割かを吸い取っていた。奇跡と言われた経済成長は、徴兵制と無縁な社会だからこそ実現できた。それを可能にしたのが憲法九条だ」と。ただ、憲法一八条(奴隷的拘束・苦役からの自由)の存在も、徴兵制阻止に機能したことが看過されてはならないだろう。
 徴兵制に対して、著者は、義務として若者が社会と関わりをもつ仕組みを提唱する。介護や障害者支援、海外協力など、一定期間、若者たちが嫌々ながらでも社会奉仕を経験する機会があっていい。この「嫌々」に意味がある、と著者はいう。だが、ボランティアをこうした義務との関連で論じている下りもあり、教育改革国民会議の「奉仕の義務化」の議論に連動しないよう、注意が必要だろう。 「成人式」で騒ぐ若者たちを見ながら、「日本にも徴兵制が必要かも」なんてサラッと語ってしまう人々に、本書をお薦めしたい。

◆なお、九七頁の各国徴兵制比較の表は正確さに欠ける。現在、ドイツの徴兵期間は一〇カ月である。二〇〇二年より九カ月に短縮される。