「一丁の機関銃」から見る憲法9条の危機
          JCJ編『日本への心配と疑問』高文研、1995年所収


◆安江◆ありがとうございました。改めて伺いながら、強い緊張感をおぼえるお話で、おそらく皆さんもそう思われたと思います。
 引き続いて、今日のためにわざわざ広島からおこしくださいました憲法学者の水島さんに、お話をいただきたいと思います。

◆水島朝穂◆ 広島大学総合科学部の水島と申します。一一月三日という日に、憲法研究者は私だけのようでありまして、ややさびしい感じもいたします。本日、決して質(クオリティー)においてではなく量において世界一の新聞(自称一〇〇八万部)が、「憲法改正試案」なるものを出しました。そこで、憲法研究者として一言申し上げたいということで、駆けつけてきたわけであります。「試案」について批判的なコンメンタールをここで述べようとすれば、最低でも約八二分五〇秒はかかりますので(笑い)、ここでは九条の問題に限ってお話したいと思います。
 今ここに、一九四六年一一月三日、日本国憲法公布の日に、読売新聞社が出した『新憲法読本』というパンフレットの現物を持っております。全文六〇頁。ここには、読売新聞社が新憲法、すなわち日本国憲法に基づいて平和国家をつくろうと、そのために立ち上がろうということが実に格調高く書いてあります。興味深いことに、第九条の解説には、「新しい時代の平和の典型として日本憲法を見るならば、ある程度の戦力保持の必要を漠然と感じる危惧感は、この憲法によって再生しようとする日本国民のヒューマニズムを踏みにじるものでしかない。それは単なる感傷の域を脱しない小市民的感傷であろう」とまで書いてある。つまり、「何らかの備えは必要ではないかしら」なんて言うことは、「小市民的感傷」だとまで断定している。ここらへんの極端さは『読売』らしい、と言うと怒られますが(笑い)。軍備を持つことに対してここまで批判的であった読売新聞社が、四八年後の今日、ああいうものを出したわけであります。スタイル・形式の点からも、また内容の点からも多くの問題点を含んでいます。ただ、スタイル・形式面については、あとでジャーナリストの方にお話いただくことにして、内容について簡単に述べさせてください。
 読売の「改正試案」は、学説・判例の蓄積、そして外国憲法の事例、こういうものを参考にしながら、一般の方々がなるほどと思われるオイシイ部分を色々と含んでおります。例えば「環境権」とか「プライバシー権」、あるいは参議院の地位の強化とか、憲法裁判所の設置などです。こういうのを見ると、フンフンと頷く人も多いと思います。また、日本語の語感としてはなじまない部分や、主語がはっきりせずに解釈論争になってきた部分、例えば衆院解散権の主体の明確化なんかを含むものですから、わかりやすくていいじゃんということになりかねない。そのあたり、渡辺恒雄社長と「一二人の男たち」(女性記者は一人もいない!)はマスコミ人ですから、さすがに抜け目ない。でも、色々と書かれていますが、現行憲法の解釈・運用上定着しており、別に今あえて変えなくても不便を感じないものが多いのです。だから、こうした部分に惑わされてはならない。
 「試案」の一番の核心部分は、何と言っても九条二項の改正でしょう。私は、『軍縮問題資料』の本年九月号に、「平和憲法と自衛隊の将来 大きくてギラリと光る『普通の国』」という小論を書きました。小沢一郎さん的な、あるいは現在の自社連立政権も方向において同じなのは、経済的に大きいだけでなく、ギラリと光る、つまり、だんびらを抜く国家に(笑い)、この国をつくり変えようということです。ここには、明らかに憲法原理の転換が含まれています。日本国憲法は、どのような場合でも、軍事力を行使するという選択肢をとらなかったはずです。今回の「試案」は、明らかにこの「大きくてギラリとだんびらを抜く普通の国」への道の憲法的正当化にほかなりません。
 具体的に言いましょう。
 まず、現在憲法違反の存在である自衛隊について、憲法規範を改正することで、いわば事後的に合憲化を図ろうとしています。それだけでなく、「試案」一三条で、「確立された国際的機構の活動」に、「自衛のための組織の一部を提供することができる」としています。これは必ずしも国連の活動だけを指すわけではないですから、PKOだけではなく、ガリ事務総長の言う「平和強制部隊」(PEU)をはじめ、朝鮮戦争型国連軍や湾岸型多国籍軍を含む広範な軍事的出動形態が可能になってくる。この点が一番の問題です。
 次に注目したいのは、「試案」が「自衛隊」という言葉を巧みに避け、「自衛のための組織」としていることです。これは、改正条項のハードルを低くしている点とのからみで言えば、将来、自衛軍ないし日本国軍に変えていくことを、「試案」は予定していると見ざるを得ません。したがって、単なる自衛隊の合憲化の案ではないということも指摘したいのであります。
 一昨年、私は、友人と『きみはサンダーバードを知っているか』(日本評論社)という本を出しましたが、そのなかで、PKOというのは、下手をすると、大国の「国益」のための「ピン(P)からキリ(K)までおせっかい(O)」になりかねないよと書きました(笑い)。PKOに大国の論理が働いてきた結果がどうなるかは、ソマリアをはじめとする平和強制活動の破綻を見れば明らかでしょう。でも、最近では、「護憲」側の学者からも、「国際的な公共の福祉」実現のためには「公的な武力行使」を容認すべきだというトーンの議論が出てきました。しかし、国民国家の集合体である国連の枠のなかで、「真に公的な武力行使」というものがあり得るのか。甚だ疑問です。
 ところで、この秋、国連PKOではなく、わが国独自の「国権の発動」として、自衛隊をアフリカのザイールに送りました。ルワンダ「難民救援」ということで、北海道旭川の第二師団後方支援連隊を中心に編成した部隊です。あまり注目されませんでしたが、これには、武装した警備専門部隊四七人が配属されていました。カンボジア派遣施設大隊の場合は、施設科〔工兵〕隊員ばかりで、数名の警務隊員〔MP〕がいただけですから、これは様変わりです。この四七名は武器を使って警備をすることが専門ですから、カンボジアの時よりも、隊長(四一歳の三佐)の命令で武器を使用する、つまり武力行使を行う可能性は高いといえましょう。しかも、この警備隊には、八二式指揮通信車という装甲車が配備され、これに七・六二ミリの汎用機関銃が搭載されました。七・六二ミリの機関銃弾がここに五〇発あります〔と言って、実物を演壇に並べる〕(笑い)。マスコミは9月半ばにこれが問題になった時、「軽機関銃一丁」と報じましたが、内閣が決定した実施計画にはどこにも「軽」とは書かれていない。私は『朝日新聞』九月二二日付「論壇」に、「一丁の機関銃の持つ意味」という小論を書きましたが、そこで言いたかったことは、機関銃という兵器の場合、PKO協力法二四条〔武器の使用〕のような、個々の隊員の判断で撃つということはあり得ないということです。命令による射撃しかない。とすればこれは武力行使となりうる。たった一丁より正確には「一銃 の機関銃ですが、これを装甲車に搭載した結果、武装した装甲車を日本は戦後初めて海外に出したことになります。そして、「たった一丁」で二〇〇人以上の隊員が守れるか。故障した場合に備え、二丁以上必要ではないか。そういう声がすぐ出てきた。これは「軍事的合理性」から考えれば当然のことです。そして、指揮通信車の本来装備である一二・七ミリ重機関銃を持っていくべきだ、となる。これが一二・七ミリの機関銃弾です。七・六二ミリと一二・七ミり。ご覧のように大きさも、もちろん威力もはるかに違う。さらに、二〇ミリ機関砲を持っていけという元軍人も出てきた。『軍事研究』という雑誌には、八七式偵察警戒車の二五ミリ機関砲を持っていけば、誰も近づけまいと書いた。これがその二〇ミリと二五ミリ砲弾です(笑い)。火薬は入っていませんが、結構重いです。最初は七・六二ミリでも、現地の緊張の状況や相手の装備との関係で、こうしてどんどんエスカレートしていくのです。
 来年八月には、PKO協力法の「見直し」が迫っています(附則三条)。PKO協力法附則二条でフリーザーに入れていたPKF(平和維持軍)の本体業務を解凍しようという動きも出ています。先日、自衛隊法一〇〇条の八を追加する自衛隊法改正案が衆院の委員会を通過しました。成立すれば、自衛隊の派遣に対する地理的限定がはずれます。そうしますと「母を求めて三千里」ではなく、「危機を求めて三千里」とばかり(笑い)、世界のどこへでも派遣する時代が来る。来年一月にはシリア、ヨルダン、レバノン、イスラエル各国境に接する中東の戦略拠点、ゴラン高原に、自衛隊の調査団が行く。三千里というのは一万二〇〇〇キロです。旧ユーゴや旧ソ連の紛争地域だって将来的には派遣対象となり得る。日本の「国益」を実現するために、自衛隊の「国際政治的利用」はさらに進むでしょう。そうすると、自衛隊の組織、編成から装備、訓練、精神教育に至るまで変容していかざるを得ない。だからこそ「読売試案」は、「自衛隊」の名称変更までも射程に入れているわけです。
 しかし、私に言わせれば、日本国憲法の下で「軍事的合理性」の議論がまかり通るということがそもそもおかしい。それが、今、外交官から政治家、マスコミにまで、「軍事思考」が広まっています。確かに「軍事的合理性」も、それはそれで論理的に筋が通っているし、説得力もある。でも、日本国憲法はそれを否定したところから出発したはずです。「一丁では守れない」といった議論が突出する今の状況は何なのか。そもそも、そういうものを使わなきゃならないようなところに軍隊を出す国として、戦後日本は出発したのか。憲法は、軍事力以外のあらゆる創意工夫と勇気によって、紛争を解決し、平和を確保していくべきことを国民に求めました。しかし、歴代の政府は、そういう意志も能力もなく、姑息な手段を弄して事実上の軍隊を設置し、よく考えもせずに海外に「逐次投入」してきたわけです。そこをしっかりおさえるべきでしょう。 ところで、昨年、雑誌『世界』で「平和基本法」の提言がありました。提言は軍縮を指向しながらも、「最小限防禦力」というものを認めています。気持ちは分かりますが、外堀を埋めさせておいて、内堀のところで守ろうというのはどだい無理な話です。一六一五年の大阪冬の陣で、徳川家康は大阪城の外堀を埋めさせましたが、実は三の丸の内堀も埋めてしまった。外堀を自衛隊違憲論とすれば、三の丸の内堀にあたる部分が「最小限防禦力」です。違憲の自衛隊を「最小限防禦力」のところで認知すれば、憲法の「本丸」を落とされるまであと一息です。私が『きみはサンダーバードを知っているか』で提案したことは、自衛隊を最終的に非軍事の国際救助隊にコンバートさせるということです。違憲の自衛隊を違憲でない状態にするのに、経過的に時間がかかるのは当然です。その途中で、自衛隊を合憲と言う必要は全くないのです。
 憲法の無軍備平和主義は、この国では風前の灯ですが、「ポスト冷戦」といわれる状況の下で、諸外国ではむしろその先駆性に対する評価が高まっているといえましょう。安保理五大国を中心に、軍事力行使の安易で簡易な使用の傾向が強まっていますが、日本国憲法の平和主義を守って、日本が独自の道を追求していくならば、世界全体で見れば、孤立無援では決してないのです。
 最後に、憲法学者の八割は自衛隊違憲論であるとよく言われますが、ここで「業界」の内部事情を市民の皆さんに説明すれば、その認識は正しくない。憲法学者=護憲ということではないのです。今まで少数説(自衛戦力合憲論)で学界では相手にされなかった人が、読売新聞あたりではしゃいでいる一方で、現状維持的発想に流れ、沈黙したり、あるいはこっそり自衛隊合憲論に「転進」したりする傾向もあります。でも、この間、憲法研究者の少なくない部分が様々な形で意見表明を行い、危険な状況に対して警鐘を鳴らしていますので、決して元気がないわけではありません。市民の皆さんも、ぜひ、憲法九条の先駆性といいますか、画期的な意義というものに確信を持っていただきたい。私も微力ながら努力したいということを最後に申し上げて、私の話を終わりたいと思います。ありがとうございました。

《付記》九条以外の論点については、拙稿「読売『憲法改正試案』にもり込まれた危険な意図」(『法学セミナー』一九九五年一月号)を参照されたい。