『週刊朝日』2001年1月26日号から引用

ブッシュ大統領の爆笑デビュー 高校の作文0点、失言オンパレード
     
 一月二十一日、ジョージ・W・ブッシュ氏(54)が米国大統領に就任する。中曽根元総理が新春のテレビで森・ブッシュを比較した。「二人ともスポーツマン。頭はそういいとは思わない」。しかし新大統領は不思議なスケールを持つ。勉強ができなくても、対立候補にばかにされても平気。失言もジョークで笑い飛ばす。森首相など及びもつかない、爆笑大統領なのである。

 ブッシュ新大統領に会った民間の日本人はそれほど多くない。「新旧」ブッシュ大統領に会った人だと、もっと少ない。しかし、元日立製作所国際事業本部次長で、グローバル・エム・ケイ社長の小浜正幸さん(62)は、ブッシュ親子とそれぞれ、ツーショット(163ページ写真)を撮ったことがある。 「お父さんにお目にかかったのは、ロサンゼルスに勤務しているときでした。尊敬していた方なので、大変緊張したことを覚えています。息子さんとは、州知事時代に会ったんですが、こちらは全然緊張しませんでした。明るくてね、おもしろい人です」
 小浜さんはロスでの経験を一冊の本にまとめ、その本を当時のブッシュ・テキサス州知事に見せた。本の扉のひとつは、ブッシュ大統領との写真である。 「お父さんと写真を撮ったんですよと、見せたんです。そしたら彼は喜んでね。『おおそうか。それじゃあ私とも同じポーズで写真を撮ろう。おい、カメラマンを呼んでくれ。どうせなら、おやじよりいい写真にしようぜ』って」

 あとで直筆サイン入りの写真が送られてきた。 「東部エスタブリッシュメントのにおいがない。言葉も少しテキサスなまりがあって、エリート政治家というより、ビジネスマンみたいな感じ。腰が低くて、偉ぶらないんです。人に好かれるでしょうね。ひとことでいえば、森さんですよ。二人はきっとウマが合うと思うなあ」 もっともブッシュ大統領のハズレっぷりは、森首相の比ではない。

 知事時代から一貫してブッシュ大統領を批判し続けてきた、政治評論家のモリィ・イビンス女史は、地元紙「テキサス・オブザーバー」で、ため息まじりに語っている。
 「ブッシュは複雑な人でもなければ、知的な人でもない。お父さんも『ビジョンのない大統領』と批判されていたが、それは息子に会ったことがないからですね。ビジョンもアイデアも、彼にはない。しかしブッシュを嫌うのもなかなか難しい。彼の自虐的なユーモアはだれもが笑える。ただのおばかさんではないわ」
 自伝『ジョージ・ブッシュ私はアメリカを変える』(扶桑社)は、その自虐的なユーモアにあふれている。
 まず勉強の話。親元を離れ、父親も通った全寮制高校、フィリップ高校(マサチューセッツ州)に入学したものの、レベルについていけなかった。しかしブッシュはあきらめない。母親のバーバラさんからもらった類語辞典をひきひき、取り組んだ作文のタイトルは「感情」。
 「……何とか難しい言葉を使って作文を書き上げ、提出したのだが、採点して戻ってきた作文用紙には0点がつけられていた。それは強く書かれていたので、分厚い作文用ノートの最後のページにまで『0』という数字の痕跡がクッキリと残っていた」
 その後、なんとかエール大学に進み、卒業後は石油ビジネスの世界に入るが、失敗。下院議員選挙にも落選。
 しかし、大リーグ「テキサス・レンジャーズ」の共同経営者となってからは、運が開けてきた。最下位のチームを優勝争いができるまでに引き上げ、高値で売却。再び政治をめざし、テキサス州知事に立候補する。

 ○弟はテキサスの偉大な知事です
 選挙戦は熾烈をきわめた。ラボック市でスピーチに失敗し、妻のローラさんに慰めを求めた。
 「ガレージに車を入れているときに、彼女に最後の質問をした。『スピーチは良くなかっただろ?』。彼女は答えた。『ええ、良くなかったわ』。私はショックを受けて車を家の壁にぶつけてしまった」
 テキサス州では銃規制の問題は重要である。銃規制派でないことをアピールするため、ブッシュ氏も片手にショットガンを持ち、もう一方の手には獲物の鳥を持った写真をマスコミに撮影させた。しかしそれは捕獲が禁止された鳥で、すぐさま告白会見となった。そこでひとこと。
 「いや参ったよ。だけど、鹿狩りのシーズンでなくてよかった。もし鹿狩りだったら、牛を撃っていたかもしれないからね」
 そんな言動の繰り返しに、対立候補がブッシュ氏について、「ばか者」と発言する一幕もあったという。
 知事時代も、大統領選挙に入っても、ブッシュ氏は止まらない。以下は「失言録」
「失笑録」のほんの一部である。
 九九年六月には、スロバキアのジャーナリストの取材を受けた。
 「私はスロバキアのことをよく知っている。テキサスに来た、あなたの国の外務大臣にちゃんと教わった」 と言っていたが、彼が会ったのはスロベニアの首相だった。
 昨年九月二十五日、オレゴン州での遊説ではエネルギー問題に触れた。
 「この国が海外から輸入された石油に頼り切っているのは明白である。見てみなさい。昨年、輸入された石油のほぼ百パーセントが海外からきている」
 バス釣りファンのブッシュ氏だが、漁業問題にも一家言ある。ミシガン、九月二十九日の発言。
 「人間と魚は共存共栄できるはずだ」
 十月にはセントルイスで、「青少年の銃の凶悪犯罪が問題となっていますが」と聞かれ、
 「青少年が拳銃を所持できる年齢を引き上げるべきだ」
 アメリカで銃の所持が許されるのは、もちろん成人である。
 陣営が作り上げた予算案について聞かれ、
 「立派な予算だったよ。数字がいっぱい並んでたし」
 米国に残留させるのか、キューバに帰すのかで昨年、全米の関心を集めたエリアン君問題について。
 「私も遺憾に思った。このことは、私の弟であるジェブともよく話している。これはあまり公には語らないのだが、彼はテキサスの偉大な知事でもある」
 大統領選挙の命運を分けたフロリダ州。その知事が弟のジェブ氏なのは、だれでも知っている。インタビュアーは、冷たく言った。
 「フロリダでしょ」
 テキサスの偉大な知事とは、自分のことだった。

 ○チェイニーもパウエルも大変
 ITについては、森首相と意見がちょっと違う。「情報スーパーハイウエー戦略」は、ゴア副大統領の十八番。これにもひとこと。
 「インターネットのハイウエーを少なくする方法はないかなあ」
 十二月十八日のテキサスでのインタビューもなかなか味がある。
 「行政機関と立法機関の違いぐらいわかる。議員が法律をつくり、私がそれを執行する。それぞれのリーダーに、その違いをちゃんと説明したこともある」
 チェイニー、パウエルも説明を受けた?
 伝記『ファースト・サン』を書いた作家、ビル・ミナタグリオ氏は、地元紙で語っている。
 「伝記を書くために、あなたをよく知る人を推薦してもらえないかといったら、彼はリトルリーグのコーチの名前をあげた。さっそく話を聞くと、コーチは言っていた。『ブッシュはけっしていい選手ではなかった。この子はボールが怖いのではないかと思ったことさえある。バッターとしてはボールにかすることもできなかった。ただ彼は、必ずチームにいた』。考えてみたら彼の政治も同じだ。けっしてうまい政治家でも、何かに長けているわけでもないが、いつもチームに囲まれ、そこにいる」
 ブッシュ大統領を「フォレスト・ガンプ」にたとえる向きもあるが、それはガンプに失礼だという声もある。