戦後九年目の「ゴジラ」映画の授業
〜『テミス(法学部報)』15号(1997年3月25日刊行)より



日の一年法学演習で、「ゴジラ」(英語版)のビデオを使って、「ゴジラと法」について一緒に考えてみた。一人の男子学生がこう言った。「僕が知っている今のゴジラと全然違う。父がなぜ昔のゴジラにこだわっているのか、やっと分かりました。今度、父とゴジラについて語りたいと思います」。
 1954年11月3日。映画「ゴジラ」が全国で封切られた。焼け野原となった東京。火傷や放射線障害で横たわる多数の市民……。九年前に起きた広島・長崎の惨状そのものだ。怪獣映画の軽さはそこにはない。ゴジラが吐く放射能により、漁船員が殺されるシーンも。ビキニ水爆実験で第五福竜丸が「死の灰」を浴びたのは、封切り八ヵ月前のことだった。 「ゴジラ」のホームページでも、第一作の「反戦・反核の時代背景」への言及がある。
この作品には「防衛隊」という名で、創設四ヵ月目の自衛隊も登場する。ただ、部隊出動と武器使用の法的根拠については、必ずしも明確ではない。ゴジラ襲来は、「外部からの武力攻撃」ではなく、治安出動や災害派遣(武器携帯不可)のケースでもないからだ。首都東京の危機にもかかわらず、旧安保条約一条に基づく在日米軍の出動が全く想定されていないのも、時代状況との絡みで興味深い。今回はあえて、外国人向けに再編集された英語版を使用した。その何とも言えない違和感も、学生たちの興味をひいたようだ。
 私が生まれたのは、「ゴジラ」登場の前年、1953年である。その二月に、日本でテレビ放送が開始された。そんな「テレビ世代」に属する私は、13年前に赴任した札幌の私大でも、本年三月まで六年間勤務した広島大学でも、授業のなかに視覚的要素を取り入れてきた。15年前から集めている数百本のニュース・スペシャル番組の映像(学生たちは「水島・裏ビデオ」〔社会の裏を見るビデオ〕と呼んでいた)もその一例である。
 憲法判例を扱うときでも、当時の事件映像などを数分間流すだけで、時代背景などへの関心と理解は一気に深まる。判例の勉強では、「判旨」だけでなく、判決全文にあたる必要があるように、「事実の概要」でも、可能な限り、その「事実」の中身に注目することが大切である。新聞縮刷版や映像の検索、事件関係者への直接取材や現場実踏なども有効だろう。専門ゼミでは色々と「実験」してみたい。
 今後、法学部に沈澱する「こだわりの人材」の発掘と輩出にも努力していきたいと思っている。


『テミス(法学部報)』15号(1997年3月25日刊行)